スラムダンク2話14





 白金5番、小泉からのスローイン。

「ディフェンスタイト!」
 主将の神崎の声がコートに響き渡った。
 湘北女子は作戦通り、自分のマークマンにフェイストゥーフェイスで張り付いた。
 タイトディフェンスで白金のパス回しを停滞させることで、相澤と唯のワンオンワンに持ち込むことが狙いだ。
 もしもゴール下でボールが停滞すれば、相澤は唯とのミスマッチを利用して自ら得意のドライブインを仕掛けて来るだろう。そうすれば唯と相澤のガード対決になる。
相澤とのワンオンワンは、背の低い唯には一見不利なようにも思えるが、あえて唯をワンオンワンで相澤に当たらせるというのが、湘北3年の策士エリカの考えだった。
 湘北男子バスケ部の宮城からボールを奪った唯の低さと素早さが、相澤にも通用するかどうかは一種の賭けともいえるかもしれないが、もし唯のスティールが成功すれば、湘北は一気にカウンター攻撃に持ち込むことができる。そうなれば湘北は攻撃の速さで白金には負けないのだ。
 
 唯は深呼吸をして、白金の背番号7を見つめて思い巡らした。
―― チームの中に優れたポイントガードがいるとき、停滞したボールは自然とそのポイントガードに集まるものだ。
なぜならポイントガードこそが攻守を組み立てる司令塔であり、チームの中で最も高いボール保持力を持つ選手だからだ。
 中学時代は小さいという理由でずっと試合に出してもらえず、応援席からただ仲間の試合を見守るだけだった唯だが、そうして他人の試合をずっと見て来ただけに、唯にはコート上で誰がどのような動きをするのか、よく分かっていた。そしてまた、白金の相澤が優れたポイントガードだということも、唯には分かっている。
 だから、湘北が白金の攻撃を停滞させることに成功したとき、ボールは間違いなく唯がマークしていいる相澤に集まるはずなのだ。
 そのとき、唯にスティールのチャンスがやってくる。自分に与えられた仕事はハッキリしていた。相澤からボールを奪い、チームに還元すること。
 主将の神崎とエリカが与えてくれたチャンスを、唯は活かしたかった。コート上で唯を必要としてくれたのは、湘北高校女子バスケット部が初めてなのだ。

 小泉からのスローインを井岡樹里が受け、瞬く間に白金が走り出した。速攻だ!
「ディフェンスタイトよ! 声出して!」
「はい!!」
 神崎が青沼へのパスコースを塞ぎながら叫ぶ。湘北女子はまず、ここで白金の速攻を止められなければ、太刀打ちできない。
 井岡樹里のドリブルの上がりが思ったより早く、一瞬、湘北のディフェンスが遅れた。
 湘北に緊張が走る。
 パスを塞ぐために華雅里が5番の小泉に、恭が11番の加藤に喰らいついて走った。
 ボールを保持してコートの真ん中を猛進してくる井岡樹里。このまま勢いよくゴール下までドリブルインされては、止めるのは至難の業だ。
 唯が井岡樹里を指差して、声を張り上げた。
「百合姉、9番止めて!」

 百合が走る。
 本来、百合は敵に食らいついて必死に走るタイプの選手ではない。どちらかというと足音を忍ばせて敵の裏をかき、静かにプレイするタイプの選手だ。
 その百合が、井岡樹里と並走しながら今まさに弧を描くように絶妙な角度で井岡のドリブルコースを狭めて行った。
 勢いよく突進してくる相手を止めることはかなり難しいはずだった。下手をすればディフェンスはブロッキングを取られてしまうことが多いからだ。
 審判がいつでもファウルの笛を吹けるようにホイッスルを口にくわえた。だが、百合の間合いの取り方とコースへの進入角度は、しなやかに衝撃を吸収するクッションのように井岡樹里の勢いを抑え込んだ。ファウルの笛は鳴らない。
「百合、いいわよ! ナイスディフェンス」
 井岡樹里の足が止まったことで、神崎、恭、華雅里のディフェンスが追いついた。
――天賦の才能。バスケットボールに愛されたしなやかな体と、柔軟な反能力。1年間というブランクを感じさせないほど冴えわたる百合のプレイ。
 井岡樹里の足を止めた百合のプレイに、誰もが息を呑んだ。

