第2話−3
五十嵐学園からの帰り道。私たちはミッションルームに向かいながら、複雑な気持ちだった。
高度学歴社会にある日本は、まるで知識と引き換えに心を失ってしまったみたいだ。
「考えてみたら、あいつらも不幸だよね」
秋葉原駅の高架下にある橋を渡りながら、メグが言った。
「だって、学歴があれば幸せになれるって時代じゃないでしょう」
「うん、そうだよね」
「同じ夢を目指す仲間。そういうのがいる僕たちは、すごい幸せなのかもね」
「うん、そうだよ」
「キュウってさあ、ほんっとおめでたいよね」
「へ? 何が?」
「あたしたち出し抜こうとか、そういうこと考えたことないの?」
「いや、負けたくないって気持ちはあるけどさあ」
「私もないよ、メグ」
「いや、それは知ってる」
メグはさらりと私を流すと、キュウと言い合いを始めた。
喉が渇いたな〜と思った私は辺りを見回した。
「あ、キンタだ」
私たちが渡っている橋と並列している別の橋を、駅の高架下の方へ向かって歩いて行くキンタを見つけて、私はメグとキュウを振りかえった。
「ねえ、キンタだよ! 見て、誰かにつけられてるみたい」
「あ、本当だ」
「何よあいつら、柄悪いわね」
キンタは少なくとも5人の男に後をつけられていた。髪を染めたり、オーバーサイズのシャツをだらしなく着た、見るからにヤンキーという出で立ちの男たちだ。
一体どうして、キンタはあんな男たちに後をつけられているのだろう。もしかして、喝上げ?
「行こう!」
キュウが言ったので、私たちは3人で駅の高架下の方へ引き返し、キンタの後を追った。
人通りの少ない路地に面した線路の下で、キンタが男たちと話している声が聞こえて来た。
「俺になんか用か。悪いがな、男につけられて喜ぶ趣味はねーんだ。じゃーな」
「ちょっと待てこらあ!」
男の一人がいきなり飛び出しナイフをとりだし、それをキンタに向けた。
それまでウチワを煽いでいたキンタの手が止まり、目が男たちを見据える。
「ただの喝上げじゃなさそうだな」
「うるせえ!」
男が、いきなり本物のナイフでキンタに切りつけていったので、あまりのことに私もメグも悲鳴を上げた。
間一髪、キンタはナイフを交わして男を振り払った。
けど、他にひかえていた男たちが次々とキンタに殴りかかって行った。
ストリートで男の人たちが殴り合いの喧嘩をするなんて、見たことがないよ。
どうしたらいいんだろう……。私の心臓は破裂しそうなほと早くなった。
「キンタあああ!!!」
キュウが物凄く大きな声でキンタの名前を呼んだ。
男たちに囲まれながら、キンタが振り向く。
「何やってんだお前ら!」
「その人たちがキンタのことつけてたから!」
「危ねーから向こう行ってろ!」
「キュウ!」
メグがキュウの服の袖を引っ張り、避難しようとしたが、キュウはそれをふりほどいた。
「いやだ! キンタ一人を置いてなんて逃げられないよ!!」
そう言ったキュウが震えていた。
いや、キュウだけじゃない。気づけば私もメグも、みんな恐くて震えてた。
「はあ!? 馬鹿言ってねーで逃げろ!」
キンタが私たちに気を取られている隙を狙って、男の一人が鉄パイプを構えた。素手のキンタに対して、ナイフや鉄パイプを持ち出すなんて、なんて卑怯な男たちだろう。
その瞬間、キュウが大きく息を吸い込んで男たちの中に飛び込んで行った。
「うあああああああああ!!!!」
かなうわけないのに、キュウが鉄パイプの男に体当たりして、キンタをかばった。
「キュウ! 馬鹿野郎!」
キンタは別の二人の男を振り払い、キュウを助けに走ったが、そこへまた別の男が殴りこみ、キンタの行方を阻む。
そうこうするうちに、キュウが体当たりしていった男はいともたやすくキュウを跳ね飛ばし、キュウに向かって鉄パイプを振りおろした。
「キュウ!」
「きゃああ!!」
キュウはなんとか頭をガードしたが、両手にはもろに鉄パイプの攻撃を喰らった。
男はそれでも容赦せず、今度はキュウの腹に蹴りを入れ始めた。
「やめてえええ!!!」
メグが泣きそうになって叫んだ。
キュウは口から血反吐しながら、男に蹴られるまま地面を這いつくばっている。
このままじゃ、キュウが死んじゃうかもしれない!
