恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 4-11


 カードゲームが終了した時点で、1位のノストラ―ドファミリーの残金は15万ユーロ、最下位のアルテミッズファミリーの残金は7.5万ユーロとなった。
 ゲームへの参加回数も掛け金もファミリーが自由に設定できるが、ゲーム内の残金以上の掛け金を賭けることはできないし、当然ながら残金が0になればその後のゲームへの出場権利を失う。
 
 ノストラ―ドにダブルスコアをつけられたアルテミッズは、1位をとるため少なくともこの後のゲームで7万5千ユーロを稼がなければならなくなった。

 ウーゾがカードテーブルを片付けてビリヤード台を並べているとき、アルテミッズのボックス席に北側マフィアからぞろぞろと遣いが送られてきた。
 南側マフィアが結託してノストラ―ドに掛け金を集めている今、北側も何らかの協力体制をとって総合1位を狙うべきではないか、との申し出だった。
 だが、フェデリコはそれを不機嫌に退けて、そんなことをしてもツマラナイと言い張った。
 そもそも、対戦相手は直前にクジで決められるので、都合よく北側マフィア同士が対戦相手になる保証もない。それを聞いて、シカ―リオとサクラ・ウニータはすぐに納得したが、ユニオン・コルスは、ならばこちらにも考えがある、と言って帰って行った。

 ニコライとアーベイはスーツジャケットを脱いでベスト姿になると、立ち上がって互いに顔を見合せた。
「さてと、いよいよ僕たちの出番だね、アーベイ。真剣勝負なんて久しぶりだから、腕が鳴るよ」
 ニコライはただでさえ大きな体をさらに大きく伸ばして、腕を交互にストレッチした。
 その横でアーベイはアスコットタイを几帳面に整えて言った。
「いつも酔っぱらいながら適当に撞いて遊んでいるだけだからな。クジ運が良ければいいが……、確かユニオン・コルスとカモッラにはワールドチャンピオンの大会に出てる奴がいたはずだ」
「うん、どうせ当たるならそういう相手がいいねえ。プロの奴らは自分の腕に自信があるだろうから、掛け金を最大まで吊り上げられるだろうさ」
 ニコライが呑気に言うのを聞いて、アーベイは目を細めた。
「いや、俺はプロの奴らには当たらなければいいな、と思っていたんだがな」
「何だよそれ、随分と弱気だなあ、アーベイは」
「現実的なんだよ」
 二人の会話を聞いていたチャンも、ゆっくりと立ち上がってスーツジャケットを脱ぎ、それを椅子の背もたれに丁寧にかけた。中肉中背のチャンはベストもネクタイもつけていないが、ニコライやアーベイよりも何故かカッチリとしていて、小奇麗にシャツとスラックスを着こなしている。顔も髪も綺麗に手入れされているのが相まって、しっかりした、育ちのいい紳士に見える。
 
「緊張するかい?」
 妻であるリンリンに手を差し伸べて、立ち上がらせると、夫婦は腕を組んだ。
 リンリンの表情は浮かない。
「ビリヤードは好きだけど、負けたら大変なことになるんでしょう? 気が重いわ」
「何も心配いらないよ、リンリン。例え負けても僕の君への愛は変わらないし、二人一緒なら何も怖いことはないからね」
「でも、勝てたら喜びも大きいでしょ?」
「その通りだ」
 チャンはリンリンをエスコートして、リラックスした様子でボックス席から出て行った。

「頑張ってね」
 アガサはニコニコしながらビリヤードに出場する仲間たちを見送った。マーガレットの隣で甘い紅茶を飲みながら、椅子の背もたれに心地よさそうに体を預けて脚を伸ばしている。
 リラックスした様子のアガサを見て、マーガレットが聞いた。
「次はあなたたちの番だけど、ダーツには自信がおありなの?」
「あら、いいえ。ダーツはやればやるほど難しいと感じるわ。ただ、カードやビリヤードよりは馴染みがあるというだけなの。実は毎年、地元の教会で開かれるチャリティーでダーツ大会をやっていて、一時期大ハマりして特訓したものだから」
「へえ、チャリティを?」
 マーガレットとアガサは、それから教会のチャリティー活動について話し込んだが、ボックス席にいる仲間たちは口数も少なく、静かにゲームエリアを見守っていた。

