シャインとシャドウ 2話11



 突如、城中が暗闇に閉ざされた。ヴァイオリンの演奏は止まり、それまでダンスのレッスンで賑わっていた広間が一変、混乱にザワめいた。
 かすかに月明りの差す窓辺の長椅子の上で、ルークの手がユイリアの手に触れて、握りしめた。
「僕から離れないでください」
「暗闇が恐いのですか?」
「まさか! 暗闇は僕の専売特許ですよ」
 と、ルークがクスクス笑った。

 明かりはほどなくして回復したが、従者たちが何かせわしなくジェームズ王子の周りに集まっていた。
 ユイリアとルークは手を繋いだままその様子を見ていたが、やがてジェームズ王子が顔を上げて二人の方を見た。
「ルーク、来てくれ」
 その声はどことなく張り詰めていた。だから、ユイリアは何か只ならぬことが起こったのではないか、とすぐに察した。
 ルークは音もなく立ち上がり、素早く王子の元に歩み寄った。その様子には、先ほどまでの陽気で明るい雰囲気とは別の、公務にあたる鋭さがあった。これが、王の番犬たるオーギュスト伯爵なのだ。
 他の貴族たちが何事かと畏れながら見守る中で、ジェームズ王子から何か密命を受けたルークは、臆することなくそのまま一人で広間から出て行った。
 それからジェームズ王子は広間にいる全ての貴族と使用人に向かって厳かに命じた。
「どうやらこの城に、善からぬ輩が侵入したようだ。これより衛兵が全ての通路と扉を守護する。そなたらは速やかに自室に戻り、安全が確認されるまで外に出ないように」
 その言葉に、戸惑い恐れながら、広間にいた貴族たちが一斉に動きだした。
「シャイン!」
 他の貴族たちが階段に向かって広間を後にする一方で、ユイリアは妹を探して名前を呼んだ。
 危険な状況にあるときは、親しい家族であっても本名で呼びあうのは、危ない。だから、ユイリアは象徴名でオフィリアを呼んだ。
 本来、象徴名は、身分の高い者を軽々しく名指しで呼ぶことを避けるために用いられるが、このように不測の事態のもとでは、身分を隠し、守る役割が大きい。
「シャイン!」
「ここよ、シャドウ!」
 テラスからオフィリアが跳びこんで来て、ユイリアに抱きついた。ジョージ王子も一緒だ。
「二人とも、離れるなよ。俺は兄上を手伝う」
 そう言ってジョージ王子は、兄のジェームズ王子とともに広間を出て行った。

「こういうとき、女には何もできないのよね」
 と、オフィリアが腹立たしげに呟いた。
「殿方は私たちを守るために力を発揮してくれるはずだわ。だから私たちは、【上手く】守られましょう。余計な心配をさせないようにね」
 ユイリアとオフィリアは足早に自室に戻ると、ドアにも窓にもしっかりと鍵をかけた。
 二人が部屋に戻る前に、シルバとマゼンタが暖炉に火をつけて、燭台に明かりをつけておいてくれたようだ。そのおかげで、部屋は暗くなかったが、ほどなくして離宮の明りがまた消えたことがわかった。園庭の外灯と、離宮のシャンデリアには電気が使われている。ユイリアが窓から外を眺めていると、その灯りがまた消えて庭が真っ暗になった。
 ついさっきまで頼りのあった月が、今は雲に覆われて、空も真っ黒だ。

