恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 4-3


 ルイ―ジオ・ヴァレンティーニ=ノストラ―ドは目の前を歩いて行くアジア人女性の後ろ姿に目を奪われていた。
 黒髪の東洋人を見ると、子どもの頃に付き合っていた少女のことを今でも思い出す。
 中学を卒業した後に、家庭の事情でそれぞれ別の国に引っ越したので、以来、彼女がどうしているのかは知れなかったが、まさかこんなところに居るはずがない、とルイ―ジオは思考を切り替えた。

 ノストラ―ドファミリーの首領であったサルバトーレ・ノストラ―ドには、姉が一人いた。ルイ―ジオはサルバトーレの姉の子どもだ。
 サルバトーレの姉キアーラ・ノストラ―ドはローマ出身の実業家と結婚し、キアーラ・ヴァレンティーニとなり、結婚後に夫の事業の関係でアメリカに渡ってルイ―ジオを出産した。
 ヴァレンティーニに嫁いでから、キアーラは長く裏社会から離れていたが、家族の絆に厚いイタリア家系の例に漏れず、ノストラ―ドとの家族関係は続いていた。
 サルバトーレの死後、跡取りのいないノストラ―ド家をルイ―ジオが引き継いだのは当然の流れだった。
 中学卒業後にイタリアに戻って来たルイ―ジオは、叔父であるサルバトーレからとても可愛がられて育ち、いざというときに跡目を告げるようにと、様々なことを教え込まれた。ルイ―ジオにはサルバトーレが期待した以上に、ファミリーを引き継ぐボスとしての才覚があった。

 後になって知らされたことだが、サルバトーレにはめかけに産ませた娘がいた。名を、アナトリアという。
 当初、サルバトーレはアナトリアに後継者を産ませたいと考えていたようだ。
 しかし、アナトリアはよりによってアルテミッズの男と恋に落ちて駆け落ちをしてしまい、ノストラ―ドから排除されたと聞く。アナトリアが産んだ赤ん坊はノストラ―ドの血を汚した、この世にあってはならない存在、【忌み子】だと考えられていたが、その消息は不明だった。
 ノストラ―ドは今もその赤ん坊を探し続けているが、いまだにその消息が掴めないことには、何らかのアルテミッズの関与を疑っていた。あるいは、忌み子はすでに始末されているのか。

 ルイ―ジオは再び明るい陽射しに視線を戻した。
 イタリアでは申請をすれば父と母の両方の苗字を名のることができる。ノストラ―ドの跡取りとなるために、ルイ―ジオは母の苗字を復活させて、ヴァレンティーニ=ノストラ―ドとなった。
 裏社会にいると、心が硬くなり、魂が擦り剥けていくようだ。そのうち、何も感じられなくなるような気がする。
 だが子どもの頃に好意を寄せていた少女のことを思い出すと、ルイ―ジオの心に小さな明かりがともるように温かくなる。
 彼女のイタリア語は下手くそで、ルイ―ジオの名前を上手く発音できないので、彼のことをルイと呼んでいたっけ。
 今どこで、どんな風に過ごしているのだろう。
 もう二度と出会うことはないとわかっていながら、ルイ―ジオは少女の思い出をまた、大切に胸の奥にしまいこんだ。





「どういうことだ、聞いていないのだが」

 イギリス支部の紳士ベドウィルが静かに睨みつけているのは、案内役のポーターだ。
 かたわらではベドウィルの妻が困惑した表情でやりとりを見守っている。クラシックなロングドレスを身に纏った、とても上品な立ち姿のレディだ。
 ベドウィルがイーグルの飾りがついたシルバーステッキを持っているのに対して、夫人は白いレースの日傘を不安そうに両手に抱えていた。

「どうしたんだ、ベドウィル」
 ドラコが通りがかって尋ねると、ベドウィルは燕尾服姿のポーターを顎でしゃくった。
「夫婦だというのに、部屋は別らしい」
「なんだって?」
 ドラコもベドウィルに並んで立ち、ポーターと向き合った。

