シャインとシャドウ 1話5



 シャインとシャドウの母、シャーロット・エリシャ王女は、現ブルックリン王のただ一人の妹である。
 その昔、シャーロット王女が舞踏会で知り合ったハイエネス・コムストッグ公爵に恋をして、嫁ぎ先は絶対にコムストッグ家だと決めたとき、王は信頼するコムストッグ公爵ならば妹の夫に相応しいと心から安堵した半面、妹が王宮を去ることを酷く寂しがった。そのため、王家とコムストッグ公爵家との親交は、互いの息子、娘たちが産まれてなお深い。

 ブルックリンの国王エリア・ダビッドソンと、その妃オードリアの間には3人の息子がいる。
 長男のジェームズ。次男のジョージ。三男のジェレミー。
 まったく、舌を噛みそうな名前ばかりだ、と、オーギュスト伯爵は言うが。

 そのようなわけで、ブルックリン国の3人の王子と、公爵家の双子の娘たちは、生まれたときから顔を合わせて、ともに育ってきた幼馴染である。
 エリア国王は、姪であるシャインとシャドウを実の娘のように可愛がっている。

 シャインとシャドウが幼かった当時はすべてが順風満帆で、幸福なコムストッグ公爵家に影がさす余地などないかに思われた。ところが。
 その時すでに、コムストッグ公爵の妻となったシャーロット・エリシャ王女には、大きな秘密があったのだった。
―― それは、娘を代償にした命の取引。
 まさか自分が知恵を求めたあの日の老婆が恐ろしい魔女だったとは、コムストッグ公爵の妻シャーロット王女は思いもしなかったのだ。

 秘密はひた隠しにされたが、ユイリアとオフィリアが1歳の誕生日を迎えた日の夜、女が風のように音をたてて公爵家を訪れたことで、悲劇はついに公となった。
 その痩せた女こそ、かの日にシャーロットと取引をした老婆その人であったのである。
―― 18歳の誕生日の朝。
 草木が朝露に濡れる頃、魔女は月色の乙女を迎えに来る。
 隠すことならず。逃がすことならず。
 私は必ず月色の乙女を見つけだし、連れて行こう。

 魔女はそのとき、コムストッグ公爵に 「時が満ちるまで娘を大切に守れ」 と進言した。年頃になった月色の乙女には、いかなる男も近寄らせてはならぬ、と。
 さもなければ、国が滅びるほどの災厄を招くことになると、魔女は警告したのだ。
 
 その時から、ユイリアはシャドウとなり、常にシャインとは違う育てられ方をしてきた。
 例えば、ブルックリン王国では、貴族の娘は16歳で正式に社交界に顔を出す決まりとなっているが、もうじき18になるユイリアが、いまだに公の舞台に姿を現さずにいるのは、この忌々しい魔女の言いつけのためだった。もちろん、コムストッグ公爵と親交の厚い国王もこのことは承知である。だから、年頃になったユイリアが王宮に姿を見せなくなったことにも理解を示し、黙認を与えてくれていたはずだった。

 それなのに、どういうわけかジェームズ王子のワガママで、今宵、ユイリアは王宮の舞踏会に招かれて行く。
 公の舞台に、初めて顔を出すのだ。
 魔女の言いつけに背いて舞踏会で殿方と踊ったことが魔女に知れれば、一体どのような報復が待っているのだろう。
 国を揺るがす災厄とは――。

 ユイリアは、今宵はいつにも増して思慮深くあろうと心に決めた。魔女の怒りをかうような軽薄な行動をとってはならない。
 だが決して、恐れずにいよう。魔女も人ではないか、と。
 たとえこの肉体が穢され、滅ぼされようとも、私の魂に触れることのできる悪など、この世の中にありはしないのだから。
 私は何があっても恐れない。この魂の尊厳を奪うことは誰にも出来ない。


 太陽はまるで時を急ぐかのように沈んで、王の誕生を祝う舞踏会が刻々と迫って来た。
 ユイリアに仕える二人の侍女たちは、ついにユイリアが社交界にデビューすることを喜んで、今まで一度もクローゼットから出されることのなかった上等なボウルガウンを次々に引っ張りだして来ては、その夜のユイリアを最も美しく魅せ、かつジェームズ殿下と踊るのに相応しいドレスを長い時間かけてようやく選び出した。
 だが、ユイリアは侍女たちが準備したロイヤルブルーの高貴なドレスではなく、灰色のもっと地味なドレスを選んだ。色は地味だが、光沢のあるシルクに銀糸が編み込まれた、これも質の高いものだ。

