恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 4-1
イタリアには186もの犯罪組織があり、その構成員は1万5000人にのぼる。
だが、それらの組織をとりまとめているのは力のあるたった7つのマフィアだ。
ローマよりも北側を支配領域とする4つのファミリー【アルテミッズ】、【ユニオン・コルス】、【サクラ・ウニータ】、【シカ―リオ】。
ローマより南側を支配領域とする3つのファミリー【ノストラ―ド】、【カモッラ】、【ヌドランゲダ】。
北側と南側のマフィアは起源が異なり、互いに対立関係にある。
北側マフィアは19世紀の産業革命期に興り、政治経済との共生を重要視する平和的な組織集団だ。
対して南側マフィアは、17世紀後半から18世紀にかけてイタリア領土を他国の支配から開放するために興った武装集団だ。自らの手で国を守ってきたという古きゆかしい魂が、現代においても政治経済を支配しようとする暴挙に及ばせている。そのため構成員の数も武装戦力も、南側の方が圧倒的に多かった。
一方で、武力的なマフィアが支配する南側は、国家的経済損失が大きく、国民の貧しさが際立っている。
イタリアの南北格差は、インコントロで話し合われるメインテーマとなるだろう。
アルテミッズファミリーの首領であるフェデリコは考えていた。
北側は南側の暴力的なやり方には是正が必要だと主張し、南側は北側の経済的【富】を分配するように求めてくるはずだ。そしてその切り札として、アルテミッズファミリーがノストラ―ドファミリーを壊滅状態に追い込んだことを持ち出してくるに違いない。南側マフィアにとってはノストラ―ドファミリーこそが、古来からシチリアを海賊やスペインの支配から守ってきた英雄一族なのだ。その力が弱まった今、南側の経済損失の責任をアルテミッズに押し付けてくることは明らかだ。
――多少は、譲歩してもいい。だが、南側の排他的で利己主義なやり方を改めさせなければ、国そのものが衰弱してしまう。
すでにフェデリコは、北側マフィアと手を組み、インコントロで南側と交渉する準備を進めている。
しかし、問題はドラコだった。
アルテミッズファミリーの次期頭首として推しているドラコのことを、マフィア連合は値踏みしたがっている。アルテミッズが今後も安泰に存続するかどうかを見極めるために。
もちろん、フェデリコはまだ現役を退くつもりはないが、齢50代半ばともなると、10年後、20年後には、ドラコに跡目を任せる時がくる。これはエマをふくめ、アルテミッズファミリーの幹部たち全員が承知していることだ。――ドラコこそファミリーの次期頭首にふさわしい、と。
インコントロに参加すれば、南側のマフィア連はもちろん、北側のマフィア連たちでさえ、ドラコを試し、挑みかかるだろう。誰も将来に不安のあるアルテミッズに賛同などしない。
交渉を優位に運べるかどうかは、彼らがドラコをどう判断するかにかかっているし、それはアルテミッズファミリーの存続にも関わる。
正直なところフェデリコは、ドラコにだけは裏社会で対当に渡り合えるような、強くて狡賢い妻をめとってもらいたかった。裏社会のロビー活動では、妻の裁量と度胸が必ず必要になるからだ。守られるだけの妻は足手まといになる。かつてフェデリコの愛した妻、フェリシティのように……。
アガサもフェリシティにどこか似ている、と、フェデリコは思った。
善良で優しく、他人を信じやすい。それは美徳でもあるが、同時に弱さでもある。
ドラコにはアガサとの結婚を認めたが、インコントロにはエマを同伴してはどうか、と、フェデリコは何度もドラコに勧告した。
しかしあの頑固者は断じてそれを聞き入れようとはしなかった。
そして今、フェデリコの目の前にそのアガサが居る。
間もなくアルテミッズファミリーの12人の幹部たちとその妻たちはフェデリコとともにイタリアの北西、トリエステ湾に面するミラマーレ城に向けて出発するところだ。
