第3話−1
――いまだ犯人逮捕に繋がる証拠は見つかっておらず、警察では、連続殺人事件へと発展する恐れもあると見て捜査を続けています
さなえは朝のニュース番組を消して、鞄をつかみ、足早に家を出た。
探偵学園は夏休みに入ったが、さなえは今日もミッションルームに顔を出すつもりだ。
今では、団先生から指令がないときでも、みんなほとんどミッションルームに入り浸っている。
さなえは、そこでメグやキュウ、キンタや数馬、それにリュウに会えるのが楽しみだった。
小学校3年生の頃に、お父さんの仕事の関係でイギリスに留学してから、日本に戻ってきたのは中学2年の春、探偵学園に編入するためだった。だから、さなえは日本にはメグ以外に友達と呼べる人はいなかったし、イギリスでは超感覚の暴走を心配したお父さんがさなえを学校に通わせなかったから、ずっと家庭教師ばかりで、友達なんかできなかった。
今、さなえは、Qクラスのみんなが仲間で、本当に嬉しい。生まれて初めて、ここが自分の居場所だって感じられる楽しい場所を見つけたんだ。
秋葉原の雑踏から少し離れた商店街は、さなえがミッションルームに向かういつもの通り道だが、その日は偶然、見覚えのある男の子が花屋さんに入って行くのが見えた。
深深とかぶった黒いニット帽から、ダークレッドに染めた髪が少しだけ見えている。
グリーンのパンツに、赤いショートブーツを合わせて、上はフードのついた黒と白のボーダーのタンクトップ。
なんともスタイリッシュなその出で立ちは……
「数馬?」
さなえは引き寄せられるように、数馬の入って行った花屋に近づいて行った。
そういえば数馬、最近よくミッションルームに花束を抱えて来てるよね……と思いながら、ウィンドウ越しに花屋を覗いてみると、何やらモゾモゾした様子の数馬が、可愛らしい女店員さんと話しているのが聞こえて来た。
「こんにちは。あのう、また、適当に見つくろってもらっていいですか」
という数馬の声。
てっきり、最近よく持って来る花束は、数馬が誰かから貰った花束だと思ってたのに、まさか自分で花屋に出向いて買っていたとは……。
――違和感。
数馬ってデジタル・オタクだと思ってたんだけど、やっぱりお花にも興味があったのかな。
俄然と興味が湧いて来て、さなえは耳をすませた。と、言っても、超感覚の持ち主であるさなえは五感も鋭いから、特に意識しなくても店内の話声はよく聞こえるんだ。
「はい、ご自宅用でいいですか?」
「はい!」
ご自宅用? いつもミッションルームに持って来るくせに。と、さなえは思った。
「それにしても、本当に好きなのね」
「え?」
まるで睡蓮のお花みたいに透き通る、可憐な雰囲気の店員さんが微笑みかけると、数馬はビクリとして背筋を伸ばしてる。
顔は見えなかったけど、ウィンドウ越しからでも数馬がドギマギしている様子が伺えた。
なるほど、数馬はあのお姉さんに脈ありね。さなえは探偵のようにニンマリした。
自慢じゃないが、さなえは男女の恋愛事情には鋭いのだ。恋は天気に似てると言うけど、さなえはテレビのお天気お姉さんにも負けない恋の予報ができると思う。
数馬の心の空は今、バラ色なのに違いない。
「お花。三日とあけずにお店に来てくれて」
「なんか、見てるだけで幸せな気分になるんですよね」
「嬉しいな、そう言ってもらえると」
「いや、…そんな」
なんだかイイ雰囲気で会話してるじゃない。
しばらくして、真っ赤なガーベラとヒマワリの花束を抱えて、数馬が店から出て来た。
そして浮足立つ足取りで商店街を歩き出した数馬に、さなえが近付く。
「数馬、おはよう」
「うわあ!! ……さなえ!?」
数馬は思いのほか飛び上がり、そして、まずいものを見られてしまった、という顔をした。
「お花、ここで買ってたんだね」
さなえは早速、本題に入った。
「な、なんでここにいるの、さなえ」
