スラムダンク2話13




 後半戦、白金女学院4番の青沼からのスローイン。

 白金5番の小泉京香がボールを保持し、湘北は守りについた。
「華雅里! ディフェンスタイトについて、プレッシャーかけて!」
 神崎がゴール下に戻りながら5番をマークしている城岡に指示を出す。
 バスケを楽しもう、と、そうは思っても城岡の動きはまだ硬く、全体のスピードに着いて来れていないのだ。
 恭がフォローに入るが、その際のマッチアップの切り替えがうまくいかず、逆に恭がマークしていた白金11番の加藤にパスが回ってしまった。

 おお、出だしからまずい感じ。と、唯がそう思った瞬間だった。
 11番加藤から唯のマークしていた7番相澤にパスが飛んで来た。予測できないことではなかったが、唯がパスをカットするために飛んだときにはもう遅かった。
 ボールは唯の上を通り抜けて見事に相澤に通ってしまった。

 前半戦で相澤のドリブルワークの上手さを見ていた唯は、すぐに身を屈めてディフェンス体勢に入った。ドリブルの上手い相手に無暗やたらに詰めるのは危険なので、慎重に間合いをとって、まずは様子見だ。が、その直後
「唯、後ろ行った!」
 と、背後で百合の声が木魂した。
 目の前の相澤からパスが出る! それは分かり切っていたことで、しかも唯には、百合のフォローの掛け声から相澤のパスが誰に出されようとしているのかさえ分かっていた。
 咄嗟に唯はその場でジャンプした。
 が、しかし、相澤から出されたパスは軽々と唯の頭上を通り抜けて、予想した通り9番の井岡樹里に回ってしまった。

 そして井岡樹里が、いとも簡単にスリーポイントシュートを決めた。
―― シュッ!

 後半戦が開始してまだ1分もたっていないが、電光掲示板が示す得点は、早くも白金40対湘北19

 唯はたちまち、気持ちがシュンとしてしまった。あまりにもパスを軽々と通されてしまったからだ。
 試合が始まったばかりでまだ体が温まりきっていないこともあるが、頭上にサックリとパスを通され、それが大きな失点につながってしまうというのは、唯の身長へのコンプレックスをこの上なくチクチクと刺激するのだった。
 唯は小さく地面を蹴って舌打ちした。あと20センチ背が高ければ――悔しい。

 
 後半戦開始直後の女子の痛い失点に、湘北男子が小さく溜め息をつき、苦い顔をした。
 その横で、青金学院の生徒たちはさも面白そうに唯を指差して笑い始めた。
「ちっさいなー!」
「こりゃダメだな。あんなにパスを軽々通されるのは、技術いかんの問題じゃない。体格差がありすぎなんだ」

 青金学院の男子の言葉に、すかさず桜木が立ちあがり、スタンド席から身を乗り出してコートの唯に叫んだ。
「おい桜野! お前こいつらにチビって言われてるゾ!」

 コートでいじけていた唯が、しかめっ面を桜木に向ける。
「はぁ?」
「だから、コイツらがお前のことをチビと言って笑ってんぞ! ハハハ、恥ずかしいだろう、バカめ!」
 そう言って、桜木は唯にも分かるように青金学院の男子生徒たちを指差した。
 唯はチラリと青金学院の生徒を見て、首をかしげる。
 何故、見ず知らずの男子生徒の話が出て来るのか唯にはさっぱり意味が分からない。唯にはまるで、桜木花道が自分のことをチビと言ってバカにしているかのように思われた。
「うるさいなぁ……もう。チビって言う方がチビなんだよ……」
 と、唯が口を尖らせて呟いた。

「はあ!? 今何て言った、よく聞こえなかったぞー」
 桜木が自分の耳に手を当てて、さらにスタンド席から身を乗り出している。

「だから、うるっさい! チビって言う方がチビなんだよ!!」
 と、唯はドシンと大きく地面を踏みならして桜木を睨みつけた。

「ムぅ……桜野のやつ、なんで怒ってるんだ? チビって言ったのは俺じゃないのに。アイツらなのに」
「花道よぉ、唯はこっちの状況を知らないから、お前が唯のことをチビってバカにしたと思ったんだよ、多分」
 宮城がもっともらしく解説してやっている。
 その横で、三井が足を組んで深くシートに座りこんだ。
「ああ、恥ずかしい。黙ってろよ桜木。お前のせいで俺たち妙に目立ってるじゃねーか」

