第3話−5

 
 翌朝、3件目の事件が起きたというDDSからの知らせで、私たちは緊急招集された。
 前日の夜遅く、ミッションルームから帰って来て、「リナリア」の花言葉を調べていたさなえは、その後眠れなくなってしまった。
 そのせいで、すっかり寝不足で体がだるい。

―― この恋を知ってください

 それが、リュウがさなえに贈ると言った、リナリアの花言葉だった。
 さなえには、リュウのことが分からなかった。もしもリュウが本当にさなえに恋心を抱いてくれているとすれば、超感覚を持つさなえには、絶対にそれが分かるはずだった。
 それだけじゃない。さなえは、自分に対する嫌悪や、無関心や、愛情や、思いやりといった、他人が自分に抱く様々な感情を、超感覚によって敏感に察知することができた。

 なのに、リュウの気持ちだけは、どうしてなのか感じることができない。


 最初の二つの事件からは少し離れた『夜の繁華街』の近く。
 さなえが現場にやって来たときには、すでにキュウ、リュウ、キンタ、メグが先に到着していた。

 朝の7時前だというのに、鑑識の立ち入り禁止のテープの外には早くも多くの野次馬が集まって来ている。

「諸星さん!」
 キュウが諸星警部を見つけて声をかけると、捜査用のゴム手袋を脱ぎながら、猫田刑事を引きつれて、諸星警部が私たちのところにやって来た。
 Qクラスの面々を認めて、諸星警部が面倒くさそうな顔をする。
「なーにしにきた」
「今度の被害者は?」
「おお。この辺の悪ガキだ」
 態度とは裏腹に、キュウの問いかけに対して、諸星警部は反射的に答えた。

「って、なんで答えてんだよう!」
 と、諸星刑事が自分で自分の顔にビンタを入れる。

 疲れているんだなこの人も……と、さなえは思った。

 諸星警部の横では、いつものベレー帽をかぶった猫田刑事が、
「自分でつっこんでどーするんですか」
 と、諸星警部に対して突っ込みを入れている。

「すみません、さがってください!」
 ますます押し寄せる野次馬をいさめて、制服警官が声を上げた。
「おお、落合。お前、スクラップマーダーについて何か面白いネタもってないか。中身次第では、刑事課に推薦してやるぞ」
 と、諸星警部が制服警官に話しかけた。どうやら、諸星警部とその警官は親しい間柄のようだ。

 しかし、落合と呼ばれたその警官の顔が、ピクリと硬くなった。
「いや、その話は、もう……」

「ん? お前、刑事課に行きたがってたじゃねーか」

「いえ、地域の人たちを身近で守れる、この仕事の素晴らしさに気づいたんです」
―― 違和感。
 嘘をついているわけではないけど、本当のことを言っているわけでもない。さなえは、そんな奇妙な感じがした。
「おお、そうか」
「失礼します!」

 真面目そうな落合という警官は、諸星警部に敬礼をして足早にその場を去って行った。
 諸星警部と猫田刑事も、忙しそうに捜査に戻って行く。
 連続殺人が同じ地域で3件目。警察はここ何日か、この地域の警備を強化しているはずだった。それなのにまたしても事件が起こってしまったから、気が気ではないだろう。

「殺されたの、いつもうちに顔だしてた奴だぜ」
「これでやっと静かになるな」

 さなえたちの背後から、そんなことを言うお兄さんたちの声が聞こえて来た。
 キンタが振り返る。
「殺されたあの人、いつも店に来てたのか?」
「ほとんど毎晩だよ。駐車場で音楽ガンガンかけて、所構わず落書きしてさあ。迷惑な奴だったよなあ……」
 そう言ったお兄さんが、ズボンのポケットから煙草を取り出して、マッチで火をつけた。
 瞬間、メグが叫んだ。

「あ、そのブックマッチ!」
 メグの声があんまり大きいので、さなえはビックリして隣にいるメグを見た。
「マッチが、どうしたの?」

「昨日の聞き込みのとき、ホームレスに差し入れしてた蕎麦屋のお兄ちゃんも持ってた。それから、殺された地上げ屋の被害にあってた、あのラーメン屋さんにも同じマッチがあったわ!」
 さすがのメグの記憶能力に、私たちは舌を巻いた。

 キュウがこの機会を逃さずにお兄さんに聞いた。
「あのう、そのマッチって、どうしたんですか?」

「これ? 行きつけのクラブのマッチだけど」
 お兄さんがかざして見せた問題のマッチには、『SAHARA』と書かれていた。

「もしかして、そのクラブで殺された男の話とかしました? 何でもいいんです、愚痴とか、噂話しとか」

「ああ、そういえば話したことあったかも。迷惑な奴がいる、って」

 お兄さんの返答に、キュウがニヤリとしてメグに目配せした。
 メグも、探偵のように鋭い目をして頷いた。
「見つかったわね。事件の、共通点」
「犯人は、そのクラブで被害者たちの情報をつかんだんだ!」

 私たちはその日の夜、問題のクラブSAHARAに行ってみることにした。
 っていうか、キンタ以外のみんなは未成年なんだけど、クラブなんかに行っていいのかな……。


 そして夜8時。
 私たちは揃ってミッションルームを出発した。
 数馬だけは残ると言って、ミッションルームのあるアミューズメントバー、LOOPでダーツなんかして、ふてくされたように私たちに背を向けていた。
 けど、みんなはもう、数馬には何も言わなかった。信じているから、ね。


―― サロン・ド・サハラ。
 秋葉原の中でも、大人の人たちが集まる夜の繁華街の一角に、そのクラブはあった。
 SAHARAという看板のかかった扉を入ると、いきなり地下に続く狭い階段が下りていて、暗い穴倉を思わせた。
 階下に近づくにつれ、激しく鳴る音楽がどんどん強くなっていく。