 ゲームナイトで興じられる種目はいずれも、裏社会を生き抜くマフィアが心技体を鍛えるために日常的に用いる遊びだ。
 それ故に、幹部としてインコントロに招かれた者たちはこれらのゲームにおいて常人を凌ぐ強さを兼ね備えているのだった。
 カードゲームは心理戦と記憶力。
 ビリヤードは幾何学的な計算力と先を見越した調整力。
 ダーツは正確な身体バランスと強靭なメンタルを要する。
 
 得意不得意はあれど、通常3つの中で最も難易度が高いと考えられるのはダーツだ。――最も単純だが、最も基本に忠実でなければならない。ダーツには不運もなければ、ラッキーもない。狙った的に当てるか外すかは、完全に自分自身の問題だ。突き詰めるほどに、そこが難しい。
 アガサがダーツにエントリーしたことは、幹部連たちからは意外に思われていた。
 しかも、ドラコがそれを止めなかったことはもっと意外に思われた。最も無難なのはカードゲームなのに、よりによって難しいダーツを選ぶとは。

 インコントロに妻を同伴することが決まったときから、妻の存在が不利な状況に結びつくことはアルテミッズの幹部連たちも想定していた。
 妻とペアを組むゲームナイトでは、よほど運が良くなければ勝つのは無理だ。アルテミッズファミリーの幹部たちも、口にこそしないが、ベドウィル、アリ、チャン、ドラコのゲームには期待していなかった。カードゲームで卑劣なベットをかわして引き分けに持ち込んだベドウィルと、勝利したアリは本当に上手くやった方だ。

 しかしビリヤードとダーツでは、そうはいかないだろう。
 運が絡む要素はカードゲームより少なくなり、単純な技術力とメンタルの強さが求められるからだ。
 もしシングル戦であればチャンとドラコは負けなしだっただろうが、今夜は他の幹部たちが彼らの分をカバーしなければならない。当然、ビリヤードではニコライとアーベイにプレッシャーがかかる。

 そして、その日のアルテミッズにはやはりツキがなかった。
 弱い相手に当たるどころか、プロ選手のいるペアに当たったのだ。
 ニコライとアーベイの対戦相手は世界ランキング4位のプロ選手がいるカモッラに、チャン夫妻の対戦相手は、最近アマチュアからプロに転向したレディ・カルロッタの愛娘カミーラが相手となった。

 スヌーカー、ナインボール、ホノルルなど様々あるビリヤードゲームのうち、暫定1位のノストラ―ドがエイトボールを選択した。
 5ラックを先取りしたペアが勝利となる。

「エイトボールってどんなゲームなの?」
 前に座るドラコの肩をたたいて、アガサが聞いた。
「テーブルの上にある15個の的球を、ソリッドとストライプの2グループに分けて、自分のグループのボールをコールしてからポケットしていくゲームだ。よく見ると、球に柄があるやつと、ないやつがあるだろ。柄のあるのがストライプボールで、ないのがソリッドボールだ。1番から7番までがソリッド、9番から15番がストライプになってるから、それで見分けることができる。自分のグループの的球をすべて落としてから、最後に8番ボールをポケットできた方が勝ちになる。ゲーム開始直後はグループが決まっていないから、先攻をとってポケットしやすいグループを獲得するのが最初の目標になる」

「小さい数の球から順に落とさなきゃいけいとか、決まりがある?」

「番号が小さいほうからポケットするのはナインボールだよ。エイトボールは自分のグループの的球ならどの順番で落としてもいい。ただし、もし的球を処理する前に誤って8番をポケットしてしまったら、その時点でそのラックは負けになる」
「球は交互に打つの?」
「バンキングで先攻と後攻を決めた後は、ミスをするまでターンを継続できる。今回はペアで挑んでいるから、ミスをするまでペアが交互に球を撞くことになる」
「詳しいのね」
 感心したようにアガサが言った。
 エイトボールはビリヤードの中では有名なゲームだから、知っていて凄いということもないのだが、ドラコはアガサに褒められて顔をほころばせた。
「あなた、ビリヤードが好きなの?」
「うん、今夜の三種目の中では、ビリヤードが一番好きだ」
「言ってくれたらビリヤードにしたのに。好きな種目でやれた方が楽しかったでしょう?」
「勝ちに行くならダーツだってアガサが言ったんだろ。ダーツもそれなりに好きだよ」
「今日の種目の中では何番目に好き?」
「……3番目」
 それを聞いてアガサは溜息をついた。
「どうして言ってくれなかったのよ」
「すべては勝利のためだ、相棒。教会のチャリティーで鍛えた腕を見せてくれ」
 ドラコが後ろ手に拳を差し出したので、アガサも拳をつくってドラコの拳を軽く打ち返した。

