恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 4-4


 インコントロ初日の晩餐会場には閉鎖的で重苦しい雰囲気が立ち込めていた。
 玉座には巨大な7つの円卓が並べられ、イタリアの7大マフィアがそれぞれの卓についている。テーブルの上に並べられた金縁の白い皿には、平和を象徴する鳩の形に折られたナプキンが置かれているが、まだ誰もそれに手を触れていない。
 所々にまだ空いている席があるのは、彼らの妻ないしは年頃の娘が座るためだ。
 招かれている者全員が入場してから、インコントロ開催の祝いのシャンパンが注がれることになっていた。

 大広間に続く大階段から最初に下りて来たのは、アルテミッズファミリーの首領の娘、エマヌエーラ・ミンフィ・アルテミッズ――通称、エマだ。
 大胆に肩を露出した深紅のロングドレスを身に纏う美しいエマは、男たちの視線を否応なしに惹きつけた。
 
 エマは会場の殺伐とした空気を切り裂くように中央のダンスホールを堂々と横切って、玉座の左手に構えるアルテミッズファミリーの卓まで一人で歩いてきた。
 アルテミッズファミリーの卓では、ドラコをはじめ12人の幹部全員が一斉に立ち上がり、フェデリコが椅子を引いてエマを座らせるのを待った。
 生まれたときからマフィアのドンの娘として育てられたエマは、男顔負けに厳しく育てられた。生意気で我儘なところもあるが、エマは自分の立場をよく心得ている。ファミリーへの忠誠心は12人の幹部たちにも劣らない。だが、女であるエマはファミリーの後継ぎにはなれない。時々エマは、自分が男であったらどんなに父の助けになれただろうか、と思うほどだ。
 ドラコを手に入れたかったのは、ファミリーのためでもあった。
 エマはドラコとフェデリコの間の席についた。

 続いて同伴の妻たち、娘たちが、大階段を下って一人ずつ玉座の大広間に下りてきた。
 それはまるでお披露目会のようでもあった。異様な殺気と緊張感が漂う中で、着飾った妻や娘たちは漏れなく、7つのファミリーから好機の眼差しを向けられた。そのせいで中には可哀相なほど萎縮してしまっているレディも見受けられる。
 アルテミッズファミリーの卓にも、ベドウィル、アリ、チャンの妻が加わった。ドラコの左隣のアガサの席だけがまだ空いている。

「アガサを見たか?」
 ドラコは右隣に座るエマに聞いた。
「いいえ。私は真っ先に出るように指示されたから、ゆっくりと周りをみる時間がなかったの。入場順はウーゾが決めているみたいだったわ」
「そうか」
 その後もアガサがなかなか入場してこないので、ドラコは内心でヤキモキし始めた。

「あの華奢な娘さんは、多分、一番最後に入ってくると思うわ」
 ドラコの心中を察してか、向いの席に座るアリの妻が口を開いた。アリに負けず劣らずの巨大な体躯をしている彼女はビッグ・マムの愛称で呼ばれ、艶のある黄金のドレスに身を包んでいるので、今夜も太陽みたいに輝いていた。
「どうしてそう思うんだ?」
 ドラコの代わりにアリが妻に訊ねると、マムはわけを話した。

「慇懃なウーゾの男が、あの子を後方に案内して行くのが見えたわ。何かを説明しているみたいだった、『最後に』、とか、『始めのダンスが』、とか言って」
 それを聞いて卓についていたほぼ全員がウーゾの考えていることを察して、一斉にドラコを見た。
 中世の貴族社会の習わしだ。最も地位の高い女性が最後に入場し、最初のダンスを踊る――。
 エマを最初に入場させ、アガサを最後に入場させるというのは、ウーゾがアルテミッズファミリーに敬意を示していることの表れだろう。現時点で、アルテミッズファミリーがこの場で最も力のある存在だと評されていることは間違いない。それはインコントロでの交渉を優位に進める吉兆でもあるが、しかし……。

「アガサは社交ダンスを踊れるのか?」
 おそらく、その場にいた誰もが思っただろう疑問をアーベイが口にした。
「わからない」
 ドラコは肩をすくめた。
 アガサと一緒に踊ったのは、ベガスで一度きりだった。あのときのアガサは、まるで暴れ馬のようにロックなダンスを踊り狂っていた。その後に少しだけチークダンスをしたが、ワルツやタンゴなどの本格的な社交ダンスをアガサが踊れるかどうかは、ドラコにも本当にわからなかった。

 二階のバルコニー席で、管弦楽団が、誰もが知るようなワルツの前奏を演奏し始めた。――美女と野獣だ。
 ざわついていた会場が一気に静まり返り、この場の雰囲気にそぐわないロマンティックな曲に耳を傾けた。自然と好機の眼差しがダンスホールに集まる
 アーベイを始め、幹部連たちは皆、日本人であるアガサが踊れるとは思わなかったので、困ったように顔を見合わせ、囁き合った。

「ああ、やばいぞ。これは間違いなくファーストダンスの流れだ」
 アーベイが柄にもなく狼狽えた表情になると、ニコライも困ったように呟く。
「事前に申し入れがないとは不親切だねえ、しかも、なんだいこの曲は」
 よりにもよって、この殺伐とした初のインコントロの席で、ディズニーの名曲を流すとはふざけてるのか、と思ったのだ。
「エマが代わりに行けよ」
 と、ジョーイが言った。
「いやよ、こんなベタな曲で踊るのは。中学生じゃあるまいし」
 イデリコもジョーイに同意して口を開いた。
「行ってやれ、エマ。ドラコには申し訳ないが、アガサが可哀相だ。どうせあの子は踊りが下手だろう」
「はあ? だからって私に恥をかけっていうの?」

