スラムダンク2話8




湘北女子メンバーが安西先生の前に整列し、一斉に挨拶した。
「「「「「おはようございます!」」」」」

後ろ手に手を組んだ安西先生が、微笑む。威厳と安心感を漂わせる安西先生は、柔らかな口調で選手たちに口を開いた。
「女子は初戦、白金女学院との対戦ですね。神奈川ベスト8の常連校で、選手層が厚いチームだと村上先生から聞いています。でも、高さはうちとほとんど同じ。君たちと白金女学院の違いは、経験の差だけですよ。大丈夫です、君たちなら白金女学院との経験の差を、この試合の中で埋められるでしょう。さて、神崎くん、スターティングメンバーに変更はありませんか?」
「はい、変更ありません。立ち上がりは、ガードに3年の楠田エリカ、フォワードに3年の宮内夏見、シューティングガードに2年の石田百合、フォワードに1年の城岡華雅里、そしてセンターに私が入ります。私がコートに入っている間は、3年の三木友世にベンチキャップを頼みます。いいわね、友世」
「オッケー、任せて」
ショートカットで、両耳にピアスをしている3年の三木が、陽気に答えた。
湘北女子バスケ部の3年は、神崎、宮内、楠田、三木の4人だけだ。3年間、共にプレーしてきた3年生は、個人のプレイも一流だが、互いの息もバッチリ合っている。

「よろしい。まずは経験の豊富な3年生を主軸に、2年の石田くんと1年の城岡くんを加えるのですね」
「はい。チャンスがあれば、1年を積極的に使っていきたいと思っています」
「そうですね、女子は1年生を加えてメンバーがちょうど12人です。レギュラー以外に、交代はいない。ですから、これから長い試合を勝ち抜いていくために、どうしても1年生の力が必要になっていくでしょう。初戦から早めに1年生を試合に慣れさせるのは、よい選択だと思いますよ」

会場がざわめき始め、桃色のユニフォームに身を包んだ対戦相手の白金女学院が体育館に入場して来た。
観客席に一斉に黄色い声援が上がる。

どうやら私立のお嬢様学校、白金女学院は、平日にも関わらず、初戦から試合会場に学校を上げた応援団を送り込んで来ているようだ。
白金女学院ベンチ側の東スタンド席に、選手と同じ桃色のユニフォームを着たチアガールたちが溢れている。
ボンボンを手にしたチアガールたちが、スタンド席で合唱する。
「白金、ファイッ! ファイッ! ゴーシュート! ウィナー!!」

『必勝』とか、『目指せ全国!』とか書かれた横断幕が、次々にスタンド席に吊り下げられていくのが見えた。
白金女学院の、女子バスケット部全国出場を目指す熱の入れようと、応援力が半端ない証拠だ。
横断幕が一枚もない湘北とは、大違いである。
会場は一瞬で、白金女学院の雰囲気に包まれた。

そんな中、唯はジっと安西先生を見つめた。敵側の声援は無視だ。
安西先生から目を逸らしたら、この試合に負けてしまうような気がしたからだ。
近くに立っている仲間たちから、緊張が伝わって来る。

「忘れてはいけませんよ、君たちも男子と一緒に、全国を目指すチームです。思いきって、行ってらっしゃい」
安西先生が、穏やかな口調で言った。安西先生は、動揺したり緊張したりすることがあるのだろうか……。

「それから、村上先生から伝言をあずかっています」
「え、村上先生が?」
最後に付け加えられた安西先生の言葉に、神崎が少し驚いた顔をした。
女子バスケット部顧問の村上先生は、臨月に入り、いつ出産してもおかしくない身体なのだ。
妊娠中もバスケット部の練習を見るために、大きなお腹で無理をしてくれて、そのせいでいろいろと病名のついた妊婦となってしまった。
村上先生は、今も病院で絶対安静中だ。もしかすると、安西先生はその村上先生に会いに行ってくれたのだろうか。

