恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 4-6


 ノストラ―ドファミリーの新しいボス、ルイ―ジオは胸を高鳴らせていた。
 もう二度と出会うことはないと思っていた女性が、夢にも思わなかった状況で目の前に現れたのだ。大階段の上にアガサが姿を現した瞬間から、ルイ―ジオは彼女から目を離せなくなった。かつての面影を残したまま彼女は大人になり、今や女性らしい魅力を漂わせている。
 かつてと変わらない優しい眼差しで、また自分を見つめて欲しい。
 ルイ―ジオの胸の内に当時の恋心が蘇り、物質的な執着など皆無だった彼はその時強く、『絶対に彼女が欲しい』と神に願った。





 明るいブラウン色のタキシードにチャコールカラーの蝶ネクタイを合わせたチャーミングな男が、たった一人でフェデリコの元まで挨拶にやって来た。
 円卓を囲む幹部たちの間にサッと緊張が走り、和やかなムードから一変、険しい顔つきになる。

「ノストラ―ドファミリーの代表、ルイ―ジオ・ヴァレンティーニ・ノストラ―ドと申します。お初にお目にかかれて光栄です、ドン・フェデリコ」
 男は恭しく腰を折ってお辞儀した。
 真っ白いタキシードに身を包んだフェデリコは椅子から立ち上がり、ルイ―ジオと向き合った。
 アルテミッズファミリーの12人の幹部たちも、ドンにならって皆立ち上がった。これは、ファミリーの男たちだけの挨拶だから、女たちは座ったままでいろ、と、イデリコが目で合図したので、エマと、妻たちは座ったままだ。

「沈黙の掟に関する寛容な措置に感謝する」
 フェデリコはルイ―ジオに手を差し伸べた。
 先代のボスであるサルバトーレを殺されたというのに、ノストラ―ドが矛を収めて再集結したのは奇跡に近かった。マリオとアナトリアの一件で勃発した戦争を終結させ、散り散りになったノストラ―ドファミリーに秩序をもらたしたのは、次代頭首ルイ―ジオの貢献が大きい。

「こちらこそ、寛大にインコントロへの参加をお認めいただいたことに感謝します。先の争いでは互いに多くの犠牲を出し過ぎました。再び同じ過ちを犯さぬよう、今大会で有益な話し合いがもたれることを願っています」

 フェデリコは頷き、若き当代のノストラ―ドのボスと力強い握手を交わした。

「ところで、アルテミッズファミリーには僕の幼馴染がいるようです。――アガサ、僕を覚えているかい?」
 ルイ―ジオは突如、人懐っこい笑みを浮かべて、ドラコの隣に座るアガサを振り返った。
 円卓に驚きと困惑が交差する中、アガサは何とも言えない複雑な表情で立ち上がった。

「ルイ、久しぶりね」

「ほお、君とアガサはどういう関係かな? 幼馴染とは具体的には」
「僕の母がノストラ―ドから離れてアメリカのニューメキシコ州で暮らしていた時に、アガサとは同じ教会に通っていました。ジュニアスクール時代のことです。アガサは、僕の初恋の女性です。ジュニアスクールを卒業すると僕はイタリアに戻り、彼女は日本に渡ったので、以来、音信不通になっていましたが、まさかこんなところで再会するとは思わなかったので、大変驚いているところです」

 皆に見つめられて、アガサは差し障りのない社交的な笑みを浮かべた。

「それは奇遇なこともあるものだ。アガサは、うちの次期頭首候補、ドラコの妻だ」
 穏やかな口調だったが、フェデリコは暗に釘をさすようにルイ―ジオに微笑みかけた。
「そのようですね。そこで、アルテミッズとノストラ―ドの和解をこの場で明らかにするために、一つお願いがあるのですが」
「どんなことかな?」
「僕の叔父のサルバトーレを殺したドラコの妻と、是非一曲ダンスを踊らせてください。そうすればインコントロに参加している者全員が、両者の和解を現実に受け止めるでしょう。それによって明日以降の交渉も、南北が手を取り合って平和的に進められるはずです」

