第3話−4

 
 リュウがイジワルに「教えない」とか言うので、さなえは努めて気にしないフリをした。
 口にする言葉の一つ一つを文字通りに受け取ってしまえば、まるでリュウがさなえに恋愛感情を持っているみたいに誤解してしまいそうになってしまう。だけど、いやいやどうして、そーんなことあるはずない、とさなえはよく理解しているつもりだった。
 きっと、行間に隠された意味があって、リュウは暗に、さなえの無防備さや軽薄さを戒めるためにそんなことを言うのだろう。
 何より、リュウのような人が女の子に恋愛感情を持つことじたい、さなえには想像しにくいのだった。
――さなえにとってリュウは、優しいけれど鉄のように厳しい人。親切だけれど氷のように冷たい人だった。
 
「ただいま!」
 非常扉がガシャンと開いて、キュウがミッションルームに飛び込んできた。
 その後から、少し疲れた様子のキンタとメグが続いて入って来る。

「あ〜あ。一日歩いて、手掛かりゼロかあ……」
 メグが鞄を投げ出して、窓際のソファーに沈みこんだ。
 キンタも溜め息混じりに、ティーテーブルの側の椅子にどっしりと腰かける。
「被害者の年齢も職業もバラバラ。調査の結果、接点は見当たらないもんな」

「おかえり。みんなお疲れ様」

「おお、さなえとリュウはどうだった? 殺害現場を回って、何か手掛かりをつかめたのか」
「ううん、何も。現場に違和感や不自然な感じはなかったよ。ねえ、リュウ?」
「ああ。ただ一つだけ言えるのは、二つの犯行現場が徒歩圏内にあり、いずれも夜間に人目の届かない場所だということから、犯人は地元の人間である可能性が高い」
 さなえがリュウのあとを引き継ぐ。
「それで、被害者に何か共通点があるんじゃないか、って思って。私たち、被害者周辺の聞き込みに行ったキュウたちの帰りを待ってたんだよ」

「共通点と言えば、一つだけあった」
 と、キュウが言った。キュウは中央テーブルの前の椅子に横向きに座って、両腕を背もたれにかけてさなえを振り返った。

「え、あったか? 共通点なんて」
 キンタとメグが眉をしかめてキュウを見た。

「共通点、て?」
 リュウが興味を示して、暖炉の前から身を乗り出した。

 キュウが口を開く。
「二人とも、人に恨まれてた」

 瞬間、キュウの言葉に引きつけられて、部屋の中がシーンと静まり返った。
 その言葉によって、みんなの頭脳が瞬く間に活性化されていくのが、ピリっと空気から感じられてきた。
 さなえは鳥肌がたった。

 そのとき、非常扉が静かに開き、数馬が戻ってきた。みんなも数馬に気づいたけど、話しの途中だったのであえて声をかけることをせず、また数馬の方でも、みんなが推理に集中していることをすぐに悟ったらしく、扉口の近くの壁にもたれて、自分もキュウの言葉に聞き耳をたて始めたようだった。

 キュウは、ゆっくりとみんなを見回してから、そして話しを続けた。

「『こいつに復讐してやりたい』とか、『懲らしめてやりたい』とか。そういう人たちの心の叫びを聞いた犯人が、今回の事件を引き起こしたんじゃないかな、って、考えられない?」

 キンタが納得しように手を組み、キュウに続いて言った。
「……殺された連中は社会のゴミだった。だから犯人は正義の味方を気どって、そういう連中をゴミ箱に捨てた、っていうのか」

「確かに、最初の被害者は日常的にホームレスを襲っていた最低の若者。そして2番目の被害者は、暴力団を使って地元の土地を強引に買いあさっていた凶悪な地上げ屋だったわ。そう考えると、どちらも地元住民の恨みをかっていた、というのは頷けるわね」
 と、メグ。

 その理屈は、リュウの言っていた注目願望症候群とか、歪んだ正義を持つ、という犯人像にも当てはまった。

 みんなに頷いてみせながら、キュウの表情が暗く、物思いに沈んで真剣になった。
「でも僕は、絶対に犯人を認めない。どんなに悪人だろうと、殺されてもいいという理屈にはならない。人殺しは許されることじゃない。僕は、絶対に犯人を捕まえてみせる!」

「そうすると問題は、犯人がどこで被害者たちを知ったか、ってことか。リュウたちが言うように、犯人が地元の人間だとすると、当然、犯人が被害者たちを知ったのも地元のはずよね」

「地道に調べて回るなんて、相変わらずアナログだね」
 ここで、溜め息混じりに数馬が中央テーブルまで歩いて来た。
―― 違和感。
 数馬の様子に、さなえだけがきょとんと首を傾げる。

