恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 3-6


 すっかりと日が暮れて暗くなった寝室でアガサは目を覚ました。
 セントラルヒーティングは入れっぱなしにしているが、夜になると部屋が冷えるので、冬は暖炉に火を入れることにしていた。

「ドラコ、起きて」
 アガサの胸の中に顔をうずめて、うつ伏せに眠っているドラコは、揺り動かしてもすぐには目を覚まさなかった。

「ドラコ」
「うぅ……」
 ようやく意識を取り戻して身じろぎするドラコにアガサは言った。
「夕飯を作るわ。何か食べないと」
「いらないよ……」
「昼も食べてないでしょう。私はお腹がぺこぺこよ。洗濯物だってまだ途中だし」
 アガサはドラコの腕からなんとか抜け出して、I♡ItalyのTシャツを寝間着代わりに頭からかぶると、新しい下着を履いた。セクシーなやつではなく、コットンのやつを。
 名残惜しそうにその様子を眺めてから、ドラコもいやいやベッドから起き出して、のろのろとスウェットパンツとTシャツを着た。

「あなたは暖炉に火を入れてもらえる?」
「うん」
 アガサはドラコを寝室に残して、先にキッチンに下りて行った。
 モーニングに餌をやり、広間のテラスから庭に出て、鶏とヤギたちにも餌を与える。水はいつも新しいものが飲めるよう、自動汲み上げ式を採用していた。新しい水が十分にあり、動物たちに異常がないことを確認すると、アガサはキッチンに戻って料理にとりかかった。
 本当は手の込んだ本格メキシコ料理をディナーに作るつもりだったが、すでに時刻は夜の8時だから、それは諦めて手早くできるものにする。

 アガサはスキレットにオリーブオイルと塩を入れてコンロにかけ、ブロッコリーとエビとアサリのアヒージョを手早く調理した。
 そうする間にも、キッチンに下りてきたドラコがパントリーからフランスパンを見つけて持ち出してきた。

「冷蔵庫にトリュフがあったよな。使ってもいい?」
「うん」
 ドラコはトリュフをスライスして、柔らかくしたバターの中に練り込むと、それをカットしたフランスパンに塗った。
 お手軽トリュフバターのブルスケッタの完成だ。

 ウォーターポッドにミントを浮かべて注ぎ、デザートのマスカットを添えて、二人は背の高いキッチンテーブルに向かい合って座った。
 一つのスキレットから二人でアヒージョをつつき、トリュフのブルスケッタを食べた。
 アガサはもりもり食べたが、ドラコはアヒージョを何口かと、ブルスケッタを一つ食べた切り、あとはブドウを時々つまみながら、ジッとアガサのことを見ていた。

「性欲が満たされると、食欲はあまり湧かないものなのに、君は、腹ペコみたいだな、アガサ」
「ドーパミン神経系が活性化することで、食欲が満たされたと誤認識する現象ね」
 ブルスケッタを美味しそうに齧りながら、アガサは言った。
「実は食欲に関わっている神経系は、実際には多岐にわたるの。私のように性的な快楽への経験が浅い場合、ドーパミン神経系が活性化されたことへの影響を受けにくいんじゃないかと思うわ。だからお腹が空いている事を正しく認識できるんでしょうね」
 ドラコは頬杖をついてアガサの講釈に耳を傾けていた。
「そんなことを言うなんて、俺の奥さんはなんて可愛いんだろう。あれだけ情熱的に愛し合った後でそんな小難しいことを言えば、俺以外の男ならきっとドン引きしただろう。――アガサ、俺と結婚して良かったな」
「あなたはどうしてドン引きしないの、ドラコ」
「君を愛しているからだよ」

 アガサは唇の端をオリーブオイルで汚して、ニコリと笑った。

「俺とのセックスは気に入った?」
「ええ、とても」
「どんなところが」
「とりわけ、あなたの温かい手が好き」
 手を褒められたのは初めてだ。今までは大抵、テクニックを褒められた。
「それから、ずっと私のことを見つめてくれていたのも、とても嬉しかったわ」
「……何回も俺から目を反らしたくせに」
 確かにアガサは何回か目を反らした。一度は時計を見るために。でも、それをたしなめられたので、その後は注意していたつもりだったが、ドラコにせめられると照れくさくなってしまって、つい何度か目を反らしてしまったのだ。