「上手いな、あの子」
 スタンド席、青金学院の伊集院が感心したように呟いた。
「一朝一夕に習得できるプレイじゃない。どんな練習をしたら、あんなディフェンスができるようになるのか……」
「俺好みだな、あの子。可愛いなあ」
 と、ピアスの赤丸がわざと大きな声で言うので、湘北男子がムッとした。

 今、スリーポイントラインの内側で、神崎、華雅里、そして恭がそれぞれのマークマンにピッタリと張り付いて抑えている。
 外側では百合が、ボールを保持する井岡樹里にプレッシャーをかける。
 何が何でも井岡樹里にスリーポイントを打たせまいとする百合の気迫が、唯にも伝わって来た。
 神崎、華雅里、恭と百合が白金チームのパスコースを必死で塞ぎ、白金の攻撃が停滞しはじめた。
 唯の頭の中にエリカの言葉が反復される。
――唯、あんたがまず、白金のポイントガード、7番の相澤優子と9番の井岡のコンビプレーを断ち切るの。
「喰らいついて……」
 目の前の敵、相澤と向き合いながら、唯はハーフタイムでエリカに言われた言葉を、おまじないのように唱えた。
――相澤はドライブインが得意な選手だからね。わざとドライブインさせて、あんたがスティールする。あんたならできる。

「私なら、できる」
 唯は無心でそう自分に囁きかけると、意を決してそれまでタイトにマークしていた相澤から半歩退いた。
 空間ができればそこに必ずパスが通る。相澤も井岡樹里も、このスペースを経験不足による唯のミスだと思っただろう。
 井岡樹里は待ってましたとばかり、すぐに相澤にパスを回して来た。ボールは今度も唯の頭上を通り抜け、軽々と白金のポイントガード、相澤の手中におさまる。

「ああー! またパスを通されたぜ、あのチビ。せっかく湘北がいいディフェンスをつくってたのに、もったいねー」
「ミスマッチだな」
 と、青金学院の生徒たちから野次が飛ぶ。

「うわああああ、何やってんだ桜野は。ど素人めッ」
 桜木も苛立ちはじめた。
 その横で赤木が唸る。
「ううむ。今の、俺には桜野がわざとスペースを作ったように見えたがな……。少なくとも、俺たちが女子と対戦したとき、桜野はあんなミスをするような選手には見えなかった」
「まあ、9割がたそんなとこでしょうよ」
 と、宮城が口をはさむ。
「アイツは自分が小さいってことをよーく知ってる。そのハンディキャップを生かし、パスコースを誘導したと考えるのがこの場合は正解かもな」
「だが、だとして湘北はあの7番にボールを持たせることに、どんな利点があるってんだ? ありゃ、かなりのやり手だぜ」
 と、三井が相澤を指差して言うと、宮城も両手を上げて肩をすくめた。
「さあ……。やっぱりミスかもな」
 宮城が自分の言ったことをサラリと撤回してニヤリと笑った。

「ワンオンワンだ」
 と、流川がいきなりボソリと呟いた。
「ん?」
「ワンオン、ワン……!?」
 三井と宮城が少し驚いた顔で聞き返したのに対し、流川は睨むようにコートの唯を見つめて頷いた。


 その頃、コートでは白金の攻撃の24秒が残り10秒を切ったところだった。オフェンスはボールを保持してから24秒以内にシュートに踏み切らなければ、攻撃の権利を失ってしまう。
 唯は相澤と向き合いながら、背後で聞こえるバスケットシューズのこすれる音に耳を澄ました。
 キュッ、キュキュ、キュッ!!
 白金側は湘北のディフェンスを振り切ろうと激しく足を動かしているようだ。でも、相澤がなかなかパスを出そうとしないところを見ると、湘北のタイトディフェンスは今のところ成功している。
「8、7、6……」
 白金女学院ベンチから、オフェンスタイムをコールする声が上がり始めた。
 
