スラムダンク2話11




「華雅里、顔を上げなさい」
フリースローレーンについた神崎が、いつになく厳しい顔つきをしていた。華雅里は、それは自分がシュートをはずしたせいだと思った。
先輩たちがせっかく作りだしてくれたチャンスを、華雅里は無駄にしてしまったのだ。フリーだったのに。いつもだったら絶対に入るシュートのはずなのに。
華雅里は悔しかった。そして、恐かった。
背が大きいだけで、自分には何もできない。高校のバスケットボールは、中学と違って、背が大きいだけでは通用しない。
みんなから見つめられる視線が恐くて、恥ずかしくて、華雅里は早くベンチに戻りたい気持ちにかられた。
自分が足を引っ張っている。神崎先輩はそんな華雅里に腹を立てているのだろう……。

だがしかし、この時神崎が腹をたてていたのは、華雅里のせいではなく、白金女学院のせいだった。
青沼が言葉によって1年の華雅里にプレッシャーをかけようとしていることは、神崎にはお見通しだった。しかも白金は、ファウル覚悟で湘北の貴重なシューター、百合を潰してしまえと公言しているのだ。
そのどちらも、神崎には気に入らなかった。
神崎だけではなく、楠田も、宮内も、百合も、そしてベンチキャップの三木もみな同じように腹を立てていた。

「しっかりしな、あんたはやれば出来る子だよ」
楠田が、華雅里のお尻を叩いた。
だが、精神的に弱い華雅里は、早くも瞳に涙を浮かべている。

「気にしないの。ミスは、倍にして挽回すればいい」
 百合がフリースローラインでボールをつきながら華雅里に優しく微笑み、流れるような確実な動きでフリースローを決めた。
 得点は30対16
 白金女学院の14点リードだ。

 すかさずベンチキャップの三木が、メンバーチェンジの合図を出した。
 百合がベンチに下げられ、代わりに14番の一条亜紀がコートに入る。

「亜紀ファイトー!」
「気をつけて!」
唯と恭の声援に、亜紀が親指を立てて頷く。そして、百合がマッチアップしていた9番の井岡樹里につく。

 ベンチに引き下げられた百合は、不機嫌な顔でベンチキャップの三木を睨みつけた。
「どうして私を下げるんですか」
「さっきの転倒で、あんたが足を怪我したって、コイツが言うんだもの」
 三木が口を尖らせて、聖を指差す。
 百合がクルリと聖を向き、また睨む。百合が、こんなに感情を表に出して怒るのは珍しい。

 聖は百合に睨まれても無表情で、ベンチの端っこを指差した。
「そこ座って、左足、見せてみろ」
「怪我なんてしてない、大丈夫よ」
「いいから、座れ」
 聖が、鋭い口調で言った。
「何よもう、この、独裁者」
 怒りにまかせて呟きながら、百合は、仕方なく言われた通りにベンチに腰掛けた。
 すぐに聖が百合の左足を持ち上げ、ふくらはぎと太ももの筋肉をそれぞれ軽く押しながら、痛みのもとを探る。
「痛みは?」
「全然」
 続いて、聖は百合の膝を曲げたり、伸ばしたりし始めた。
「これは?」
「痛くない」
「そうか。じゃあ、これは」
 今度は、百合の膝の両側を指で軽く押しながら、聖がさっきと同じように膝を曲げたり、伸ばしたりを繰り返した。

「うッ……」
百合が一瞬、顔をしかめる。
「痛いんだな」
 聖がやっぱりだ、と言いたげに目を細めて百合を覗きこんだ。

 コートでは、今まさに白金女学院の9番、井岡樹里が33点目を決め、会場全体に白金コールが巻き起こったところだ。
亜紀のディフェンスが甘いのだ。1年で、まだ経験の浅い亜紀に、いきなりあの9番を止めることは難しいだろう。
百合は悔しそうに唇を噛んだ。
「……ちょっとだけよ、大丈夫」

「うっそ……、本当に怪我してるの? ひどいの?」
 三木が心配そうに近づいて来た。

 そうこうするうちにも湘北ボール。
楠田から華雅里へ出されたパスが、9番井岡樹里にインターセプトされ、あっという間にターンアラウンド。
白金女学院がさらに2点を追加した。
 35対16
点差がどんどん開いて行く。

「今、抜けるわけにいかない。こんな所で負けるわけにいかないもの」
 試合を横目で見ながら、百合が焦りを隠さない口調で言った。
そんな百合を無視して、聖がゆっくりと立ちあがり、自分のドラムバッグからテーピングセットを取り出しながら、三木に言った。
「多分、さっきの転倒のとき、膝に変な方向に負荷がかかったんだと思う。そのせいで、膝の靭帯を少し痛めたんだろう。でも、幸い百合は関節も筋肉も柔らかいから、軽傷で済んだ。これくらいなら、ちゃんとテーピングすれば試合に出られると思う」
「そっか、良かった。じゃ、あとはあんたに任せるね、聖。 湘北ファイトー! 何やってんだ亜紀、守りが甘ーい!」
 三木が怒鳴りながら応援ベンチに戻って行った。