「どういうことなんだ?」

 ポーターは少しもひるむことなく応じた。

「マフィア連合の雑事を取り仕切る私ども中立組織【ウーゾ】の決定なのです。イタリアを代表する7大ファミリーが集う特殊な会合において、やんごとなき奥方様に万が一にも危害が及びませぬように、奥方の皆様にはよりセキュリティの高い別棟をご用意しております。唯一の出入口をウーゾ随一のガードマンが守護し、別棟内部のサービススタッフはすべて女性を配置しております。どうか、ご理解くださいますように」

「アリとチェンは?」
「両ご夫妻はすでにご案内ずみでございます。もっとも、同じようにご理解いただくには少々お時間をいただきましたが」
「互いの部屋の行き来は?」
 ドラコが問うと、ウーゾのポーターは申し訳なさそうに首を横に振った。
「なりません。本日の晩餐がとどこおりなく執り行われるまでは、各自お一人様にてお部屋に待機していただきます」

 さらにポーターは、部屋からの電子機器の持出を固く禁じた。携帯電話やタブレット、その他あらゆる撮影、録音機器はインコントロの会場に持ち込みできない。銃やナイフなどの武器は、ミラマーレ城に入る前に没収されている。

 女性専用の別棟は、海寄りの一番高い塔だった。本館とは中庭を渡る回廊で繋がっている。
 その入口までアガサを送り届けて、ドラコは心配そうに言った。
「大丈夫か?」
「私は大丈夫よ。あなたは?」
「がっかりだよ。夜は一緒に過ごせると思っていたから」
「きっとあなたたちは打ち合わせや何やらで忙しくなるでしょうから、妻は別の部屋で良かったのかもしれないわ。これはバカンスではなく、仕事と割り切りましょう」
「うん……。晩餐で着るドレスは何色?」
 ドラコはまだ、アガサの新しいドレスを一度も見せてもらっていなかった。当日のお楽しみにするとのことだったが、スーツを合わせるのに事前に知っておく必要があるとドラコが主張すると、代わりにシュレッダーがアガサをエスコートするのに相応しいスーツを選んでくれたのだった。ドラコが着る物の選択を他人に任せるのは珍しいが、シュレッダーはプロのスタイリストで、ドラコの好みをよく理解していた。
 初日の晩餐のために、かなり仰々しいタキシードが用意されていたので、ドラコはアガサが本格的なクラシックドレスを着るだろうとは予想していた。

「クラシックなロングドレスよ。ミラマーレ城の雰囲気に合わせてシュレッダーが選んでくれたの。でも色は私が選んだわ。あなたの瞳と同じ、海のような深い青色」
 それを聞いてドラコは嬉しくなった。
 今晩つけることになっているネクタイが濃紺色である理由も理解する。
「アクセサリーは何をつけるんだ?」
「結婚指輪と、婚約指輪だけ。髪はアップにするわ。それと、……」

 アガサは背伸びをして、ドラコの耳元で囁いた。
――新しい黒のレースの下着をつける予定よ。

 ドラコは残念そうに小さなうめき声を上げた。

「それじゃあ、後でねダーリン」
「愛してるよ、ハニー」
 ウーゾのガードマンたちの目があるので、二人は軽いキスをしてその場で分かれた。
 アガサが女性のポーターに案内されてアーチの白い階段を上って見えなくなるまで、ドラコはその後ろ姿を見送った。
 新婚の夫婦のお楽しみを奪うとは、ウーゾなんてクソくらえだ、とドラコは思った。だが、誰もが張り詰めて、遅れをとるまいと殺気だっているインコントロにおいて、無暗に波風を立たせないために妻たちを人質のように別棟に囲い込むことは英断だろう。それによってウーゾは抑止力を持つこともできるのだから。

 ウーゾの判断に、おそらく間違いはないだろう、とドラコは納得しながらも、別の男性ポーターに連れられて自室に向かう途中、夫婦の営みが3日間もおあずけを食らうという現実に打ちのめされて溜息が出た。





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