アガサは今年3歳になるモーレックと、2歳になるマリオ、そして1歳を迎えようとしているフェデリコの大切な孫ラルフに別れの挨拶をしている。
「パパとずっと一緒なんだよね?」
長男のモーレックは心配そうにママに確認をしている。
どうやら彼は、ママがパパと一緒なら安心だと思っているようだ。
「ぼくのことが、だいすき?」
次男のマリオは甘えた顔でママに尋ねている。
「大好きよ、マリオ。モーレックも来て」
アガサは息子たちを両腕に強く抱きしめて、それぞれの頬にキスをした。
「ママとパパはずっと一緒だから、心配いらないわ。毎晩あなたたちに連絡をするからね。シュレッダーのいうことをよく聞いて、ラルフのことをよろしくね」
「大丈夫よ、アガサ。いざとなったら、この子たちのことはあたしが命にかえても守るから」
ラルフを胸に抱えたシュレッダーがおどけた笑顔でそう言った。
アガサは、シュレッダーの隣に立っているレオナルドに問いかけた。レオナルドは、留守中の白雄鶏の館をフェデリコから全面的に任されている。
「本当に、大丈夫なんでしょうね?」
「心配ないよ、アガサ。子どもたちとシュレッダーのことは、俺たちが必ず守る」
むしろレオナルドは、国中の悪党たちの頂点に立つインコントロにアガサが出席することを心配していた。会場はきっと、脅迫的で冷徹な空気に包まれるだろう。幹部連たちも皆一様に、いつもとは違う緊張感を漂わせている。その中でアガサだけが子どもたちとの別れに涙を滲ませている始末だ……。
アガサは、シュレッダーの腕の中にいるラルフにキスの雨を降らせて、「じゃあ、ママいってくるからね」、と言って、ドラコの待つロールスロイスファントムに乗り込んだ。
白いリムジンの車列が12台、先頭にはフェデリコ、イデリコ、エマが乗り、最後尾の12台目にドラコとアガサが乗る――本当は2台目に乗るように指示されていたのだが、アガサが子どもたちとの別れを惜しんでモタモタしているうちに、ドラコは他の幹部連たちを先に行かせたのだ。
白雄鶏の用心棒たちは整列して一斉に敬礼をした。
心なしか少し苛立ちながら、白雄鶏のリムジンの車列は7月の眩い朝日に照らされて出発して行った。
会場となるミラマーレ城までは、片道5時間のロングドライブとなる。
インコントロは3日間にわたって開催され、初日の夜は晩餐会が予定されている。
最初の晩餐会でいかに地位を誇示し、目立つことができるかが、その後の交渉の場での明暗を分けることになるだろう。
出発の直前まで子どもたちのお世話で大忙しだったアガサは、いつものジーンズと、ゆったりした麻のロングシャツといういで立ちだったので、他の幹部連たちからゾッとした眼差しを向けられていた。まずは外見でバカにされないよう、皆、最上級のスーツやサマードレスに身を包んでいるのに、アガサだけが普段着だった。
「アガサにはドラコの妻だという自覚がないのよ、イタリア人は外見で他人を判断するっていうのに……まったく、嫌になっちゃうわ」
先頭車両の中でエマがぼやいていた。
大丈夫よ、と、シュレッダーは思った。アガサはこの日のために、とても素敵なドレスを新調したのだから、晩餐会ではきっと、皆をあっと言わせるはずだわ、と。
◇
ミラマーレ城へ向かう車の中で、アガサはドラコの肩にもたれて眠って過ごしていた。
時差ぼけがまだ抜けていなかったし、子どもたちと離れ離れになる前になるべく長く一緒に過ごそうとしていたから、ほとんど寝ていなかった。
アガサがゆっくり休めるように楽な姿勢をとらせてやりながら、ドラコは窓の外の田園風景を眺めていた。
フェデリコや他の幹部連たちの心配をよそに、ドラコだけは何も心配していなかった。インコントの交渉においては、何を心配してもなるようにしかならないし、装いや妻のことで誰がどうドラコのことを値踏みしようとも、ドラコは気にするつもりはない。
アガサが妻として隣にいてくれるだけで、ドラコは世界一幸せで満ち足りた気持ちになれた。
◇
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