第2話−5

 その夜、キンタをのぞくQクラスの5人は、五十嵐学園に集合した。
 DDS仕様の電波式腕時計で正確に時間をカウントしていた数馬が言った。
「よし、12時ジャスト」
「行こう!」
「オッケー」
 数馬の合図で、キュウ、メグ、リュウ、そしてさなえは茂みから飛び出して、学園の非常口から中に忍び込んだ。
 数馬がハッキングして調べた情報によると、五十嵐学園のセキュリティーは毎日正午0時にリセットされ、その時間帯だけ非常口のロックが30秒だけ解除される仕組みになっていたんだ。そして警備員はこの時間帯に建物内を巡回することになっているから、監視カメラに見つかる可能性もない。

 こうして深夜の五十嵐学園に難なく侵入した私たちは、迷うことなく最上階を目指した。
 そこには塾長の五十嵐先生の部屋をはじめ、他の塾講師たちの準備室や、学園の内部事情をおさめた資料室もある。
 手掛かりを得られるとしたらこの場所が一番めぼしいとQクラスのみんなが判断した。
 エレベーターで最上階に上った私たちは、真っ暗な廊下をペンライトで照らしながら進んで行った。

 今夜、ここに誰もいないのはすでに数馬が確認済み。なのに、物音がした気がして、さなえはハッとして足を止めた。
「ねえ、何か音がしてる」
「え?」
「音?」
「何も聞こえないわよ、さなえ」
「空耳じゃないの?」
「ううん、確かに聞こえるよ。こっちの方から」

 暗闇の中を指差すさなえを、キュウ、リュウ、メグ、数馬が不思議そうに見つめた。
 どうしてみんなにはその音が聞こえないのだろう、と思いながらも、さなえは音のするほうに進んで行った。

 暗い廊下を幾度か曲がってしばらく行くと、音はどんどん近くなってきた。
「あ! 本当だ」
「何この音」
「っていうかさなえスゴくない? 超地獄耳……」
 感心しているのか呆れているのかわからない口調で数馬が言う。

 さなえは音のしている扉の前で立ち止まった。
「この部屋からしてる」
「誰かいるのかしら」
「あ、見て。ここ、塾長の五十嵐先生の部屋だよ」
 数馬が扉の上に貼られているプレートをライトで照らし出す。
 そのプレートには確かに『五十嵐巧学園長』の文字がある。

 何かのアラーム音か、あるいは携帯の着信音か。音の正体はともかく、部屋の中には人のいる気配はないように思えた。
 そうこうしているうちに、音が不意に止まった。

 さなえがQクラスのみんなを振り返ると、リュウがドアノブに手をかけた。
 けど、ドアには鍵がかかっていて開かなかった。

 ここまでか。
 さなえがそう思った時、リュウが鞄から鍵束のようなものを取り出した。
 良く見るとそれは鍵ではなくて、もう少し細長くてそれぞれが特徴的に波打った形をした鉄の棒のようなものだった。
「さなえ、ここを照らして」
 リュウに言われ、さなえはドアの鍵穴をペンライトで照らした。
 リュウは屈みこんで鍵穴を覗くと、束の中から適当な1本を見つけだして、それを慎重な手つきで鍵穴の中に差し込んだ。

カチリ

 間もなくして扉が開いた。

「すごいね。怪盗ルパンみたい」
 さなえが言うと、リュウが鉄の束をしまいながら振り返る。
「君はてっきりシャーロック・ホームズが好きなんだと思ってたけど」
「うん。そうだよ」
 言いながらさなえは、そういえばシャーロック・ホームズもピッキングができたことを思い出した。
 もしかするとリュウは、怪盗であるルパンに例えられて気分を害したのかな。きっとそうに違いない。探偵を目指している人に怪盗ルパンみたいだなんて……、失言。
けど後悔してももう遅い。

 真っ暗な部屋の中に、リュウを先頭にして入って行く。その後に、キュウ、メグ、さなえ、そして数馬が続く。
 すると、先頭を行っていたリュウがいきなり立ち止って声を上げた。

「数馬、電気!」
 リュウの緊迫した声を感じ取って、数馬の対応も早かった。途端に部屋がパッと明るくなったかと思うと、瞬間、部屋の中の様子を見て全員が凍りついた。
 昼間見た、塾長の五十嵐先生が部屋の隅で倒れていたのだ。首にレターナイフが突き刺さり、絨毯にベットリと血だまりが出来ている。
 辺りには割れた花瓶や、棚の上から落ちた燭台が散らばり、それらもみんな血しぶきを浴びて赤く染まっている。
―― 不自然。
 さなえはこのときまた、あの奇妙な違和感を覚えた。
 けれど、死体を見てしまったメグが顔をそむけ、胸を押さえて呼吸を整えているのが見えて、さなえはすぐに気を取り直した。
「メグ大丈夫?」
「うん、大丈夫」

