スラムダンク2話1




5月16日、火曜日。
女子が男子の体育館に殿堂入りを果たした次の日。
インターハイ予選を3日前にして、トーナメント組み合わせがいよいよ発表されたという話が、部長の神崎から全部員に伝達された。

放課後、唯はナイキのボールバッグを肩にかけて、恭と一緒に教室を出た。

「いよいよだな。どんな強豪と当たることになるのか、ちょっと楽しみかも」
「うん。私はチビだし、まだ1年だから、そんなに活躍はできないかもしれないけど、でも、初戦はやりやすい所とあたってればいいね」
「なに弱気なこと言ってんだよ唯。昨日は男子相手に大活躍だったじゃん」
恭が笑った。

「あれは、相手が男子だったから、ふっきれてたって言うか……。実際ね、私、中学のときからほとんど公式試合に出たことがないから、高校の試合に出ることに怖気づいちゃってるかも……。しかも、高校のバスケは、中学よりもレベルが高いわけでしょう?」
「はいはい、チビが弱気なこと言い出したら、ただのチビだな。でも気持ちをデッカク持てば、唯はただのチビじゃなく、すっげーチビになれるんだよ」
「それって、褒めてるのかどうか分かんないって」
「要するにあたしが言いたいのは、一人でプレッシャーを感じて怖気づくのは間違ってる。バスケはチーム全員でするものだからさ。昨日の男子との試合で、それをあたしに教えてくれたの唯じゃん」
「そうだっけ」
「そうだよ。だから、大丈夫。やれるだけやろうよ」
「うん」

昨日の男子との試合で、唯は確かに少し、活躍できたかもしれない。でもそれは、恐れ知らずな上に、試合に出してもらえたことが嬉しくてアドレナリンが出まくっていたからだ。
一晩開けて、冷静になって思い返して見ると、やはり、高さにはかなわないというコンプレックスが、唯の中にふつふつと湧いてくる。
でも、それでも友だちの恭に大丈夫だと言われると、唯はネガティブな気持ちをふっきることができた。
そう、バスケは、チーム全員でプレーするものなんだ。

放課後の雑踏を抜けて、唯と恭が女子更衣室のドアの前まで来ると、中からいきなり神崎先輩の悲鳴が聞こえて来た。
「ぎゃあああああああ、いやあああああああ!!! 完全に運に見放された! 天は私たちを見捨てたのだ!おお……」

恭と唯は眉をひそめて顔を見合わせると、恐る恐る更衣室のドアを開いた。

「おはようございまーす」
「おはようございまーす……」

中に入ると、ロッカーの並ぶ狭い部室に、女子バスケ部員の全員がすでに集合していた。なんだか、どよーんとした重たい空気が流れている。

「どうかしたんですか? 廊下まで声、聞こえてましたけど……」

見ると、神崎先輩が両手を壁について、ガックリと項垂れている。
副主将の宮内先輩が、代わりに唯の質問に答えた。

「今年の予選トーナメントの組み合わせがちょっとね……当たり悪くてさ」
「ちょっとどころか、最悪よ、。今年は初戦から厳しい戦いになりそう。見てごらんなさい」
神崎先輩が、二人に壁のトーナメント表を指差した。
背の高い恭が、他の部員の背後から、それを覗きこんだ。

「第一試合は、白金女学院。第二試合が、お……、シード校の海南大付属だ」
「うそ、白金女学院て強いの?」
「うーん、せいぜい神奈川ベスト8くらいじゃないかな」
「えッ! それ強いじゃん」
「いや、それより、第二試合の海南大付属がやばくない?」
「そうなの? 海南大付属って、男子が強いイメージあるけど、女子もそんなに強いの?」
「そもそも、神奈川の女子バスケが強豪揃いだから目立たないけど、海南大の女子は去年の神奈川ベスト3だよ」
「わーお……クジ運悪いね。ププッ!」
唯が人ごとのようにゲラゲラ笑った。悪い予想的中って感じだったからだ。笑うしかない。

神崎先輩が唯のことをジロっと睨んできた。
どよんとした部員の中で一人だけ笑っているのが唯だったからだ。唯は即座に、蛇に睨まれた蛙のようにフリーズした。
怒っているのか、ぶち切れちゃっているのか、神崎先輩ってよくわからないときがある。
このときの神崎先輩も、厳しい顔で唯のことを見つめながら、それでいて何やら満足そうにニヤリと口元を吊りあげたのだ。
―― ブチ切れ笑い……?