安西先生が、湘北女子チームのメンバーひとり一人を見回して、微笑んだ。
「『いつも通り、楽しんで』」

それはいかにも村上先生が言いそうなことだった。
「はい」
神崎が一瞬言葉を詰まらせた。
それからみんなを見回し、パチンと手を打ち鳴らす。
「さあ、行くわよ、みんな」
神崎の言葉に、みんなが自然と円陣を組み、自分の右手を円の中心に差し出した。
いつも通り、副主将の宮内が叫ぶ。

「湘北ー!!」
「「「「 ファイ! ハイッ! ファイ!」」」」
12本の手が、力を込めて上下で打ち合わされた。
スターティングメンバーが白いジャージを脱ぎ、コートに入って行く。

「おいおい、見ろよ、さっきまでここで試合してた湘北男子と同じユニフォームだ」
「うわー、お揃いかよ湘北女子」
「男子のときみたいに、面白い試合を見せてくれよな。あの赤頭みたいな奴が女子にもいるのかな」
「いや、さすがに女子であそこまでアホなのはいないんじゃねえ?」
スタメンがジャージを脱いだ途端、冷やかすような囁き声がスタンドから上がった。
そんな囁きを無視して、
「ファイトー!」
と、唯が声援を送った。
主将の神崎、副主将の宮内、前半ポイントガードの楠田エリカ、シューターの百合、1年の城岡華雅里の背中が、いつもより大きく見える。
頑張れ、湘北女子。

「一応言っとくけど、ベンチ控えはジャージ脱ぐなよ。身体冷やさないように」
試合開始直前、聖がスコアを記録するためのノートを開きながら、念を押してベンチの面々に言った。



その頃、湘北女子のベンチ側、西スタンド席に、湘北男子と彩子が入って来た。
「お、ちょうど始まるとこみてーだな」
ボールバッグを肩にかけた三井が、スタンド席の一番前の列を陣取った。その後に、宮城、桜木、流川が続く。
「面白味がねーよな、女子同士の試合なんて」
と、宮城がぼやく。

「そうだ、だいたい、どうしてこの天才、桜木花道が女子ごときの応援など。俺は応援なんてしないからな、ゴリ」
「安西先生が監督としてつかれているんだ、応援しないわけにいくまい」
赤木が恐い顔で桜木を睨む。
「眠い」
流川が、席につくなり早くも睡眠体勢に入った。

「女子は初戦、白金女学院との対戦だな。別に男子が勝ったからってわけじゃないが、ここは女子にも初戦を突破してもらいたいな」
木暮がにこやかな表情で、赤木の隣に座った。
「それにしても、思ったよりギャラリーが多いな。女子の試合って、いつもこうなのか?」
安田がキョロキョロと辺りを見回す。男子の試合の時より、観客が多いようだ。
彩子が訳知り顔で安田に答える。
「白金女学院の人気が高いのよ。白金は神奈川ベスト8の常連校で、バスケットボールへの力の入れようは、他校をしのぐものがあるというわ。おまけに、白金の選手には可愛い子が多いらしくてね……、最近じゃ別の目的で観戦に来る他校の男子も多いとか」
「ほお」
「女子高かあ、いい響きだな〜」
桜木と安田が、まんざらでもない顔をする。

「くだらん」
「ど阿呆」
会場に白金女学院の応援が響く中、赤木が腕組し、コートを睨みつけた。
流川は白金女学院の選手が入場してきてもコートに目をやろうともせず、さらに深く席に沈みこんだ。

その時、湘北男子の後方の席に、青いブレザーをまとった男子生徒たちがぞろぞろと入って来た。
「白金は初戦、湘北との試合だってさ」
背の高い青の一団が、湘北男子の座る席の真後ろを通り抜けて行く。
「へー、強いの? 湘北って」
「さあ、聞いたことねー。どうせ大したことないだろ、白金の勝ちに決まってるって」
「それにしても、白金の応援は相変わらずすごいな。可愛い子多いじゃん、帰りに何人かに声かけてこうぜ」
「いいね。でも、これじゃ相手の湘北が不憫だよな。完全にアウェイじゃん? あの子たち、今どんな気持ちなんだろう」
「可哀そうに、初戦から白金と当たったのが運の尽きだな。いい噛ませ犬ってとこ」

