第2話−6

 キュウたちが五十嵐学園で塾長の死体を発見したのとちょうど同じ頃、秋葉原の繁華街の一角にあるプラモデルショップの奥へキンタが深刻な面持ちで入って行った。
 奥の間で待っていたのは、頭にお洒落なバンダナを巻いた可愛らしい女性。
 彼女の名前は植村ハルカ。キンタの幼馴染の情報屋だ。

 部屋の至る所に飾られたプラモデルに囲まれた彼女は、どこか不機嫌な様子でキンタを見返した。
「例のアドレスの持ち主、わかったか」
「その前に約束の品」
「ほらよ」
 手にしていた紙袋をキンタがハルカに差し出した。
 袋の中に入っていたのは限定プレミアものの超レアな恐竜フィギュアだ。
 ハルカはそのオレンジ色の恐竜を一目見るや、興奮した面持ちで瞳を輝かせたが、すぐにまた不機嫌な表情に戻ってキンタを見つめ返した。

「……、キンタまさか、女子中学生に手出したりしてないよね」
「あぁ?」
 心当たりのないキンタは素っ頓狂な声を出した。
 すると、ハルカは尚も怪しむような顔でキンタを見やると、部屋の端の机の上から1枚の封筒を取り、それをキンタに差し出した。

 キンタは素早く封筒を受け取ると、中味を確認した。そして衝撃を受けたように思い切り息を吸い込んで眉をしかめた。
 キンタがこんな顔をすることはあまりない。
「マジかよ……」
 今キンタが手にしているのは失踪した中学生の一人、鈴木彩夏の顔写真と、その個人情報だった。

「キンタを襲ってきた男たちにメールを送りつけてたのは、その子。つまり、その子がキンタを襲わせた犯人てこと」
 そう言って、ハルカが尚も怪しむようにキンタの目を覗き込む。
「ねえ、キンタ。本当にその子に、手を出したんじゃないの……?」
「はあ!? さっきから何言ってんだバーカッ! んなことあるわけねーだろ」
「じゃあなんでその子が、あんたを襲わせたりするのよ」
「この子は、今調べてる事件の被害者なんだよ。けど、これで少し見えて来たぜ。俺を襲わせたってことは、俺に嗅ぎまわられちゃマズイことがあるってことだ。ありがとな、ハルカ! 謎が解けてホッとしたぜ」
「え、ちょ、キンタ」
 足早に部屋を出て行くキンタに、まだ言い足りないことがあるとみえて、ハルカが口を尖らせた。
 けれど、キンタはもう行ってしまった。

「……まったく、なにやってんだか。気をつけなさいよねバカ」
 誰もいなくなった部屋で、ハルカが一人心配そうに呟いた。



 一方、五十嵐学園に行っていたキュウ、リュウ、メグ、さなえ、数馬の5人は、いよいよ夜も更けて来たということで諸星警部から強制帰宅を命じられ、学園から追い出されていた。
「それじゃあ、また明日」
 迎えのリムジンに乗って数馬が帰って行った。

「メグ、家同じ方向だよね。昼間のこともあるし、送ってくよ」
「へえ、キュウって意外といいとこあるじゃない」
「えへへ。じゃあさなえ、リュウ、また明日ね。リュウ、さなえのことは頼んだよ」
「じゃあね〜、おやすみさなえ、リュウ」
 メグがキュウと一緒に欠伸をしながら行ってしまった。

 さなえもとっても疲れて、眠たかった。
「行こうか」
 リュウがそう言って歩きだした。
「リュウって、家どこ?」
「千代田区のちょっと郊外なんだ。さなえは?」
「文京区」
「なら近いから、家まで送って行くよ」
「近くないよね、遠いいよね。いいよ送らないで。」
「いや、ダメだ。キュウが言った通り、昼間のこともあるしね」
 それに対してさらにさなえが言い返そうとしたが、リュウは醸し出す雰囲気でそれを制した。『僕のいうことを聞け』という、厳しいオーラだ。
 さなえは黙った。

 もう電車が止まっている時間なので、二人は自宅に向かってゆっくりと歩いて行った。っというか、リュウがさなえの歩調に合わせてくれていた。
 考えてみると、ついちょっと前まで、さなえはリュウのことがどこか恐くて苦手だったけど、今はなぜか安心できる存在になっていた。
 さなえにとっては初めての七海先生の実習のときも、それから団先生から受けた初めての事件のときも、リュウはいつもさなえを助けてくれた。
 すごく恐い顔をしたり、冷たいことを言うこともあるけど、リュウってもしかしたら本当は優しい人なのかもしれない、とさなえは思った。