「先に言っておくけれど、私はダーツをやると人格が変わるから驚かないでね。本当はリック牧師にプレイを禁止されているの。危険なほど執着するって」
 ドラコが意外そうにアガサを振り返った。
「どうして今までそれを黙ってた?」
「私にも【ダークサイド】があるということを、あなたには知られたくなかったからよ」
 二人は見つめ合った。
「ダークサイドだって? ……ああ、ハニー。こっちにおいで」
 ドラコに手招きされて、アガサはまた前の席に戻った。隣の席に座ろうとしたら、ドラコの膝の上に引き寄せられて座らさせられた。
「俺には何も隠す必要がないんだよ、アガサ。君のダークサイドも、全部見せてくれて構わない」
「あなたって本当に心が広いのね、ドラコ」
 アガサはドラコの肩に腕を回して、頬にキスをした。
「君と出会って変わったんだ。俺の心にはアガサのために、地平線の先まで続く広い地所があるんだよ。そこには、決して枯れることの無い愛の泉も備えている」
「なんてロマンチックなの。そこに私を住まわせてくれているの?」
「そうだよ」
 囁き合う新婚夫婦の会話は、ボックス席にいるアルテミッズの仲間たちに筒抜けだった。

「見てられんな……」
 フェデリコは呆れて目を瞑った。
「耳が腐り落ちそうだ」
 と、イデリコも呟いた。

 幹部たちの目には、ドラコはこれまで他を寄せ付けぬ鋭さを持った孤高の存在だった。ファミリーのためならどんな時でも冷静で、冷酷であり、仲間たちに成功と勝利をもたらす完全無欠のリーダーだった。それが今は、一人の女性に恋をしているただの青年なのだ。アガサを膝の上に抱いて満足げにゲームエリアを見下ろすドラコには、アルテミッズの次期後継者に相応しい威厳は欠片もないように思われた。

 ドラコとアガサはピッタリとくっついてビリヤードが始まるのを見守った。

 ビリヤードの掛け金は、他の種目と同じように最低額が1万ユーロに設定された。
 ニコライとアーベイはカモッラ相手に3万5千ユーロを掛け金にするとコールした。
「プロ選手相手に、本当に勝てるのかねえ?」
 ボックス席からアレッサンドロが心配そうにぼやいた。
「性格の悪いあの二人のことだ。バンキングショットを見てから掛け金を決めたようだから、きっと勝算があるんだろうさ」
 そう言ったジョバンニも、もしニコライとアーベイがゲームを落とせばアルテミッズが総合1位を狙うことはほぼ不可能になると知って、少し不安そうではある。
「見ろ、チャンがユニオン・コルスを相手に4万ユーロをかけたようだ」
 アリがゲームエリアに5台あるビリヤード台のうち、中央にある台を指さした。掛け金の額がテーブルに表示されている。
「でかく出たな……」

 皆が驚く中、ディーラー役を務めるウーゾが宣言した。
 それによると、チャンは対戦相手であるユニオン・コルスの言い値で掛け金を設定することと引き換えに、ハンディキャップ戦を申し込んだようだ。
 リンリンには『負けても構わない』、と言っていたくせに、チャン自身はまだ一縷の勝機を狙っていて、勝つことを諦めてはいない。ボックス席の仲間たちは唸った。破天荒な上海マフィアを相手に、中国でアルテミッズに不動の地位を築いたチャンの度胸だけは本物だ。

「負ければいよいよ後がないぞ。残金の全てを掛けたんだからな」
 イデリコがアガサに言った。
「おい、信仰の厚いキリスト教徒、仲間たちが勝つように神に祈りを捧げたらどうだ?」
 アルテミッズの幹部たちは、アガサが祈ったことでかつて瀕死だったドラコが病院で目覚めたことを奇跡だと信じていたので、イデリコは神にすがるつもりでアガサに祈らせようとしたのだった。
 すると、アガサは真面目な顔でイデリコに言った。
「神は公平なお方よ、イデリコさん。祈りで勝敗が決まったらズルになってしまうわ。でも悪魔が私たちの勝利の邪魔をしないように、今から守りの祈りをするわね」
 ドラコの膝の上で丸くなって目を瞑り、アガサは祈り始めた。
 ある者は呆れ、ある者は怪訝に、またある者は面白そうにアガサを見つめた。ドラコだけはもう慣れっこになっているので、祈りを捧げるアガサを子猫のように大事に抱いたまま、自分はゲームエリアから目をそらさなかった。





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