 三井が言う通り確かに、白金女学院の応援団やその他一般の観客が、さっきからチラチラと湘北男子のことを見ている。
 ただでさえデカイ体格が一目を引くのに、大きな声でコートに話しかける赤髪頭の桜木が注目を集めてしまうのは必至だろう。
「フフフン、天才桜木花道。生まれ持ってのスター性がおのずと注目を集めてしまうのだな」
「馬鹿者が」
「あはは……」
 眉間に皺を寄せた赤木の隣で木暮が笑う。
「それにしても、チビって言う方がチビだなんて、桜野も可愛いこと言うんだな」
 と、木暮が眼鏡の位置を直しながら引き気味にフォローした。
 すると宮城が嫌そうに貧乏ゆすりしながら言った。
「あれのどこが可愛いんすか木暮先輩。外見がチビなだけじゃなく、中味も小学生みたいでゲンナリさせられるゼ」
「はあ……」
 宮城の言葉に同意を示すように、流川も人知れず溜め息をついた。


 その頃コートでは、ベンチキャップの三木が顔に青筋を浮かべて唯、恭、城岡を叱りつけていた。
「ごらぁあ、1年!! 何やってんの! 後半開始直後だからってまったりし過ぎだっつーの。目を覚ませ! 次そんな寝ぼけたプレイしたらただじゃおかないからね!」
 これには唯もビクっと肩を強張らせて恭の影に隠れた。
 三木先輩が本気で怒っている。
――そりゃ、そうだろう。
 本当は三木先輩も3年生だから、自分が試合に出て戦いたいはずだと唯は思った。
 だが湘北女子は、この先の長い大会を勝ち上がっていくために早い段階で1年生を試合に慣れさせなければならない。
 目指すは全国制覇。
 そこまで勝ち上がって行くことを大前提としたとき、当然、一戦一戦勝ち上がるごとに、より優れた強豪校と対戦することはやむを得ない。試合が続けば怪我や疲れが出て来るのも当然。そのときになってから1年を試合に出させ調整したのでは手遅れなのだ。初戦から積極的に1年を試合に出場させ慣れさせていかないと、湘北は後で交代のカードを失ってしまう。
 頭ではそんな湘北チームの状況を理解してはいても、この初戦をベンチキャップとしてベンチにとどまり、代わりに大事な初戦を1年に委ねなければならない三木先輩は、どれだけ歯がゆい思いをしていることだろうか。
 三木の本気の怒号を受けて、唯は大きく深呼吸した。
――そうだ、こんなところで、負けるわけにいかない。

 恭が唯の耳もとで囁いた。
「三木先輩、怒るとマジで恐いよな」
「うん……」
「ドンマイドンマイ! 次1本、確実にいこう!」
 副キャプテンの宮内がベンチから励ましのエールを送る。

「頼むわよ、あんたたち」
 スローインの位置につきながらキャプテンの神崎も1年に声をかけるが、その表情がどことなく硬い。
「ういーっす」
「すみませーん」
「ごめんなさい……」
 コートに入ったばかりの恭と唯はすぐに気持ちを切り替えてポジションについた。だが、城岡華雅里は前半戦で受けた精神的ダメージも重なって早くも泣きだしそうな顔だ。

「で、どうする唯」
 エンドラインからボールをスローインしようとしている神崎先輩を横目に見ながら、恭が唯に聞いた。
 唯はコート上にいる他のプレイヤーの動きを観察しながら、一言だけこう言った。
『走ろう、恭』
 瞬間、スローインボールが神崎から百合に入った。それを見て唯が身をかがめ、瞬時にコートを蹴った。
 唯の意図していることをくみとってか、恭が小さく頷き、ニヤリとする。
「わかったよ」

 まずはワンゴールを確実に決める。
「百合姉、ハイ!」
 唯の声がコートに響いた。
 唯をマークしているはずの白金の7番相澤は、まだ唯の本当の実力を知らない。おまけに、さっきのプレイで驚くほど簡単に唯からパスを通せたので、相澤はこのとき唯のことを甘く見ていたのだろう。だから相澤のポジションどりは明らかに唯から離れすぎていたのだ。

 突如、死角から飛び出して来た唯の動きに、相澤が意表をつかれて「あッ!」と声を上げた。

 ゾーンを形成して百合を取り囲んでいる白金のディフェンス陣の間を縫って、唯がボールを呼ぶ。
「頼んだわよ」
 上からのパスはとてもじゃないが通りそうにない状況で、百合は上向きへのフェイクを仕掛けてから素早く身をかがめ、ディフェンスの隙間からかすかに見えた唯に、転がるような低いバウンドパスを出した。
 百合のパスは、9番の井岡樹里の股下を抜け、かろうじて唯のところに転がり出た感じだ。
「ルーズボー…!?」
 白金のキャプテン、青沼がそう叫びかけたとき、地面すれすれを滑空する燕のように、唯が軽々とボールをすくい上げた。
「相澤、12番フリー!」
 青沼が咄嗟にそう叫ぶも、すでに唯は勢いを緩めることなく反対側のゴール目指して走り出している。速攻だ。
「恭!」
 相澤が唯を追って来る。
 センターラインまでボールを運んだ唯はボールを構え、まるでドッヂボールで敵を狙うときのような投球姿勢をとった。
――まずはワンゴール、打ち返す!
「はい!」
 ゴールを目指して走りながら恭が手を上げ、飛びあがる。もちろんこのとき、恭も完全なフリーだ。
 唯が小さな体から渾身の力を込めて剛速球パスを出した。と、ボールは宙を舞う恭の手の内にすっぽりとおさまり、そのままリングの上にフワリと置かれた。
 空中でキャッチしたボールをそのままダンクするアリウープもできそうだったが、恭はあえてレイアップシュートを選択したようだ。
 恭の柔らかなフォームが、唯の槍のようなパスを柔らかな羽根に変えてリングに通す様は、魔法みたいに美しかった。
――シュッ
ピピー!!