遠慮のない男子生徒たちの会話に、彩子が不愉快そうな顔をした。
「なんて奴ら……」
「ああ、ひどい言いようだな」
木暮が眉をひそめながら、眼鏡の位置を直した。
その隣で赤木が青いブレザーの男性生徒たちに横目を向ける。
「神奈川じゃ、見かけない制服だな」
「あれは、東京の青金学院の生徒たちよ。白金学院とは姉妹校で、向こうは男子高。平日なのに、はるばる神奈川まで応援に来たのかしら」

すでに席についている他の観客に申し訳なさそうに会釈をしながら、青金学院の生徒たちが首尾よく湘北男子と並ぶ隣のスタンド席に陣取った。
「失礼、ご婦人、前をお通りしてよろしいでしょうか」
さっきまでの口の悪さはどこへやら、対外的な彼らの身のこなしは一変、完璧なまでに優雅だ。彩子が舌を巻く。
ネクタイピンや腕時計、靴やカバンなど、さりげない所にブランド物が散りばめられている青金学院の生徒たちに、明らかに周囲の一般客が一目置いていた。
しかも、背の高い生徒たちが多い。
「なんだアイツら、気に喰わねー」
三井がたまらず舌打ちした。その横で、宮城が苛立たしげに足をゆする。
「金持ちの臭いがプンプンするぜ。彩ちゃんに手出ししたら、ただじゃおかねー」
「体格から言って、彼らもバスケット部かもしれないわね」
「だとしたら、この天才、桜木花道が全国でぶっ潰ーす!」
「ちょ! 大きな声出さないの桜木花道、恥ずかしいでしょう」
「素人が、何を言ってるんだ。俺たちはまず、地区予選を勝ち上がることだけを考えるんだ」
赤木は慎重な態度を崩さない。

「ど素人が。退場したくせに」
「むっ!! 流川っ……」
「喧嘩はダメよ! あんたたち」
「でもまあ、全国であいつらに当たることになったら、安西先生率いるこの湘北の名前を知らないなんて、もう言わせねーよ」
「だな、金持ちのボンボン連中に目に物見せてやるゼ」
湘北問題児軍団が、ここに来て突然登場してきた青金学院に、静かな闘志を燃やし始めた。
みんな、口には決して出さないが、湘北女子のことを「噛ませ犬」扱いされたことに、少なからず腹を立てていた。


センターサークルに両校のスターティングメンバーが並んだ。
審判がボールを持ち、コートに入る。
湘北高校スターティングメンバーは、4番神崎184センチ、5番宮内182センチ、7番楠田170センチ、8番石田172センチ、15番城岡189センチ。
女子にしては高身長が揃っている。
ジャンパーは神崎だ。
神崎は女子の中ではかなり背の高い選手だが、白金女学院のジャンパー5番は、その神崎よりも少し大きく見えた。

 青金学院の生徒の一人がヒュ〜と口笛を吹いた。
「女子なのに、デッケー」
 すると別の生徒が合槌を打つ。
「俺、170以上ある女の子は無理。やっぱ女の子には、籠入れ遊び程度にゆるくバスケしてて欲しいよ。女子が本気でダンクとか、マジで引くぜ」
「そう? 俺はビッグレディーでも全然OK むしろそっちの方がそそられる」
 青金学院の生徒たちの軽口が湘北男子の耳にも入り、不穏な空気が流れる。

 正直、バスケ一筋の毎日を送ってきた湘北男子には、青金学院の生徒たちが言っている意味が理解できないのだ。
バスケットボールを観戦しに来てるのに、コートの選手たちを見て、女の子を選り好みするなどもっての他だ。
 たった数日ではあるが、同じ体育館で、湘北女子が自分たちと同じようにインターハイを目指して毎日厳しい練習に励んでいるのを見てきた男子は、青金学院の生徒たちの発言を不快に思った。
 流川でさえ、寝るのをやめて、コートの湘北女子を見下ろして目を細めた。
――負けたら、承知しねえ。

 いよいよティップオフの時がやって来た。
 試合開始のブザーとともに、ボールが審判の手から高く投げ上げられた。





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