第1話−2

 黒サングラスの女を追跡し、秋葉原繁華街にやってきた私たち。
すれ違う人の多さと、飛びまくる電波の多さに、私はすぐに気分が悪くなってきた。超感覚をもつと、都会での暮らしは負担が多いんだ。
 音、電波、人の気配、匂い……。
 飛び交っている情報が、許容できる器の大きさを越えて流れ込んでくる。

「さなえ、大丈夫? 顔色悪いわよ」
「うん、大丈夫。ちょっと緊張しちゃってるみたい」
「無理もないよ。さなえはこういうの初めてだもんね。大丈夫、あたしがちゃーんとフォローするからさッ」
 そう言ってメグは私を励ますようにニッコリ笑って、手を引いてくれた。
 その時、町中に数多くある監視カメラの中の一つに、どうしてだか私は意識が引きつけられた。
―― 違和感。
 なんだろう、誰かに見られている気がしたんだ。でも、その見られている感じの中に『悪意』はない。


 さなえはカメラに手を振った。

 同じ頃、街頭の監視カメラをハッキングしていた数馬が、他のQクラスのメンバーを見つけて「アナログだ……」と呟いていた矢先、
 カメラごしに手を振って来たさなえを見て、アイスコーヒーを吹きだした。
「なんで気づいたんだ?」


「ちょ、さなえ! 監視カメラに手を振るなんて、やめてよね、恥ずかしい!」
 メグに怒られ、私はグイグイと引っ張られて都内の電気店までやって来た。
 電気屋さんで買い物でもするつもりなのか、黒サングラスの女がエスカレーターに乗って店に入って行くのが見えた。

「よし、俺、裏まわるから!」
 キンタがそう言って建物の裏に回ったので、私はキュウとメグと一緒に表から店内に入り、女の後についてエスカレーターで3階まで上った。
 けど、驚いたことに3階のオーディオ売り場に、すでにその女の姿は見当たらなかった。

「あれ、いない」

 反対側の入り口から上ってきたキンタも合流したけど、黒サングラスに金髪の女は、まるで手品みたいに消えてしまった。
 そのとき、メグが何かに気づいて私のブラウスの袖を引っ張った。
「さなえ、行くよ」
「え、行くってどこに?」

 私はメグに言われるまま、家電量販店を後にした。
 やってきたのは、近くにある小さな公園。
 今、メグが追跡しているのは地味な黒いスーツを着た女の人で、黒髪だ。最初のターゲットとは違ってる。

「メグ、どうしてあの人をつけるの?」
「ふふん」
 公園の木陰に隠れながら、メグが得意げに私を振りかえった。
「金髪に黒いサングラス、高い鼻。そんな目立つ特徴だけにあたしたちの注意が向くようにしたんでしょうけど、このあたしの目はごまかせないわよ」
「あ、そっか、瞬間記憶能力?」
「あの女の爪。マニキュアがさっきの女と一緒なの」
「なるほど〜。そんな細かいところまで見ているなんて、さすがだねメグ」
「うほう! 当たっちゃった!」
「えッ……」

 メグが食べていたソーダアイスの棒に「当たり」が出たようだ。っていうか、こんなときまでアイスの当たり棒にそんなに喜んじゃうメグに、私もビックリ!
しかもメグの声で、追跡していた女が私たちを振りかえったので、私は心臓が止まりそうになった。

―― 不自然。

 そのとき、私は初めてまじまじと女の姿を自分の目で見たんだけど、その瞬間、奇妙な違和感が全身を駆け巡った。

「ねえメグ、あの人ちょっと、変じゃない?」
「そう? どこが。ほら行っちゃう、あたしたちも行くわよ!」

 女は足早に狭い路地に入って行った。私たちもその後に続いたけど、道はその先で二本に分かれてしまっていて、女がどっちに行ったのかは分からなかった。

「このどっちかに行ったのは間違いないわよね。二手に分かれましょう」
「ええー! やだよう」
「なぁに子どもみたいなこと言ってんのよ、さなえ。これは任務なんだからね。いい? あたしは左に行く、さなえは右。女を見つけたら携帯で連絡することにしましょう」
「もう……」
 嫌がる私をよそに、メグはさっさと左の道に進んでしまった。
 その後ろ姿を見送りながら、私はさっきの違和感を思い出して口を開いた。
「わかったよ。メグも気をつけてね! あの女の人、もしかしたら『男』かもよ!」
 それだけ言って、私はしぶしぶメグに言われた通り、右の道に進んだ。

