第2話−1

 初めての事件が衝撃の幕を閉じてから、早くも1週間が過ぎようとしている。
 東京には本格的な夏が到来し、町は早くも夏休みモードだ。団探偵学園も今日から2週間、短い夏休みに入る。

 さなえは探偵学園での補修を終えて、ルンルン気分でミッションルームに向かっているところだった。
 補修を受けているのは、季節外れに探偵学園に入学して単位が不足しているせいだ。
 自慢じゃないけど、もちろん成績はあまり良くない。さなえはやっぱり、探偵に向いていないのかもしれない……。

 高架下を歩いていると、道の反対側をキュウが歩いて来るのが目に入った。
「キュウ!」
 道路ごしにキュウの名前を呼んだけど、キュウはさなえに気づかなかった。
 どうやら車寄せに停まっているパトカーに気を取られているみたいだ。今、そのドアがバタンと閉まった。瞬間、キュウがビクリと震え上がるのが、道のこちら側からもうかがえた。
「キュウ……」

 いつも明るいキュウも、今回の事件のことではやっぱり、深いショックを受けているんだ。
 米山先生が亡くなった無惨な事件のことを思い出して、さなえも心臓の鼓動が速くなっていくのを感じた。

「キュウ!!」

 もう一度、今度はお腹の底から声を出して、さなえは道の向こう側に居るキュウの名前を呼んだ。

「さなえ?」
 キュウがやっとさなえに気づいて、顔を上げる。

「LOOPに行くの?」
「うん! 君も?」
「うん! じゃあキュウ、ミッションルームまで競争ね!!」
 そう言ってさなえは、キュウの返事を待たずにいきなり全速力で駆けだした。
 走るのは遅いさなえだが、これだけ敵の意表をつけばさすがに勝てるはずだ。
「あ、ずるい! 待ってよ!!」
 キュウが後ろから追いかけてくる気配がした。

 数分後、さなえは予定通りキュウよりも少し先に喫茶LOOPの階段の下にたどり着いた。
「やった……私の、勝ち……」
 すでに息が上がってぜいぜいと背中を丸めるさなえに、キュウが追いついて来た。
「まだだ! さなえ、ミッションルームまで競争、って言ったよね。まだ勝負は決まってない!」
「え!? うわっ」
 キュウがさなえを押しのけて、LOOPの階段を一段飛ばしで駆け上って行った。

「あ! キュウずるい!!」
 さなえもすぐに後を追う。
 が、結局、非常ボタンを押して先にミッションルームに入って行ったのはキュウだった。

「僕の勝ちィ!! フォウ!」
「もうキュウったら、女の子相手にムキになるなんて、大人げないなあ」
 完全なるさなえの負け惜しみ発言に、キュウがニヤリとする。

「あ、二人ともやっと来たわね!」

 見ると、ミッションルームにはメグ、数馬、キンタ、それにリュウがすでに全員集合していた。初めの事件以来、Qクラスのみんなは特に何もなくてもミッションルームに集まっていることが多くなっていた。
 っていうか、今日は部屋の中がなんだか物で溢れてるみたい。
「メグ、どうしたのこの服」
「へへん、可愛いでしょう。今度さなえにも貸してあげるね」
 メグがハンガーラックに自分の私服兼変装服を整理しているところだ。
「あ! ちょっと数馬、あたしの服さわんないでよ!」
「メグ、私物持ち込みすぎ。引越じゃないんだからさあ」
 そういう数馬も、コンピュータなどの電化製品で中央のテーブルを埋め尽くしているけど……。

「数馬こそ、なによこの漫画」
 メグが腹いせにとばかり、テーブルの上にあった漫画をつまみ上げた。
「おい、それ俺んだよ」
 キンタは山積みになった漫画の中で、読書に夢中だ。

「あ、っそう」
「ああ! 金田一は俺のバイブルなんだよ〜」
 メグが放り投げた漫画を、キンタが大事そうに拾い上げる。

「数馬ちょっと、うろちょろしないで!」

「みんなたくましいね……」
 つい先日の事件をまだ引きずっているキュウが、部屋の隅で本を読んでいたリュウの傍に腰掛けた。
「ああでもしなきゃ、やってられないよ」
「え?」
 キュウが意外な顔でリュウに聞き返す。
 するとリュウは本から顔を上げずに、キュウに応えた。
「目の前で人に死なれて、平気でいられるわけないだろう」
「じゃあ、リュウも?」
「ああいう幕切れは想定してなかったからね。まあ、いい勉強にはなったよ」
「いい勉強って、そんな言い方さ……」
「あ、ねえリュウ」
 メグの私服コレクションに見入っていたさなえが、リュウの近くにやって来た。
 リュウはちょっと不機嫌な様子でさなえを見やった。