 だが、メグはことさら、数馬の言葉にイラっときたようだ。
「そういう数馬は、ネットで何か情報を掴んだの?」
「1件目と2件目で使われたナイフは国内で大量生産されているサバイバルナイフで、通販で誰でも購入できるものだった。それだけさ」
「なんだ、そっちだって大した情報は掴めてないんじゃない。真剣に捜査もしないで、偉そうに言わないでよ」

「こっちはゲームのプログラムとか、いろいろやることがあったんだよ!」
―― 違和感。
 数馬の様子がなんだか変だ、とさなえは感じた。
 いろいろな糸が複雑に絡まって苦しい、もがいている、そんな奇妙な感じがするのだ。

 Qクラスの中で一番年上で、唯一成人しているキンタも、数馬がいつもの様子と違うことに気づいたようだった。
「なに逆切れしてんだよ」

 数馬はムッとして、重たいバケツに汲んだ水を一滴たりともこぼすまいとでもするように、限界まで我慢している何かをこらえる様子で自分の鞄をひっつかみ、足早に非常扉に向かって歩き出した。

「数馬、どうしたの?」
 キュウが数馬の様子を悟って、優しく問いかけた。
 他のQクラスのみんなも、さすがに探偵の卵だ。この時にはみんな数馬の異常に気づいて、驚いたように、そして探るように数馬を見つめていた。

「キュウはいいよな。迷いがなくて」
「……え?」

 数馬はそれだけ言うと、入って来たときと同じように、この上なく静かに非常扉から外に出て行ってしまった。

「何だ、あいつ」
 閉ざされた扉を凝視したまま、キンタが、解せない、という顔をした。

 さなえは、数馬が集めた事件の捜査資料や、そして、数馬が現在手掛けているゲームの資料などが中央テーブルの上に乱雑に広がったままになっているのを見て、そっとそれに手を置いた。さなえには、数馬の気持ちがわかるような気がした。

「人は同時に、何本の糸を操れるのかな。事件と、ゲームの仕事と、抑えられない恋と、そしてQクラスと、団先生の後継者になること」

「さなえ、どしたの?」
 と、メグが驚きを隠さずに言うと、キュウも
「さなえ、何のこと?」
 と、問い返してきた。

「おいおい数馬の次はさなえかよ……どうしちまったんだ一体」
 と、キンタ。

 けど、リュウはさなえの言っていることの意味を理解した。
 いくつもの糸が自分の中で絡まっていく感覚に人は苛立ち、焦るものだ。きっと数馬は、そんな状態だということだろう。
―― 事件と、冥王星と、そしてさなえのこと。本当に僕たちは、……僕は、一度に何本の糸を操れるのかな……。

「数馬ってああだから、きっと今までは器用に、いくつもの糸を自在に操って来たんだと思うんだ」
 さなえはテーブルの上の資料を種類ごとに片付けながら言った。

「糸って、つまり、事件とか、Qクラスのこととか、そういう僕たちが手に抱えているもののこと?」
 と、キュウが確認する。

「うん」
 さなえは頷いて、先を続けた。
「数馬は、Qクラスのこととか、団先生の後継者になることとか、事件や、それから趣味が仕事になったっていうゲーム制作のこととか、今までいろいろなことを同時に、うまくやってきたんだと思うんだ。けど、人って恋をすると、心がいっぱい、溢れちゃうでしょう。そして、恋しい相手のことばかり思う様になるんだけど、一方ではそれと同じくらい、自分のこともよく見えるようになってくるの……。 そして、自分がとるに足りないものに思えてしまったりする」

 すると、リュウがさなえの言葉を受けて、やる気のない分析官のように、淡々と言った。
「ただの憶測だけど、数馬の場合は多分、いろいろなことを同時にやれるという強みが裏返って、自分には何一つ真剣に打ち込めるものがない、という短所に転換した、という可能性はあるかもしれない」


「なんだそれ、ウジウジした考えだなあ」
 と、キンタが呟く。

「恋してるだけ、相手が輝いて見えるから、自分がちっぽけに思えるんだよ。特に、片思いだと」
 さなえがキンタに対して口を尖らせた。

「さなえは、数馬がそうだ、って言いたいの?」
「なんとなく、そうじゃないかって気がするだけ。焦って、かえって何も手に着かなくなって、そんなときに真剣な仲間の姿とか、キュウみたいに迷いのない真っすぐな人を見ると、置いて行かれちゃいそうで、不安になるの。……アナログだって言ってみんなを馬鹿にしたみたいに聞こえたかもしれないけど、私にはなんだか、数馬が『置いて行かないで』って言ってるみたいに聞こえたんだ」