「うおおおおお!!」
「なんだ今の、早えー!」
 得点は40対21

「おっし、まずは1本返したな」
 歓声が沸き起こる中、コートに着地した恭がクルリと唯を振り返り、苦笑いした。
「ていうか唯、今のパス気合入りすぎ。パスというより狙撃に近かったぜ」
「え、そうだった? ごめん、ちょっと気持ちが前に出すぎちゃったかな。でも、ナイスシュートだったね、恭!」
「まあ、中途半端なパスよりはいいけどね。さっきみたいに気持ちが乗ってるボールは、リングに好かれやすいんだよ」
 恭と唯が胸の高さでミドルタッチした。

「二人ともナイス、この調子でいくわよ」
 主将の神崎がやってきて、唯の頭と、恭のお尻をポンポンとやった。
 そこへ、険しい顔の百合もやって来た。
「あと19点差。スリーポイント6本打っても、まだ追いつけないわね……」

 白金は攻守ともに、百合へのマークを徹底的に固めて来ている。点差を埋めるためにはどうしても百合のスリーが欲しいところだが、そう簡単には打たせてもらえないだろう。
「気配を消して、なるべく目立たないようにしながら、なんとか隙を見て百合にスリーを打ってもらいたいんだけど……」
 と、神崎が言った。それを、唯が首をフリフリ訂正した。
「ダメです。百合姉には第3クオーターでもっと目立ってもらわないと」
「でも百合先輩は徹底的にマークされてるから、下手に目立つとまたさっきみたいに危険なファウル喰らうぜ」
 と、恭。
「それはそうだけど、逆に今がチャンスだって私は思うんだよ。白金が百合姉に注意をとられてる分、私や恭、それに華雅ちゃんのマークは薄い。すごく動きやすいんだよ」
「まあ、確かにそうだけどさ」
「だからね、第3クオーターでのゲームメイクはこう。百合姉には敵を最大限引きつけて、目立ってもらう。けど、それはフェイクなの。敵が百合姉に引きつけられてる隙に、神崎キャップ、恭、華雅ちゃんの3人でそれぞれ最低でも2本は、派手にゴールを決めてもらう。特に恭と華雅ちゃんは頑張ってよね。私たち1年が得点を決められるんだって敵に見せつけるんだよ! そうすれば最後の最後、百合姉のマークが絶対に今より薄くなる。そのとき、私たちは百合姉のスリーで必ず逆転できるから!」
 唯の提案に神崎が頷いた。
「なるほど、視点操作ね。今の私たちにできる、理にかなった作戦だと思う。OKそれでいこう。ボール回しは唯、任せたわよ」
 そう言って、神崎が青沼へのディフェンスポジションに入って行った。

「目立つって、どうすればいいのよ」
 と、百合がぼやいている。
「百合姉はベストなポジションに入って、常にボールを呼んでくれればいいんですよ。それだけで十分目立ちますから」
「でも唯、私にパス出さない気なんでしょ?」
 と、今度は百合が膨れる。
「はい、出しません。第3クオーターでは、百合姉には1本も打たせません。というか、このままじゃ打てないと思います。だから下準備をするんです。百合姉がしっかり仕事ができるように、みんなで掻きまわすんです。大丈夫です、百合姉には第4クオーターに入ったら、何が何でも打ってもらいますから。ノルマはきっちり6本です」
 と、唯がきっぱりと断言した。
 こうやって百合にノルマを宣告するときの唯はいつも、自信に満ちていて楽しそうなのだ。唯が楽しそうだとなんだか百合も、『やってやろう』という気になるから不思議だ。
 不意に百合がコート際に目を向けると、聖と目が合った。どうしてなのかその時、聖も楽しそうにほほ笑んだ。

 百合は覚悟を決めた。
「わかった。目立てばいいのね」
「はい」
「はあ……、私そういうの苦手なのよねぇ」
 そう言いながら、百合が9番井岡樹里のディフェンスに入って行った。

 さあ、ここからが勝負だ。




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