 だが、幹部たちの心配をよそに、大階段の上に深い青色のドレスを纏ったアガサが現れたのを見て、ドラコの表情は途端に明るくなった。

「それには及ばないよ、エマ」
 ドラコは椅子から立ち上がってタキシードの前ボタンを留めた。
「みんなもそこに座ってよく見ていろ、どうせ恥をかくなら盛大に笑わせてやる」

 そう言ってドラコはダンスホールを颯爽と横切って階段の下に歩いて行った。

 ドレスの裾をつまんで、ゆっくりと階段を下りてくるアガサの姿に、不思議と皆が惹きつけられていた。
 まるで中世の絵画から出てきたお姫様みたいだ。
 スタンドカラーの立て襟がホルターネックになっているノースリーブのドレスは、アガサの肩と腕を美しく露出し、クラシカルな気品と女性らしさが際立っていた。アガサの絹のような滑らかな肌が、シャンデリアに照らされて艶っぽく、透き通るように美しい。だが、その美しさには誰もが気軽に触れることのできない奇妙な神々しさがあった。
 あれは誰の伴なのだろうか、と、円卓の男たちが首を傾げたとき、アルテミッズファミリーのドラコ・ヴィクトル・ヤコブソンが進み出ていくのが見え、男たちの視線は釘付けになった。アルテミッズの次期頭首との呼び声が高く、ノストラ―ドのボスを殺したドラコは、インコントロで最も注目されている存在だったのだ。

 階段から下りてきたアガサは、ドラコに手をとられて安心したようにニコリと微笑んだ。
「すごく綺麗だ」
「ありがとう。ところで、あなたはワルツを踊れる?」
「もちろん。じゃあ、この曲は君のリクエストなんだね、愛しい人」
 ドラコは面白そうにアガサの手を引いて、ダンスホールの中央に進み出た。
 皆の視線が集まる中、二人は囁き声で会話を続けた。
「ワルツを踊れと言われて、咄嗟に思いついたのがこの曲だったの。ロマンティックでしょ」
 控えの間でウーゾにワルツを踊れるかと聞かれ、アガサは多少踊れると答え、ドラコが踊れるかどうかは賭けだったという。
 その時ドラコは、アガサのドレスの背中がホルターネックのデザインのせいで開いていることに気づいて多少の動揺を感じた。
「俺だけの肌を他の男たちに見せないで欲しかった」
「この暑さなのよ、固いこと言わないで」
「でも、セクシーすぎるよ。変な気を起こす男が出るかもしれない」
 ダンスホールの中央に立つと、二人は少し離れて向かい合って立った。アガサがドラコに向かって、膝をかがめて深くお辞儀すると、ドラコも腰を屈めて深くお辞儀した。
 管弦楽団の演奏が展開すると、二人は鏡合わせに両手を重ね合わせて、リズムをとって左右に揺れた。やがてドラコがアガサを回転させ、二人は手をつないでホールを移動しながら大きな円を描いた。たっぷりとレースを重ねたアガサのドレスの裾が花びらのように舞い広がる。

「俺がもしワルツを踊れなかったらどうするつもりだったんだ?」
「その時は、二人でただ手を繋いでくるくる回るのも、楽しいかなと思ったの」
 ドラコは笑った。
「俺も全く同じことを考えてたよ」
 ドラコはアガサの腰に、アガサはドラコの肩に手をおいて、簡単なステップを踏みながら、頭の上で互いの指先を合わせて、右回転、左回転と、くるくる回った。
 そうして見つめ合うだけで、空を飛んでいるようなとても楽しい気持ちになる。

「ねえ、あれをできる? あなたが子どもたちによくやっているやつ」
 曲がクライマックスに近づいてくるとアガサはドラコに言った。
「リフトしてほしいのか?」
「モーレックにやってあげてた万歳リフトがいいわ」
「俺を信じる?」
「いつも信じてる」
 ドラコはアガサの腰を背後から掴み、頭上高くに一気に持ち上げた。
 体がふわりと浮き上がり、飛んでいるような気持ちになってアガサは上体を思い切り反らせ天井を見上げた。両手を広げ、同時に足を前後に開脚すると、ドレスの裾が美しくたなびいた。ドラコはアガサをリフトしたまま、ホールをゆっくりと横切りながらスピンした。
 わあ、という驚きの喚声と、息を飲む音が会場に沸き起こった。

 やがてまたふわりと舞い降りて、アガサはドラコの腕の中でターンして二人はまた両手を合わせた。
 見つめ合うと、そこに二人だけの世界があって、触れ合った指先からお互いを感じ合う。
 3分ほどのダンスはあっという間に終わり、二人は最後にホールに感謝の一礼をしてから、何事もなかったかのように手を繋いでファミリーの円卓に向かった。

 愛し合っている二人が踊るワルツはとてもロマンチックで、――可愛らしかった。

 誰もが息を呑んでその様子を見つめていたので、次のダンスミュージックが演奏されるまで会場は驚くほど静まり返っていた。
 




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