スラムダンク2話12




 湘北男子と賭けをしている青金学院の男子が、わざと聞こえるように言った。

「37対19か。点差は順調に開いてるな。湘北女子は厳しいゼ」
「シューターの石田百合が押さえられてるのが痛いよな」
「石田って確か、私立緑南中出身のエンジェルシューターだよな。中学を卒業してバスケを辞めたって聞いてたけど、湘北にいたとはね」
「去年は出てなかったけど、どういうわけか、今年になって復活したんだよ。そのブランクもあるのさ」
「へー。俺、あの石田百合って子、超好み。欲しい」
「始まった、赤丸の女漁り……」
 耳にいくつもピアスをして、首にも刺々したネックレスをしている青金学院の一人が、へへへ、と舌を出して笑った。赤丸と呼ばれたその男子生徒は、舌にもピアスをしていた。
 湘北男子は、青金学院の生徒たちのやり取りにイラつきを覚えながら、それでも皆一様に眉をひそめただけで何も言わなかった。
「っていうかあれ、聖じゃない?」
「聖? って、誰だよ、優斗」
 優斗、と呼ばれた童顔の、どこか女性らしさを漂わせている青金の生徒が、湘北女子のベンチでドリンクを配っている聖を指差した。
「聖誠也。緑南で一緒だったんだよ。確か、中学3年のとき、交通事故にあって下半身不随になったんだ。もう二度とバスケは出来ないって話だぜ」

―― え? 
 湘北男子の三井と宮城が顔を上げた。流川や桜木花道、赤木や木暮でさえ、聖の事情を今まで知らなかったので、信じられないという表情だ。
「石田と聖は中学時代、付き合ってたんだよ」
 と、優斗は話を続けた。
「それってもしかして、元カノを追いかけて女子バスケのマネージャーになったってわけか?」
「なにそれ、ストーカー。超痛々しいな」
 青金学院の男子たちが、湘北女子のベンチでタオルやドリンクを神経質に整えている聖を見て笑った。

「何も知らないくせに……」
 彩子が怒りに拳を固めて青金学院の生徒たちを睨みつけた。
 彩子は、聖と一緒にマネージャー試験を受けたことがある。だから、聖のバスケットボールにかける思いが本物であることを知っていた。聖が事故で下半身不随になっていたことは彩子も知らなかったし、聖が元バスケットボール選手だということも知らなかったが、聖はマネージャーとして、トレーナーとして今、誰より一生懸命だった。それは決して痛々しい姿ではない、と彩子は思った。
 今まで聖は、自分に起こった不幸をおくびにも出さなかった。彩子には、そんな聖をバカにする青金学院の生徒たちが許せなかった。
 彩子はスっと立ち上がり、スタンド席から湘北女子のベンチを見下ろした。
「湘北女子ぃーーーーーーー!!!」
「彩子」
「あ、彩ちゃん?」
 彩子のとびきり大きな声が、体育館に響き渡った。
「この試合、負けたら承知しないわよ! 誰が何と言おうと、あんたたちは強い! そしてあんたたちには、最高のマネージャー兼トレーナーの聖誠也がついている!」
 ベンチの聖と、湘北女子のメンバーがポカンとしてスタンド席の彩子を見上げた。
 スタンド席で何が起こっているのかを知らない彼らは、彩子がなぜいきなり自分たちを熱のこもった様子で応援し始めたのかが分からない。
「湘北、ファイトォオオオオオ!!! ほら、あんたたちも応援しなさい!」
 彩子に尻を叩かれて、桜木、三井、宮城、そして赤木が立ち上がった。
 明らかに気のりしない調子で桜木花道が言った。
「俺たちの土下座がかかってるんだ。こんなとこで負けたら、承知しねーぞ」
「誰のせいだと思ってんだ」
 三井が横目に桜木をねめつけながら、
「まあ、そういうわけだから、そろそろ本気出せよ」
 と、付け加える。
「彩ちゃんがかかってんだからな! 負けるんじゃねーぞ!」
 顔を赤らめながら、宮城だけがなんだか必死の様子。

 赤木が、ギロリと神崎を見下ろした。
「安西先生と、湘北の名に恥をかかせることは、俺が許さん」
 スーっと息を吸い込んで、赤木が嘶いた。
「湘北、ファイトォオオおおおおおお!!!!」
 赤木のゴリラのような雄たけびが、体育館を震わせた。
 流川が無言で立ち上がり、ベンチの唯を見下ろした。お前は試合に出ないのか、と、その目は問いたげだった。