「ミッションルームに行く通り道なんだよ。いつも通ってるけど、会うのは初めてだね。 ところで数馬、あのお姉さんのことが好きなんだね」
「ちょっ! 何言って、……そんなんじゃ! っていうか声が大きい!」
別に誰も二人の話なんて聞いていないのに、数馬がビクビクと辺りを見回した。
「ノ ン ノ ン」
さなえは目を細めながら、人差し指を顔の前で小刻みに振って見せた。
「大切な気持ちには、嘘をついちゃダメだよ。もちろん、軽はずみに口に出してからかったりするのも良くないけどね。私はそんなことしないよ」
「う……。まあ、彼女のことが気になってないと言えば、嘘になる。でも、誰にも、言っちゃダメだからね!」
頬を赤らめて本当のことを言った数馬に、さなえは満面の笑みで頷いた。
「うん!」
「もう、大丈夫かなあ、さなえ……特にメグには、絶対に言わないでよ」
「大丈夫だよ。指切りする?」
「う、うん」
いつも上から目線な数馬が、さなえの出した小指に素直に小指をからめ、無言で3回振った。
「「ゆーびきった」」
その後、数馬とさなえは一緒に喫茶LOOPまで歩いた。店にはお客さんは誰もいなかったけど、中に入るなり、奥の方から何やら騒々しい掛け声が聞こえてきた。
「ウワアぁッチャああああアア!!!」
「ワックス拭く! ワックス掛ける!」
キュウとキンタの叫び声だというのはすぐに分かったけど、その内容は意味不明だ。
「アップ! ダウン! アップ! ダウン! キーック! と見せかけてDDP!!」
「出たー! ダン・ディテクティブ・パーンチ!」
さなえと数馬が非常扉からミッションルームを覗くと、ちょうどキンタとキュウが格闘ごっこをしているところだった。
「なんだそのヘナチョコパンチは! 拳が泣いてるゾ」
キンタが持つクッションをサンドバック代わりに、キュウが蹴ったり殴ったりしているが、逆にキンタから繰り出されたダン・ディテクティブ・パンチを受けたキュウが床の上に転がって弱音を吐く。
「僕、こういうの苦手なんだよね」
「なに甘ったれたこと言ってんだよ。ある程度、護身術を身につけておかないとなあ、お前この前みたいに、また怪我するぞ!」
「それに、弱い男って魅力ないしね〜」
パイナップルジュースを片手に、窓際のソファーでくつろいでいたメグが口を挟む。と、その言葉に動揺してキュウの表情が引き締まった。
メグにいいように踊らされているキュウを、キンタが鼻で笑っている。
「ねえ、僕でもできる、なんか必殺技って、ない?」
「そりゃあお前……急所蹴りしかねーだろう」
「えへ?」
キンタがキュウの肩を抱き、その耳もとで楽しそうに言うのがさなえにも聞こえて来た。
「アソコだけは鍛えられないからなッハーッハッハ!!」
「キャッハーッハッハ!!」
「グオっほーっほ!」
なんだか痛々しいテンションのキンタとキュウの二人を、メグが冷ややかに見つめている。
「何二人でこそこそ……、気持ち悪い」
「グッドモーニング!!エーブリワーン」
数馬は数馬で、変なテンションで両手を広げてミッションルームに入って行くし……。
「おはよう、みんな」
胸にガーベラの花束を抱えたさなえは、あくまで普通に挨拶をした。
暖炉の側のロッキングチェアで本を読んでいたらしいリュウが顔を上げた。
「おはよう。今日はいつもより遅かったね」
そう言ったリュウが、さなえの手にしている花束に気づいて首をかしげ、おもむろに本を閉じた。
「その花、どうしたの」
どうしてか、さなえが持っている真っ赤なガーベラとヒマワリの花束が気になるようだ。
「ここに来る途中、数馬が花屋さんで買ったのを、偶然もらったんだよ」
数馬が花を買ったのは、お姉さんに会うための口実にすぎない、という秘密を心に秘めて、さなえはチラと数馬に目配せした。
数馬が、(余計なこと言うなよ)という目で見返して来る。
だが、そんなさなえと数馬の様子に何か深い意味でもあるかのように、リュウは一瞬ショックを受けたような顔をした。