 静かなショッピング街をしばらく歩きながら、ふと思い出したようにリュウが口を開いた。
「ミッションルームで僕が解離性健忘症の話をしたとき、一瞬だけど、メグが心配そうな顔で君のことを見たように思えたんだけど、気のせいかな」
「え?」
 さなえはきょとんとした顔でリュウを見上げる。
 どうやら、気づいていなかったみたいだ。
「メグとさなえは、幼馴染なんだろ」
「うん。昔は家が近くて、幼稚園も小学校も一緒だったんだ」
 それから、メグとは国立能力開発研究所に入ったのも一緒だったけど、さなえはリュウにはそのことを言いたくないと思った。
 メグの瞬間記憶能力はともかく、さなえの能力には未だ謎が多く、しかもさなえはその能力を全然使いこなせていないからだ。実際、さなえは今でもその能力のことを人に上手く説明することが出来ないでいた。
 リュウに気味の悪い女の子だと思われるのは嫌だった。

 しばらく黙々と道を進みながら、今度はさなえが口を開いた。
「リュウが言った解離性健忘症と関係があるかどうかは分からないんだけどね」
「ん?」
「私、小さい頃の記憶が、思い出せないんだ。事故にあったみたいなの」
「え、事故?」
「うん、4才のとき。その事故でお母さんが死んじゃって、私は記憶を失くした。だから、お母さんの顔を見たことがないんだ」
「お母さんの写真はないのかい?」
「それが、最初は家に置いていたらしいんだけど、私、その写真を見るとパニック発作を起こすようになったみたいなの。だから、パパが全部しまっちゃった」
「どんな事故だったの」
「誰も教えてくれない。きっと、思い出すのが辛いんだよ」
「そうか」

 暗くて狭い道に差し掛かり、リュウが歩いている場所を変えて、さなえを路側帯の内側に入れてくれた。
「ねえ、リュウ。お母さんて、どんな感じなのかな」
 さなえが不意に無邪気に聞いて来たので、リュウは少しドキッとした。
「そうだね。きっと、温かくて、優しくて、強いんじゃないかな。もっとも、僕も実の両親を幼い頃に亡くしてるから、本当のことはわからないけど」
「そうだったんだ。知らなかった。……ごめんね」
「別にかまわない」
「それじゃあリュウは誰に育てられたの?」
「乳母と、お爺様に」
「ふーん。リュウのお爺さんて、この前言っていた人だよね。どんな人なの?」
「驚くほど頭のいい人だ。しかも未だにピンピンしていて、全く死ぬ気配がない。そして、この前も言った通り、……犯罪者だ」
「そっか。でも、リュウのことをちゃんと育ててくれたんだね」
「……まともに育てられたとは思ってない」
 リュウが低い声で意味深に言った。

「でも、リュウは立派に育っていると思うよ」
「どうして? 僕のこと、たいして知らないだろう」
「だってリュウはなんだか、温かくて、優しい感じがするもん」
「そういうさなえは、少し、無防備すぎるな。もうちょっと人を警戒した方がいい」
「ふふ。リュウってすぐ怒る」
「別に……、怒ってないさ」
「顔に出てる」
「そういう君だって、思ったことがすぐに顔に出るだろ」

 とても静かな夜だった。
 リュウとさなえはたわいもない言い合いをしながら、結局リュウは、さなえの住む高層マンションまで送ってくれた。
 ここから歩いてさらに千代田区のリュウの自宅へ行くには、相当時間がかかるはずだ。さなえはリュウに申し訳ない気持ちになった。

 別れ際リュウが言った。
「明日、武山勇気のところへもう一度行ってみようと思っているんだけど、よければさなえも一緒に来てくれないかな」
 リュウがそんなことを言うのは初めてだったので、さなえは内心驚いた。
「いいけど、どうして?」
「彼からもう少し話を聞き出したいんだけど、なんとなく、僕じゃダメな気がするから」
「ふーん、そっか。うん、わかったよリュウ」
「それじゃあ明日、昼くらいに待ち合わせよう。あとで携帯に連絡する」
「うん、わかった。送ってくれてありがとう。気をつけてね」
「いや。おやすみ」
「おやすみ、リュウ」

 そうしてリュウは両手をズボンのポケットに入れて、ゆっくりとした足取りで帰って行った。
 さなえはその後ろ姿を見送りながら、不思議な思いにとらわれた。
 男の子をこんなに近くに心地よく感じるのは、生まれて初めてかもしれない。リュウって、とっても不思議だ。



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