シャインとシャドウ 1話4




 それから数日後、ハイエネス・コムストッグ公爵の元に一通の書簡が届けられた。
 封蝋には、王家の紋章であるサンカヨウの花が刻印され、その上質な紙には金糸が織り込まれている。つまりこれは、王宮から発布される事務書簡ではなく、王が直々にしたためた私的な書簡であることを示している。

 ハイエネス・コムストッグ公爵は素早く文面に目を通すと、何やら思案しながらゆっくりと中庭に向かって歩き出した。
 中庭にはミモザの黄色い花が咲き乱れ、その所々には、王家の花である純白のサンカヨウも植えられていた。
 決して派手ではないサンカヨウの花は、ハスの葉に似た2枚の大きな葉を持ち、その葉の間からいくつも茎分かれした柄先に小さな白い花を咲かせる多年草だ。
 この国を支える王の心を表すサンカヨウの花ことばは――国家への親愛の情。
 朝露に濡れると不思議な事に、この白い花は透明になり、幻想的な輝きを帯びる。その特性から、サンカヨウの花にはまた、『たとえ我が身が朽ち果てようとも、この愛は永遠にこの国とその民に捧げる』、という隠された意味が込められている。

 栄華を極めたブルックリン国王の花、サンカヨウ。その花は地味ではあっても、この国を愛する強い思いの象徴である。
 これぞ王にふさわしい花だ、とコムストッグ公爵は思う。

 邸の回廊に囲まれた中庭の中央に、公爵がユイリアのために建てた音楽室がある。
 重厚なマホガニー材の柱がいくつも立ち並び、天井だけがクリスタルで象られたドーム状の造りは、まるで小さな宮殿を思わせた。
 ハイエネス・コムストッグ公爵がその音楽室に入って行くと、クリスタルの天井から自然の光が明るく室内に差しこみ、その光の中で娘のユイリアが熱心にグランドハープの練習をしている姿がすぐに目に入った。

 美しく奏でられるハープの音色に、公爵はしばし耳を傾けて、やがて愛しげに目を細めて溜め息をこぼす。
 ユイリアのハープや、ヴァイオリンや、ピアノの音色をこの庭で聞けなくなる日が近いとは、なんと寂しいことであろうか。
 しかもこの時期に、王から直々にこのような手紙が届くとは。

「お父様」
 来訪者に気づいて、ユイリアは弦をはじく指を不意に止めた。

「すまぬが、娘と二人きりで話したい」

 ハイエネス・コムストッグ公爵が穏やかに視線を送ると、使用人たちは一斉に主に頭を下げ、従った。
 ユイリアに仕える二人の侍女と、窓辺で午後のお茶の準備をしていた女中たち、そして音楽室の外で密かにユイリアの警護にあたっていた公爵家の兵士たちもみな、速やかに退いた。

「まあ、お父様。なにごとですか?」
「実は、国王から先ほど書簡が届いたのだが」

 ユイリアは重厚な樫材のハープの前から立ち上がり、若草色のシンプルなドレスの裾の乱れを正すと、何やら不穏な思いを抱えているらしい父をティーテーブルの前の長椅子に座らせて、自分はその膝もとにひざまづいた。

「陛下は、なんと?」
「国王の名において、王の誕生日を祝う明日の舞踏会に、ユイリア・ロザリンド・ハイエネス・コムストッグ公女を招きたい、と。この手紙によると、どうやらジェームズ殿下が、お前と一曲、踊りたいと仰られているらしい。――どうしても、と」

――国王の名において。
 この国の貴族が、その命を、断ることなどできようか。

 ユイリアはしばし瞼を伏せて、考え込んだ。
 父、コムストッグ公爵が優しくその白銀色の髪を撫でる。
「お前が恐れるなら、私から王に話をして見るが」
 父の言葉に、ユイリアはすぐに首を振って顔を上げた。
「外に出ることを恐れはしません。ただ、どうして今になって陛下がそのようなことを仰られるのか、わたくしには不思議でなりませんわ。……、ジェームズが私と踊りたいなど、真の目的を隠すための体裁としか思えないのですもの」
 ジェームズ王子に対する娘の不躾な発言に苦渋を浮かべながらも、コムストッグ公爵は笑みをこらえきれずに頷き返した。
「私もそう思う。ジェームズ殿下は幼いころから、お前を苦手としているからな」
 クスリと漏れてしまった笑いに、ユイリアが美しい深緑色の目で責めるように見上げてきたので、コムストッグ公爵は小さく肩をすくめた。