「5、4、3……」
 
 パスが回せず、オフェンスタイムに余裕がないこの状況。――来る。
 少々強引にでも、相澤は絶対にドライブインを仕掛けてくるはずだ、と唯は思った。
 唯は警戒しながら腰を落として身構えた。
 左右前後、どの方向にもステップできるように集中力を最大に高める。緊張で血管の音がサワサワと聞こえてくるようだ。
 と、相澤のドリブルの音が弾かれ、ボールがそれまでとは違うテンポでふわりと浮きあがった。
―― 来た!
 挑発的なチェンジオブペース。
 体を後ろに下げたくなる衝動を必死に抑えて、唯は両足を踏ん張ってハンズアップした。
 もし、唯がここでボールの勢いにビビって後ろに下がると、オフェンスとの間に余計なスペースができてしまい、相手のドリブルの勢いをさらに助長させてしまう結果となる。しかも、スペースが出来た分だけオフェンスにとっては切り返しがしやすくなるから、ディフェンスが不利になるのだ。
 タイトな距離を維持しなければ、一気に抜かれてしまう。
 唯と相澤の体が押し合った。
「ハンズアップ! 唯、集中だよ!」
 ベンチから3年の楠田エリカの声が飛んで来た。
「はい!」
 瞬間、相澤が体をローリングしながら唯のディフェンスを交わし、切り返した。唯は小刻みにステップアウトしながら尚も相澤に体を合わせる。あとほんの少しでも唯の動きが遅ければブロッキングを取られてしまうところだ。
 唯は歯を食いしばった。
 相澤の押しが強い。体格の小さい唯は序所に後ろに押され、今度は逆サイドに切り替えられた。
 唯がバランスを崩し、遅れる。だが諦めない。唯は相澤のドリブルボールに手を伸ばした。
 相澤はバックターンでそれを交わし、今度こそ本当に唯を抜き去ろうと体をインサイドに入れて来た。唯が相澤を追いかけて走る。
「唯、足動かして! 追いつけるよ!」
 遠くの方でエリカが叫んでいる。
 インサイドに入った相澤を追いかけながら、唯は再びボールに手を伸ばした。後ろに目でもあるのか、相澤がまた体を反転させ唯を避ける。
 このままドライブインされてしまうのか! とそう思った時、唯の視界に相澤の手が飛び込んできた。そして、まるでスローモーションのように、唯は相澤の手首の動きを見たのだ。
 折れ曲がった手首。
 ボールの向きを急激に変化させるときの、折れ曲がった手首だ。
 でも一体、――このポジションから、どうやってそっちの方向にボールを切り返すつもり? まさか!
 相澤の右を並走していた唯はハッとしてステップアウトすると、咄嗟に相澤の背後から逆サイドに移動した。
 今、唯が回りこもうとしているのは相澤の左側だ。ボールは相澤の体の右側にある。だが空中で相澤の手の中にあるボールは、今、相澤の体を通り抜けて左側に打ちおろされようとしているのだ。
 相澤の右側からボールを追いかけていた唯は、その手首の動きから瞬時に、相澤がレッグスルーをしようとしていることを動物的とも言える直感によって見抜いた。
 だから唯は、相澤の死角から左側に回り込み、小さく縮みこんでスピンしながら相澤の左脇下にもぐりこんだ。
 1秒にも満たないわずかの時間で、相澤の足もとをくぐってきたボールを唯は確かに見ることができた。それが相澤の手に届く前に、地面すれすれですくい上げる。
――パシッ!
 ローポジションでボールを捕えることにかけて、唯は誰にも負けない。
 唯の直感は当たったのだ。スピンをしながら相澤と正対して駆け抜けた唯の手の中に、ボールはしっかりと捕えられた。

「え!」

 忽然と手元からボールが消えたことに驚いた相澤が、急停止して後ろを振り返る。

「速攻、1本!」
 唯の叫びと同時に、オフェンスタイムを表示する時計が湘北の攻めるゴールに切り替わった。
「まさかッ、スティールですって!?」

 しっとりとしたボールの感触は今、唯の小さな手の平に張り付いている。
 次の瞬間、唯の叫びが体育館中に響き渡った。
「アーリーファイブ! 華雅ちゃん!!」
「唯!」
 真っ先に白金のディフェンスを振り切って走り出て来た神崎が唯に手を上げた。
 パスは瞬く間に唯から神崎の手に飛んだ。湘北女子が一斉に逆サイドのゴール目指して全速力で走る。
 まさかあの状態からのスティールを予想していなかった白金は、完全に動きが遅れた。

