第3話−3



 そんなに遠くはないはずなのに、ミッションルームへの帰り道が、とても長く感じられた。
「不愉快な思いをさせて、ごめん」
 人通りの多い道に出るとリュウはさなえの手を放して、また黙りこんでしまった。

「謝ることないよ」
 リュウがさっき言ってくれたみたいに、今度はさなえが言った。
「リュウのせいじゃなくて、私が偶然、あの場に居合わせただけだもん」
「偶然、か」
 その言葉が気に入らないのか、吐き捨てるようにリュウが言った。
 けど、さなえはやっぱり、リュウの本当の気持ちを察することができずに、自分が冥王星の話しを聞いてしまったのは、リュウには都合が悪いことだったんだと思った。
「きっと、聞かれたくないことだったよね」
「そうじゃない」
「え?」
「傍に居て欲しいと思ったのは僕だから、君があの場にいたことは、偶然じゃないんだ」
 さなえって鈍感だな、と、リュウは思った。
「本当なら、奴らを警戒して僕は常に一人で行動するべきなのに、今日はさなえと一緒に事件現場をまわったんだ。そうしたかったから」
 リュウの言葉に、さなえは首をかしげている。
「でも、そうするべきじゃなかった」
「どうして?」
「僕が捜査に関わればあいつらが姿を見せるってことは、想定できないことじゃなかった……。危険すぎる」
 目を見ることも、声を聞くことも、傍に近づくことさえも危険な存在。そんな奴らに3度までもさなえを引き会わせてしまったことを、リュウは深く後悔した。

「そう、なんだ。けど、私は平気だよ。不愉快な思いだってしてないし、リュウと一緒に捜査に来れて良かったよ。ただ、私はリュウのことがちょっと心配になっちゃったよ」
「僕が犯罪者の子だから、Qクラスのみんなをいつか裏切ると思うのかい」
「違う。そういう心配じゃなくて、リュウが一人で立ち向かおうとしているのが心配なの。リュウが冥王星に立ち向かう時には、私も味方だよ」
「何を言って……」
 リュウの言葉を遮って、さなえはさらに真剣に訴えた。
「仲間だって認めてもらえるように、私、もっと努力するから、だからリュウが困った時には、頼って欲しいんだよ。それにQクラスのみんなにも。みんな、絶対にリュウの助けになってくれると思うから」

「それは、どうかな……」
「リュウ……」
 リュウは冗談ぽく笑ったけど、その微笑みはとても淋しそうで、誰のことも信じられないという目をしていた。
 それはリュウが悪いからじゃなくて、これまでリュウがずっと一人で、頼れる人もなく、孤独の闇の中を歩いて来たからなんだ、と、さなえは感じた。

 少しずつ、信じてもらえるようになりたい。
 本当の仲間として認めてもらえるようになりたい、と、さなえは心から思った。

 ミッションルームに戻ると、ちょうど数馬と入れ替わりになった。
 お腹がすいたから、近くのカフェで何か食べて来る、とのことだった。
 キュウたちはまだ戻って来ていないから、ここでもさなえはリュウと二人きりになってしまった。

 何か話したらいいのかな。それとも、読書などして自由に過ごすのが良いのかな。
 冥王星のこともあって、さなえとリュウの間にはこれまでにないくらい、重たい空気が流れていた。余計なことは言いたくない。
 けど、このまま沈黙していていいのかどうか。
 モンモンと暗いことを考えている自分が、ふと、とっても愚かしく思えてしまって、さなえは考えるのを辞めた。

 そしてさなえは、お父さんとなら、同じ部屋にいて、何も話さなくても何時間でも心地よく一緒に過ごせることを思い出した。
 お父さんが書き物をしている傍で、さなえが勉強をしたり。さなえがヴァイオリンを弾いている横で、お父さんが本を読んでいたり。何も言わずに、ボーっと二人でテレビ番組を観ていることもあった。
 それと同じように、リュウは、沈黙を気まずく思って無理に話すような人じゃないように見える。
 かえって、沈黙さえも心地いいと思える人間関係を喜ぶような人ではないだろうか、と。
 
 自分勝手に好きな事をして相手の存在を忘れてしまう、というのとは違う。
 そうじゃなくて、相手を空気のように自然に感じながら、同じ時間を平和的に享受するのだ。

 さなえがそんなことを思いめぐらしていると、リュウが暖炉の前のロッキングチェアに腰掛け、鞄から本を取りだした。
 なるほど、リュウは読書をしながら、他のみんなの帰りを待つことにしたようだ。
 その瞬間、さなえはホッと胸を撫で下ろす気持ちで、テーブルの上に置きっぱなしにしていた花束を取り上げた。やっぱり、無理に話す必要はなかったようだ。
 少し萎れてきてしまっている花を見て、さなえは部屋の中を見回した。花瓶にさしてやりたいけれど、ミッションルームにはもう空いている花瓶が一つもないので、どうしようかと考えあぐねる。
 やっぱり、家に持って帰ってからやるしかないか、と、思った時。
 リュウがパタリ、と音をたてて本を閉じた。
 そしておもむろにロッキングチェアの肘掛に頬づえをついて、真っすぐにこちらを見つめて来た。

「燃える神秘の愛で、あなたを見つめています」

 リュウとさなえの二人しかいない、シーンと静まり返った部屋の中に、リュウの声ははっきりすぎるくらい響いた。
 花束を手にしたまま、さなえは全神経を集中させてリュウの言った言葉の意味を考えた。
 これはもしかして、何かの暗号だろうか。

 何も応答できずにいるさなえの様子に、リュウがイタズラに口元をゆるめる。

「とすると、やっぱり『偶然』なんだね」
「リュウ、何のことを言ってるのか全然わからないよ」
 さなえが泣きそうな顔になる。

「その花束に込められた、花言葉の意味さ。数馬がそれをさなえにあげた、って聞いたから、僕はてっきり……」
――燃える神秘の愛で、あなたを見つめています。
 このときやっと、リュウが言わんとしていたことが理解できて、さなえは目を丸くした。

「ち、違うよ! 何言ってるのよ、リュウ。ビックリした〜……。そんなことあるわけないのに。ああ、心臓が痛い……」
「そうは言うけど、僕はその『偶然』の花束のことが一日中気がかりでしょうがなかった。苦しめられたのは、むしろ僕のほうだ」
 そう言って、リュウはさなえの口調を真似て付け加えた。
「ああ、心臓が痛い」

「えっと、……数馬が好きなのは私じゃなくて、別の女性だよ。この花束は数馬が、お花屋さんで適当に見繕ってもらったもので、全然、数馬のチョイスじゃないし、だいいち数馬は花言葉なんて知らないと思う。っていうか、リュウ、よく花言葉なんて知ってるね!」

「僕はてっきり、女の子は僕なんかより、そういうことに詳しいと思っていたんだけど」

「ううん、知らないよ! きっと、メグだって知らないと思う」
「へえ、そう」

 それから少し間をおいて、リュウがこんなことを言った。

「じゃあ、僕がさなえに『リナリア』の花を贈ったとしても、君はなんとも思わないんだね」

「り、リナリア?」
 さなえは、そんな花の名前は見たことも聞いたこともない、と思った。

「それって、どんな花? 花言葉は、なんていうの?」

 けど、リュウはちょっとイジワルに笑って、
「教えない」
 と言った。

 そうしてリュウはまた本を開いて、さなえ一人を取り残して、読書の世界に戻って行ってしまった。





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