「それはつまり、お前が賢く聡いので、一目おいてくださっているということ」
「お褒めのお言葉はまことに光栄ではございますが、お父様、ジェームズ殿下は私のことを可愛げがないといつも仰っておりましたわ。オフィリアばかりひいきして。私とダンスを踊りたいなど……嘘に決まっています」
「そうだろうな。だが、何か考えあってのことだろう。先方もこちらの事情は承知のこと。祝いの席での護衛も固めてくださるご意向のようなので、お前さえよければ私は王の命を受けようと思うが……やはり、お断り申し上げようか」

「とんでもございませんわ、お父様。国王の名における命を退けたのでは、コムストッグ家の名誉が傷つきます。喜び謹んで、参らせていただきます」
「では、ジェームズ殿下と踊るのだな?」
 念を押すような父の問いかけを受けて、ユイリアは満面の笑みを返した。
「もちろん、殿下のお誘いですもの。――楽しみですわ!」

 だが父は娘の笑顔の下に隠された抜け目のない洞察力に気づく。何かよくない企みがあるとすれば、ユイリアは必ずそれに気付いて徹底的に殿下をやりこめてしまうだろう。可哀そうなジェームズ殿下、さぞ見物であろう。
 しかし、ああ、こういうところなのだろうな、ジェームズがユイリアを苦手とする理由は。
 と、父コムストッグ公爵は内心でほくそ笑んだ。
 娘は優しく素直で、美しい心を持っている。生まれたときから何不自由なく育ってきたが、分を弁え、高ぶることなく、その美しい手が泥に汚れることを恥とも思わない。
 貧しい者にも心を砕き、日毎の糧はすべての人々に平等に分け与えられるべきだと信じて疑わない、気高い心。
 本当に優しい子だ。 
 だが、賢こすぎるのだ。
 それ故に、殿方の不誠実なやましさを鋭く見抜いてしまう。時には無礼な殿方を軽くあしらって、手酷くやり込めてしまう。特にジェームズ王子を。

 ジェームズ王子が姉のユイリアを恐れて、妹のオフィリアを可愛がるのも頷けるというものだ。
 オフィリアも優しく素直なところは姉に似て素晴らしいが、性格はユイリアよりずっと自由奔放で、物事を深く考えずに、どちらかというと感覚的にとらえるところが可愛らしい。オフィリアが社交界で光を浴び、多くの殿方から好意を寄せられているのは当然と言えよう。

 だが父は、ユイリアのことを深く愛していた。
 これぞ、私の娘。賢く聡く、礼を重んじる淑女。どこに出しても恥ずかしくない、自慢の娘だ。
 その点、オフィリアにはまだ危なっかしいところがあるから、こちらも親心としては目が離せないのだが……。


 要するにハイエネス・コムストッグ公爵は、双子の娘たちをこよなく深く、愛している。




――それなのに、かの魔女が望んだのは、ユイリアただ一人。

 公爵の顔に人知れず影がさした。
 18の誕生日を迎える日の朝に、かの魔女はユイリアを迎えに来る。きっと、誰にも娘を守れないだろう。

 屋敷を守る衛兵は精鋭ぞろいだが、どれほど守りを固めようとも、魔女はいつもどこからかユイリアを見ていて、時が来るのをジッと待っている。そんな気がした。
 コムストッグ公爵は娘を守るためなら何でもした。
 知恵を与え、賢く育て、剣の使い方も教えた。

 だが時が来れば、きっとユイリアは魔女に連れ去られてしまうだろう。

 そんな予感は何をしてもぬぐい去れずにいつまでも、コムストッグ公爵の心を苛(さいな)むのだった。




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