 ユイリアはドレスを脱いで、結い上げていた髪を下ろし、鏡の前で櫛を通した。
「ドレスはまだ脱がない方がいいんじゃない?」
 真っ赤なフルレンクスのドレスを纏ったまま、ベッドの上で大の字になっているオフィリアが顔だけをユイリアの方に向けて言った。
「外に出ることになるかもよ」
「何かあっても、フルレンクスのドレスじゃ動きにくいから着替えるの」
 ユイリアは銀髪の長い巻き毛をすき終えると、たっぷりとレースを重ねた白いチュニックドレスの上からスエードの深緑色の外套を纏った。そして胸の高さには同色の幅広リボンを巻いて、外套が広がらないようにキュッと締める。外套には大きなフードがついていて、ユイリアはそれをかぶってサーベルを構え、「どう?」、とオフィリアの前に立って見せた。
「死神か、魔女に見える。もっと華やかな色を着ればいいのに……けど」
 言いごもって、オフィリアがベッドの上で顔を覆ったので、ユイリアは脇に座って妹を見下ろした。
「どうしたの?」
「だけど、オーギュスト伯爵様はそういうのが好きかもね」
「そうかしら」
「だって、今日の私どう思う?」
「とっても綺麗よ」
「そうよね。私には赤がとっても似合うの。綺麗だって自分でもわかってるわ。だけど、オーギュスト伯爵様は全然、私に見とれてなかった。派手なのが好きじゃないのかも」
「なるほど」
 どことなく不機嫌なオフィリアを、ユイリアはいぶかしんだ。
「もしかして何か失礼なことをされた?」
 だが、そんなユイリアの心配をよそに、オフィリアは大きくかぶりを振った。
「まさか! 彼は本当に、紳士的だった。いつもそうよ、ダンスのリードもフォローも、完璧で。だけど、なんだかシャドウに接するときとは違うのよね、何かが」
「誰だってそうじゃないかしら。ジェームズ殿下やジョージ殿下だって、私たち二人にそれぞれ違う接し方をするでしょう」
「どうしてかしら、私たち同じ顔なのに」
「同じだけど、全然違うから。――シャインとシャドウ。貴女は明るくて、私は慎重」
「シャドウは聡明で、私は軽はずみ」
「そんなことない。私たち二人ともコムストッグの娘で、お父様から多くの知恵と知識を授かっているのは同じだわ」
「そしてお母様からは美しさを」
「そうね」
 ユイリアがベッドから立ち上がると、オフィリアは上半身を起こしてそれを引き止めた。
「オーギュスト伯爵様はシャドウのことが好きなのかも。シャドウはどう思ってるの?」
 唐突な妹からの問いかけに、ユイリアは束の間思案してから振り返った。
 それから双子の妹に対して、オーギュスト伯爵が自分に好意を抱いていることと、ユイリアの負う使命について心をかけてくれていることを、丁寧に説明した。もちろん、ユイリア自信もオーギュスト伯爵に好感を抱いているが、それは恋愛関係ではないことをはっきり伝えた。

「それが恋愛関係じゃないなら、一体なんなの?」
「私に恋愛はできないと思うの。少なくとも、魔女との約束を果たすまでは、私は私のものではないから」
「それって、ジェームズ殿下がシャドウと結婚しないのと同じ理由じゃない。結局、ジェームズもシャドウもこの国のために心を殺しているんだわ」
「そうじゃないわ。最初の道が閉ざされても、別の道で生かせばいいんだもの。それにジェームズ殿下も、私のことをそんなふうには思っていないはず」
「じゃあシャドウはこの先、誰を愛し、誰に愛されて生きて行くの?」
「もちろん、シャインを愛してる。家族や、王子たちのこと、そしてブルックリンを愛しているし。同じように私も、皆から愛されている。それで十分だわ」
「恋をしたいとは思わないわけ」
「そんなふうに思ったことはないけど、でも、恋ってしたいと思ってするものじゃなく、気が付いたら落ちているものじゃなくて?」
「恋したことがない人が、よく言うっ」
 オフィリアがパシっとユイリアのドレスの裾をはたいた。
 夜も更けて、時計の針がてっぺんを指すところまできた頃、姉妹はそろそろ眠ることにして緩慢な動作でベッドを開き始めた。その時、部屋の外で男たちの怒鳴り声が聞こえて来た。
 オフィリアは飛び上がってドアに駆け寄り、耳を傾ける。声はどんどん近くなり、二人の部屋の前まで来ると、激しく争ってサーベルを打ち合う音が響き渡った。