 湘北男子の突然の応援に、会場の注目が集まった。白金女学院のピンク色の歓声が木霊する体育館では、湘北男子の男臭い声援はとても目立った。
 中には、湘北男子や湘北女子のことを見て、クスクス笑う他校の生徒もいた。
 そんなギャラリーの様子に気づいた主将の神崎が、頬を赤らめてスタンド席を見返した。土下座とか彩ちゃんがどうのとか、湘北男子の言っている意味が分からなかったが、それでも男子がどういうわけか女子を応援し始めた、ということは神崎にも理解できた。
「こんな所で負けるつもりないから、安心して」
 神崎はそれだけ言うと、作戦会議をするために選手たちを集めた。
 三木や宮内は湘北男子を完全に無視しているし、楠田や石田百合は戸惑いと恥じらいの混じる微妙な表情だ。
「なんかスゲー、恥ずかしいよもう」
 そう言いながら、恭が威勢よくジャージを脱ぎ捨てた。
 唯だけが嬉しそうに、スタンド席の湘北男子に向かって手を振っている。
「ありがとう、みんな!」


 後半は、センター神崎、パワーフォワード城岡、シューティングガード石田百合、スモールフォワード早川恭、そしてポイントガードが唯だ。
 前半を戦った楠田エリカがデータを整理した。
「白金の4番、青沼令子は身長もパワーも神崎と同格。前半と同じく、青沼は神崎で抑えられると思う。問題は、7番の相澤優子と9番の井岡樹里のコンビプレー。9番の井岡樹里はスウィングマンだよ。守り良し、攻め良しの天才的プレイヤーで、鋭いパスワークが得意」
 エリカの説明を聞きながら、唯は白金ベンチの9番、井岡樹里を見つめた。くったくない笑顔でケラケラ笑う井岡は、百合に危険なファウルをした選手とは思えないほど可愛らしく見えた。
 あれで、天才的なスウィングマン、か。
 スウィングマンは、スモールフォワードとシューティングガードの両方でプレイする選手のことだ。恭と百合さんを合わせた感じってことだ。誰にでもできることじゃない。
 前半で、少々のファウルを犯してでも百合を潰そうとしてきた井岡樹里は、おそらく普段ならファウルをとられずにそれができるという自信があるのだろう。勝ちに拘る、狡猾で柔軟なプレイヤー。
 厄介だな、と唯は思った。
 スウィングマンは、高さと運動能力でディフェンスのミスマッチを生み出すことができる。身長の低い唯がコートに出て行けば、間違いなくミスマッチを狙われるだろう。それならばこちらは、それを逆手に取らせてもらうしかないわけだが……。
「井岡樹里を抑えるのは、百合じゃなきゃ無理ね。百合、足は大丈夫なんでしょうね」
「大丈夫です」
「おそらく、後半もあんたのスリーポイントを止めるために、強引なディフェンスを仕掛けて来ると思うけど、……この点差を埋めるためには、どうしても百合のスリーが欲しいわね。さて、どうしよっか」
 神崎が困ったように楠田エリカに意見を求めた。
「百合が後半打てるかどうかは、唯にかかってる」
「え、私?」
「当たり前でしょう! 後半はあんたがポイントガードなんだから」
 エリカが眼鏡の奥から鋭く唯を睨み、人差し指を立てながら、幼い子どもを諭すようにとくとくと作戦を解いた。
「唯、あんたがまず、白金のポイントガード、7番の相澤優子と9番の井岡のコンビプレーを断ち切るの。あの二人はパス回しが早いから、簡単にはいかないだろうけど、喰らいついて行きな」
「はい」
「相澤はドライブインが得意な選手だからね。パスだけに気を取られていると、ゴール下に切れ込まれるよ。でも、私が思うに狙いはそこなの。相澤にドライブインさせて、あんたがスティールする。あんたならできる」
「でも唯はチビだから、ミスマッチを利用されてパスを出されそうですよね」
 と、恭が容赦なく言った。
「そう、唯と相澤の身長差は20センチくらいある。当然、相澤にとってはパスを出しやすい状況だから、ゴール下でパスが出る可能性は高い。でもその可能性をみんなで潰すの。相澤がパスを出せないように、ゴール下で停滞したときにはみんながそれぞれ自分のマークマンをしっかり抑える。そうすれば、パスを出せなくなった相澤は唯を振り切って、絶対に得意のドライブインを仕掛けて来る。ゴール下、白金のオフェンスが引き潮のように引いたときがその合図だよ」
 エリカが作戦用の小さなホワイトボードの上でマグネットを動かしながら、作戦を説明するのをみんな真剣に聞いた。
 安西先生が微笑みながら、その様子を見守っている。