 無邪気な笑みを浮かべていはいるが、ルイ―ジオの瞳の奥には強い渇望が見てとれた。
 フェデリコはどうしたものかと、ドラコとアガサの両方に視線を投げた。

 妻が裏社会の政治的取引に巻き込まれることはある程度想定していたドラコだが、まさかその相手がアガサの初恋の相手になるとは予想外だった。
 もちろんドラコは、自分以外の男とアガサが踊ることには反対だった。しかし、社交の場に出て政治的なダンスの誘いを無下にはねつけるのは、あまりにも大人げないし、礼儀に反する。
 ドラコは緩やかに微笑んで、アガサに言った。
「足が棒みたいだと言っていたけど、君さえよければ彼の誘いを受けるといい」
 
 ドラコがそんなことを言うとは思っていなかったので、その紳士的な態度にアガサは感銘を受けた。
 インコントロはイタリアのマフィアたちが平和的に政治をするための話し合いの場だと聞いていたアガサは、自分もファミリーのために役に立てるなら、7センチヒールであと一曲踊っても構わないと思った。

「私で良ければ、喜んでお受け致します」

 その瞬間、ルイ―ジオは眩しいほどの笑顔になった。すぐそばで見ていたエマでさえ、その笑顔を見て、まあ可愛い、と思うほどだった。

 ルイ―ジオは礼儀正しくフェデリコとドラコに頭を下げると、アガサの前までやってきてエスコートの腕を出した。
 そうしてアガサは再びダンスホールに出て行った。
 アルテミッズファミリーの円卓では皆が椅子に座り直してそれを見送るが、一様に何か言いたそうにして顔を見合せた。
 
「サルバトーレの甥とアガサの関係を知っていたのか、ドラコ?」
 フェデリコに問われて、ドラコは首を横に振った。
「いいえ。でもルイという彼氏がいたことは聞いていました。彼がノストラ―ドの血縁だということを、アガサは知らなかったんだと思います」
 マリオとアナトリアの関係がアルテミッズとノストラ―ドに甚大な被害をもたらしてまだ年月が浅いので、アガサとルイ―ジオの関係が再び何らかの拗れに繋がらなければいいが、と、幹部たちは心配した。


 そんな心配をよそに、管弦楽団がビル・ハーレイの有名な曲、ロック・アラウンド・ザ・クロックを軽快に演奏し始めた。
 ルイ―ジオがアガサを連れて踊り出したのは、動きの激しいジルバだった。パーティーで踊られることの多いロックンロールのダンス形態だ。
 リズミカルな曲に合わせて、速いステップと、キックとターンが繰り出される。アガサはドレスの裾を持ち上げて、軸足と反対の足を前後に大きく振って、見事にリズムにのっていた。ルイ―ジオが向かい合って、絡めるように同じく足を振っている。フィニッシュのふざけたピエロのポーズまで二人の息はピッタリだった。
 全体的にロマンティックというよりはコミカルなダンスだったが、二人がとても楽しそうに踊っていたのでドラコは内心で激しく嫉妬した。

 悪いことには、ダンスが終わった後もルイ―ジオはアガサをすぐに返さずにホールの傍らに引き留めて、話し込んだ。
 テーブルの上で両手を組んで、ドラコはジッと二人を観察した。英語で話しているみたいだが、会話の内容は読み取れない。
「不味い流れだな、迎えに行った方がいいよドラコ」
 不意にニコライが言ったので、ドラコは首をかしげた。
「どうしてそう思うんだ? 昔話をしているだけかもしれない」
「唇を読めば分かる。ルイ―ジオは、よりを戻そう、とアガサに言っているよ」
「唇が読めるのか?」
「うん、諜報活動には必要だからね――アガサは、結婚しているし、子どもが3人いると言ってルイ―ジオをはねつけている」
「当然だ」
 そう言いながらも、ドラコはデザートナイフを握りしめた。
「奴をヤるなら加勢するぞ」
 と言って、アーベイもフォークを袖口に隠しいれた。
 フェデリコが眉をひそめ、ジョバンニ、アレサンドロ、イデリコのベテラン衆が、血の気の多い中堅の二人をいさめる。
「冷静になれ、馬鹿者。ここで騒ぎを起こしたら取り返しがつかないことになる」
 張り詰めた空気の中で、ニコライは構わず読唇術を続けた。
「――君を愛している、離れ離れになってからも、ずっと君を思っていた。――悪いけど、もう行かないと、さようなら」
 アルテミッズファミリーの12人の幹部たちが見守る視線の先で、アガサが踵を返してルイ―ジオに背を向けた瞬間、ルイ―ジオはアガサの手を掴んで振り向かせ、強引にキスをした。

