スラムダンク2話9




湘北女子の試合が始まる少し前、陵南の仙道が、エントランスで偶然、一人の女子生徒と対面していた。

白金女学院2年、井岡樹里(いおか ジュリ)。仙道の元カノだ。
「久しぶり、彰」
少女が嬉しそうに仙道を見上げた。
肌が抜けるように白く、栗色の柔らかな髪を無造作に後ろに束ねている。
桃色のユニフォームの背番号は9番だ。

「久しぶりだな、樹里。試合、出るんだ」
「もっちろん。もしかして、観に来てくれたの?」
「いや、悪いけど、そういうわけじゃないんだ」
「なんだ、つまんないの。でも、彰は昔から、女子の試合を観に来るタイプじゃないもんね。それに、今日の試合は見応えがないと思うもの」
「見応え?」
仙道がわずかに首をかしげた。そのとき、体育館から白金女学院を応援するコールが聞こえて来た。
井岡樹里が頷く。
「今日の対戦相手は湘北なの。高さのある選手が何人かいるけど、大したことないチームよ。きっと、白金の圧勝だと思う。まあ、初戦だからこんなもんよね。それじゃ、私もう行かなくちゃ」

少女はくったくのない笑顔を浮かべ、仙道に手を振り体育館に入って行った。

「へえ。……相変わらずだな、あいつ」
仙道が小さく溜め息をついた。

「あっ! 仙道さん、こないなトコにおったんですか! 湘北女子と白金女学院の試合が始まりますよ。もう会場全体、白金側の応援でどエライことになってますねん。席取りしときましたさかい、仙道さんもはよう来ておくんなはれ」
彦一が仙道をせかして、スタンド席に入って行った。


試合コートでは今まさに、ティップオフがなされたところだ。
ボールは空中で押し合いになり、湘北陣地に押し出された。
白金女子7番が素早い動きでボールを拾い、一気に攻め上がって来る。
湘北7番、楠田エリカが白金7番のディフェンスに入る。

その様子をベンチから緊張しながら見ていた唯に、3年のベンチキャップ、三木が言った。
「唯、白金の7番はあんたやエリカと同じ、ポイントガードよ。ルーズボールに強くて、ドライブが得意。あんたより高さもある。後半は、あんたがあの7番を抑えることになるんだから、よく見ておきな」
「はい」
 唯は拳を握りしめ、ゴクリと唾を呑んだ。
 ドライブが得意ってことは、自らがドリブルでゴール下に切れ込み、シュートを打って来るってことだ。
 もし、唯が相手の7番を抑えられないとすると、ゴール下を守っているセンターの神崎や宮内に大きな負担をかけてしまうことになる。
 ポイントガードは基本的に、パスワークの上手い選手が選ばれることが多い。だから、敵のポイントガードがゴール下に切れ込んできた時は、2つのことに注意しなければならない。
1つは、ガードが自らシュートを打ってくること。
そしてもう1つは、ガードが自らシュートを打つと見せかけて、アウトサイドにいるシューターにパスを出す可能性だ。

 ドライブが得意なポイントガードを持つチームは、必然的に攻撃のバリエーションが豊かになるから、守る側は大変だ。
 唯は、白金女学院の7番をジッと見つめた。

 楠田エリカが7番に抜かれ、三木が言った通り、白金の7番が湘北の守る台形の中に物凄い速さで切り込んで来た。
瞬間、唯はベンチから注意深くコート全体を見渡した。7番がどんな攻撃を仕掛けて来るのかが気になったからだ。そして白金チームは、あの7番の動きにどう反応するのか。

 湘北側のゴール下は、神崎と宮内が守っているが、白金の7番は臆することなくゴールのすぐ下まで潜り込んで来た。
 唯が見ると、白金側は7番以外は誰もゴール下インサイドに入って来ていない。多分、味方のポイントガードにドライブしやすい状況を作ろうとしているのだろう。
よくあることだが、これはチーム全員が7番のボール保持力を信頼している証でもある。
 
 さあ、どうする。高さのある神崎と宮内のブロックを相手に、あの7番は本当にシュートに来るだろうか?
 思案していた唯は次の瞬間ハッとした。コートの左サイド、エンドラインぎりぎりのところで、スリーポイントラインの外側に立つ9番の選手が目に飛び込んできた。そのポジション取りは明らかに不自然だった。
 あの選手だけ、なぜあんな所に? しかも、ノーマークだ!
 唯はコートに向かって叫んだ。

「百合姉! 9番フリー!! スリー止めてください!」

 コートにいる湘北のみんながドライブインしてきた白金の7番に目を奪われている時だった。唯の声に、石田百合がフリーの9番に気づく。
あんな所にいる選手に、パスが出るのだろうか。そんなまさか。誰もがそう思った時だった。バスケット下でシュートに踏み切った7番から一瞬でボールが消えた。

「ノールックだ! 9番へのバウンドパス!!」
 三木が9番を指差して、仲間にボールの行き先を教える。
 咄嗟に百合がディフェンスに走るが、追いつかない。
 パスを受けた白金女学院の9番井岡樹里が、スリーポイントラインの外側、ゴールの真横から素早いシュートを放った。
――パスを受けてからシュートまでの切り替えが早い!
――シュッ!

