恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 4-5


 アルテミッズファミリーのテーブルに戻ると、円卓の皆が立ち上がって二人を歓迎してくれた。
 恥をかくどころではない。今や皆が、ファーストダンスを踊ったカップルに羨望の眼差しを向けていた。
 アガサはドラコとニコライの間の席に座らせてもらった。

「驚いたな、あのリフトはアドリブかい?」
 ニコライが聞いてきたので、アガサは説明した。
「ドラコが子どもたちにやっている飛行機ごっこの遊びを再現したの。子どもたちを高く持ち上げた後に、最後は必ず墜落させるのが最近のお気に入りみたい」
「墜落させないと何回もせがまれるからな」
 と、ドラコが横から補足した。
「しかし、この殺気だった会場で、まさか美女と野獣が流れるとはね。ワルツならドビュッシーとかチャイコフスキーとかいろいろあったのに、どうしてまた」
「いきなりワルツを踊れと言われてパニくったのよ。幸いにもウーゾの管弦楽団は、リクエストしたら何でも演奏してくれるというから咄嗟に思い浮かんだものをお願いしたの。でも、考えてみるとドラコのイメージじゃなかったわよね。ごめんなさい、ドラコ」
 ドラコは全然気にしていなかったし、他の幹部たちも今となってはそれほど悪い選択ではなかったと感じていた。だから謝る必要などなかったが、ドラコは言った。
「それなら後でもう一曲踊ろう。次は俺のリクエストで」
 ドラコはもっとアガサと一緒に踊りたかったのだが、アガサは乗り気ではなかった。
「残念だけど、7センチのヒールを履いているから、今夜はもう一曲だって踊れる気がしないわ。エマと踊ったら?」
 エマが身を乗り出した。
「私は構わないわよ、ドラコ。あなたのリクエスト曲は何?」
「眠れる森の美女から、『夢の中で』」
 またしてもベタなディズニーの曲に、エマは瞬時に首を振った。
「冗談でしょ! お断りよ」
「いいだろう、ロマンチックじゃないか」
 エマは本気で怒ったが、ドラコはケラケラ笑った。
「なんだよ、つれないな」

「リクエスト曲はともかくとして、ファミリーの存在感を示すためには積極的にホールに出ていくべきだ」
 アルテミッズファミリーのイタリア本部の幹部ジョバンニが顎で示した先では、他のマフィア連たちが自分たちの妻を引き連れて次々にダンスホールに出ていた。
「良かったら僕と踊るかい、エマ」
 ニコライが不意に言った。
「リクエスト曲はそうだなあ、ロシアのアナスタシアから、『12月のある日のこと』なんてどうだい」
 エマはぎょろりと目を見開いて睨んだ。
「ニコライは黙ってて。それに今は真夏よ、季節感てものを考えなさいよね」
「わかった、シンデレラがいいんだね?」
「口を閉じて!」
 ニコライはエマをからかって楽しんでいるようだった。その証拠に、エマをかんかんに怒らせても、満足そうに微笑んでシャンパンを飲んでいる。
 事態を紳士然と見守っていたベドウィルが重々しく立ち上がり、妻のマーガレットに手を差し伸べた。
「では、エマにかわって我々が栄誉に預からせていただこう」

 次の曲で、ベドウィル夫妻が見事なタンゴを披露したので、皆が唖然となった。
 おしとやかで物静かなマーガレット夫人は、ダンスをしているときは大胆で華やかであり、ベドウィルは力強く、男性的な魅力に溢れていた。
 曲が終わって、夫妻が華麗にオープン・フィニッシュをきめると、アガサは立ち上がって拍手しながら、「ブラボー!!」と叫んだ。
 その声があまりに大きかったので他の円卓の男たちが驚いて振り返ったほどだ。
 アガサは周囲の視線を気にすることなく、歓声を盛り上げるために指笛を鳴らそうとした。だが、音は鳴らずにフー、フー、と息が漏れる音だけがしたので、気を利かせたアーベイが代わりに指笛を吹いてやった。

 全員で立ち上がってベドウィル夫妻を迎え、称賛の言葉を贈った。このイギリス紳士、淑女の夫婦は、ダンスがささやかな趣味だということだった。
 その後、もっと砕けたダンスミュージックが演奏され始めると、チャンとアリの夫妻や、他の独身の男たちも出て行ってフリーダンスを楽しんだ。

 会場の雰囲気は少しずつ和やかに、社交的になってきた。今こそ、他の円卓のマフィア連たちと挨拶を交わして明日以降の交渉の下地を築くべきだった。だが、まだ誰もそこまでは踏み出せずに、互いの出方を慎重に探り合っている状態だった。

 アガサはメインの料理を終えると、早々にデザートブッフェのコーナーが気になり始めた。
 まだ誰も取りに行っていないが、そろそろ行ってもいいはずだ。
「デザートを取りに行こうと思うんだけど」
「一緒に行くよ」
 ドラコはすぐに立ち上がってアガサの椅子を引いてくれた。

 円卓から少し離れたコーナーにあるデザートブッフェには、様々なミニケーキと、フルーツ、ゼリー、チョコが宝石のように並べられていた。
 アガサはドラコに皿を一枚持たせ、自分でも一枚持って、種類ごとに慎重に吟味しながら一つずつ取った。
 そのうち、他のご婦人方もデザートに引き寄せられて少しずつブッフェに集まってくると、自然と会話が始まった。
 多くのレディたちがアガサに好意的に挨拶してくれ、自己紹介をしあった。アガサには誰がどこの組織の関係者なのかは全くわからなかったが、一部の例外を除いては、みな礼儀正しくて、意外にもアガサとあまり変わらない普通の女性たちだったので、社交的なアガサはすぐに打ち解けることができた。
 肩肘を張らず、誰にでも優しく接するアガサは人々から好感を持たれるようだった。
 ドラコはそんなアガサを関心して眺めていた。