「だとすると、完全に八つ当たりじゃねーか」
 キンタが納得したように、組んだ足の膝を叩いた。

「ふーん」
 メグが肩にかかった髪をかきあげながら言った。
「別にいいけどね。仲間なんだから、八つ当たりくらいされたって」

 こういうの、メグのいいところだ、とさなえは思う。メグはすぐに怒るし、ズケズケと物を言うけれど、メグには本質を見抜く優しさがあって、最後にはサラっと許してくれる。
 そのメグが、まるで尋問でもするみたいに、ギロリとさなえを振り返った。
「で? 誰なの、数馬が片思いしてる相手って」
 さなえがビクリとする。
「それは言えないよ! 内緒にするって約束したから。特にメグには絶対に言わないで、って、数馬に口止めされてるんだから」
 そう言って、さなえは指切りした小指をたてて、「これが証拠だ」と言わんばかりに、みんなに見せた。
 メグが舌打ちする。

「みずくさいわね〜、もう!」

「なんだよ、お前たちだけ秘密をわかちあう関係なのか?」

「違うよ。今朝たまたま、通りかかって、『あの人のことが好きなの?』って聞いたら、数馬が……」
「『はい、そうです』って答えたっていうのか? ありえねーだろ、あの数馬が」
「うん、数馬ならなんとしてでも隠そうとしそうだよね」
 キンタとキュウが立て続けに言うのを制して、さなえが先を続ける。

「キンタやキュウが言うように、数馬は実際、一度は否定しようとしたんだよ。けど、私がズルかったの。『本当に大切な気持ちには嘘をついちゃいけない』って言って、私が数馬をけしかけたんだもの。そしたら数馬が、『彼女のことが気になってる』って、教えてくれたの」

「へえ、あの数馬がねえ……」
 メグが少しニンマリした。

 数馬が、自分の大切な気持ちに嘘をつかない人だというのは意外だった。
 数字や記号の配列にしか興味がなさそうな、あの、数馬が。

 けれど、みんながまだ、数馬の秘密を知れないことに納得のいかない顔をしていたので、さなえは気持ちを打ち明けた。
「お父さんが言ってたんだけど、大切な気持ちに嘘をつかない人には、紳士淑女の気質があるんだって。その人は、気高くて、勇気のある人なんだよ。だから私、数馬の気持ちを守りたいって思うの。きっと、数馬があえてみんなに言わないのは、簡単に口にすることができないくらい、大切だから。私だって、本当は聞いちゃいけなかったんだ」

「簡単に口にすることができないくらい、大切な気持ち……」
 キュウがさなえの言葉を繰り返し、そして無意識にメグを見た。
 メグはキュウには気づいていない。

 キンタは黙って頷いて、遠くを見つめた。誰か、心に思う人がいるのだろうか。あるいは、譲れない信念が。

 リュウは何も言わずに、意識的にさなえから目をそらした。
 そこまで数馬の心を読む洞察力がありながら、どうしてさなえは、ささやかな僕の気持ちには気づかないのかな、とリュウは思ったのだった。
 もしかすると、すでにさなえはリュウの気持ちに気づいていて、それでいて気づかないフリをしているのだろうか?
 とすると、無視され続けている僕は、嫌われているのかもしれない。
 そんなことを冷静に分析しながら、ふとリュウは、自分の心が何も感じていないのを知った。意外だった。もっと傷つくのかと思ったのに。

 瞬間、リュウの背中に寒気が走った。
 恋をしている相手に嫌われているかもしれないと思った時でさえ、何も感じない自分の心が……。
 さなえと出会って、気づくうち、リュウの心に湧いてきた期待やくすぐったい感じは、嘘ではないはずだった。
 なのに、さなえに拒絶されるとしても、リュウの心は何も感じない。
―― 僕の心は、痛みを感じない。
 それがとても、恐ろしくて、忌まわしいのだった。
 冥王星から離れて、生活を変え、居場所を変えたんだ。なのにリュウの心はまだ、暗い闇の鎖に囚われたままなのだった。

 リュウの葛藤などつゆ知らず、キュウやキンタやメグは、さなえの言葉に温かい気持ちになって、
 その夜、Qクラスのみんなは、数馬の心の変化には気づかなかったことにしようと決めた。
 とりわけ、数馬が片思いをしていることを、今やQクラス全員が知るところとなったのだが、その事実はくれぐれも数馬には秘密にしようと意見が一致した。

 絡まった糸の中から大切な1本だけを掴み取るか、もしかすると、絡まりを解いて、すべての糸を秩序正しく操る術を見つけるか。
 数馬が自分で答えを見つけるときが、きっとくるはずだと信じて。




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