 ガタッ!
 ドラコとアーベイが勢いよく立ち上がり、突進しようとするのを他の幹部連がすんでのところで抑えつけた。
「よせ、落ち着け……」
「キスくらいで騒ぎ立てるな」
 だが、ドラコは完全にブチ切れていた。頭に血が上ったドラコは怪力を発揮するので、屈強なジョバンニ、アレサンドロ、イデリコの3人がかりでやっと抑えつけられるほどだった。アーベイのことは、ジョーイ、ルイス、アリが同じく3人がかりで取り押さえている。
「他人の妻に手を出すなんて言語道断、上海なら公開処刑になっているね」
「あれはアルテミッズへの侮辱ですよ。いいんですか、このまま放っておいて」
 上海支部のチャンとフォンが口々に不満を申したてるのを、イギリス紳士のベドウィルが黙らせた。
「手出しは無用。インコントロの目的を忘れるな」

 アルテミッズファミリーの幹部連がなすすべもなく見つめる先で、アガサはその華奢な両腕でルイ―ジオを押しのけると、躊躇のない渾身の右ストレートパンチを繰り出した。
 小さな拳はルイ―ジオの顔の中央に命中し、ルイ―ジオは鼻から血を流して後ろにのけぞった。
 ノストラ―ドファミリーの円卓についていた男たちが一斉に立ち上がり、アガサを取り押さえようとダンスホールに飛び出してきた。
 だが、ルイ―ジオは片手で鼻を抑えながら手を上げて部下たちを制した。

 管弦楽団の演奏が立ち消えになり、黒装束のウーゾたちが彼らを取り囲み始める。
 
「見損なったわ、ルイ。あなたがこれほど道理をわきまえない人だったとは。――さようなら」
 アガサのはっきりとした声が会場中に響き渡った。
 肩を怒らせて、真っ赤な小鬼のような形相で一人で席に戻って来たアガサの姿を見て、ドラコとアーベイは冷静さを取り戻した。

 気まずい沈黙をかき消すように演奏が再開され、黒装束たちは影の中にもどって行った。

 アルテミッズの男たちが腰を抜かして見つめる中、アガサは仏頂面で席につくとシャンパンをグイと一気飲みした。
 どのように言葉をかけていいか分からず、みな、黙って自分の席に着く。
「いいストレートパンチだったよ」
 と、ドラコだけがすました顔で言った。
 途端に、アガサは少し泣きそうな顔をしてドラコを見た。
「和解のためのダンスだったのに、ごめんなさい」
「謝ることはない。君がやらなかったら、俺がアイツを殺していた」

 悪びれることなくドラコはそう言うが、アガサはおそるおそるフェデリコの方を見た。
 明日の交渉は大丈夫だろうか。アガサのせいでアルテミッズファミリーが不利な立場になるかもしれない。
 しかし意外にもフェデリコはアガサに向かって優しく頷いただけだった。

「蹴りも入れてやればよかったのよ。今度教えてあげる」
 と、エマがアガサにウィンクした。

 ルイ―ジオは南側の円卓で、ハンカチで鼻を押さえて上を向き、部下たちからかいがいしく看病されているようだ。
 顔面にクリティカルパンチをくらったばかりだというのに、ルイ―ジオはなぜか幸せそうに笑っていた。
 恋している男ってみんな阿呆なのね、と、エマは思った。でも、――彼はなかなか可愛いかもしれない。

 この騒動を皮きりに、他の円卓の代表たちが競うようにしてフェデリコの元に挨拶に訪れた。
 中にはアガサがデザートブッフェで知り合った妻を同伴して訪れる者もいて、場がとても和やかになった。

 ノストラ―ドのボスを殴るという騒ぎを起こしたアガサは、皆から乱暴者のアバズレ扱いされることを覚悟していたので穴があれば隠れたかったが、人々は、あのレディ・カルロッタですら、親しみをこめて、あるいは労わるようにアガサに声をかけてくれたのが不思議でならなかった。

 殴られてもなお、ルイ―ジオは熱い視線をアガサに送り続けてきたが、アガサは努めて気づかないフリをした。





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