 アガサが夫人たちの輪に入って話し込んでいると、年配のご夫人が迷惑そうに近づいて来て立ち止まった。
 ブッフェのテーブルに近づきたいのだと悟って、アガサはさりげなく他のご婦人方の間に道を空けると、「何かお取りしましょうか?」、と年配の夫人に声をかけた。

「年寄り扱いしないでもらいたいわ」
 年齢は不詳だが、見るからに貴婦人らしい年配のご夫人はいきなり不機嫌に応じてきた。
 真っ白いフルレンクスのドレスを身に纏い、高そうなダイヤのネックレスとイヤリングをしている。髪にはグレーが混ざっていた。
 一緒に会話をしていた周囲の夫人たちが顔を強張らせ、後ずさるが、アガサは穏やかに微笑んだ。

「まさか、そんなお歳ではないでしょう? 私はただ、目上の方に敬意を示そうとしただけですわ。よければ、そのピスタチオのケーキが絶品ですよ」
「いただくわ。あと、チョコレートもいくつか取ってくださる?」
 アガサが全く怯まなかったので、年配のご夫人は面白いものでも見るような目をした。
 ご夫人のリクエストに応えながら、アガサは自己紹介をした。
 だが、差し出されたケーキの皿を受け取ると、年配のご夫人は今度は意地悪な目をして言った。
「ええ、ドラコが結婚したことは知っていますよ。でも、相手があなたのような【アジア人】だったとは驚きね。てっきり、エマヌエーラと結婚するんだとばかり思っていたから」
 差別的な嫌な言い方だったが、アガサは気にする様子を見せなかった。ドラコと一緒に出掛ければ、どこへ行っても、不釣り合いなアジア人、という目を向けられることにはすっかり慣れてしまった。

「とても不思議な巡り合わせだったんです。私は、神様のお導きだと信じていますわ」
「ええ、そうでしょうとも。それ以外にあなたがこの伊達男のハートを射止める手段があるとは思えませんからね。ところで、あなたたちのファーストダンスは酷いものだったわねえ」
 アガサは頬を赤らめて、クスクスと笑った。
「ええ、そうでしょう。本格的にダンスを習ったわけでもないのに、いきなり踊るように言われるんですもの。二人で恥をかく覚悟をきめたんです。もっとも、この人は私が相手でなければもっと上手く踊れたでしょうけれど、ねえドラコ……」
 そう言って、アガサは隣にいるドラコを見上げた。心のうちでアガサは、自分がドラコに不釣り合いなことが申し訳なかった。

 ドラコは驚くほど無口になって、老夫人のことをほとんど睨みつけていた。

 老婦人は、ドラコから敵意を向けられ、さらに何を言ってもアガサが怒ったり動揺したりしないのを見てとって、ついに観念したようだった。
「私はレディー・カルロッタよ。ユニオン・コルスの者です。はじめまして、アガサ」
 レディー・カルロッタはアガサと握手すると、次にドラコに手を差し伸べた。
「そう怒りなさんな。エマヌエーラや私の可愛い娘の求愛を退けたあなたが、どんな女性を選んだのか知りたかったのよ。お祝いを述べさせていただくわ、ドラコ。素敵なお嫁さんを見つけたみたいね」
 ドラコは形式的にレディー・カルロッタの手をとって、その手の甲にキスをした。
 ドラコがそのように振舞うということは、どうやら、カルロッタはかなり身分の高い相手らしい。
「あとでこちらから、そちらの卓までご挨拶に伺います。フェデリコによろしく伝えてね」
 そう言い残して、レディー・カルロッタは円卓に戻って行った。

 ドラコはアガサを強く抱きしめたくなる気持ちを抑え、彼女の背中にそっと触れてこう言った。
「そろそろ席に戻ろう」

 アガサは他のご婦人方に挨拶をして、ドラコに従った。
 ご婦人方とは明日のサロンでまたお話をしましょう、と約束をした。

「ユニオン・コルスはローマを拠点とする古いマフィア一族だ。ボスは息子のピエールだが、実質的に組織を仕切っているのは今もレディー・カルロッタだ。魔女みたいに怖い女だと言われている。厭な思いをさせてすまない」
「いいのよ。ところで、あなたに求愛していたという娘さんは来ているの?」
 ドラコはそれが誰であるかを耳打ちして教えてくれた。
「わーお、すごく綺麗な人ね。どうして彼女と結婚しなかったの?」
 アガサの無神経な発言に唖然としながらも、ドラコは答えた。
「他の組織の女には手を出さない。面倒なことになるから」
「それは理屈が通らないわ。面倒なことになるのに、あなたは私に手を出したじゃない」
 実際、それでアガサは殺されかけたし、ドラコもなんやかんやで死にかけたのだ。
「アガサのことは、たとえ世界を敵に回しても手に入れたかった。他の女とはちがって」
 今度はアガサの方が、唖然としてドラコを見つめた。
「なに?」
「あなたって本当に変わった人なのね、ドラコ」
「俺のことを愛しているんだよな?」
「もちろんよ」

 今夜それを確かめ合うことができればいいのに、と、ドラコは思った。でも、インコントロの間はウーゾの決まりで夫婦の寝室は別々だ。
 なんて忌々しい制約だろうか。

「なら証明してくれ、今ここで」
「愛してるわ」
「口で言うだけ?」
「公衆の面前でキスはできないわよ」
 その瞬間、ドラコは身を屈めてアガサの唇を奪った。
「できたじゃないか」
 アガサはたしなめるようにドラコを押し返し、対照的にドラコは子どものようにイタズラな笑みを浮かべた。





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