そして、ほんのわずかに眉をしかめて数馬と、さなえを交互に見比べたが、「偶然、ね」と、意味深にさなえの言った言葉を繰り返してきた。
まるで、その言葉を信じていないみたい。
もしかして、もう秘密を見抜かれてしまった!? ごめん、数馬……。
数馬の方を見ると、(余計なこと言うなよ〜)と目が語ってるので、さなえは苦笑いしかできない。
このとき、リュウが本当は心中で何を思っていたのか、さなえはまだ悟ることができなかった。
「数馬、あんたまーた花買って来たの?」
「部屋も明るくなるし、優雅でいいじゃないか」
「っていうか、はっきり言って邪魔なんですけど」
すでにミッションルームの片すみには、小さなお花屋さんでも開けそうなくらい、花が置かれている。
「さなえも花なんかもらってどうするの? 数馬の変な趣味に付き合ってやる必要ないのよ?」
「いいんだよメグ。私、お花好きだし、これは家に持って帰るよ。ここにはもう置けそうにないものね」
「まあメグには分からないかもね。花に囲まれて生活する、この豊かさってものは……」
「甘いぞ鳴沢!」
突然、ミッションルームに響き渡った七海先生の声に、Qクラスのみんなが周囲を見渡した。
そして誰しもが瞬時に、今度はどこから現れるのか、サボテンに化けてるか、花に化けてるか? と、七海先生の気配を探して怪しむ。
さなえだけがすぐに、天井を見上げた。
――ヒュルルルル!!
ワイヤーの擦れる音とともに、七海先生が天井から体を水平にして降りて来て、Qクラスの目線の高さで止まった。
「ミッションインポッシブル! だよっ」
途端に、冷ややかな空気が流れだし、Qクラスのみんなが七海先生からわざと視線をはずした。
さなえとしてはトム・クルーズばりの登場の仕方を見せてくれた七海先生を応援したいけど、このアウェイな感じをたった一人で覆すのは難しそうだ。みんな完全に引いている。
「見ればわかりますよ」
と、キュウが宙に浮く七海先生の体をブランコのように押した。
「っていうかなんで普通に現れないんですか」
と、キンタも呆れ顔で、揺れる七海先生の体に回転を加えるように、さらに強く押した。
「俺の趣味なんだよ、悪いか! ちょ、止めろよコレ」
「開き直ってるし」
メグは完全に見て見ぬふり。
リュウは先生に近寄ろうともせず、ただ一言、「さすがです、七海先生」と面白くもなさそうに呟いたきり、中央のテーブルの席についた。
「お前らそんな、たるんだ気持ちでなあ、一人前の探偵になれると思ってるのか、おい! ちょっと誰か止めろ!」
教師らしい威厳をこめて言っているみたいだけど、操り人形のように宙で揺れてアタフタしている七海先生からは説得力が感じられない。
支え所のない七海先生がいつまでも揺れているのを、数馬とさなえが止めに入った。
「お! おお、ありがとう。なんだ春乃、その花束、誰かに告白でもしに行くのか」
と、いきなり七海先生が言った。
「へ? いえ、これは数馬からもらったんですよ。さっき」
「なんだ、お前らそういう関係なのか?」
「へ?」
「え?」
さなえと数馬が、何のことか分からないという顔を見合わせていると、中央のテーブルからリュウが不機嫌に口を出した。
「その花束は、『偶然』もらったものらしいですよ。それより、団先生からのミッションですよね。早くディスクを出してもらえますか」
リュウがことさら強調した『偶然』という言葉にはどこか棘があり、しかもその瞬間、さなえとリュウの目が合ったので、さなえは何故かとっても気まずい印象を受けた。
「お、おお、そうだった」
七海先生が思い出したように、腰のポケットからいつもの指令ディスクを取り出し、みんなにかざして見せた。
「そんなわけで、団先生からの指令だ」
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