そう思ったら、私は咄嗟に近くにあった木の棒を掴み、次の瞬間にはもう走り出していた。
「さなえ!!」
「馬鹿、来るな!!」
私はありったけの力を込めて、キュウを蹴り続けているヤンキーの男に棒を振りおろした。
キュウへの攻撃が止まり、男が私を振りかえって舌打ちをした。
「この尼、いい度胸してんじゃねーか」
「さなえ、逃げて!!」
メグがそう叫ぶのが聞こえた。なのに、私は男のことをもう一度棒で叩くという行動に出た。
完全にキレた男が私の胸ぐらをつかみ、私は投げ飛ばされて勢いよく地面に叩きつけられた。
「ぐッ……」
尚も迫って来る男が、今度は私の腹を蹴り上げようと足を引いた。そのとき、地面を這って来たキュウが男の足にしがみつき、それを止めた。
次の瞬間、キュウは男に顔面を蹴りあげられた。
「やめて!」
私は必死に男にしがみつき、キュウから引き離そうと男の腕にしがみついた。けど、男の人の力には全然かなわない。
引き剥がされそうになったので、私は男の腕に噛みついた。
「このガキ!」
私は男に顔面を殴られ、またもや吹き飛ばされて、地面に体を打ちつけた。
「てっめーら、いい加減にしろ!」
キンタの強力なパンチが男の一人に飛んだ。それで一人ノックアウトしたようだ。
今や、キンタは3人の男を同時に相手にしている。
キュウを蹴っていた男が、地面に倒れている私の体を軽々と持ち上げ、肩にかついだ。
「ちょッ! 離して!!」
私は両手両足を振りまわして必死に抵抗した。
何を考えているのか、男は私をどこかに連れ去ろうとしているみたいだ。
「さなえ!」
「キュウ!」
そのとき、
「うおおおおおおおおおお!!!」
ついに覚醒したキンタが今までにない雄たけびを上げた。
キンタは男の一人を捕まえ、強烈な右ストレートを突き刺した。それとほとんど同時に、別の男には回し蹴りを喰らわせた。
キンタの蹴りを喰らった男は吹き飛ばされ、ドラム缶の山の中に突っ込んで行った。
「キンタ、すごい……」
そしてキンタは3人目の男を捕まえると、頭突きで相手を完全にノックアウトさせた。
残るは、私を抱えてどこかへ連れ去ろうしている最後の男だけだ。
「キンタ!」
「おうりゃああ!!」
「……え? ちょッ!!」
キンタは助走をつけて高く飛び上がると、私を抱えた男にまさかの飛び蹴りをかましたのだ。
「きゃああ!!」
男が地面に倒れるのと一緒に、私も宙に吹き飛ばされて激しく地面に体を打ちつけた。
「う……」
「畜生、引くぞお!」
さすがにキンタには敵わないと思った男たちが、気絶している仲間を一人残してバタバタと逃げて行った。
「キュウ、さなえ、生きてるか」
「二人とも、大丈夫?」
このときには、メグはもう泣いてしまっていた。
「飛び蹴りって、キンタ、人質がいるんだからもう少し優しくしてくれてもよかったでしょう」
私は地面の上に伸びたまま、キンタに恨みごとを言った。
「え? あ、わりい。とっさのことで、つい」
私はバッタリと地面の上に倒れて、冷たいコンクリートの感触を肌に感じていた。何はともあれ、生きていることに感謝する。
「い、った……」
それまでは無我夢中で気づかなかったけど、体のあちこちに激しい痛みが走っていることに、私はこのとき初めて気づいた。
ブラウスの胸元のボタンは引きちぎられているし、肘の部分は地面にこすれて破れ、真っ赤に染まっていた。
両膝からも血が出ているし、気づいてみると口の中にも血の味がした。
多分、男に殴られたときに、唇の端を切ってしまったんだ。頬のあたりにジンジンと鈍い痛みがあった。
「う、なんとか、生きてるみたいだ……」
キュウが仰向けに倒れたまま、苦しそうに息をしていた。
私はともかく、キュウは顔面を蹴られたので鼻からも口からもひどく出血していた。
それに、鉄パイプの攻撃をガードしたので、両手がひどく痣になっている。
「ああ、……恐かった」
「お前たちはまったく。なんであんな無茶したんだ」
「キンタ、仲間だし、仲間を見捨てて、逃げられないよ……。っていうか、なんでさなえまで出て来てるの。女の子は出てきちゃダメでしょう」
「そうだぞ、さなえ。お前危なかったじゃねーか。俺が間に合わなかったらどうするつもりだったんだ!」
キンタが真面目な顔で怒る。
「そんなこと考えられなかったよ……。二人が死んじゃうかもしれない、って思ったら、すごく恐かったんだもん。キュウ、キンタ、助けてくれてありがとう」
「バーカ! 礼を言うのはこっちの方だ。それに、キュウはともかく俺様がこんなとこで死ぬわけねーだろ!」
「うう……ひどいよキンタ」
私たちがまだ伸びている間、キンタは近くで気絶して倒れている男を起こし、問い詰めた。
「なんで俺をつけまわした」
「別に意味なんかねーよ!」
「誰に頼まれた!」
「し、知らねえ! さっき携帯メールがまわってきたんだ」
「ああ? ちょっと借りるぞ」
キンタは男の尻ポケットから携帯を取り、それを自分のポケットに入れた。
「キュウ、立てる?」
「無理かも」
「ったく。ほら」
メグがキュウを優しく看病し、抱き上げるようにして、起きるのを手伝った。
「えーずるいよキュウだけぇ。メグ、私も」
「なに甘えてんのよ、まったく。キンタ、さなえのことは頼んだわよ」
「仕方ねーなあ。ほら」
キンタがおんぶの姿勢をしたので、私は素直にキンタの背中に乗った。
そうして、私はキンタにおんぶしてもらい、キュウはメグに肩を貸してもらって4人で一緒にミッションルームに戻った。
キンタの背中は、ガッシリしていて温かかった。
「すごく喉が渇いちゃったよ」
「もうすぐ着くから、ちょっと我慢しろ」
いつも突っ走ってばかりで、たまに脳内まで筋肉なんじゃないか、って思ってしまうようなキンタだけど、今日はまるでお兄ちゃんみたいだった。
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