 曲がりくねった細い道を慎重に進んで行くと、私は少し大きな道に出た。女はいなかった。
 きっとメグの進んだ道が正解だったんだな、と思って携帯を出してみたけど、メグからの着信はない。
 今来た道を引き返して、メグに合流するべきかどうか迷っていると、誰かに突然手を引かれた。

「さなえ」
「リュウ!」
「こっちだ」
「え……」

 当たり前のようにそう言ったリュウは、人の流れにそってゆっくりと歩きながら、ポケットから取り出した緑色の追跡マーカーを一定間隔で地面に落としていた。そのさり気ない素振りは、まるでプロの探偵みたいだ。
 リュウの視線の先に黒いスーツの女がいるのを見つけて、私もリュウに並んで歩きはじめた。

 リュウはQクラスの中で、天才的な頭脳を持っている。だけどちょっと近寄りがたいオーラを出しているから、私はまだあまりリュウと話したことがないんだ。
 このまま二人きり、というのも心もとないので、私は手にしていた携帯を開いた。
「みんなとはぐれちゃったんだ。心配してるかもしれないから、一応リュウと合流したって、メールするね」
 念のためリュウに許可をとってから、私は急いでQクラスのみんなに一斉メールを打った。

―― こちらさなえ。リュウと合流、女を追跡中。
秋葉原ストリート方面。リュウの追跡マーカーを追え。

 ひと気の少ないビルに入った女は、迷うことなく屋上まで階段を上って行った。
 女は屋上の換気ダクトに隠されていたアルミケースを取り出すと、中にある大量の札束を確認した。
 リュウがその証拠写真を撮り、私たちは物陰に隠れて待機した。

「リュウ、助かったよ、追跡マーカー」
 すぐにキュウ、キンタ、メグ、そして数馬が屋上に合流してきた。
「別に。授業で習ったことを実践しただけだ」
「さなえも、メールありがとう」
「うん。私は偶然リュウに見つけてもらえたからラッキーだっただけ。メグ、何かあったの?」
「ちょっとね。後で説明する」
 メグがターゲットの女に対して強い怒りを抱いているのを感じた私は、急にメグのことが心配になった。
 さっき二手に分かれたとき、何か酷いことをされたんじゃ……。

「で、女は?」
「鞄の中に札束が入っていた。証拠は押さえたよ」
 リュウが答えると、キンタが手にしていたウチワをキュウにあずけて腕まくりした。
「よし。じゃあついでに、あの女も取り押さえるか」
―― 危ない!
 咄嗟に私は強い不安を感じてキンタを止めた。
「キンタ、危ないよ。あの女の人、とっても変な感じがするんだもん。キンタでも敵わないような気がするよ」
「はあ!? さなえ、お前よくも言ったな。見てろよぉ」

 私を振りきって出て行こうとするキンタを、今度はリュウが止めた。
「僕たちのミッションはもう終わりだ」
「教科書通りにやるだけじゃ、つまんねーだろ!」
 
 結局、キンタは私たちの制止を振り切って女の前に出て行ってしまった。

「さあ、それをおとなしくこっちに渡してもらおうか」

 そう言ったキンタは、女が持ち去ろうとしていたアルミケースに手をかけた。次の瞬間。
 いきなり女が回し蹴りを繰り出し、体格のいいキンタの体を後ろにのけぞらせた。

「うそ、あれ、本当に女!?」
 数馬の声が震える。
「そういえばさなえさっき、あたしに言ったわよね。あれ、女じゃなくて男かもしれない、って」
「ッ……。」
 私はキンタと謎の女の格闘を前に震えてしまっていて、そのときメグに応えることが出来なかった。

 女の足蹴りがキンタの腹に入り、続いて強烈パンチが鳩尾に。そして再びの足蹴りが胸に。
 キンタは瞬く間に屋上の手すりに追い詰められ、動きを封じられてしまった。

 私は叫んだ。
「やめて!!」
 キンタが目を丸くする。
「うっそお!」
 女がスカートの下からナイフを取り出し、それをキンタの胸に突き刺したんだ。
「きゃあ!!」
「ぐああああああああ!!!!」
 キンタが胸元を抑え、地べたにゴロンと倒れ込んだ。

「「「「あああああ!」」」」
 Qクラスのみんなが口々に悲鳴を上げながらキンタに駆け寄る。

「……。」
「……って、あれ?」
 地面に倒れて胸を押さえていたキンタが、いきなりキョトンとした顔で頭を上げた。
 なんと、ナイフがぶっすり刺さったはずの胸からは、血が全く出ていない。


「遠山、思い込みで行動するなといつも言っているだろう」


「その声……、七海先生!?」

 目の前の女の口から、いつもよく耳にしている男の人の声がして、私たちは驚愕した。
 すると女はニヤリと笑い、顎の下からビリビリと顔の皮を引きはがして正体を明らかにした。
 それは間違いなくQクラスの担任、七海先生だった!

