第1話−15
「待って下さい!」
パトカーに連行されて行く米山先生を、キュウが呼びとめた。
「僕にはどうしても信じられません。そんな、醜い欲望のためにあなたが人を殺すなんて」
「キュウ、これがこの世界のリアルなんだ。僕たちが立ち向かおうとしている現実なんだよ」
―― 不自然。
現実? 違う、なんだか違う感じがする。まるで造り物みたいな、気持ちの悪い違和感……。
さなえは軽い頭痛を覚えて、こめかみを押さえた。
遠くで、キュウとリュウが言い合っている。
「違う! そんなことない。だってあの人、メグを抱いてくれたんだもん。メグが死体を見てパニックを起こしているとき。母親みたいに優しく……」
―― お母さん。
遠い記憶が呼び覚まされそうな、奇妙な既視感。頭痛がどんどん酷くなっていく。
「さなえ、大丈夫? 顔色悪いわよ」
メグがさなえの異常に気がついて近よって来た。
キュウの話はまだ続いている。
「リュウ、事実がすべて真実を語っているわけじゃないんだ。事件を解決することも大切だけど、その裏に隠された真実を見抜くことも、探偵として大切な役目だと僕は思う」
そっか、探偵ってこういう仕事なんだ。
真実を見抜くのが探偵の仕事なんだ……。
「だからこそ、人を救うことができるんじゃないかな。甘っちょろいって思われるかもしれないけど、僕は信じたいんだ。この人も、ここにちゃんと血が通ってる」
そう言って、キュウが自分の胸に手を当てた。
―― 信じること。
「だから、人の痛みとか苦しみとか、そういうのを感じる心を持ってる」
「馬鹿な子ね。私みたいな女を信じるなんて」
米山先生がキュウを振りかえり、悲しげに微笑んだ。
―― 信じること。
人の心の良心を。そして、自分自身の感覚を。
キュウの言葉に、先生が優しく微笑むのが見えた。
「ありがとう」
その言葉に嘘はない、とさなえは思った。
キュウはすごいよ。
探偵は、犯人と最後に向き合うただ一人の人間だ。
復讐や、悲しみや、飽くなき憎悪……、犯人が抱えているのは様々なこの世の暗闇。けどキュウはその一つ一つの心の中にある善を、そして血の通った温もりを信じてるんだ。そうして、その人がまた新しく踏み出せるように、最後まで真剣に向き合っている。
もしかすると探偵は犯人を捕まえるだけじゃなくて、その人がこれからどのように新しい一歩を踏み出して行くのかを、手助けする存在なのかもしれない。
キュウは理屈じゃなくて、心でそのことを分かってるんだ。
さなえはキュウの姿から、探偵としての在り方をこのとき初めて学ばせられた気がした。
先生はパトカーに乗せられた。
―― 不自然。
頭に血がのぼり、キーンという鋭い耳鳴りがして、さなえは目を細めた。
世界が回っている。
ポンとキュウの肩を叩いて笑うメグの顔。
「とことんアナログだね」と言って、キュウを見つめている数馬。
「ガキのくせに生意気なんだよ」と、キンタはキュウの頭をたたいた。
その全てが反響しすぎたシンバルの音のように、さなえの頭の中を駆け回った。
そしてさなえは、一人の警察官がパトカーに乗り込んだ米山先生に近づいて行くのを見た。
―― 不自然。
「先生……」
さなえはゆらゆらとパトカーの方へ歩いて行った。
「変だよ。この事件は……先生が考えたんじゃない……」
「え?」
「さなえ? どこ行くんだ」
Qクラスのみんながさなえに気づいた。
「先生!」
パトカーのドアがバタリと締められる。
その瞬間、さなえはパトカーに向かって走り出した。
「ドアを開けて!」
さなえの叫び声が地下駐車場に響き渡った。
自分でも何を言っているのか分からなかった。ただこのときさなえが感じていたのは、今までに感じたことがない、とてつもなく不気味な気配だ。
先生を助けなくちゃいけない、とさなえは湧きあがる強い衝動に突き動かされてパトカーに駆け寄った。
ドアを開けようとしたが、中からロックがかかっていて開かない。
「さなえ! どうしたんだ」
Qクラスのみんながさなえの異変に驚いて駆け寄って来る。
「先生! ドアを開けて!!」
叫び声にも近い悲鳴を上げながら、さなえはパトカーの窓をドンドンと叩き始めた。
「おいおい、あの子はどうしたんだ」
諸星警部をはじめとるする警察の人たちがざわめき立つ。
―― お母さん。
ずっと昔にもさなえは同じようなことを経験したことがあるような気がした。
今、さなえは泣きじゃくりながら、必死にパトカーの窓を叩いていた。
そのとき、窓越しに恐怖に歪む先生の顔が、さなえを振り返った。
―― た・す・け・て
「先生、やめてええ!!!!」
ズドーン!!
ガシャンッ!!
「きゃあああああ!!!!」
「さなえ!!」
あまりにも長く、あまりにも一瞬のことだった。
車の中で警官から銃を奪い取った米山先生は、自分の頭を打ち抜いたのだ。
先生の頭を貫通した銃弾が、さなえが叩いていた窓に当たり、粉々に砕けて飛び散った。
間一髪、リュウがさなえを抱き上げて地面に身を避けたので大怪我には至らなかったが、砕けた窓ガラスはさなえの両手に突き刺さり、ひどく血が出ていた。
犯行発覚直後の犯人の自殺、と、誰もがそう思ったが、さなえだけはそうではないことを知っていた。
「救急車を呼べ! 動かすな、動かすな! 早く救急車を呼べえ!!」
諸星警部の怒号が響き渡る中、メグはあまりの無惨な光景に気分を悪くしてしゃがみこみ、数馬は嗚咽をこらえて屈みこんだ。
「どうして……。どうしてこんなこと」
キンタとキュウは顔色を蒼白にして、身動きできずに悲惨な現場を見つめるばかりだった。
こんな終わりを、誰が想像しただろうか。
「さなえ、さなえ! しっかりしろ」
放心しているさなえの肩を、リュウが何度もゆさぶったが、呼吸が乱れ、涙を流しているさなえは、リュウのことを見ようともしない。
「さなえ、しっかりしろ。僕の目を見て」
リュウは両手でさなえの頬を包みこみ、さなえの目をジッと覗きこんだ。
そうしていると徐々に、さなえの乱れていた呼吸が元に戻って行く。
「リュウ……先生が」
「何を感じたの? 僕たちが感じていなかったことを、君は感じていたんだろ? 何があったんだ」
「助けて、って! 先生が言ったの。まるで操られてるみたいだった! 助けて、って! 最後に先生、恐がった目をして、私に言ったの!」
ポロポロと流れ落ちる涙で顔をグシャグシャにして、声を出して泣きじゃくるさなえをリュウが抱きしめた。
「気持ちが悪いよ、先生は……グッ……誰かに操られてたんだよ」
リュウをはじめ、Qクラスのみんなが、さなえの言ったことを聞いていた。
みんな何も言わなかったけど、さなえの言葉を深く心に止めた。
操られていた。
そう。先生の突然の自殺は、キュウたちの目からみても、あまりに不自然だった。
警察が現場を保全し、救急車が到着して、先生の死が確認された。
騒然となっている現場の片隅で、いつまでも泣きじゃくるさなえの手から、リュウはガラスの破片を取り除いていった。
ポケットからハンカチを取り出して、さなえの左手に巻き付けると、首からネクタイをほどき、今度はそれをさなえの右手に巻き付けた。
こうして、Qクラス初めての事件が幕を閉じた。
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