「白金に攻め込まれているときには、みんな死ぬ気で自分のマークマンに張り付くこと」
「タイトディフェンス、ってこと?」
「そう、フェイストゥーフェイス。プレッシャーをかけるのよ。重要なのは、相澤と唯を1対1にさせること。唯の速さと低さがあれば、相澤から高い確率でスティールができるって、あたしは思う」
 エリカが確信をこめてそう言ったので、唯は嬉しくなった。今まで、自分の身長の低さを強みに受け取ってくれる人はいなかった。尊敬している先輩が唯に期待してくれている、信じてくれている。唯はその期待に応えたいと思った。

「でも、タイトディフェンスは体力がね……。私は少し休んだからいいけど、前半出っぱりだった神崎キャップと城岡はきついんじゃない?」
 と、百合が少し心配そうに言った。実際、神崎と城岡は今も、滝のように汗をかいている。
 その時、3年の三木がトレーナーの聖を見た。選手に何か異常があれば、真っ先に聖が口を出すはずだったからだ。
 でも、エリカの作戦を傍で聞いていた聖は今、平然と特性ドリンクを神崎と城岡に追加しただけで何も言わなかった。つまり、大丈夫ということだろう。
「私は大丈夫よ、普段の体力トレーニングの方が、この何倍もきつい。華雅里、あんたも平気よね?」
 と、神崎が華雅里に聞いた。
 城岡はタオルをもじもじ握りながら、俯いている。
「あの、私……、自信がありません」
 蚊の鳴くような頼りない声で、華雅里は言った。
「私、みんなの足を引っ張ってるし。後半は出ない方が……」
「あんたまさか、青沼に言われたことを気にしてるんじゃないでしょうね」
 神崎が険しい顔で城岡を見つめた。
 たった1回シュートをはずしただけで、青沼に言われた『実力がない、戦力になってない』という言葉を真に受けるのは間違っている。湘北女子の誰もがそう思っていた。
 城岡華雅里は湘北女子バスケの中で最も身長が高く、バスケットボールをするのに恵まれた体型をしている選手だ。本当は、やればできる子なのだ。

