恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 4-8
ドラコはアガサを抱き枕のように抱きかかえ、彼女の胸に顔をうずめて丸くなっている。
夏にそれをされると、熱くてたまらなくなってアガサはドラコを押しのけることもあるが、その夜は肌寒かったので二人は抱き合ったままぐっすりと眠った。
朝になるとサイドテーブルで携帯アラームが鳴ったが、時刻を早めにセットしていたのでアガサはすぐには起きなかった。
多分、ドラコの方もアガサが起こすまで起きないだろう。
「君の鎖骨って、綺麗だな……」
アガサの鎖骨を指先でなぞりながらドラコが呟いた。寝ぼけているのかもしれない。
アガサも半分眠りながら、ドラコの柔らかい黒髪を撫でた。子どもたちを抱っこして眠るときも同じようにアガサは髪を撫でる。モーレックはプラチナ色、マリオはブラウン、ラルフはドラコと同じような黒っぽい色をしている。抱きしめるとまだミルクの匂いがする子どもたち……。
アガサは急に子どもたちのことが恋しくなってベッドから抜け出した。
Tシャツとパジャマパンツを着る。
ドラコが何か文句を言って、塩水をかけられたナメクジのようにベッドの中でよじれているが、それを無視して、アガサはタブレットを手に取り、ビデオ通話画面を呼び出した。まだ朝の6時だが、シュレッダーならもう子どもたちを起こしているだろう。
モーレックがタブレットに出た。
――ママ?
「おはようモーレック。そっちはどうしてる?」
お出かけ用の新しい襟付きのポロシャツと、子ども用のチノパンツを履いている可愛い息子の姿を、アガサは愛おし気に見つめた。
――ママあ!?
同じような恰好の次男坊のマリオも、モーレックの横からにょきッと顔を出した。寝癖で左側の前髪が跳ねている。
「おはよう、マリオ。元気そうね」
――これから朝ごはんだよ。レオナルドが【おとこめし】をつくるって言ってる。
「それは楽しみね。今日はどこかにでかけるの?」
――うん! とまとお!
――お庭にトマトをとりにいくんだ。フェデリコおじさんが食べる分だけとっていいって。
――マリオ、『あむらむし』をみる
――そうなんだ、『アブラムシ』がついていないかもチェックしないといけない。もしいたら、牛乳をかけて【たいじ】する約束だから。
フェデリコが自分以外の人間を菜園に入らせてくれるのは異例だった。
モーレックが自宅の庭でトマトを育てていることを知ったフェデリコは、普段は家族でさえ立ち入らせない菜園を子どもたちに案内し、そこで育てている野菜や果物のことを教えてくれた。そして、子どもたちにトマトの権利を与えたのだった。
「わーお、楽しい一日になりそうね」
――こっちは心配ないわよ、アガサ。
シュレッダーの声がした。
――連絡は夜だけだって言ってたのに、もう子どもたちが恋しくなったんでしょう!
モーレックとマリオの背後で、シュレッダーはラルフのオムツ替えをしているようだ。
「ええ、実はそうなのよ、シュレッダー。子どもたちが恋しい」
アガサが寂しそうな顔をしたことに気づいて、モーレックが心配して聞いてきた。
――パパは?
「まだ寝てるわ、ほら」
アガサはベッドの中で丸くなっているドラコを映した。上半身の裸が少し出ているが、子どもたちにとっては見慣れた光景だ。ドラコは家でも素っ裸で寝ることがよくある。
――部屋は別じゃなかったの?
モーレックが目ざとく聞いてきた。昨日の夜に連絡したとき、部屋を別々にされたことを伝えていたからだ。
「パパがママの部屋にこっそりやって来たの。本当はダメなんだけどね」
――どうしてそんなことをしたのさ。
「ママが寂しがってるってことにパパは気づいて、傍にいてくれることにしたんだと思うわ」
責めるような表情から一変、モーレックの表情が明るくなった。
――それなら仕方ないね。でも、見つかったらパパはどうなるの?