「嘘でしょ……」
百合がぽかんと口を開けた。


「0度からのスリーポイントシュートか。簡単に入れたけど、あれ結構、難しいんだゼ」
 スタンド席から女子の試合を見ていた三井が苦笑いする。
「ってことは、白金の9番はシューターか……。にしても、いいパスだったな、7番。湘北はあの7番と9番のコンビプレーに気をつけないと、一気に点差を広げられちまうな。こりゃ、ちとキツイかもな」
 宮城が、人ごとのように顎をさすって呟いた。

「いや、しかしうちの女子も、何度も同じ手を喰うほど甘くはないはずだ。見てみろ」
 赤木が指差した先に、唯と三木がいた。
 ベンチから唯と三木がコートに向かって叫んでいるのが、赤木たちのいるスタンド席にも聞こえて来た。

「ドンマイです、百合姉さん。取られたら倍にして取り返せばいいんです。今の、今日のノルマとしてカウントしておきますからね〜」
「唯ったら、えらっそうに」
 百合がムッとしてベンチの唯を睨む。
「エリカ、百合、相手の7番はドライブインを得意とする選手だからね。ゴール下切り込まれるのは仕方ない、互いにスイッチしてディフェンス対応してこう! アウトサイド注意ね」
「了解」
 前半、湘北のポイントガードを務めるエリカが冷静に頷く。
「ごめんエリカ先輩、今のちゃんと見てなくて」
「いいよ百合、最初の一本は仕方ない。次取り返そう」
 楠田エリカが、普段から切れ長の目をさらに細めて人差し指を上げた。

 神崎からのスローインで湘北女子の攻撃が始まった。

 そんな中、赤木たちの座るスタンド席に、また青金学院の男子生徒たちの会話が飛び込んできた。
「さすが、白金。初得点からいきなりスリーポイントだ。まあでも、白金の実力はこんなもんじゃないだろうな」
「なあ見ろよ、湘北女子のベンチに小さい子がいるぜ。身体の割に、声がデカイ子。なにあの子、ウケるー」
「マネージャーじゃないか? 湘北は高さの揃ったチームだから、あの身長でレギュラーになるのは難しいだろう」
「多分、数合わせのためにベンチ入りしてるんだな。湘北はあの小さい子を頭数に入れないと、12人にならないんだぜきっと。弱小チームって痛々しいよなぁ……」
「それに比べて白金は、部員数50人以上の中から厳選されたレギュラーでこの試合を戦ってるんだ。選手層の厚さも、試合に出る個人のモチベーションも全然違う。湘北がかなう相手じゃないな」

 口の減らない青金学院の生徒たちは、まだ、湘北男子がすぐ傍にいることに気づいていないようだ。

「どうしよっかな。点差が50点になったら、試合最後まで観ないで、女の子捕まえて帰ってもいい?」
「50点は甘いだろう。軽く100点差はつくはずだ」
「んだよ、じゃあ賭ける?」
「いいぜ、100点以上の差がつくに5万」
「じゃあ俺は、前半で50点以上の差がつくに10万」
「うわ、ずりー。それって、後半でも50点以上の差がついて、結局100点以上ってことじゃないのか」
「お、その賭け、俺も乗った」
「なら俺も」

 青金学院の生徒たちの会話を黙って聞いていた三井が、不機嫌の体を露わにして思い切り舌打ちした。
 その苛立たしげな舌打ちも、白金女学院の応援に掻き消されて、青金男子には聞こえない。

 リーゼントの赤頭、桜木花道がスタンド席の最前列でいきなり立ちあがった。
「ちょ、花道!?」
 立ち上がり、青金の生徒たちを見る桜木を、彩子が不安げに見つめる。後ろの方の席からも、見えないから座れという野次が飛んで来た。
 が、桜木は気にもせず青金の生徒に話しかけた。
「おい、君たち」
「うわ、なんだよ、デケーな」
 青金の生徒たちが不思議な生き物を見るような目で桜木を見つめた。

「ちょっと聞こえたんだが、5万とか10万とか、それはどういう意味だね」
「……、は? どういう意味って、どういう意味?」
 桜木に話しかけられて、一番近くに座っていた生徒が明らかに嫌そうな顔をした。
「よせよ、構わない方がいいぜ。なんかコイツ、頭悪そうじゃん」
「なんだと!?」
「ぷッ、見抜かれてる」
 青金の生徒の言葉に、宮城が小さく吹きだす。

「む! りょーちんまで。だから、俺が言いたいのはだな、賭けなら俺のダチもよくするんだが、せいぜい100円とか、いいとこ500円までだ。どんなに高くても千円。お前たちが言う5万とか10万って、ちと高すぎなんじゃないのか?」
 桜木も洋平たちとジュースやお金で賭けをすることがあるが、青金の生徒があまりに高い金額を賭けているということには、純粋に疑問を感じたということだ。