 みんなに見つめられて、城岡が震える手で溢れる涙をぬぐい始めた。唇を噛みしめた城岡は今、必死に悔し涙をこらえていたが、涙は汗に混ざってとめどなく流れ落ちた。城岡の喉から、苦しそうな嗚咽が漏れた。
 宮内が城岡のの背中をさすりながら、神崎に言った。
「精神的にやられちゃってるわね……。少し休ませた方がいいかもしれない」
「ダメよ」
 主将の神崎は断固とした強い口調でキッパリと宮内の提案を却下した。
「この試合、勝てるかどうかは華雅里にかかってる。言ったでしょう、誰一人欠けちゃダメだって。華雅里、ここで逃げたらあんた、コートに立つのが一生恐くなるわよ」
「雫……」
 宮内が困った顔で神崎と城岡を見つめた。3年間、神崎と一緒に全国を目指してバスケットボールをして来た宮内には、神崎の厳しさも優しさも、よく分かっていた。けど、宮内の腕の中で泣き続ける城岡の打ちひしがれようは酷く、可哀そうだった。
 精神的に弱い選手を育てるのは、一朝一夕にはできないことだ。だが、神崎は尚も言った。
「顔を上げなさい、華雅里。あんたは実力のない選手なんかじゃない。足手まといなんかじゃない。あんたは私たちの仲間よ、こんな所でくじけないで」
「でも、私……何もできません。前半出てみてわかったんです、私にできることは、何もないって……」
「それはどうかな」
 と、それまで黙って様子を見ていたエリカが口を開いた。
「華雅里の高さはさ、あたしたちの強みになると思うの。華雅里をどう使うかは、後半のゲームメイクを担当する唯にかかってると思うんだけど、唯はどうしたい? 意気地のない華雅里を引っ込めるか、それとも、華雅里をこのまま使うか」
 いきなりエリカに話を振られた唯は、びくっとした。
 華雅里の落ち込みように深い同情を覚えていた唯は、エリカや神崎、それから宮内に見つめられて慌てて自分の考えをまとめた。
「えーっと、本音を言うべきですか、それとも、何ができるかを言うべきですか」
「はあ!? 面倒臭いなあ、もう。時間がないんだよ、全部吐け!」
 三木が貧乏ゆすりをしてギロリと唯を睨んだ。ハーフタイム残り1分を切った。
 唯は早口に自分の考えを述べた。
「私は華雅ちゃんを使うべきだと思います。華雅ちゃんが前半マッチアップしていた5番は、見た感じ一番の狙い目だと思うんですよ。私ならそこから点を狙います。つまり、華雅ちゃんを使って。華雅ちゃんは緊張するとスローシュートを外す傾向にあるから、まずはレイアップとダンクをメインに、なるべくリングに直接ボールを入れるシュートを狙います」
「ダンクなんて、無理だよ!」
 華雅里が鼻声で泣き叫んだ。だが、唯は首を横に振る。
「できるよ。アーリーファイブから華雅ちゃんのダンクを狙う。練習でできたことが本番でできないなんておかしい。これは絶対にやるからね」
 こんなとき、チビの唯が妙にデカく見えるから不思議だ。

「唯、それは『できること』だよね。じゃあ、あんたの本音はなんなの」
 神崎に問われて、唯がニヤリと笑った。
「私たちは、強い。華雅ちゃんをいじめて、百合姉に怪我をさせた白金女学院には、絶対に負けたくない。ここは意地でも華雅ちゃんと百合姉を使って、白金を見返すの!」
「あのなあ、喧嘩じゃないんだから……」
 と、恭が呆れ顔で呟いた。その隣で、安西先生がニコニコしてお茶をすすり、頷いた。
「そう、君たちは強い」
 安西先生はゆっくりと立ち上がると、城岡の肩をぽんぽんと叩いた。
「城岡さん、どうでしょう。試合の勝ち負けはひとまず忘れて、楽しんでみるのは。仲間を信じて試合を楽しむことができたとき、あなたの本当の強さが引き出され、それがチームの力になるのだと思いますよ。まずは試合を楽しむこと。『いつも通り、楽しんで』」
 それは、女子バスケ部顧問の村上先生がいつも言っていたことだった。
 城岡の涙が止まった。

 ハーフタイム終了のブザーが鳴り、湘北女子は全員で円陣を組んで、後半メンバーはコートに入って行った。その中に、城岡華雅里もいる。
 聖に緑茶のおかわりを入れてもらいながら、安西先生が静かに口を開いた。
「よい、チームですね。彼女たちはまだ未完成ではあるが、これから強くなる可能性と資質を備えている。さすがは、村上先生が育て上げたチームです。ほーっほっほ」

 唯がもぞもぞとジャージを脱ぎ捨ててコートに入って行く。12番の背番号がゆらゆら揺れているのを見て、スタンド席の青金学院に驚きの声が上がった。
「おいおい、どうなってる」
「あのオチビちゃん、数合わせのマネージャーじゃなかったのか? コートに入ってってるぜ。1年かな、あの12番」
「ミスマッチだな。バスケットボール選手にしては小さめの相澤が、なんかデカく見える」
 宮城がフンと鼻で笑った。
「勝手に言ってろ。あのチビはノミみたいに跳ねるゼ」

 湘北男子と女子の練習試合で、唯は流川への高いパスを見事にカットしたことがあった。身長が低いと思って甘く見ていると、簡単にパスコースを誘導されてボールをかすめ奪われることを、宮城は実体験として知っているし、三井も流川も、そのことを未だに根に持っていた。
 身長が低いというハンディが生み出した、唯の独特のゲームメイクに、白金女学院の選手もきっと驚かされるはずだ。


 やっとコートに出て来た小さな唯を見て、綾南の仙道が人知れず微笑んだ。
「さあ、どんな試合を見せてくれるかな」




次のページ