「まあ、シャドウ様。これでは少し地味ですわ。シャイン様はゼラニウムの花をあしらった、それは華やかな深紅のドレスをお召しになるそうですのに」
 侍女の一人が泣きそうな顔でシャドウの選んだ銀色のドレスを手に取った。
 シャドウが舞踏会に出かける、こんな機会は二度とはないかもしれないから、侍女としてはこれ以上ないくらい華やかな装いで主人を飾りたいのだった。年頃なのに外に出かけることもなく、殿方と出会うこともなく、その名の通りずっと影のように息を潜めているシャドウの幸せを、侍女たちは願ってやまない。

「素敵な殿方と出会える、一夜限りの機会かもしれませんのに」
 もう一人の侍女が鏡の前でシャドウの午後服を脱がせながら、残念そうに呟いた。
 ユイリアはされるがままに立ちながら、鏡ごしに二人の侍女に視線を送った。
「美しさは曝け出すものではなく、見い出されることに価値があるのです。今夜の主役はエリア国王陛下であって、わたくしではないのですから、装いは華やかでなくても許されるのです。わたくしが国王陛下に捧げるのは、そのドレスのように混じりけのない銀の心。陛下はきっと喜んでくださいますわ。素敵でしょう?」
 ブルックリンでは、銀には聖なる力があると信じられている。
 銀は悪魔や魔力、悪い力を退けてくれる。もしかすると魔女の力をも退けてくれるかもしれない、とユイリアは期待した。
 さらには、銀には他の力を強める協調の力があると言われている。
 そのことから、混じりけのない銀の心とは、王への忠誠の心そのものをさす。

 けれど、ユイリアには侍女たちの心がわからないでもない。
 華やかなシャインと違って、いつも地味な装いをするシャドウに合わせ、流行の着付けすら手がけることのないシャドウの侍女たちは、さぞや物足りない日々を送っていることだろう。
「ポーシャ、温室でアロマティカの葉を摘んで来てくれないかしら。ジェームズ殿下があれの香りを好まれるので、髪に編んでもらいたいの」
「かしこまりました。すぐに」
 殿方のためにユイリアがお洒落をしようとすることを、侍女たちはことさらに喜んでくれる。
 その相手がジェームズ王子ともなれば、喜びは大きい。侍女の一人は水を得た魚のごとく、素早く出かけて行った。
 
 ほどなくして戻ってきたポーシャは、弾む呼吸をひた隠しながら、甘いリンゴのような香りのするアロマティカの蔓草をユイリアの白銀色の髪に手際良く巻きつけながら、腰元まで垂れる長い髪を幾重にも丁寧に、緩やかにユイリアの背中に編み垂らした。

「まあ、なんて綺麗なんでしょう!」
「シャドウ様が光の中へお出かけになる今宵を、ポーシャは心から嬉しく思いますわ。どうぞお気をつけて行ってらっしゃいませ」
 すべての装いが整ったとき、二人の侍女たちはひざまづいてシャドウを送りだした。
 床をひきずるドレスの裾を持ち上げて、ユイリアは小さく膝を屈めて会釈する。
「ありがとう、ポーシャ、アイリス。庭師の手によって草花が美しく輝くように、あなたたちの手によって私もまた、国王陛下の御前に出ても恥ずかしくないよう飾られたのだわ。神にも喜ばれるその尊い手を、感謝します」
 そう言って、ユイリアはくすりと笑った。
 自分のことを庭に例えておどける主人に、けれど侍女たちは涙ぐみながら近寄り、濃紺色のロングケープで大切そうにくるんだ。
「全然、笑えませんわ。シャドウ様、あなた様は、何よりも大切な私たちの花。この上重ねて華やかに飾る必要などなかったのだと、今になってわかりましたわ」
「本当に、お綺麗ですわ。ジェームズ殿下もさぞやお喜びになることでしょう」

