第4話−10

 ホルマリン系の薬品を嗅がされたメグだけど、精密検査は異常なし。
 帰りにお腹が空いたとゴネるメグに、そういえばまだ夕食を食べていなかったことを思い出して、私たちは二人でラーメン屋さんに寄った。いつもだったら、ダイエットのことを考えて無茶食いはしないのに、この日のメグは変なテンションで食べまくった。
 
 それからすぐにタクシーで渋沢学院へ帰った。

 無理をしないで休んだらどうかと思ったんだけど、メグはそんな素振りは少しも見せないで、当たり前のように渋沢学院に戻ると言ったんだ。
 だから私はメグのやりたいようにさせるべきだと思った。
 隣にいるだけで、メグの苦しみや恐怖が私にまで伝わってくる。意識して気を紛らわせていないと、まだ手が震えるくらいだ。
 けど、私たちは病院でもラーメン屋さんでもタクシーの中でも、事件のことはあえて口にしなかった。

 今は何も言わなくてもいい。
 ただメグが立ち向かうことを選ぶなら、私も傍にいるよ。

 
 女子寮の前でタクシーから降りると、キュウが待っていた。

 一瞬、メグとキュウが無言で見つめあったことに気づいて、私は胸がフワっと温かくなるのを感じた。
 大丈夫。メグにはキュウもいるんだ。

「先に部屋に戻ってるね」
 さりげなくメグをキュウに託して、私は先に自分の部屋に向かった。


「ちょ、さなえ?」
「メグ」
「あ、あはは。なんかすっごくお腹すいちゃって。さなえと一緒に、病院の前の店でラーメン2杯も食べてきちゃった!」
 さなえが変な気をまわしたことに、少し物申したい気持ちを抑えつつ……、
 キュウに心配させたくなくて、メグは明るくおどけて見せた。
 そんな他愛もない話に黙って耳を傾けながら、キュウはメグを部屋まで送ってくれる。ただ、「ラーメン2杯」のくだりには少し顔をしかめたキュウが、素早く腕時計に目を落とした。
 時刻は8時ちょっと過ぎ。高カロリーなものを夜に食べると、太るぞ、と。決して口には出さないが、日頃からプロポーションの維持に煩いメグの身を密かに案じるキュウ。

「長い緊張から解放されると、急にお腹すくことって、あるよね」
「うん、あるね」
 合槌をうちながらも、それってストレスによる過食では? との思いがキュウの中によぎる。

「味はイマイチだったけどね」
「そうなんだ」
「かゆいの?」
 メグを待っているうちに、いくつも蚊に刺された場所が無性にかゆみだす。
「うん、かゆい」
 と、キュウが甘えた声で言った。
「あ、そう」
 だがメグはバッサリと、特にキュウを労う様子もなく切り捨てて、「あ、ここ」と、自分の部屋を指差した。

「じゃあね。お・や・す・っみ〜!」
 初日にやった自己紹介のアクションで、メグが妙なテンションでキュウに挨拶をした。

「じゃあね。お・や・す・み〜」
 キュウもメグに合わせて同じ動きを繰り返すが、なんとなく二人の間には微妙な雰囲気が流れた。

「アハハ……」
「ウフフ……」

 それからメグを残して元来た廊下を戻り、キュウは階段を下りた。
 けど、不意に足をとめて、メグ本当に大丈夫かなと思い返す。やっぱりテンションがおかしいよ。
 ただの思い過ごしかもしれないけど、やっぱり心配になって引き返して見ると、誰もいない廊下で一人ただずんでいるメグの姿があった。
 部屋に入ることもせず、ただその場で両手を握りしめ、少しも動こうとしないメグの様子に気がついて、キュウが優しく声をかける。

「メグ」
「キュウ……」

 振り返ってキュウの顔を見たメグの顔がくしゃくしゃになり、涙がポロリとこぼれた。

「無理しなくていいんだよ」
「うん、キュウが戻って来てくれて、ホッとした……塗り薬、あるよ」
「やった。助かる」

 キュウの虫刺されに塗り薬をぬってあげるという口実で、メグはキュウを部屋に招き入れた。
 でも、そんな口実がなくても、キュウはきっとメグが落ちつくまで傍にいてくれただろうと思う。