「怒られるかもね。だからこれから、誰にも見つからないようにパパを部屋に戻せるかやってみるわ。幸運を祈ってて」
子どもたちに愛していると伝えてから、アガサはモーレックに通話を切らせた。
ママとパパの状況に対してモーレックは現実的だったが、マリオは面白そうに笑い、シュレッダーは大して心配していなかった。
アルテミッズファミリーの構成員にはそれぞれ飛びぬけた特技がある。諜報、潜入、潜伏、隠密、陽動など様々あるが、ドラコが得意とするのは【隠密】だ。シュレッダーはそのことを知っていた。
子どもたちの顔を見たアガサは元気を取り戻し、その後すぐにグズるドラコを起こしてシャワーを浴びさせた。
それからハンガーにかけておいたスーツを着せるまでに1時間近くもかかり、アガサは廊下に誰もいないのを確認してからドラコと一緒に部屋を出た。
「アーチの階段のところにいるウーゾを私が引き付けているうちに、うまくすり抜けられるといいんだけど」
そう言いながら隣の部屋の前を通り過ぎようとしたとき、ミニのサマーワンピースを着たエマが出てきた。
ドラコの姿を見るや、エマは不敵な笑みを浮かべた。
「あら、あら。ここは禁断の女子寮よ。男子は立ち入り禁止のはずだけどね?」
「いつの時代の話だ」
ドラコは両手をポケットに入れて、不機嫌に歩き続けた。
「昨日の夜はちゃんと満足させてあげたの? なんであんなに機嫌が悪いわけ」
エマはアガサに耳打ちした。
「今朝は特別に寝起きが悪いの。睡眠が足りないとグズつくのよ」
まるで子どもみたいだ。エマの知っているドラコは、何日か眠らなくてもいつも平気な顔をしていた。
「寝起きが悪いドラコなんて初めて見たわ……。あ、そうだ、これをあげる」
不意にエマは、ピンク色のビニールの小袋をアガサに差し出した。
「なんなの?」
開けてみると、赤い色をした12枚のコンドームが入っていた。
「あの男があなたの部屋に忍びこんだときに思ったの、【やりかねない】って」
「どういうこと?」
「もしも強引にされそうになったら、それが必要になるかもしれない。あなたが妊娠できない体になってしまったのは知っているけど、性感染症とかいろいろあるから、ドラコ以外の男性とそうなりそうなときは必ず避妊具を使った方がいいわよ」
アガサは驚いて言った。
「夫以外の男性と関係を持つつもりはないわよ!」
「わかってるってば。でも、あなたはそう思っていても、ルイ―ジオはそうじゃないかもしれない。最悪の事態に備えて予防策を持っておいた方がいいの。お守りだと思って。チェリー味のローションが沁み込んでる限定品で、感度アップのイボ付きよ。一度試してみたらすごく良かったから、おすそ分け。もしインコントロの間に使わなかったら、ドラコと試してみたらいいじゃない」
「冗談でしょ……」
そんなことを二人でコソコソ話しているうちに、ドラコは先に進んで廊下の角を曲がってしまった。
「あ、待ってよドラコ」
その先にはウーゾがいるかもしれないので、アガサは慌てて後を追いかけた。
だが、ドラコの姿はすでにどこにも見当たらなかった。
他の部屋は鍵がかかっているし、窓も施錠されている。螺旋の階段には隠れる場所はありそうにもない。
ドラコを探しながら一階に続くアーチの階段まで下りて行くと、階段の下の広場にすました顔のドラコが立っていた。アーチの両脇には今もウーゾの門番が正面を見据えて不動の構えをしているが、怪しむ様子はない。
「どうやったの?」
アガサはドラコのいる場所まで下りて行って小声で訊ねた。
「気配を消して、彼らの脇を通り抜けさせてもらっただけだよ。大したことないな、ウーゾの門番は」
よく理解できずに困惑していると、エマが当然のようにドラコの右腕をとって腕を絡めた。