「シャイン、ドアから離れて」
 サーベルを持ったユイリアが警戒して構える。と、締め切った部屋の中でかすかに空気が揺れたように感じた。実際、蝋燭の火がゆらめくのを見たオフィリアは、次の瞬間、恐怖の悲鳴を上げた。
「シャドウ、後ろ!!」
 つんざく声に反応して、ユイリアは反射的に剣を回して振り返った。小さくなりかけた暖炉の炎と、蝋燭のかすかな明かりが頼りだ。
 ユイリアは躊躇うことなく背後に迫った黒い影にサーベルを振りおろした。
―― カーン!!
 ユイリアの一撃を向けられた影は、不意打ちを受けて動揺したと見え、近くにあった銀燭台ですんでのところで剣を受け流した。
 ドアの外では、まだ男たちが争いを続けているようだ。この男は、奥のユイリアの部屋にある隠し扉から入って来たのだ。
「何者ですか!」
 続けざまにユイリアは剣を振り回して、男の持つ燭台をなぎ払った。暗闇の中で、男は降参とでもいうように両手を胸の高さに上げて後ろに下がった。
「ユイリア、僕です!」
 その声を聞いて、ユイリアは次の攻撃のため上げた剣を空中でハタと止めた。あまりに一瞬のことで、思考が追いつくのにややしばらくを要する。

「ルーク様!?」

 ルークは両手を上げたまま、暖炉の光の中に進み出て来て小さく会釈をして見せた。

「一日のうちに、二度も貴女に剣を向けられるとは、もしかして、まだ怒っていますか?」

 呆気にとられながらも、ユイリアは剣を治めてまじまじとルークを見つめた。腰にはサーベルが下げられ、額には大量の汗をかいているようだ。長い距離を全速力で走ってきた者のように、息が荒かった。

 ドアの外では、まだ争いが続いている。一人や二人ではない。4、5人が剣を振り回しているような騒ぎだ。
「一体、何事ですか」
 ユイリアの問いかけに、ルークはすぐに応じた。
「何者かが、離宮に刺客を送り込んだようです。敵は5人。おそらく、エドワード子爵の仕業だと思いますが、まだ確証がありませんので、内密に。刺客の狙いがコムストッグ公爵令嬢だということが早目に判ったのは幸いでした。今、僕の仲間が外で対処しています」
 なるほど、外の騒動の理由がわかった。だが、なぜ……、という疑問は、ユイリアの代わりにオフィリアが口にした。
「どうして私たちが刺客に狙われるのですか?」
「アスターシャの姫君を迎えるための要人リストのトップにあるのが、貴女方だからです。同じ理由でレイモンド公爵家の二人と、カブラギ侯爵の御子息も狙われていましたが、すでに手は打ってあります」
 それを聞いて、オフィリアとユイリアはほっと胸を撫で下ろした。この暗闇の中で、なんと手際が良いことだろうか。

 やがて外の騒ぎが納まったのを聞いて、ルークはドアを開いて廊下に出て行った。
「全員捕えた」
 と、ルークに報告する声が、ユイリアにも聞こえてきた。
「地下牢へ。明日の朝、王宮の監獄官に引き渡すまで、誰も近づけるな」
 ルークはそう言い渡してから、別の者には、王宮への伝令を命じた。
 それらを無駄なく済ませてから、ルークは再び部屋に戻って来て言った。
「もう大丈夫です。今夜はもう遅いので、お休みください」
「殿下たちは、どうしていますか?」
 もちろん、このオーギュスト伯爵様がいるのだから、殿下たちは無事だろう、とユイリアは思った。だが、どうしているかは心配だった。
「3人とも無事です」
 と、簡潔に述べてから、ルークはユイリアを優しく引き寄せて囁いた。
「これから報告に行ってきます。ジェームズ殿下は大変不機嫌になっているので、きっと八つ当たりをされると思います」
 王宮行事のために国中から貴族の令子令嬢を集めているのだ。この離宮で、王子を含む貴族たちの命が脅かされるとあっては、国を上げた大問題に発展しかねない事態だった。そのことでジェームズ王子が気分を害している様子は、ユイリアにも容易く想像できた。

「もし手に負えないようでしたら、私に剣で打たれたことを知らせれば気を反らせるはずです」
「わかりました」
 ルークはクスクス笑って、右手首に巻かれている包帯をユイリアに差し出した。
「また明日、これを付け替えてもらえますか」
「はい、また明日」
「おやすみ、ユイリア」
 そう言って、ルークはユイリアの頬にそっとキスをして、音もなく部屋から出て行った。
―― おやすみなさい、ルーク様。
 ユイリアは笑みを噛み殺して、サーベルをラックに戻し、奥の部屋へ引き下がって行った。
 一部始終を間近で見ていたオフィリアが、腕組みをして、最後にイジワルに呟いた。
「ふーん、それで恋人関係じゃないんだ」
 と。



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