「本当に少し慣れてきたと思ったんだけどな……」
 未だに残酷なものを見るとひどく動揺してしまう自分を情けなく思って、メグが呟いた。

「ねえ、メグの瞬間記憶能力って、いつから目覚めたの?」
「幼稚園の頃よ。読む絵本を次々に暗記してって、近所じゃ『天才少女』なんて呼ばれて……。でも小学校にあがって、中学受験とか意識するようになると、みんな冷たい目で見るようになったの」
 昔のことを思い出しながら、静かに胸のうちを語るメグの言葉を、キュウはただそっと聞いている。

「メグはずるい。勉強しなくてもイイ点がとれる。……残酷な映像を見て、それが頭から離れず苦しむこともあるのに。むしろ辛いことの方が多いのに、『みんなどうしてわかってくれないの』って……。あの頃の私、さなえしか友だちがいなかったの。けど、さなえが小学3年のときにイギリスに留学して行ってからは、本当に一人ぼっちで。お決まりの登校拒否」
 瞳に浮かんだ涙をぬぐって、それでもメグは凛として言った。

「でも私、そんな自分が嫌で探偵学園を受けたの。自分の力を誰かの役にたてることができたら、自分自身と自分の力を誇れるようになるかなと思って」
「うん」
 キュウがそんなメグを見つめて、微笑む。

「ヤダ〜、あたし何語ってんだろ」
「いや、すごい素敵な考えだと思うよ。だって、今まで一緒に調べて来た事件、どれもメグの瞬間記憶能力がなかったら解決できなかったもん」

 キュウの真っすぐな瞳に見つめられてそう言われると、メグはドキっとしてしまう。
 人のことを妬んだり、悪く思ったりしないで、物事の良い面を見つめてくれる人。キュウはそういう人なんだね。

「キュウは? どうして探偵学園に入ろうと思ったの?」
「そりゃあ、団先生のもとで勉強したいと思ったから……」
「でも、キュウって団先生の後継者争いに全然興味なさそうじゃない?」
「僕がなりたいのは団先生の後継者じゃなくて、ただ、探偵になりたいだけ」
 メグが首をかしげる。

「じゅあ、そのきっかけは?」
「うーん。ある人の影響かな。名前も知らない、僕の好きなおじさん……」
「え?」

 キュウが制服のズボンのポケットから古い黒革の手帳を取り出した。
 表紙を開くとそこには「探偵心得帳」と書かれている。キュウはそれを愛おしそうに見つめた。

「なに、それ」
 メグがキュウの隣に座って覗きこむ。
「そのおじさんからもらった、手帳」
 そう言って、キュウがメグに手帳を見せてくれた。

 受け取った手帳のページをパラパラとめくってみて、メグがすぐにあることに気づく。
「これ、『探偵学園』の生徒手帳に書かれていることと、そっくりじゃない?」
「うん」
「キュウの本当に知らない人なの?」
「うん、名前も素性も何も知らないんだ」

 そうしてキュウとメグが二人で手帳を覗きこんでいると、キュウの携帯が鳴った。

「あ、リュウだ」
 電話に出たキュウが、みるみるうちに表情を変えて立ち上がった。

「え!?」
「どうしたの?」
 キュウの剣幕に驚いてメグも顔を上げる。

「コレクターがまた現れた! 今から僕、リュウと合流するよ」
「私も行く!」

 掲示板に、新たな動画が貼りつけられた。
 キュウとメグは急いで男子寮のリュウの部屋に集合した。
 実は女子寮を出る前に、二人はさなえの部屋に寄ったんだけど、部屋にはなぜかさなえの姿がなかったんだ。
 きっとお風呂か、トイレかだと思った。
 とにかく急いでいたので、メグもキュウも、特に気にすることなく、さなえにはリュウの部屋に行くからとメールだけを残して来たのだった。

 夜9時よりビックリ生中継。
 投稿人はスナフキン。

 リュウの部屋には、一番最初に掲示板に気づいてそれを知らせに来た遠谷さんもいて、新たに掲示板に貼りつけられている動画のアドレスが、放送部の映像配信用のものであることを教えてくれた。

 アドレスをクリックすると、【殺人シアター 某所より生中継】の赤文字が出た。
 どうやら、指定の9時になるまで動画は再生されないように設定されているらしい。

 夜9時まであと数分。
 リュウ、キュウ、メグ、そして遠谷さんの4人は緊張する面持ちで動画の配信を待った。




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