「初心者なのよ。多少のマナー違反は勘弁して」
 アガサははにかんだ。

 不意にドラコは、今夜はアガサを少し酔わせてみたい気になった。自分だけに見せてくれるアガサの一面をもっと知りたかった。
 アガサは男女の性的な関係についてはとても純粋で無知なのに、ベッドでは惜しみなくドラコに愛情を表現してくれ、素直にドラコの行為を受け入れてくれた。
 嬉しい驚きだが、アガサはベッドでもとても正直で、好奇心があり、感じていることややってみたいことを、ちゃんとドラコに伝えてくれた。
 行為に及びながら女性とちゃんと会話をするのは、ドラコにとっては新鮮な喜びだった。

 アガサがこんなに可愛い女性だということを、ドラコは今まで知らなかった。
 だから自分の妻を、もっと乱したくなる。

「少し、飲まないか?」
 キッチンに置いているワインセラーの中から、ドラコはイタリア産のロゼを選び出した。
 仄かに甘く、爽やかで飲みやすい、ストロベリーの香るシャンパンだ。アヒージョやブルスケッタに合う酒は他にもあったが、その中からドラコはあえて、一番アルコールの強いものを選んだ。
 クーラーから背の高いシャンパングラスを二つ取り出して、アガサのために注ぎ入れる。

「あなたがお酒をすすめてくれるなんて珍しい。ベガス以来じゃない?」
「たまにはいいだろ、妻を酔わせるのも」
 二人はグラスを掲げて乾杯をした。
 ドラコが思ったとおり、アガサは無防備に最初の一杯を一気に飲み干した。
 二人きりじゃなければ迷わず注意したところだが、今夜は面白そうにその様子を眺めてから、ドラコはすぐに新しく、アガサのグラスに注ぎ足してやる。
 
 イタリアのサルデーニャ島の土着品種に拘ったロゼワインのセッラローリには、4種類の黒ブドウがブレンドされている。いかにも女性が好みそうなそのピンク色をしたロゼは、黒ブドウの深みのある果実味の中にストロベリーとラズベリーが香り、女性を無防備に酔わせるシャンパンだ、と、ドラコは思っている。
 二杯目に口をつけた頃から、アガサの頬がほんのりと色づき始めたのを見て、ドラコはまたすぐに彼女と肌を重ねたくなる気持ちを抑えた。
 アガサが食事を終えるまでは、紳士らしく待つつもりだ。
 
「今日、あなたの体をよく見せてもらって思ったんだけど、とてもバランスのいい体をしているのね、ドラコ。体幹を鍛えるのに、どんなことをしてるの?」
 てっきりセクシーな体を褒められるのかと思ったら、斜め上にマニアックな体幹トレーニングについて問われる。

「逆立ちして腕立て伏せをしてる」
「え、逆立ちで? 本当に」
「今度教えようか。でも、アガサはストレッチポールを使う方がいいんじゃないかな」
「うん、お願い。私はピラティスを少しやってるわ。よければ、今度一緒にどう?」
「いや、遠慮するよ。でも、アガサがそれをやっているところは是非見せてもらいたい」
「いいけど……」
 その時、キッチンテーブルの上に置いてあったアガサの携帯電話が光った。
 子どもたちからの連絡かと思ったので、アガサの視線が画面に釘付けになる。
 だが、ウィリアム・ジラードの名前が表示されたのを見ると、途端に興味を失ってまた食事に戻った。携帯は鳴り続けている。

「出ないのか」
「ええ、いいの」
「俺の前では彼と話せない?」
「夫婦水入らずのロマンティックな夜に彼と話したくないから無視してるの。どうせ緊急の要件じゃないわよ」
「出ろよ」
「イヤよ」
 痺れを切らしたドラコが勝手に電話に出た。
 始めにアガサの夫だと名のり、アガサは今電話に出られないから、要件を【言え】、という趣旨のことを、ドラコは丁寧だがやや威圧的に相手に伝えた。
 そして1分もしないうちにドラコは電話を切った。