「ええー……」
 途端に気が抜けた声を出して、キンタが地面に伸びた。
 だが、間髪いれずに七海先生の檄が飛ぶ。

「ったく、お前ら! それでも団校長の後継者候補か! 俺が授業で教えた尾行術、ろくに実践できていないじゃないか」

 七海先生は威嚇するように私たちに歩み寄り、一人一人に厳しい眼差しを向けた。

「犯人の特徴は見落とす」
 七海先生に言われ、キュウが明後日の方向を見ている。

「油断して、返り打ちにあう」
 メグが口を尖らせる。

「自分の能力を過信する」
 数馬が腕を組み、そっぽを向く。

「最後は敵をあまく見て、命を落としそうになるか」
 キンタがムッとした。

「状況を冷静に判断して、最善の行動をとれたのは天草と春乃だけだ」
「いえ、私はみんなに助けてもらって、たまたま運良く合流できただけなんです」
「こらこら、お前の悪いところは、いつも自分の力を過小評価しすぎるところだ。もっと自信を持て!」

 って、七海先生はそう言うけど、私は全然そう思えない。

「ったく……。どうした? 俺の変装術、そんなに驚いたか! まあ、やるときは徹底的にやんないとな。たとえばあ、こんな感じ! ワーオッ!!!」
 すっかり落ち込んでしまった私たちの空気を盛り上げようとしてなのかどうなのか、七海先生がいきなりスカートをめくり上げて私たちにハイレグパンツを見せてくれた。
しかも赤色だ。

 みんなの空気がサーっと引いて行くのを私は感じた。
 瞬間記憶能力を持つメグは、一度見てしまったものを決して忘れられないので、七海先生のパンツを見ないように背を向けている。
 メグに気をつかったキュウが、先生のお尻をキンタのウチワで隠し、見えないようにした。
「ゴホン。あのう、そんな情けない格好で自慢されても……」

「っていうか、ただの変態だろ」
 すかさずキンタがキュウからウチワを取り返し、鼻をつまみながら先生のお尻を煽いだ。

「あたしの当たり棒、返してよ!」
 と、今度はメグが怒った顔で七海先生に詰め寄った。
「そっかあ、メグ、当たり棒を盗られちゃったんだね」
 メグが怒っていた理由がやっとわかった。

「そーなのよ。さなえと分かれて路地を進んだら、いきなり笑気ガスを吸わされて……。っていうか、さなえ、あの時どうしてあたしたちが尾行してる女が男かもしれない、って思ったの?」
 聞かれて自分でも首をかしげるさなえ。
「えー、わかんないよ。なんとなくだもん」
「そういえばさなえ、僕の監視カメラにも手を振って来たよね」
「え! あれ数馬だったんだ!」
「監視カメラなら他にもたくさんあったはずなのに、どうしてあのカメラに気づいたんだい?」
「なんとなく……、見られているような気がしたから」
「……。」
「……。」
 私たちのやりとりを聞いていたキュウとリュウが、不思議そうに私を見つめてきたので、ちょっと居づらかった。
 私が持っている能力のことは、Qクラスのみんなは知らない。唯一、メグがちょっと知っているくらいかな。

「そうやってなんとなく、なんとなく、って。お前はエスパーか!」
 キンタがウチワでパシっと私の頭を叩いた。
「ああー! ちょっと、そのウチワで叩くのはやめてよ! 汚いでしょう」
「どういう意味だ、春乃」

 思わず口が滑ってしまって、七海先生が怒る。
 ちょうどそのとき、七海先生の携帯が鳴った。

「はい七海。……団先生!」
 七海先生の電話の相手が団先生だということを知って、私たちは瞬時に姿勢を正した。
 名前を聞いただけで緊張してしまう。団先生はそれだけ、探偵学園のみんなに尊敬されているすごい人なんだ。

「はい、Qクラスのメンバーをですか? わかりました」

 七海先生は電話を閉じると、スーツの内ポケットから1枚の紙を取り出して、それを私たちに見せた。

「お間たち、今すぐここへ行け」

 七海先生の顔つきがいつもと違い、真剣だったので、私はゴクリと唾を呑みこんだ。




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