第3話−12

 
 さなえは、携帯の音で目を覚ました。頭が、ガンガンする……。やっぱり昨日、超感覚を使いすぎちゃったのかな。
 そんなことを考えながらベッドの中で身をよじり、さなえは携帯を開いた。
 午前11時半過ぎ。
 着信履歴、8件。

「嘘!? 完全に寝過ごした!!」
 さなえは悲鳴を上げながらベッドから飛び起きて、大慌てで着替えをしながら着信履歴に目を通した。

1件目:差出人メグ
――さなえ、おはよう! 今日は何時くらいにミッションルームに行く? 私はフローリスト神田に寄って行くから、少し遅くなりそう。

2件目:差出人メグ
――さなえ、もしかしてまだ寝てる? 数馬と話せたよ。行って良かったと思う。後で、報告するね。

3件目:差出人リュウ@Qクラス
――密室トリックの謎が解けた。至急、警察署 第一会議室に集合されたし

4件目:メグからの電話 10時40分。留守電はなし。

5件目:リュウ
――さなえ? 今どこにいるの。何かあったのかい?

6件目:リュウ
――返信がないと心配になる。連絡待ってる

7件目:数馬からの緊Q電話 11時25分

 7件目は、数馬が開発したシステムで、Qクラスの全員に短縮ダイヤルで電話をかけられるという『緊Q電話システム』からだった。

 さなえは、青いカットシャツに黒いプリーツスカート、それから無難に黒いハイソックスをはいて、髪は梳かしている時間はないので、グルグルっとアップに纏め上げてから、いつもの通学用の鞄をつかむとローファーをつっかけて玄関を飛び出した。

 8件目はついさっき。メグから二度目の電話がかかってきてたみたいだ。何かあったのかな?
 まだ、みんな警察署の会議室にいるんだろうか。そんなことを思い浮かべながらマンションから外に出て走り出したさなえは、自宅マンションの近くにかかる橋の上を、必死に駆けていく数馬を目にとめた。
「数馬?」
 なんだろう、数馬があんなに血相を変えて走っている姿は、今までに見たことがない。
 首に巻いていたバンダナを落としても、気にもせず走り続ける数馬を、なんとなく、さなえは追いかけはじめた。

「数馬!」
 後ろから呼んでみても、数馬はさなえに気づく様子がない。
 数馬が落としたバンダナを拾って、さなえも一生懸命、後を追って走った。

 そのとき、さなえの携帯がまた鳴った。

 今度は、リュウから電話がかかってきた。
「もしもし、リュウ?」
―― やっと出た! 今どこ?
 電話の向こうのリュウの息が荒かった。どうやら、さなえと同じように走っているらしい。

「今、マンションを出たところ。寝坊しちゃったの、心配させてごめんね」
―― いや、無事ならいいんだ。なんだか胸騒ぎがして、声を聞けて、安心したよ。今、もしかして走ってる?

「うん。じゃあ後でね。今、数馬を追いかけてるの。なんか様子がおかしくて」
―― なんだって!? ちょ、さなえ、待って!

 リュウの言葉がまだ途中っぽかったけど、さなえにはこれ以上、走りながら電話をするのは無理だったので、そこで切ってしまった。
 あとで、また電話しよう。


 それから息も切れ切れになりながら、必死に走って、なんとか数馬を見失わずにたどり着いたのは、閉鎖されたコンクリート工場だった。
 数馬、こんなところに一体、何の用があるのかな?
 さなえは慎重に、数馬の後を追って、うす暗い工場の中に入って行った。

 中に入ると、大小様々なパイプがあちらこちらに転がっていて歩きにくく、しかも剥き出しのコンクリートが視界を妨げているせいで、すぐにさなえは数馬の姿を見失ってしまった。
 それでも、数馬を探してゆっくりと奥に進んで行くと、
「やめろ!!」
 いきなり数馬の怒鳴り声が聞こえてきて、さなえは立ち止った。

 周囲の様子を伺い、誰もいないのを確認すると、今度は物陰に隠れるようにして、なるべく音を出さないように、さなえは数馬の声のした方に歩いて行った。
 積み上げられた大きな土管の間から、数馬の姿が見えた。
 その向こうに、椅子に縛られて座っている瑶子さんと、その瑶子さんにナイフを向けた落合警官の姿。