「キュウと一緒だったんだね」
「え? あ、うん。近くで会ったから、どっちが先にミッションルームに着けるか競争したの」
「そう、さなえったらズルいんだよ! 聞いてよリュウ、僕がまだ道の向こうにいるのにさあ、自分だけ先に走り出しちゃって」
「キュウだって大人げなかったじゃないの。階段で私を押しのけたりして」
「二人って」
「え?」
「ん?」
「仲がいいんだね」
 リュウが本のページをめくりながら冷たく言うので、さなえはちょっとビクっとしてしまった。
「そう、かな」
 もしかしたらリュウは、今日はちょっとご機嫌が悪いのかもしれない。

 さなえは本題に入ろうとして、鞄から綺麗に折りたたんだ白いハンカチを取り出した。この前、怪我をしたさなえの手にリュウが巻いてくれたものだ。
「これ、ありがとう」
 さなえが差し出したハンカチを、リュウが無表情に見つめた。
「傷はもういいの?」
「うん、もう大丈夫」
 さなえはそう言ったけど、リュウはさなえの両手を横目に見て物言いたげな顔をした。
 今、さなえの手にはたくさんのキャラクター入り絆創膏が巻かれていて、とても賑やかだ。

「ハンカチの方は漂白をして洗濯をしたんだけど、ネクタイの方は血が取れなくて……。だから今度、弁償するね」

 リュウは本をパタリと閉じて、さなえを見つめた。
「必要ないよ」
「え、でも悪いよ」
「それなら今回のことは貸しにしておく。僕は人に貸した恩は忘れないから、覚えておいてくれ」
「えッ……」

 リュウはさなえの手からハンカチを受け取ると、それをズボンのポケットに入れて行ってしまった。
 どうして良いのやらわからずに振りかえると、さなえとリュウのやりとりを近くで聞いていたキュウが目をクリっと見開いて笑いをこらえていた。

「なによ、キュウ」
「いや別に。なんか、いいな〜、と思ってさ」
「なにがいいのよ。ふざけないで」
 さなえはキュウの肩をパシっとたたいてから、部屋を横切って団先生のデスクの傍にあるサボテンの近くに歩み寄った。

―― 不自然。

 Qクラスのみんながそれぞれの趣味趣向をこらしているこの部屋の中で、ただ一つだけ違和感を放っているそれの存在に、さなえはミッションルームに入った瞬間から気がついていた。

 米山先生の事件以来、さなえの感覚は依然よりも鋭くなっているようなのだ。
 そのせいで、さなえは最近すごく疲れやすくなっている。

「七海先生?」
 近くに行くと、その正体は意外にもすぐに分かった。
「春乃。お前ってやつは、ここ何日かでさっそく腕を上げたな」
 腕を上げた、って何のことだろう、と思っていると、七海先生がQクラスのみんなに向かって大きな声で言った。

「お前たち! ずいぶん楽しそうだなあ」
 声の出所を探してみんながキョロキョロする中、七海先生はサボテンの格好のまま立ちあがった。

「七海先生!」
 キュウがギョッとして後ずさりした。みんな、七海先生の格好を見て茫然としている。
 だが、七海先生は構わず歩き出すと、サボテン姿を自慢げにみんなに披露して、そして言った。
「この部屋は団先生がお前たちのために特別に用意してくれた教室だ! そこにこんなチャラチャラしたもの持ち込みやがって!」
 先生が近くにあったメグのピンク色のナース服を取り上げた。
 それをメグが一瞬で取り返す。
 素早い動きだ。

「すみません……。ってか先生、いつからいたんですか?」
 と、キンタが素直に謝った。
「お前たちが来るずっと前からだよ」
「だからってサボテン?」
「ハアッ!! 相手の意表をつくのが、変装術の極意」
「誰がどう見ても仮装じゃない」
 と、メグが言った。
 メグはQクラスの中で一番、変装術にたけているんだ。

「まあまあ、こっちの方はおいおい仕込んでやるから。その前にお前たちにはこれだ」

 七海先生がそう言って私たちの前に差し出したのは、Dan Detective Schoolのミッションディスク。

「団先生の新しい課題だ」



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