 先頭を行くキンタが黒い扉を開いた途端、たくさんの人たちがガヤガヤ話す声や、笑う声。それからビートの効いた激しいダンスミュージックが溢れ出て来た。
 広いダンスフロアの左手にステージがあり、そこでバンドが生で音を出していた。
 フロアでは男女が入り乱れて妖艶に体を揺らしていて、壁側では、ちょうど積み上げられたシャンパンタワーにピンク色のシャンパンが注がれているところだった。

「うわ…、みーんな怪しく見えちゃうなあ」
 メグがひとしきり店内を見回して、大音量の音楽に耳を塞ぎながら、顔をしかめてさなえを振り返った。
「さなえ、平気?」
 超感覚をもつさなえは小さな音にも敏感に反応するから、この大音量が平気かと聞いてくれたのだ。
「うん、私は大丈夫だよ。でも、こんな所に来るの初めてだから、なんか恐いね」
 耳を寄せなければ、声が届かないほどうるさい。

 キュウがメグの側に近寄り、同じように片耳を塞ぎながら、大きな声で言った。
「ってか、なにその格好!!」
 キュウが言ったのは、メグがいつもより大人っぽい格好をしていることについてだった。
 頭にサングラスをかけて、シースルーのブルーのワンピースの下に、マイクロミニのTシャツと短パンの間から出ているおへそが透けて見えている。

「ガキっぽい格好してたら、舐められるでしょう〜!」
 と、メグがキュウに顔をよせて大声で答えた。踵の高い靴をはいているから、メグとキュウの顔がいつもより近くなる。
「……。」
 キュウはそれ以上なにも言わなかったが、メグのファッションには明らかに不満顔だ。
 でも、探偵の極意である『場に馴染む』、という七海先生の教えにはあっていた。

 さなえはというと、普段通りの、プリーツスカートに白いカットシャツ。今夜は熱いからニットのベストもネクタイもしていない。いたって、地味な格好だ。

「さなえは、着替えなかったんだね」
 と、みんなの一番後ろからついて来ていたリュウが、すぐ隣にやって来た。
「着替えたほうが良かったと思う? もしかして、リュウはして欲しかった?」
 さなえはわざと、目を細めてイジワルそうに笑って見せた。リュウへの仕返しだ。

 けど、リュウの方がやっぱり一枚うわてだった。
「して欲しかった、って言ったら、どんな格好でもしてくれた? それって、すごくイイかも。じゃあ、今度……」
「もう、リュウの意地悪! 私がメグみたいな格好できるわけないでしょ」
 さなえは顔を真っ赤にしてリュウに怒りの視線を向けた。
 途端にリュウが噴き出す。

「そっちが先に挑発したんだろう。まあでも、さなえはいつものままで可愛いよ」
 リュウが楽しそうに笑うので、さなえの怒りはみるみるうちに冷めてしまった。

「ねえ」
「うん?」
「あいつさっきから、店の中ウロウロしてる!」
「え?」
 メグが店の奥にいる黒いシャツの男を指差した。
 その人はプラチナに近い白髪を短かめに刈り込んで、ハリネズミのようにツンツンに立てた頭をしていた。
 目が細く、表情は鋭く見えた。

 メグの言葉通り、確かに怪しげに見える、と、さなえも思った。
 するとキンタが、フロアの人ごみをかきわけて、いきなり男に向かって一直線に歩きだした。

「キンタ!?」
 キュウの顔が強張った。

「まずいでしょう!」
「まさか、いきなりケンカ!?」
 メグとキュウが同時にキンタを追いかける。リュウもその後に続こうとして、はたと、さなえを振り返って手を出してきた。
 はぐれないように、手を繋ごうということらしかった。

 リュウって、こういうとき、さなえのお父さんに似てるんだ。

 さなえはリュウの手にしっかりつかまって、ダンスフロアの人ごみの中を引っ張ってもらった。
 恥ずかしいとは思わなかった。むしろ、この状況ではそうすることが自然に思われたのだ。
 たとえ相手がリュウじゃなくたって、キンタや、キュウや、メグや、数馬とだって、さなえは仲間とだったらそうしただろうと思う。

 実際、体を絡みあわせて踊っている男女の間を抜けて店の奥に行くのは、さなえにとっては未知のジャングルを通り抜けるようなものだった。
 両手をピンと伸ばした距離が、その人のプライベートゾーンだというけれど、ここでは、誰もが体を触れ合わせるのが普通なのだ。
 両手を伸ばして、それ以上近づかないで! と言うことはできないだろう。

 なんとかリュウに連れられて、店の奥の、ライトアップされたカウンター席の所に抜け出せることができると、さなえはそこで、キンタと先ほど怪しんでいた男の人が硬く抱き合っているのを目の当たりにした。

「えーっと、話はどこまで進んでるの?」
 さなえが聞くと、先に追いついていたメグとキュウが教えてくれる。
「この人はこの店の店長で、キンタの友達らしいわよ……」
「ハハ、まったく、ビックリするよね。はあ〜……」

「キーンタ!」
 カウンターの隅の方から、一人の可愛らしい女の人がビール片手にキンタに笑いかけた。
「おお! ハルカもいたのか」
「久しぶりじゃねーか!」
 あんなに目つきが悪かった店長さんが、今は満面の笑みでキンタに腕を回している。
「なんだよお前、ここで働いてたとは知らなかったゼ。本当に久しぶりだなあ〜おい」

 私たちの初めの心配をよそに、キンタはガハハと笑いながら、店長と肩を組みながらハルカという女の人の座るカウンター席の方へ移動して行った。
 私たちは置いてけぼり感を味わいながら、キンタのあとに従ったのだった。




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