 咄嗟に、さなえは両手で口を塞いで、驚きに声が漏れそうになるのをこらえた。
 そして、ハッとして携帯を取り出し、素早くサイレントモードに切り替えた。
 こういうとき、よく映画とかで、携帯が鳴ったり小枝を踏んでしまったりして、犯人にバレちゃうことがあるんだよね。
 七海先生の教えにもある。犯人のアジトに潜入するときには、「音は出すな、香りは残すな」、と。
 ここがアジトなのかどうか定かではなかったが、さなえは、そんなドジは踏まないつもりだ。
 
「誰だ? 貴様」
 ナイフを持った落合さんが、数馬を見て顔を歪めた。もしかして、スクラップマーダーは落合さん? でも、だとしたらなんで瑶子さんを縛っているんだろう。
 スクラップマーダーが狙うのは、地元の悪人ばかりだ。瑶子さんには当てはまらない。
 そこまで思いめぐらしてみたとき、さなえの頭の中に新しい考えが浮かんだ。
 もしかして、昨日の覗き部屋サイトの被害者が電話で話していた相手、それが瑶子さんだったとしたら……。
 歪んだ正義感の持ち主が、その殺害の様子を瑶子さんに電話で聞かれたとすれば、自分の信じる正義のために、瑶子さんのような善良な人にも刃を向けるかもしれない。

 その時、さなえの携帯が光り、リュウからまた電話がかかってきた。
 通話ボタンを押して携帯を耳に当てると、すぐにリュウの声がした。
――「さなえ、落合警官がスクラップマーダーだ。警察には通報した。今、僕たちもそっちに向かってる。危険だから、くれぐれも無茶しないでくれ」
「リュウ、早く来て。数馬が危ないことになってる……」

 さなえの目の前では今、数馬が落合さんと向き合っていた。
「あんたがここにいることは、警察に通報した。もう逃げられないぞ、スクラップマーダー」
「お前も邪魔をするのか……じゃあ、お前から始末してやるよ」
 落合警官がナイフを向け、数馬ににじり寄って行く。
「数馬くん、逃げて!」
 瑶子さんの叫び声が工場内に反響し、その声がさなえの電話口を通してリュウの耳にも届いたようだ。

――「さなえ? どうしたんだ!?」
「リュウ、落合さんが数馬に襲いかかってる! まずい、まずい、これは本当にまずいよ!」
――「落ちついて! なんとか時間稼ぎするんだ! あと少しでそっちに着くから!」
「うん、わかった」

 このとき、『時間稼ぎ』、というリュウの言葉を、さなえは少し誤解した。
 リュウは、危険をおかさないで、何か遠くの方で大きな音を出したり、「火事だー!」と叫ぶなりして別の騒ぎを起こして、犯人の手を遅らせろという意味で言ったのだが、さなえは迷わず近くにあった鉄パイプを掴み、立ち上がったのだ。

 落合さんが数馬を羽交い絞めにして、その胸に膝蹴りを入れた。
「ウッ……ゴホッ…、ゲホッ……」
 数馬が苦しそうに唾を吐くのが見えた。それでも、数馬は落合さんに掴みかかり、瑶子さんを守ろうと必死の抵抗を見せた。

 だが、落合警官はそんな数馬を軽々と地面に叩きつけ、腹に強烈な一蹴りを入れた。
「グッ……」

「やめて!」
 さなえはついに、物陰から外に出て、落合警官に向かって鉄パイプを構えた。
 剣道の心得? そんなもの、あるはずはない。これは、さなえの完全なるアドリブだった。少し、時間稼ぎをするくらいなら、みんなが来るまでの辛抱だ。

「お前は……、諸星警部と一緒に事件現場に来てたガキの一人だな。どいつも、こいつも、……わかったよ、みんな、ひとまとめに殺してやるよ!」
 あんなに人の良さそうだった落合さんが、鬼のような形相で、今度はさなえに襲いかかって来た。
 さなえの手にしていた鉄パイプはいとも簡単に、落合さんの左手で抑えられてしまい、右手のナイフがさなえを目がけて降りおろされてきた。

「数馬! さなえ!」
 キュウの声が工場の中に響きわたるのが聞こえた。
 その時さなえの目には、自分に向けて降りおろされてくるナイフがスローモーションのように見えていた。