 桜木の言葉に、青金学院の生徒たちがきょとんとして顔を見合わせる。
 そして口々に、「庶民」とか「貧乏」とかいう陰口をたたきはじめた。

「失礼な、これはまっとうな感覚だぞ」
「あのさあ、お前なんなの? 後ろの人に迷惑だろ、試合が見えないってさ。さっさと座れよ。何ならお前も賭ける? 500円にまけてやるから」
「黙って聞いてれば、偉そうに……」
「やめなさい、桜木花道」
 彩子が止めに入る。
「しかし、彩子さん」

 その時、棘のある低い声で、いきなり流川が口を開いた。
「負けねーよ、多分。賭けてもいい」

「え!?」
「は?」
「流川ッ!」
 彩子、三井、桜木花道が同時に流川を見つめる。
――このとき三井は、流川が、売られたケンカを必ず買うタイプであるということを悟った。
 体育館での暴力騒動しかり、今回のバスケット賭博しかり、一番最初にやり返すのはやっぱり流川だ。

「へー。お前は少しは話しが通じそうじゃん。いいよ。で、いくら賭ける?」
 青金学院の生徒が流川に聞くと、流川は少し考えてから、きっぱりとこう言った。
「100万」

「えッ!」
 木暮の眼鏡がずり落ちた。
「はあ!?」
 少し遅れて彩子が呆れ顔で流川を振り返る。
「おいおい、やめとけ流川」
 三井は冷静だ。
「このバカっ」
 宮城は、流川の言葉が青金の生徒を挑発してしまうだろうことをいち早く悟って青ざめた。

「流川め! 俺をさしおいて、この、卑怯者!」
 桜木の論点は相変わらずズレてはいるものの、湘北メンバーは口ぐちに流川をののしった。

 一方で、青金学院の生徒たちは面白そうに笑っている。
「上等じゃん。それ乗ったよ」

「ちょっと、賭けごとは違法よ。許すわけにはいかないわ」
 彩子が間に入ると、青金学院の生徒の中で一番頭の良さそうな男子が言い返してきた。
「刑法185条。一時の娯楽に供する物を賭けた、にとどまるため、この場合は常習性もないし、違法ではない。たかだか数100万、ポケットマネー程度の金を賭けるくらいで騒ぐなよ、これだから貧乏人はイヤだねぇ」
「さすが、伊集院さん、頭いい〜」
「テンメぇ! 彩ちゃんに何てことを!」

「もういい、リョウータ! 喧嘩はしないって、安西先生と約束したでしょう」
「彩ちゃん……」
「賭けごとなんて、うちはやらないわよ。でも、これだけは言わせて。湘北女子は、あんたたちが思ってるよりずっと強いんだから」
 彩子がそう言って席に座り、事態はひとまず収まったように思われた。
 が、しかし、青金の男子の一人がいきなり彩子を指差して、こんなことを言った。
「やっぱり気が変わった。白金が勝ったら、俺たちはその子を貰う」

「んだとテメェ、ふざけんなよ!」
 宮城が電光の速さでブチ切れ立った。
「宮城、落ちつけ」
 三井が宮城を止める。
「三井さん、止めないでください、アイツらそろそろ我慢ならねー。湘北女子がどう思われようが俺は構わないが、彩ちゃんは死んでもアイツらには、やれません」
「リョウタ……」

「この賭けに乗れないっていうなら、試合終了のブザーが鳴る前にお前ら全員、俺たちに土下座して謝れよな」
「なんだって?」
 青金学院の生徒の言葉に、三井が聞き返した。口元は笑っているが、目が座っている。

「どうする、赤木」
 木暮が額に冷や汗を浮かべて、赤木に伺う。
「まったく、バカ者たちが……」
「そもそも、流川が賭けになんか軽々しく乗るからだぞ、俺の彩ちゃんが……」
 宮城が恨めしそうに流川を見やる。

「言っただろ、負けねーって。……多分」
「多分じゃダメなんだよ、多分じゃ。この、バカ流川!!」
「リョーチン!」
「宮城」
 暴れる宮城を、花道と三井が押さえた。

「赤木……」
「ゴリ」
 木暮と花道に見つめられ、ついに赤木が重たい口を開いた。
「まあ、こうなったからには仕方あるまい。今さら引き下がらせてはもらえないだろうしな。ケンカはしないというのが、安西先生との約束だ。湘北女子が負けそうになったら、流川、俺たち全員で土下座だ。さすがに、彩子を巻き込むわけにはいかないからな」
「……、うっす」
 流川がしぶしぶ頷いた。
「赤木の旦那……」
 宮城がこころなしか、瞳をうるませる。

「だが、もし湘北女子が勝ったら、その時はそっちが俺たちに土下座するんだ。バスケットボールに対するお前らの腐った根性を全国大会で俺たちが叩き直してやるから、覚悟しろ。この話はこれまでだ」
「いいだろう」
 赤木と、青金学院の伊集院が睨みあった。


 こうして、赤木によって湘北男子と青金学院の争いはひとまず保留となった。
 電光掲示板の得点は、第一クオーターを終えて、早くも30対12で、白金女学院のリード。

「うわあ湘北女子押されてるな、大丈夫かなあ」
 安田が心配そうに呟いた。




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