「早くして、急がないと、前半が終わっちゃう」
 百合がせかした。
「焦るなって、少し休めよ。どうせ試合に復帰するのは後半からだ」
「何言ってるのよ、あなたが決めることじゃないでしょ、このままじゃ……、あー、また決められた!」

 白金がさらにワンゴール決めて、得点は37対16になった。
聖が、百合の両肩を掴んで、強引にベンチに横にならせた。そしてその顔にタオルをかぶせる。
「ちょっと! 何するのよ」
「少し試合のことは忘れろ。何焦ってるんだ」
「焦るわよ、こんなにどんどん点を放されていけば、誰だってね」
「後半からでも間に合うって。土壇場で巻き返すの、得意だろ」
「今回は……、見たでしょ、パスが全然回らないの」
 百合の声が苛立ちに震えていた。
 それを聖が鼻で笑う。
「弱気だな。たかだか数十点の差、大したことないさ」
「大したことあるわよ」
「大したことない。俺の言うことを聞けよ、らしくないな、まったく」
「だって……」
 百合がタオルに顔をうずめたまま、言葉をつまらせた。
 聖は黙って、ゆっくりと百合の左膝にテーピングを巻き始めた。

「こんな所で負けられない」
 百合が、右手首に結んだミサンガを左の手で握りしめて、呟いた。
その言葉に、聖が手を止めて百合を見下ろす。タオルの下で、もしかしたら百合は泣いているかもしれない、と聖は思った。
チームが負けている悔しさと、コートで思うように活躍できない自分への苛立ち。
聖には百合の気持ちが分からないでもなかった。かつては、聖も百合と同じバスケットボールプレイヤーだったからだ。

 聖が再び腕を動かし、しっかりと、だが、百合の膝の柔軟性を十分に活かせるように慎重にテーピングを巻いていきながら、静かに口を開いた。

「百合、シューターは、花型プレイヤーと言われるけど、実際は信頼できる仲間がいて初めて本領を発揮できるポジションだって、お前も知ってるだろ?」
 かつて、百合と一緒にがむしゃらにボールを追いかけていた自分が懐かしい。
 自分には永遠に出来なくなってしまったことを、聖は、百合には何としても成し遂げてもらいたかった。
 全国制覇。
でも、そんな聖の気持ちが百合の重荷になっているとしたら、まずはそれを取り除かなければならない。

「リバウンドを取ってくれる仲間がいるから、安心してシュートを打つことができる。ベストなタイミングでいいパスがもらえるから、シュートチャンスを得ることができる。一人じゃ何もできない。仲間を信じ、仲間に信じられて初めて、シューターはシューターとしての本領を発揮できるんだ。なのに今のお前は、一人で戦ってるって感じがするけど」
「だって……」
「百合はいいシューターだよ。それに、いい女」
「バカ。こんな時に口説かないで」
 百合がピシャリと聖の手を叩く。
 聖がニヤリとして、タオルで顔を覆っている百合を見下ろした。

「要するに俺が言いたいのは、もっと仲間を信じろってことだ。この仲間たちと一緒なら、必ず勝てると信じてコートに立つんだ。俺は、信じてるよ。ベンチ脇からお前がプレイしてるのを見て、百合がいるから、このチームは負けないって信じてる。このチームの仲間がいるから、百合が最大限自分の力を発揮できるって、信じてる。絶対に、俺たちはこんな所で負けない。まだ逆転するチャンスが絶対にある。だから、全国制覇とかそんなことより、もっとお前らしくプレイしてるとこ見せてよ。俺が大好きな百合の」
「聖……」

 その時、湘北ベンチで巨大な歓声が上がった。
「やったーーーー!!! 亜紀、ナイスシュー!!」
 桜野唯のギンギンするような声だ。

 百合がタオルから顔を出して、上半身を起こした。
1年の一条亜紀がスリーポイントシュートを決めたようだ。得点は37対19
 それまでずっと黙っていた安西先生が、ニコリとして百合に歩み寄って来た。

「諦めたら、そこで試合終了ですよ。石田さん、後半はあなたのスリーポイントにかかっています。あなたに任せていいですか?」
 安西先生の言葉に、百合と聖が顔を見合わせる。
 聖が確信に満ちた眼差しで頷いた。途端に、百合が唇を噛んで、瞳を潤ませた。

「はい安西先生、私を使ってください」
 
 その言葉に、安西先生が嬉しそうに頷いた。
 
 前半終了のブザーが鳴り、汗まみれの神崎、宮内、楠田、城岡華雅里、そして嬉しそうな一条亜紀がベンチに帰って来た。
「亜紀、やる〜」
「あのプレッシャーの中でスリーポイント、すごいじゃん」
「ナイスシュー、亜紀」
 1年の唯、恭、永岡皐月が、それぞれ亜紀とハイタッチした。

「こら1年! 元気がいいのは結構だけど、ハーフタイムは10分しかないんだからね。ドリンクとタオル配って、作戦会議よ。それが終わったら、後半からコートに出る唯と恭、ジャージ脱いでアップしな」
 ベンチキャップの三木がてきぱきと指示を出した。





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