「えーっと……。ごめんなさい」
 不謹慎すぎたのかと謝る唯を、神崎先輩は不思議に見下ろした。
「はあ? なに謝ってるのよ唯。いい根性よ。まあいいわ、ミーティングを始める、みんな集合して!」

 何を思ったのか、女子バスケ部主将の神崎先輩はたちまち気分がふっきれたかのように、みんなを集合させた。

「みんなよく聞いて。インターハイ予選、強い相手と当たってビビってるかもしれないけど、うちは決して弱いチームじゃないからね。今まで、湘北女子バスケ部が勝ちあがれなかったのは、部員不足だったからだけなの。長期間試合を勝ち抜いて行くためには、コートプレイヤーの5人の他に、ベンチの交代要員7人が絶対に必要なのよ。うちのチームには、今までその交代要員がいなかった。そして、主力メンバーが体力的に潰されて、負けて来た。でも今年は、バスケット経験の豊富な1年が5人も入部してくれたから、やっとチームが12人になったわ。だから大丈夫。ちょっとハードな試合にはなりそうだけど、私は負けるつもりは全然ない。特に1年! 気合入れなさいよ。あんたたちにかかってるんだからね。うちのチームは12人全員で勝ちあがって行く。誰一人欠けちゃダメ。それが、湘北高校、女子バスケットボール部よ。いいわね! 唯みたいに逆境を笑い飛ばすくらいの方が丁度いいわ」

主将の神崎の熱のこもる言葉によって、その時、チーム全員が一つになった。
3年生が4人、2年生が3人、そして1年生が5人の湘北高校女子バスケットボール部12人全員が輪になって、腕を組んだ。

副主将の宮内が声を張り上げる。
「みんなで力を合わせて、勝ちあがって行きましょう。じゃあ声出して行こう、 湘北ーーーー!」

『ファイッ! ハイッ ファイ!!』

湘北高校女子チームの円陣は、みんなで拳を中央に集め、最初のファイトは下に、ハイで手を高く上に、最後のファイトでもう一度手を下に戻す動きをする。
疲れて来ると視野が低くなりがちだから、円陣のときに全員で手を上げ下げして視野を広げるために、
今は産休中で不在の、女子バスケ部監督の村上先生が考案したことだ。
この円陣には、みんなで手を上げ下げする動作で、互いにとって一番ベストなパスの高さを意識し合う狙いもある。

「よし、じゃあ5分後に体育館に集合。聖(ひじり)がトレーナー研修から帰ってきてるから、みんなボディバランスを見てもらってね。特に昨日の試合で筋肉を酷使した人は、疲労が長続きしないように、必ず聖にストレッチを見てもらうこと」
「ゲー、聖先輩もう帰って来たんだ」
唯が口を尖らせて嫌そうな顔をする。
それを聞いた百合が髪をかき上げながら振り返った。
「何言ってんのよ唯、あんたが一番世話になってんでしょうが」
「だって、ストレッチをサボるとゲンコツされるんですよ。超恐いんですからね」
「それはあんたが悪い。聖は優秀なトレーナー兼うちのマネージャーなのよ。ちゃんと言うこと聞きなさい」
「はーい」

唯も遅れをとらないようにTシャツとハーフパンツに着替えた。
肩にかかる髪を後ろで一本に束ねて、ナイキのエアーダンジョン1に履き替える。唯は、バスケットシューズを履き心地とカラフルさで選ぶことにしている。
そのため唯のスカイブルーのバスケットシューズは、とても目立っていた。

「唯って、派手なのが好きだよね」
「そうだよ、根が地味だからね」
そんな会話を恭とするのもお馴染みだ。

「よし、行こう」
靴ひもをしっかり結び終えて、恭と一緒に急いで更衣室を出る。
体育館につくと、昨日の宿敵、男子バスケットボール部の面々がすでにランニングを始めていた。

「おはようございまーす!」

体育館に入る前に、腹の底から挨拶をするのがバスケットボール部の礼儀だ。
男子のランニングの掛け声に負けないくらいの声を張り上げて、恭と唯は体育館に入って行った。
その時、偶然なのかもしれないが、流川と唯の目が合った。
もしかしたら睨まれたのかもしれないが、唯は気にしないことにして、奥の女子コートに小走りで向かった。

女子コートでストレッチをしている女子部員の間を、スウェットパンツにTシャツ姿の男子が一人、片手にファイルを抱えて歩きまわっていた。
首からストップウォッチをぶら下げ、左手にもストップウォッチつきのゴツい腕時計をはめている。
それが、湘北高校女子バスケットボール部のトレーナー兼マネージャーの、聖誠也(ひじり セイヤ)だ。
聖がいつも片時も放さずに持ち歩いているブラックファイルには、メンバー全員の運動能力値や、その日の練習でどんなメニューをこなしたかの記録が書かれている。
聖マネージャーは、唯の筋肉が硬くなりがちで、人よりたくさんストレッチが必要なこともとっくにお見通しで、唯にはとくに厳しいストレッチメニューを強いている。