「ちょっとエマ! 私の夫から離れて」
ドラコが何か言うよりも先にアガサがエマを引き離そうとしたので、ドラコは口にしかけていた言葉をのみこんで笑みを浮かべた。
「妬いてる場合じゃないのよ、アガサ。これはルイ―ジオを惹きつける作戦なんだから」
「作戦? ちゃんと説明して」
エマに対抗するように、アガサもドラコの左腕をとって腕を組んだ。ドラコがますます嬉しそうに口元を緩めていることにも気づかずに、アガサはエマを睨んでいる。
「あの男はドラコに敵対心を抱いているはずだから、ドラコの持ち物を奪うことで自尊心を得るはずよ。私とドラコが親密な関係であるように見せつけた後に、私の方から彼に接触すれば、きっと私に興味をもつはず」
「そんなことしなくても、ルイはあなたに興味を持つと思うけど」
「いいえ、晩餐会では私に目もくれず、アガサしか見ていなかったわ」
「そんなことないでしょ。でも、あなたって策略家なのね、エマ」
胸を押し付けない約束でアガサはエマがドラコと腕を組むことを許し、3人で横一列に並んで朝食会場の中庭に向かった。
何も知らない人が見れば、一人の男を二人の女が取り合っているように見えただろう。
「あの男は見かけ以上に危険かもしれない。大丈夫なのか、エマ」
「少なくともインコントロの間は、【私には】下手なことはしないでしょう。アガサから目を反らさせるだけだから、心配ないわよ」
「彼は本当に狡猾だから気を付けてね、エマ。嘘も平気でつくわ」
「どんな嘘をつかれたの?」
「高所恐怖症だと嘘をついたのよ!」
アガサは怒りを露わに、子どもの頃ににルイと二人で天体観測に行ったときのことをエマとドラコに話して聞かせた。
そしてアガサは二人が彼女と同じように憤慨してくれることを期待したが、ドラコとエマは意外にも呆けた顔をしてアガサを見つめてきた。
「一つ疑問なんだけど、そんな嘘までつかなければ、彼はあなたと手も繋げなかったの?」
「だってまだ、付き合う前の話よ。友だち同士で、一緒にハレー彗星を観に行っただけだったの」
「そう……」
エマが力なく相槌を返している横で、ドラコも心の内で少しだけ、子どもの頃のルイ―ジオに同情した。恋の始まりにアガサと手を繋いだりキスをすることがどんなに難しかったか、ドラコも実際に体験していたからだ。
◇
朝食会場のガーデンにはかすかに靄がかかっていた。昨晩の涼しさが尾を引いている所に太陽が昇り、大地が一気に温められ始めたせいだろう。
白い石張りの地面の上に丸いテーブルとガーデンチェアがいくつも並べられて、人々がまばらに席についている。その中にルイ―ジオもいて、アガサたちがガーデンに入って行くとすぐにこちらに気づいて手を振って来た。
ドラコは氷のように冷たい視線を向け、アガサはインコントロの成功のために努めて社交的な笑みを返した。
エマはわざと見せつけるようにドラコの頬にキスをすると、「じゃあ、食事をとったらまた合流しましょ、ダーリン」、と、ルイ―ジオに聞こえるように大きな声で言った。
「そこまでする必要があるの?」
アガサはまたムッとして、ドラコの腕を強く掴んだ。
「必要ならもっとするわよ、こんな風に」
エマはアガサの見ている前で、ドラコにその豊満な胸を押し付けた。
アガサが口を横一門に引き結んでハエを叩くようにエマを叩き、ドラコから引き離した。
本当に怒っている。だが、エマが笑いながらアガサの猛攻を軽くあしらったので、仲の良い姉妹のケンカみたいに見えた。
エマはさっさと自分の食事を取りに行ったので、後には顔を緩めてアガサを見つめるドラコだけが残された。
「あなたも少しは何か言ったらどうなの、へらへらしちゃって」
