スラムダンク1話4






校庭を、数十メートル全力でダッシュしては止まり、太ももを高くあげて足踏み。
またダッシュして、足踏み。

これを100回繰り返す。




身長の低い唯は、常に自分よりも背の高い相手と戦わうことを想定しなければならない。
試合では当然、相手よりも高くジャンプしないとボールに触れないし、誰よりも早く走れなければ簡単に抑え込まれてしまう。


女子バスケット部キャプテンの神崎は、基礎体力を強化するということにおいて、特に、唯には厳しかった。

身長が低いというだけで、背の高い選手と戦うときの体力の消耗は桁外れに大きくなる。




中学時代から、唯は誰よりも厳しい精神的、肉体的トレーニングを強いられてきた。

アイツは小さいから使い物にならない。そんなことは、誰にも言わせない。


練習は厳しい。
だけど、どうしてだか唯には、それだけ、神崎が自分に期待をかけてくれているようで、嬉しかった。



高校に入ってからバスケ部に入部届けを出したとき、唯は本当は少し不安だった。

背が低いという理由で、入部を認められないんじゃないか、って。
もし入部できたとしても、選手じゃなくてマネージャーをさせられるんじゃないか、って。



「お前は背が小さいから、高校でバスケを続けるのは厳しいと思うぞ。
高校は中学とは違う。その身長で活躍できるのは、中学のバスケまでだ。
悪いことは言わない。つぶされる前に、バスケは諦めろ。」


中学を卒業するときに、唯の部活の先生が唯に言ったことだ。

なんてひどい先生なんだ、と思うけど、唯は少なからず、その言葉に影響されていたのかもしれない。


中学時代は、背が小さいから、という理由で、ほとんど試合には出してもらえなかったという悔しい経験もある。
それに和光中の女子バスケット部は、弱かったしなあ。



だけど、唯の心配とは裏腹に、湘北高校女子バスケット部の主将神崎は、あっさり唯の入部を認めた。
入部初日、不安を抱えながらも体育館に集合した唯に、神崎はいきなりこんなことを言った。

「うちは今年は、全国を目指してる。当然、練習は厳しいわよ。背が低いからって手加減はしないから、根性見せなさいよね!」




いきなりの叱咤激励。
唯は、あのとき神崎に言われた言葉を、今でもはっきり覚えている。

神崎の目は真剣だった。


そのとき唯は、ここでなら自分のやりたかったバスケットがやれる、と確信した。

兄と約束した全国制覇の夢を一緒に追いかける仲間が、高校に入ってやっと唯にもできたんだ。

やってみせる。



唯は硬い信念を胸に、100本ダッシュを30分ほどで終わらせた。

息が上がり、汗で前髪が額にへばりついている。



さて、これでやっと練習ができる。


水道から浴びるように水を飲んで、唯は体育館に戻って行った。




すでにバスケットボール部の練習はヒートアップしていた。
首にかけたタオルで汗を拭きながら、唯が体育館の扉をくぐったちょうどそのとき、
今まさに、ルーズボールを追いかけて、神崎が宙をダイブしていた。

うわあ、すごい。


コートから飛び出して行ったボールを、あそこまで粘り強く大胆に追いかけられる選手はなかなかいない。


ボールは見事に空中で神崎にキャッチされ、そのまま女子コート内にハジキ返された。



ボールをクリアした神崎は、そのまま物凄い勢いで隣の男子コートに突っ込んでいった。

床に激しくスライディングしてきた神崎とぶつかりそうになって、
ちょうどドリブルでゴールを目指して走っていた宮城が、横に跳びのいた。

「うお!危ねえッ」




「こら石田ぁ!! ルーズボールは死ぬ気で最後まで追いかけなさいって、何度も言ってるでしょ!!?」


神崎はすぐに立ち上がり、怒りながら女子コートに戻って行った。


「しかも、ルーズボールを取りに走った仲間へのフォローが足りない!!みんなもっと、ボールに執着しなさい!!
せっかくコートに戻したボールも敵に取られたんじゃ、意味がないでしょうがああ!
そんなことじゃ、強豪相手に何もできずに負けるわよ!?」



神崎先輩、いつになく気合が入ってるなあ。 唯は、我、関せずの顔でニヤニヤ笑った。
恐いわ〜・・・。100本ダッシュ行ってて良かったかもね。


「だってぇ、あっちは男子のコートでしょ? 入りたくないんだもん」


と、石田が神崎に向かって文句を言った。

石田百合は2年で、ポジションはシューティングガード。女子バスケット部のシューターで、3ポイントシュートを得意とする選手だ。
薄い栗色の髪と、ぱっちりした二重瞼の美人で、男子に人気があるらしい。
でも、自分より背の低い彼氏に振られた精神的ショックで、ここ数ヶ月間は休部中だったとか。


「バカ、そんなことは忘れなさい。あいつらのことは無視よ!」




この言葉に、男子コートからいくつかの舌打ちが上がった。


直後、小暮と1オン1の練習をしていた三井が、突然滑って転びそうになった。


「うあ!!」

「だ、大丈夫か、三井!?」



「・・・。あっぶねーなぁ、ったく・・・。」


三井が床を見下ろして顔をしかめた。床が濡れている。神崎がスライディングしたときに、汗が落ちたのだ。



「おい、コラ! 濡れてるぞ、拭けよ」


三井が床を指さして神崎に言った。


「はあ? そっちはあんたたちのコートでしょうが、自分で拭きなさいよ。」

「お前がさっき飛び込んできたから濡れたんだろうが、」

「マジメに練習してれば濡れるのは当然でしょ。
こっちだって、あんたたちが入ってきて汚れたところは常にモップ掛けしながら練習してるんだから、
そっちも自分のとこは自分で拭きなさいよね。・・・この、甘ちゃんが」