 ドカッ!!
「リュウ!」
 どこからともなく現れたリュウが、落合さんに向かって飛び蹴りをしたのが見えた。
 バランスを崩した落合さんの手を、地面に着地したリュウがすかさず蹴りあげると、手に握られていたナイフが地面に落ちた。
 それをキンタがメグの居る方に蹴り飛ばすと、メグはそれを拾って、椅子に縛り付けられている瑶子さんの縄を切った。
 
 流れるようなチームワークに、あらかじめ打ち合わせでもしていたのかしら? と、唖然となるさなえをよそに、
 まだフラついている落合さんの背後に、今度はキュウが駆け寄り、いきなり後ろから股間を蹴りあげた。
 瞬間、落合さんは、無惨な呻き声とともに、股間を抑えて屈みこんだ。――数日前にキンタと話していた、必殺急所蹴りだ。

 最後に、柔道三段のキンタが、落合さんを地面に硬く組み伏せた。


「まさか、本当にあなたが犯人だったなんて。何故です、警察官のあなたが、どうして……」
 キュウが、落合警官を見下ろす。
 キンタに取り押さえられて苦しそうに喘ぎながら、落合さんがその問いに答えた。
「警察官だからこそ、当然のことをしたまでだ」
「え?」

「俺が警察でいくら、わめこうが『管轄がちがう』、『被害届が出ていない』……そう言って、誰も正義の裁きを行おうとしない。だから俺が、ゴミ掃除をしてやったんだ!」
 落合さんの声は、こらえようのない怒りに震えていた。
「周りを見渡してみろ! あいつらが死んで、みんな喜んでんじゃねえか」

「じゃあ瑶子さんは? 瑶子さんや数馬、それにさなえが何をしたっていうの? 罪のない人を、自分の正義のために殺そうとするのが正しいっていうの? そんなのおかしい! 間違ってる!」
 キュウが、落合さんに向かって怒鳴った。

「あなたがいくら正義を気どったって、そんな身勝手な理屈で人の命を奪うことは、絶対に許されない!」

 キュウをはじめ、メグも、リュウも、キンタも、そして数馬もさなえも、落合さんを真っすぐに見つめた。

――「僕たちはあなたを絶対に認めない!」
 みんなの思いと、キュウの言葉が重なった。


「あなたはただの人殺しだよ!」
「違う!!」
 落合さんが、獣のように怒号を上げた。
 暴れ出した落合さんを、キンタががっしり抑え込んでいる。

 やがて諸星警部と猫田刑事が、たくさんの警察を引きつれて現場に到着し、落合さんに手錠をかけた。

「数馬、大丈夫?」
「う……、うん」
 倒れている数馬を、キュウが助け起こした。

「無茶するから」
「瑶子さん、助けなくちゃって思ったら、勝手に体が動いたんだ」

 そんな数馬を見て、キュウがこらえようもなく、笑顔になり、そして数馬に言った。
「アナログ」
 と。
 いつもは数馬がキュウに対して言うその言葉を、逆にキュウから言われて、数馬も苦笑いした。

 メグに縄を切ってもらった瑶子さんが、数馬に駆け寄って行った。そして震える手を広げて、数馬をギュッと抱きしめた。
「瑶子さん……」
「ありがとう」
 瑶子さんは目に涙を浮かべながら、何度も繰り返した。
「ありがとう、数馬くん」

――ありがとう。

 後に、団先生の後継者の一人となる数馬は、この瞬間のことを決して忘れない。
 それは、数馬が探偵になることを心から決意した瞬間だったからだ。


 一方、落合さんが諸星警部に連行されて行った後も、まだ鉄パイプを握りしめたまま立ちつくしているさなえを、リュウは厳しく見咎めた。
「無茶はしないでくれ、って、あれだけ頼んだのに。その結果がこれか」
 リュウはさなえの手から鉄パイプを取り上げると、面白くもなさそうに地面に放り投げた。
 口元は笑っているけど、目が全然笑ってない。

 自分は悪くないぞ、と思いながらも、さなえはリュウにそんな目で見つめられると、すっかり背筋が伸びあがってしまうのだった。
「じ、時間稼ぎ、しろって。リュウが言ったんでしょ」
「言ったけど、もっと他になかった? たとえばDDSから支給されてる発煙筒を使うとか」
「あ、そっか……」
 さなえは、探偵学園から支給されている探偵グッズはいつも持参していた。もちろんリュウの言った発煙筒も。ああ、どうして思いつかなかったんだろう。

 リュウは呆れたように溜息をつくと、「君はいつも僕に心配ばかりさせるね」、と呟いた。





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