「可愛い」
ドラコはアガサの唇にキスをすると、彼女を先に座らせて自分は二人分の朝食を取りに行った。ウーゾのウェイターがやってきたので、アガサは3人分の水と、紅茶とコーヒーを持ってきてくれるように頼んで待った。
ほどなくしてドラコとエマが戻って来た。
ドラコがアガサの分も朝食を運んでいることに気づいて、エマは秘かに驚いた。エマが知っているドラコはそんなことをしたことは一度もなかったのだ。
「今日は俺たちは会合続きだ。君の予定は、アガサ?」
「午前中はミーティングよ。今夜の催しに備えて役割を決めることになっているの。ゲームナイトよ。ダーツ、テーブルカード、ビリヤードのどれかを選んで、夫婦で参加することになるらしいのだけど、あなたはどれがいい?」
「俺はどれでもかまわないよ。君の好きなものを選ぶといい」
「真剣勝負になるかもよ? 勝ちに行くなら、ダーツだけど、あなたダーツは得意?」
「それなりには」
「そう、それならダーツに希望を出しておくわね。エマはどの種目にするの?」
「ジョーイと組んでダーツに申し込むつもりよ。昨日の晩餐のあとに聞いたんだけど、ニコライとアーベイ、それにチャン夫妻はビリヤードに行くらしいわ。他はみんなテーブルカードですって。ファミリー対抗試合になるらしいから、みんな勝ちに行く気まんまんよ」
「ミーティングの後はどうしてる?」
「プールサイドで昼食をとってからサロンよ。泳ぐこともできるし、プールサイドでマッサージのサービスを受けられるんですって」
「もしかして水着を着る?」
アガサは生ハムメロンを頬張りながら頷いた。
「もちろんよ、100メートルは泳ぐつもりだし。エマも泳ぐでしょ?」
「いいえ、私はプールサイドに寝そべって太陽を愉しむことにするわ」
「わかった、昼食の時間に少し顔を出すよ。アガサの水着姿を見ておきたいから」
「言っておくけど、セクシーな水着じゃないからね」
「セクシーじゃない水着なんてあるのか?」
「あるわよ、もちろん。白雄鶏の館に帰ったら、子どもたちと一緒にプール遊びをすると約束しているでしょ。その時に着るために準備したんだから」
「そうだった、忘れてたよ。帰ったら俺も水着を買わないと」
「もう買ってあるわ。子どもたちとお揃いの柄のやつを選んでおいたから。あなたは青で、モーレックはグリーン、マリオが赤で、ラルフのやつは可愛いの、あの子はまだ赤ちゃんだから黄色のつなぎの水着を着せるわ」
「アガサは何色なんだ?」
「オレンジよ」
「いいね、見つけやすそうだ」
夫婦の会話を聞いていたエマが口を挟んだ。
「え、それだけ? アガサがあなたの水着を勝手に選んだのに怒りもしないわけ?」
「どうして怒るんだ?」
「だってあなたは、身に着けるものを他人に選ばせたりしないじゃない、ドラコ」
「結婚してからは、パンツと靴下はアガサが選んでくれている」
「それはね、ドラコは放っておくと下着までジョルジオで買ってしまう人だからなの。不経済だわ」
と、アガサが呟くと、エマの顔がサッと凍り付いて、心配そうにドラコを見た。
「安い下着を着せられてるの?」
「そうなのか?」
ドミノ倒しのようにアガサに視線が回ってくる。
「いいえ、あなたの敏感なお肌に【適した】素材のものを、【適切な】価格で上手く仕入れているのよ。それを着て今まで問題が起きたことはないでしょう?」
「うん」
ドラコは無頓着に頷き、スクランブルエッグを口に運んだ。
「驚いた……。結婚すると、男ってこうも変わるものなのね」
エマは信じられない、という顔で、幸せそうなドラコを見つめた。
◇
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