「数馬、カメラで記録を」
 リュウが言いながら、携帯を取り出して110番をした。

 数馬が現場を荒らさないように証拠写真を撮っている間、さなえはメグと一緒に邪魔にならない場所へよけた。
 ほどなくして警察と消防が駆けつけ、鑑識が現場保存に取り掛かった。
 その頃には時刻は深夜1時を回っていた。

 先に現場に到着していた猫田刑事が、応援にかけつけてきた諸星警部に挨拶をした。
「ご苦労さまです!」
「おう。仏の第一発見者は?」
 そう言ってから、諸星警部はQクラスのメンツを見つけて目を丸くした。
「って! なんでお前らここにいるんだよ」
 すでに猫田刑事から大方の事情聴取を取られていた私たちは、部屋の隅のソファーに並んで腰かけ、グッタリとしていた。
「勝手に入って来たのか? 不法侵入罪だぞう?」
 諸星警部がねめつけるので、さなえは素直に謝った。
「ごめんなさい」

「そんなことより、今は捜査のほうが先決でしょう」
「おお、そうだった」
 メグの言葉に、警部が猫田刑事を振り返る。
「仏の名前は?」
 聞かれた猫田刑事が警察手帳をめくり始めた。そうこうしているうちに、キュウが代わりに諸星警部に応える。
「被害者の名前は、五十嵐巧。45歳。この塾の経営者です」
「死因は?」
 諸星警部が再び猫田刑事に訊ねる。
「あ、はい! えー、……」
 猫田刑事は背筋を伸ばしてまた警察手帳をパラパラとめくり始める。
 なんともまどろっこしい猫田刑事を横目に、今度はリュウが代わりに諸星警部に応えた。

「おそらく、頸動脈切断による出血性のショック死です」

「死亡推定時刻!」
 諸星警部がいよいよ不機嫌そうに猫田刑事を問い詰める。
 が、しかし、二度までもQクラスに先に答えられた猫田刑事は、今回もQクラスの生徒が答えるだろうと思ったのか、キュウに目配せした。
「あ、はい」
「ああ、はい」
「え、オレ?」
 流したパスをキュウから跳ね返されて、猫田刑事が拍子抜けした顔をする。
「なに確認してんだ! バカッ」
「あ、すみません。えー、死後硬直から推定して、夜10時から11時の間ということです」

 そこで数馬が腕組をしながら、状況をさかのぼって説明を加える。
「このビルの非常階段の出入り口は、僕たちがここへやって来る正午0時までは内側から鍵がかかってた。残る出入り口は通用口だけ」


「その時間帯、警備員は?」
「ビルの見回りをしていたそうです」
「じゃあ、エレベーターの防犯カメラをチェックしてみたら? 非常階段が使えないなら、ここまで来るのに犯人はあたしたちと同じように必ずエレベーターを使ったはずよ。ねっ、猫田さん」
 メグにニコリと微笑みかけられて、猫田さんの顔がだらしなく緩む。
「ニャ〜、るほど〜」
「なに納得してるんだ。お前にはデカのプライドっつうものがないのか!」
 諸星警部が扇子をピシャピシャ叩いて猫田刑事をどつく。

 そのとき、リュウが何やら思案しながら諸星警部の前に進み出た。
「ちょっと気になることがあるんですけど」
「にゃんだ」
「え?」
 諸星警部が咄嗟にそう言ってしまったことに、Qクラスの誰もが気付いたけど、反応したのは猫田さんだけだった。

 リュウは数馬が撮ってくれたカメラの画像を出しながら、話を続けた。
「死体の上の陶器の欠片を見てください。血しぶきを浴びて血だらけになっています」
「そりゃ、頸動脈をナイフで切断されたんだから、血がこんなふうに飛び散るのはあたりまえだ」
「はい。もし被害者が死んだ後に首にナイフを刺されたのであれば、こんなふうに派手に血が飛ぶことはありません。つまり、首にナイフを刺される瞬間まで被害者は生きていたということです。けど、もし被害者が生きていたら、こんなふうに体全身に陶器の欠片を被ったままだというのも不自然なんです。なぜなら、被害者は犯人に刺されそうになれば、必ず抵抗して動き回るはずだからです。けど、この写真では被害者が犯人に抵抗して動いたような痕跡もない。つまり被害者は生きてはいたが、動けない状態だったんじゃないでしょうか」