「二人とも、昨日は男子と練習試合したんだって?」

 唯と恭の二人がコートに入って行くなり、早速、聖が近づいて来た。
 まもなく、聖はすぐに眉間に皺を寄せて細かな指示を与えて来る。

「早川、足首がちょっと硬いな。昨日、スピードダッシュかなりしただろ。踵、しっかり伸ばしておけよ」
 恭が少し驚いた顔で聖に応える。
「よくわかりますね聖先輩、大正解。実は、踵ちょっと痛いんすよ」
「今日の練習が終わっても痛みがなくならなかったら、早めに言えよ。温めるのがいいと思う」
「ういーっす」
 そんな恭と聖のやりとりの隙に、聖の眼を逃れてストレッチの輪に入ろうとしていた唯を、すかさず聖が呼びとめた。
「桜野、待て」
「げッ!」
「げッ! って何だよ。お前ひどいぞ、ロボットみたいな歩き方になってる」
「え、そうですか? 女豹のようにしなやかに歩いてるつもりですけど……」
 唯がモデルのように腰に手を当ててクルリと振り返っても、聖にはきかない。

「筋肉痛だな。ちょっと横になれ」
「えー! 大したことないですよ、これくらい」
 他のメンバーよりもストレッチが遅れてしまうので、唯は不満を露わにした。が、見上げた聖先輩の顔がとっても恐いので、すぐに床の上に横になった。
「本当に大したことないのに……」

 聖は唯の言葉を無視して屈みこみ、唯の足の膝を曲げたり伸ばしたりし始めた。そうやりながら、慣れた手つきで唯の太ももとふくらはぎの筋肉を指で押して確かめた。
「足の筋肉痛は怪我のもとになりやすいんだ。乳酸がたまって筋肉を硬直させるから、膝の靭帯を痛める原因になるし、肉離れの原因にもなる。ここ、痛くないか?」
 聖が唯の膝の両側を軽く指で押した。
「大丈夫です」
「よし、思ったよりひどくない。今日の練習前にストレッチ2倍でいいと思う」
「2倍!?」
「いつものメニューの2倍だ。手を抜くなよ。あと、家に帰って風呂に入ったとき、前に教えたマッサージをちゃんとしろ」
「えぇー……」
「返事は」
「はい」

 唯は、口を尖らせて壁際により、聖先輩に言われた柔軟メニューをこなすことに専念した。これで今日も、みんなの練習から遅れてしまう。
 
 一方、ランニングを終えた三井と宮城が、女子のコートにいる聖を見てぼやいた。

「なーんだあいつ。どうして男子が女子チームにいるんだ?」
「ああ、2年の聖誠也ですよ。女子チームのトレーナー兼マネージャーらしいっすよ」
「へー、気に入らねえな。おい! お前」

 三井が人差し指を曲げて、聖を招く仕草をした。
 聖は一瞬、迷惑そうな顔をしたが、それでも女子のストレッチを見て回る作業を一時中断して、三井のいる男子コートまで歩いて来た。
 三井がニヤニヤしながら聖を見下ろす。

「なあお前、なんで女子チームのマネージャーなんてやってるんだ?」
「別にいいじゃないすか。男子バスケットボールには彩子がいるでしょう」
 聖の言葉に、宮城がピクリと反応した。
「あ、彩子って呼び捨てにすんなッ!」

 耳を赤くして聖を睨みつける宮城を尻目に、三井が話を続ける。

「本当にそれだけか? 実は、女子の身体に堂々とお触りできるから、女バスのマネージャーなんかやってんだろう?」
 不良時代の悪い三井が、明らかに聖を挑発している。
 だが聖は、顔色一つ変えずに頷いた。

「ああ、そうだよ」
 と。
 その淡々とした受け答えに、三井と宮城が動揺した。
「え!」
「……はあ!?」
「じゃあ忙しいから、もういい?」
「ちょ、お前待てヤ、彩ちゃんには指一本触らせネーからな! この、ど変態め」
 宮城が鼻息荒く、聖に野次を送る。
 するとコート際、聖がピタリと足を止めて、三井と宮城の二人を振り返り、真面目な顔で言った。

「男に触るのも好きだから、用があったらいつでも呼んでくれ」

「な……!!」
「うッ……」
 聖の不敵な笑みとは裏腹に、三井と宮城がすごく嫌な顔で呟いた。
「やりにくい奴……。ちょっとからかっただけだろうーが。あれ、マジで言ってんのかぁ? なんか寒気してきた」
「油断のならない奴……大丈夫かなあ、彩ちゃん。三井さん、俺嫌な汗かいてきましたよ」

 そんな三井、宮城と聖とのやりとりを、アップを終えた流川も聞いていた。
 汗を拭きながら隣のコートに目をやると、流川の視線の先には、壁に足をかけてストレッチをしている唯の姿が写った。

「くだらねえ」
 流川は額の汗をリストバンドでぬぐって、バスケットボールに集中した。




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