 ジェームズ王子の好意を得ることはユイリアの本意ではなかったが、祝いの席でジェームズ王子のお気持ちが良くなるのは良いことだとユイリアも思った。何と言ってもジェームズ王子は、国王陛下が愛してやまない特別な御子であり、そのおかげでどんなワガママさえ許されてしまうのだから。たとえば、隠居中のユイリアを強引に王宮に引っ張り出す今回のように。そう思うとにわかに心中が穏やかでなくなるユイリアであったが、けれど、つとめて平静な笑顔で侍女たちを見つめた。
「あら、私の目には、あなたたちの美しさのほうがよく見えているのよ、ポーシャ、アイリス」
「それは、いつだって、シャドウ様がご自分のことより他人に目を向けられているからです」
「自分のことほど見えにくいものはないと思うの」
「もっとご自分を見つめてくださいな。このお屋敷の者は皆、あなた様を特別に愛しております、シャドウ様」
 自分を、見つめる?
 とりたてて秀でたところのない平凡なわたくしにすぎない、と、ユイリアは思った。人は皆、平等だ。
 ユイリアからすれば、この屋敷の者一人一人が、みな特別に愛おしい。
 
「でも私が興味があるのは、鏡に写る自分よりも、あなたたちの目に写る私なんだもの。どうかしら、今の私は。尊いポーシャとアイリスが仕えてくださるに値する者でしょうか?」
「この身にあまる光栄にございます」
「いつまでもお仕えいたします、シャドウ様」
 ユイリアはまた、おどけて笑って見せた。
「お優しいこと。それを聞いて、やっと安心してお出かけできるというものね」
「まあ、シャドウお嬢様ったら」
「帰りは遅くなると思うから、先に眠っていてね」


 侍女たちに連れられて階下に降りると、すでに身支度を整えた父コムストッグ公爵と、母シャーロット公爵夫人、そして双子の妹のオフィリアが広間でユイリアのことを待っていた。

 ユイリアを見つめた母が、かすかに息を呑んだように見えた。
 黄金にも近いベージュ色のボウルガウンを優雅に纏った美しい母、シャーロットは、ユイリアと同じ白銀色の髪をしている。
 双子の姉妹はどちらも母親にそっくりの顔立ちをしているが、髪色だけは、姉であるユイリアが母の白銀色を、妹のオフィリアが父のブロンドを受け継いだ。

「国王陛下のお命じつけだとしても、ユイリアを連れて行くことにはやはり反対です。ましてや、ジェームズと踊るなど……」
 母は不安そうに夫ハイエネスの腕に触れた。
「ジェームズ殿下は男というより、ユイリアにとっては兄のようなもの。それに王宮の守りは万全だ。案じることはないよ、シャーロット」
「ジェームズ殿下をやり過ごしたあとはどうなるとお思いですか? この子をご覧ください。きっと多くの殿方が、こぞってダンスに誘うでしょう。その全てをお断り申し上げられるとでも仰るの? あなたは」
 シャーロットに詰め寄られて、父は困ったように笑っている。だが、策がないわけではない。
「その点については、国王のご配慮をたまわっている。舞踏会といっても、今晩は曲目を少なくするそうだし、ダンスの他にも楽しめる特別の催しをご用意されているそうだ」
「それでも、絶対、ということはないのでは?」
 自身も舞踏会で殿方の注目の的であったシャーロット夫人は、熱心な殿方をあしらうことがどれほど困難であるかを知っている。
 そんな母を安心させるように、ユイリアはゆっくりと進み出て頭を下げた。
「その時は、私に代わってオフィリアが殿方のお相手をしてくれることになっていますわ、お母様。ね、オフィリア」
 ユイリアが視線を投げると、双子の妹オフィリアは嬉しそうに頷いた。
「もちろんよ。上手くやってみせる。お母様、いいでしょう? ユイリアと一緒にお出かけできるなんて、こんなに楽しいことは他にないんですもの!」

 二人の愛らしい娘に説得されては、母親も無下に断ることはできない。

 屋敷の外には2台の四輪天蓋付き馬車が準備され、それぞれに馬が4頭と、御者が1人ずつ、後方に衛兵が2人ずつつけられた。
 舞踏会用のドレスは裾が引きずるほど長く、かつシルエットが大きいので、1台の馬車に2人ずつ乗り込むのが丁度良い。
 前の馬車にはハイエネス・コムストッグ公爵夫妻が乗り、後続の馬車にシャインとシャドウが乗り込んだ。
 いずれの馬車にも、コムストッグ公爵家の家紋である水仙が描かれている。天蓋と柱には草花の彫刻がほどこされ、車内はビロードのカーテンとクッションで装飾されているこれらの馬車は、質素を好むコムストッグ公爵が王宮に出かける時にだけ用いる最も豪華なものだ。

 こうしてコムストッグ公爵一行は、執事や女中、使用人、侍女たち、そして屋敷を守る衛兵たちに厳かに見送られて王宮へと出発した。




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