第3話−13

 
 スクラップマーダーの事件が解決した、次の日の朝。
 さなえはいつもより早く目覚めた。

 なんだろう、妙に頭が冴え渡ってるんだ。まるで、朝日が昇る音さえも聞こえてきそうな気がする。
 イギリスで穏やかな生活を送ることで、やっと鎮まっていた超感覚が、なんだか最近、断続的に、また鋭くなり始めてるみたいだ。
 こんなことでは、また国立能力開発研究所に逆戻りだ……。

 さなえは身支度を整えて、まだうす暗い町を抜けてミッションルームに向かった。
 静かな道も、誰もいないミッションルームの静けさも、さなえを安心させてくれるのだった。


 さなえはブラインドを開けて朝日を迎え入れると、部屋の奥の本棚を見て回って時間をつぶすことにした。
 団先生のコレクションを、そういえばまだゆっくりと見たことが無かったんだ。

 『探偵体術の心得』という本が、すぐにさなえの興味を引いた。
 Qクラスで実際の事件に関わって見ると、想像していたより危険な目にあうことが多くて、キンタやリュウに頼りっぱなしだった。
 さなえも、少しくらい武術や護身術を身につけてもいいかもしれない、と思ったんだ。

 その時、ミッションルームの扉が静かに開いて、リュウが入って来た。

 まだ、朝の7時前だ。
「おはよう、リュウ」
「さなえ? ……おはよう」
 さなえがそこにいるのを、リュウは意外そうにした。
 というのも、さなえがミッションルームに来るのは、最近ではいつも朝の9時すぎくらいだったからだ。

「早いね。リュウはいつもこの時間に来てるの?」
「日によって違うけど、だいたいは僕が一番のりだよ。さなえこそ、今日はまた、すごく早いね」
「うん。目が覚めちゃって」
 さなえは超感覚のことは言わなかった。

 中央テーブルの上に鞄を置いて、リュウが本棚の所にやって来て、さなえの持っている本を覗きこんできた。

「これ? 私も、キュウみたいにキンタから教えてもらおうかな」
「護身術なら、僕が教えてあげるよ」
「え?」
 リュウは唐突にそう言うと、さなえの体を押して本棚に押し付けた。
 リュウの腕の中にすっぽり入ってしまって、さなえは身動きができなくなってしまう。
「リュウ? いったい、どうしたの」

 身を屈めてきたリュウが、さなえの首元に顔をうずめて、かすれる声で囁いた。
「……この気持ちが本物だって、どうしたら分かるんだろう」
「……え?」

 突然のことに、さなえは何が何だかわからない。
 するとリュウは、ちょっと冗談ぽく、けど大部分は真剣な様子で、困ったように言った。
「僕は君に会って以来、日々、君に対するささやかな恋心を募らせているんだよ、さなえ」

 柔らかい朝日が差し込む部屋の中で、リュウは本棚に押し付けたさなえに体を重ねながら、なおも話し続けた。

「この気持ちは、僕にとって希望なんだ。暗闇の中で、感情を失う様に育てられてきた僕にも、普通の人間らしい感情があるんだって気づくことができた。僕は冥王星の天草リュウじゃなく、ただの天草リュウなんだって……けど、この気持ちが本物なのかどうか、今は、わからなくなってしまった……」

「ど……どう、して?」
「きっと僕は、誰からも本当に愛されたことがないから……誰かを思う気持ちが、最初から分からないんだ」
「リュウ……」

 顔を上げないリュウを、さなえは、そっと抱きしめた。

 怒りや憎しみや、悲しみや悼み、喜びなどの多くの感情は、一人でも学習できる感情であり、トレーニングすれば排除できる感情でもある。
 けど、愛だけは、体験することでしか学ぶことができず、努力しなければ生みだすことができない感情である、ということを、さなえはよく知っていた。
 人を愛するとはどういうことなのかを、さなえ自身、それをお父さんから教えてもらったんだ。

「焦らなくて大丈夫だよ。一緒に探そう? リュウの大切な気持ち。それに私は、リュウのことが好きだよ」
 あまりに、さなえがサラリと言ったので、リュウが顔を上げた。
「それって、どういう意味の好き?」
「え?」
 リュウが顔を近づけて来たので、さなえはビックリして顔をそむけた。キスされるのかと思ったのだ。
「それは! け、健全なる中学2年生の、14歳の少女の言える最大限の、『好き』だよ」
「ふーん」
 別に、本当にキスをしようとしたわけじゃなかったみたい。代わりにリュウは、こんなことを聞いて来た。
「その好きには、まだ、伸び白はあるのかい?」
「今の『好き』じゃ、不満なの?」
 さなえが怒りながら顔を赤らめたのを見て、リュウがクスっと笑った。

「どうせなら世界で一番、僕のことを好きになってほしい、て言ったら、ワガママかな」

 リュウがさなえから離れて、中央テーブルの方に戻って行った。そうしてまるで何事もなかったかのように、リュウは鞄から本を取り出した。

 さなえは本棚の所に立ちつくしたまま、小さく首を傾げる。
 私が、世界で一番、リュウのことを好きになる? それは、今までに想像したこともない考えだった。
 誰か一人の人を、世界で一番好きになる……。 それってつまり、お父さんが、お母さんのことを好きになったみたいに?

 さなえは、恋愛には鋭い洞察力があると思っていたんだけど、そういえばこれまで、自分自身が恋をしたことは……なかったかもしれない。いつも友達みたいに、みんなのことが好きだったのだ。
 私、リュウのことをどう思ってるのかな。
 優しくて、親切で、厳しくて、ときどき冷たい。
 ううん。これはどう思ってるかじゃなくて、リュウがどんな人なのかっていう、ただの分析だ。

 うーん……。

 少し離れた所から、さなえはいつまでも、じっとリュウの姿を観察し続けた。

「……。なに?」
 視線に気づいて、リュウが顔を上げた。
「……なんでもない」

 さなえはクルリと向きを変えて、また本棚に戻って行った。



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