「じゃあ、睡眠薬かなにかで眠らされていた、ってこと?」
「おそらく」
「何のために?」
「それはこれから調べます」
「ああ、そう…、いや調べなくていい! それはこっちの仕事だ」
「諸星警部、ちょっと」
 鑑識の人が警部を呼びに来て、諸星警部と猫田刑事が部屋を出て行った。その場にQクラスの5人だけが残された。

 さなえは奇妙な違和感が消えずに、部屋の中を見回した。
 リュウと数馬は遺体が倒れていた絨毯の上を調べている。血痕の飛び散り方が、どうにも気になるようだ。そして、なぜか遺体の上に散らばっていた陶器の欠片のことも。
―― 不自然。

 キュウが五十嵐先生のデスクの上から写真立てを取り上げた。
 その写真には、この部屋を背景にして塾長の五十嵐先生が写っていた。
 メグが覗きこんで言った。
「花瓶と燭台、もとは本棚の上にあったんだ」
「なんであんな上に置いてあったものが落ちてんだろう」
 キュウとメグが額を寄せ合って写真を見ている。
「犯人と揉み合ったときに落ちたんじゃないの?」
 メグはそう言うが、キュウは何かが引っかかっているみたいだ。

 しかも、遺体が倒れていた場所から少し離れたデスクのそばにも、ガラスの破片が散らばっていた。
「ほら、このガラスの置物」
「ん?」
 キュウが写真を指さした。
 キュウたちの足もとで割れている透明のガラスの置物は、部屋の反対側にある棚の上に置かれていたものだったというのが、写真を見て分かる。
「あんな遠くに置いてあったのに、なんでこんな所で粉々になって落ちてるの?」

 キュウが感じている違和感は、さなえが感じている違和感とも重なった。
 けれど、そのときさなえは軽い頭痛を覚えて七海先生から言われたことを思い出した。――能力を使いすぎるな、と七海先生に言われたんだっけ。

「りらーっくす」

 さなえは自分にそう言い聞かせながら、五十嵐先生のデスクの後ろ側にあるオーディオに目を止めた。
 五十嵐先生はどうやら、クラシックを聴く人だったみたいだ。
 オーディオの横に『ナイアガラ大瀑布』という曲名の入ったCDケースが置かれている。
 ケースを手に取って見たさなえは、中身が空になっていることに気がついた。

 さなえは音楽が好きで、自分でもヴァイオリンを弾くことがあるので、ナイアガラ大瀑布という曲についてもよく知っていた。
 20世紀のアメリカの作曲家、ファーディ・グローフェがつくった代表的な組曲の1つで、管弦楽器を中心に演奏される。確かこの曲は冒頭からいきなりシンバルとティンパニー、それに大太鼓が鳴り響く、とても激しい曲だ。ナイアガラの滝の流れそのものを表現している楽曲だからだ。

 ケースが空ということは、CDはおそらくオーディオの中にあるのだろう。
 さなえは何気なくオーディオのスイッチを入れた。

ゴオオオオオオオオオ!!! カシャーーーン!!
「…っ!?」
「ちょ、何!?」
「うわっ!!」
「さなえ、それ止めて!!」
「なんだなんだ!?」

 いきなり室内に鳴り響いた雷の轟きのような大音量に、さらにシンバルの音が割れるように鳴り響いた。
 その音に、部屋にいたQクラスのみんなは両手で耳を押さえ、諸星警部がビックリして部屋の中に駆けこんできた。

 さなえはオーディオのスイッチを切った。
「ごめんなさい! まさかこんなに大音量になってるとは思わなくて」
 見ると、オーディオのボリュームが最大まで上がっていた。
 瞬間、キュウとリュウが不思議そうに顔を見合わせた。

「ああ、もうお前たち、邪魔だ邪魔だ。とっとと帰れ。テレビでサッカーでも見てろほら」
 諸星警部に言われ、さなえはションボリしてしまった。またやらかしてしまったのだ……。

 そのとき、猫田刑事が血相をかえて飛び込んできた。
「大変です! 諸星さん、所轄の地域課から連絡がありました。この塾の生徒がまた行方不明になっているそうです」
「なにい!? 名前は」
「牧野大輔、15歳です」
「え、牧野君が?」
 さなえが思わず口にした牧野君の名前に、リュウがピクリと反応して振り返った。



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