「なんだと・・・」


「ああ、もう。三井先輩も神崎先輩もやめてください!」


彩子が、今にもケンカを始めそうな三井と神崎の間に入った。


すでにみんな、練習をとめて神崎と三井を見ている。

唯は壁際に恭のもとに駆け寄った。



「ケンカになりそうじゃない?まずいよね、これ」

唯が小声で恭に耳打ちした。


「神崎先輩に限らず、さっきからボールが入ったとか、汗が落ちたとか、ささいなことでやりあってるんだよ。
もう何回目か知らないけど、これじゃ練習になんねーよな」


恭も、呆れたように溜め息をついて、Tシャツのそでで額の汗をぬぐった。



そのとき、校舎に続く体育館の扉が開き、ふっくら丸太りしたネクタイの先生が入って来た。
男子バスケット部監督の、安西先生だ。


「あ、安西先生!」

「「「「安西先生!」」」」

「「「「「「チィーッス!!!」」」」」」

「「「「「チィース!!!」」」」」

男子バスケ部が一斉に安西先生のもとに駆け寄った。


「ほぉ、君たち、練習は順調ですか?」


安西先生は体育館にいる男子バスケ部員と、そして奥のコートにいる女子バスケ部員を交互に見回した


「それが、・・・今日から女子バスケット部も同じ場所で練習することになり、まだ慣れていないので・・・」

男子バスケ部主将の赤木が、安西先生の前でうつむいた。



「ふむ。まあ、・・・そんなことだろうと思っていました。」

「おいおやじぃ、そもそも男子と女子が同じ体育館で練習なんて、無理があるんだ。
ここはおやじの権力で、なんとか女子を体育館から追い出してくれよ、なあおやじぃ」


桜木花道が、人差し指をたててもっともらしく安西先生に言うのを、神崎はフンと鼻を鳴らして無視した。


神崎も、安西先生がもと全日本のバスケットボール選手で、引退後はホワイトデビルと恐れられたすごい監督だったことを知っている。
神崎は安西先生を尊敬していた。
その安西先生に向かってあの赤い頭はなんて無礼なんだろう。



「神崎くん」


安西先生が神崎に呼びかけた。


「は、はい」


「どうですか?うちの男子バスケットボール部は」

「え。どう、と、言われましても・・・・・。」

神崎は何も言うことができなかった。まさか女子はこのまま、体育館から追い出されてしまうのか?



「赤木君」

「はい」

「どうですか?湘北高校女子バスケットボール部は」

「・・・・・・。」

赤木も何も言うことができなかった。



主将同士が互いに黙りこんでしまい、体育館に沈黙が流れた。
安西先生の声だけが、静かに響いた。



「まあ、男子と女子は確かに違うかもしれません。ボールの大きさや重さ、それに、身体能力の高さ。
それゆえに、男子プレイヤーは女子プレイヤーを、軟弱で、スケールが小さいと思いがちです。
同じように、女子プレイヤーは男子プレイヤーを、暴力的でガサツだと思いがち。」


「まあ、それは確かに・・・」

「はい・・・」



「しかし、男子には男子の良さが。女子には女子の良さがあるはずです。
自分とは違うプレイヤーに直面する。最初は戸惑う。でもこれは、いいチャンスかもしれません。
同じ、バスケットボール選手として互いに認め合ったとき、きっと君たちは、もっと強くなる。」


安西先生はそう言って、その場にいた全員をゆっくりと見回した。

男子キャプテンの赤木をはじめ、小暮、三井、宮城、流川、そして桜木や、
女子キャプテンの神崎、宮内、石田、早川恭、そして、桜野唯のことも。



「でもよぉおやじ。互いに認め合うって、一体、どうやって」

桜木が首をかしげた。



「そうですねえ桜木君。
赤木君、神崎くん、どうでしょう、ここは、男子対女子で1つ試合をしてみるというのは。」


「「!?」」

「え、」

「ええ!?」


「「「「「「・・・・・えぇー!?・・・・・」」」」」」」」


突然の安西先生の提案に、男子も女子も、戸惑った顔を見合わせた。



「まずは真正面からぶつかり合って、互いの実力を知ること。
相手のことがよくわからないから、ささいなことでイラだつ。
神崎くん、」


「はい」


「女子バスケット部監督の村上先生が産休の間、私が男子と女子を一緒に受け持つことになりました。
男子と同じように、女子もこれまで全国制覇に向けて必死に頑張ってきたのを、知っていますよ。
村上先生不在ではあるが、今年こそ君たちを、全国に行かせてあげたい。」


「・・・、先生。」

神崎は、目頭が熱くなるのをグっとこらえた。
憧れの安西先生が、女子の練習を見てくれるんだ。肩の荷がスーット落ちていく気持ちだった。
女子の監督の村上先生も良い先生だったが、今年は産休。大事な時期をコーチなしでどうやって乗り切ればいいのか。
私1人でチームを引っ張って行かないといけない、と、キャプテンの神崎は内心、不安に思っていたのだった。


神崎は深深と安西先生に頭を下げた。


「ありがとうございます。よろしくお願いします!!」


「「「「「「よろしくお願いします!!」」」」」」」


神崎に続いて、唯や恭、他の女子バスケ部員も全員、安西先生に頭を下げた。


男子バスケ部の中には不満そうな顔をした者もいたが、安西先生に逆らう者は誰もいなかった。
ただ、桜木花道だけが、「おやじの奴、なに考えてやがるんだ?」と、ぼやいた。








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