「百合!」
「はい!」

 ボールはノーバウンドで神崎から百合に渡され、一気にセンターラインを越えた。
「恭!」
「はい!」
 恭が手を上げ、走りながら百合からのパスを受け取った。
「華雅里、走れ!」
 百合からボールを受けた恭が叫ぶ。
 必死にゴール下に走り込んで行く華雅里の15の背番号が揺れていた。
「はい!」
 恭からのパスを華雅里がしっかりとキャッチした。
「華雅ちゃんいっけー!!」
 コートの真ん中で、唯が渾身の力で叫んだ。同時に湘北女子のベンチからも叫び声が上る。
「行けー! 華雅里いーーーー!!」

 5人で繋ぐノーバウンド、ノードリブルの速攻ボール。それをゴール下フリーで受けた華雅里は、ツーステップで小さく跳ねると、軽々とレイアップシュートを決め込んだ。
あともう少し飛び上がればダンクシュートにもいけそうだったのに、華雅里のシュートは極めて控えめだったという話は置いておいて、華雅里がついにゴールを決めたことで湘北側に歓声が沸き起こった。

「よっしゃああああ!」
 唯がガッツポーズでコートの中を駆け巡り、しまいには華雅里に飛びついて行った。

「うおおおおおお!!、アンビリーバブル! 要チェックや!」
「何だ今の?」
 陵南の彦一と越野が度肝を抜いている。
「カウンターだ。速かったな」
 と、魚住。
「ていうかワンオンワンのレベル高くね?」
「湘北女子のタイトディフェンスは、白金にとっちゃかなりのプレッシャーだろうな」
「でも白金のドリブルを止めた湘北の8番は実力だろうが、さっきスティールを成功させたあの小さい12番はまぐれかもしれないなぁ」
「それは言えてる。あれを狙ってやったとしたら、今後が恐ろしいものな」
 陵南の越野や植草が話しているのを、仙道だけが黙って聞いていた。その視線は静かに、コートの唯に注がれている。

 得点は白金40対湘北23
 
「やったな、華雅里」
 恭が拳でコツンと華雅里の肩を突く。
「でも、なーんでダンク行かなかったのー? せっかくのチャンスだったのにぃー」
 と、少し不満そうに華雅里にしがみつく唯。
 そんな唯を引きはがしながら、華雅里が困った顔をする。
「だって私、今日初得点なのよ? いきなりダンクなんていけるわけないよ。それに、みんなで繋いだボールだから今度こそ確実に入れたかったんだもの。また外したら何て言われるか……今度こそ私、立ち直れないよ」

 弱音を吐く華雅里のお尻を神崎がバシンと叩く。
「ったく、弱気なんだから! 外したら何度でもやり直せばいいでしょう。ナイスシュートだったわ、華雅里。それと、あんたもね」
 神崎が唯の頭にポンと手をのせた。
 唯が得意げに胸をはる。
「えへん! チビこそが平面を制す。なんちゃって……」
「唯ったら、偉そうに言ってるけどあんた、さっき思いきり顔が強張ってたわよ〜」
 と百合が笑った。
「あ、ひどい! 百合姉はほんと意地悪なこと言うんですね。あったまきた、そりゃ緊張しますよ。私1年生なんですよ? もうちょっとデリケートに扱ってくれたって……」
「はいはい、お喋りはそのへんにして、気を抜いてる暇はないわよ。この試合、みんなで巻き返す。絶対勝つわよ! ディフェンスタイトに、どんどん奪いに行こう!」

 神崎が手を叩いてチームに気合を入れる。
 湘北に速攻を決められた白金が、早くもボールをつかみ攻撃態勢に入っている。今の湘北の攻撃が敵の闘争心を煽ってしまったのは間違いない。
 唯、恭、華雅里、百合、神崎の5人は互いにハイタッチを交わして再び急いでそれぞれのディフェンスポジションに入って行った。




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