「なんだって?」
「今度、彼の自宅のディナーに招待してくれるそうだ。【夫婦で】伺う、と、言っておいたよ」
「そう。あなたがいいなら、別に構わないけど。断っても良かったのに」
「ジラードとは一度話をしたいと思っていたんだ。何度も俺の妻を食事に誘うのはやめろと直接言わなければいけない」
「フランスでのときみたいに、彼の首をいきなり絞めたりしないでしょうね。ジラードは紳士で、ガブリエルとは違うんだから、手を出さないでね」
――彼は性的サディズム愛好者で、ベッドではとても激しく、官能的らしい。
 ドラコは、ニコライがジラードについて言っていたことを忘れていない。

「紳士だからと言って、害がないとは限らない」
「何か知っているのね?」
「彼の招待に応じればわかるさ」
「教えてくれてもいいでしょう」
「俺たちのロマンティックな夜に彼の話はしたくないよ」
「勝手に電話に出たくせに……」
 アガサはグイと二杯目のシャンパンを飲み干して、食事を終えた。

「じゃあ、ベッドに戻ってまた続きをしようよ」
 そう言われて、アガサはビックリしてドラコを見つめた。見つめ返してくるドラコの目は冗談を言っているようには見えないが。

「今日はもう、十分に心も体も満たされたでしょう、ドラコ」
「まだ足りないよ。もっと君が欲しい」
「これから子どもたちのために苺のババロアを作るんだから、ダメよ。洗濯ものだってまだ残っているし」
「明日でいいだろ」
 ドラコが立ち上がって、アガサに迫って来た。
 アガサは後ずさる。
「さては、からかっているのね?」
「そう思う?」
 ドラコが妖艶に囁き、手を伸ばしてきたので、アガサはそれをかわしてキッチンから広場に駆けだした。

「ふざけないで。私はランドリールームに行ってくるから、あなたは一人で冷たいシャワーを浴びてちょうだい!」
 広場に置きっぱなしにしてある洗濯物カゴを持ち上げて、アガサは奥の廊下に向かって走った。しかし、すぐにふわりと体が持ち上げられて、洗濯物が山積みになったカゴを手から落としてしまった。

「きゃあ! ドラコ、冗談でしょ? 洗濯物が……」
「何もかも明日でいい。今日だけは、思う存分二人きりの時間を楽しみたいんだ、来いよ」
「待ってってば、本当にもう。せめて洗濯物だけ回させて」
「うわ、」
「きゃあ!」
 階段を上って行く途中でアガサが暴れたので、ドラコは足をもつれさせて、アガサを抱いたまま分厚い絨毯の上で転んだ。

 二人の体が階段の上に横たわる。
「アガサ、もう我慢できないよ……」
 ドラコはその場でアガサの上に馬乗りになり、Tシャツとスウェットパンツを脱ぎ捨てると、アガサのパンティを引き下ろした。
 そして、性急に彼女を求め始める。
 I♡Italyのロゴが入ったTシャツを脱がされて裸になっても、アガサは寒さを感じなかった。
 ドラコと肌を重ね合わせると、体は内側から強烈な熱を持って否応なしに躍動した。

 性急すぎる行為を終えた後、アガサは体に力が入らなくなってグッタリと階段の上で倒れた。
 ドラコが裸のアガサを抱き上げて、寝室まで運んでくれる。
「少しも休ませてくれないつもり? こんなに情熱的で、息もつかせてくれないなんて……」
「君のせいだよ……」

 寝室のベッドに優しく戻されてからも、ドラコはアガサを抱き寄せて、何度も、何度も、繰り返し求め続けた。
 ただし性急な激しさは消えて、どこまでも優しく、アガサを労わるように、ドラコはそっとやってくれた。
 それはまるで、静かな湖の底に深く沈んでいくような感覚だった。
 
 やがて空が白みだす頃、すべての力を使い果たしてドラコはベッドに倒れ込んだ。
 こんなに満たされたのは、生まれて初めてだ。
 眠る前にドラコの顔の汗を、アガサが手の甲でぬぐってくれた。それから体が冷えないようにと、掛布団を引き上げて体を隠してくれる。
 彼女の優しい愛の中で完全に満たされて、ドラコはアガサを抱きしめたまま、ようやく安心して眠りについた。





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