恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 3-3


 日曜の礼拝の後、家族はそろってモールに買い物に出かけた。
 今日は、モーレックとマリオが以前から試したがっていた【市販】のお菓子を買うことになっていた。
 というのは、翌日の月曜日に一泊二日で開かれる『教会の子どもキャンプ』があって、それに参加する子どもたちは決められた量のおやつを持参して良いことになっているのだ。
 モーレックとマリオも参加するので、生まれて初めてお店でおやつを買ってもらう機会を得たのだ。二人とも大喜びだった。
 
 サンガブリエルピークの麓にある、アイドルハワーキャンプ場は、ダヴァール教会から車で一時間弱の所にある。
 シーズンオフの冬季間は地元住民に格安でキャンプ場を開放してくれるので、親たちがお金を出し合って毎年、子どもたちをキャンプに送り出していた。
 年長者クラスと年少者クラスに分かれ、1歳から年少者クラスに参加することができる。

 自然の中を散策して、野生の鳥や虫、植物たちを観察したりして、自然と共存して生きることを学ぶことが教会子どもキャンプの目的だった。
 夜にはシチューを作って焚火を囲み、デザートにはマシュマロを焼いて食べながら、アコースティックギターの演奏で讃美歌を歌うのが定番のプログラムになっていた。
 ダヴァール教会では毎年人気のイベントなので、アガサも子どもたちが大きくなったら参加させたいと考えていたが、今年は絶滅危惧種の鳴鳥が近くまで来ているらしく、その噂を聞きつけたモーレックが是非参加したいと、アガサにねだった。
 モーレックが行きたがると、弟のマリオも、にーにと一緒に行くと言って譲らなかったので、アガサは思い切って二人を参加させてみることにしたのだ。

 しかし、当日が近づくにつれてアガサは不安を募らせた。
「ママとパパは一緒に行かないけど、本当に大丈夫なの?」
 アガサは何度も子どもたちに確認した。
「だいじょうぶだよ、ぼく」
「マリオも本当に行くのね?」
「あうっ」
 マリオは揺るぎない決意のもと頷いた。まだ1歳を過ぎたばかりだが、マリオはモーレックが行く所に、自然と一緒について行きたがるようになっていた。

 いざとなれば、自宅から車で一時間以内に迎えに行ける距離だから、とアガサは自分に言い聞かせた。

 キャンプにはリック牧師とマーガレット牧師夫人も行くし、子育て経験のある婦人会のスタッフたちが年少クラスの面倒をみてくれることになっていた。
 心配はないはずだ。
 本当はアガサも一緒に参加したかった。だが、子どもたちの主体性と自立を促すために、親は参加しない決まりなのだ。

 アガサは子どもたちのキャンプのために、かなり早い段階から余念なく準備を進めてきた。
 子ども用のバックパックと、温かい寝袋を用意して、子どもたちにその使い方を何度もレクチャーした。
 アウトドア専門店に行って、モーレックとマリオのために、最も履き心地のよいシューズを買い与えた。
 兄弟でお揃いの防水ジャンパーと、温かくリラックスできるキャンプ用の服と、予備の靴下も新調した。

 月曜当日の早朝に顎紐付きのサファリハットをかぶってキッチンに降り立った子どもたちは、小さなバックパックに、初めて買ってもらった市販の動物型ビスケットとオーガニックのフルーツグミを詰めて、初めてのキャンプに挑むのに、気合十分に見えた。一刻も早く出かけたがっている。

 小さな冒険家のような子どもたちの姿を眺めて、ドラコは笑いがこみ上げてくるのをこらえて朝のコーヒーを飲みこんだ。

 出発の前に、アガサが真剣な顔で子どもたちに説明をしている。
「パスケースの中にママとパパの名前と、連絡先を書いたメモを入れてあるわ。あと、緊急時のお金も入っているからね。10ドル札が5枚ずつ」
 アガサは子どもたちの名前入りの防水のパスケースを、モーレックとマリオの首からお守りのように下げた。
「困ったことがあったら、すぐに連絡するのよ」
 そんなアガサの様子を傍で見ていて、過保護だなあ、とドラコは思う。

「それじゃ、出発しましょう。さあ、ぱぱに挨拶して」

 ドラコはモーレックとマリオを一人ずつハグして、キスをした。
「楽しんでおいで、二人とも大好きだよ」

 心配するママをよそに、二人の子どもたちは自信に満ちていて、今日が素晴らしい一日になることを確信して胸を膨らませているようだった。

 フォードのSUVの後部座席にはチャイルドシートが3つ取り付けられて、子どもたちの送迎の準備が完全に整うと、アガサはモーレックとマリオとラルフをフォードに乗せて、キャンプ場に向けて出発していった。集合時間は8時だった。

 ドラコもそれから1時間ほど遅れて仕事に出かけた。今日は一日中、電力会社の会議がある予定だった。
 キャンプに出かけた子どもたちが羨ましい。
 こっちは退屈な一日になりそうだな、と、ドラコは思った。





 アイドルハワーキャンプ場の舗装されていない駐車場に着くと、キャンプ場の入口でアガサは涙をこらえてモーレックとマリオをリック牧師に預けた。
「よろしくお願いします。何かあったらいつでも連絡してください。携帯は肌身離さず持ち歩いていますから」
「わかりました。でも何も心配はいりませんよ、アガサ。モーレックとマリオは、とてもしっかりしている子たちだから」

 アガサは最後にもう一度子どもたちに言った。
「明日は朝10時にここに迎えに来るからね。苺のババロアをつくって、あなたたちが帰ってくるのを待っているわ」
 息子たちのほっぺにキスをして、アガサは送り出した。
 婦人会のスタッフに手を引かれて、モーレックとマリオは嬉しそうに年少組の輪の中に加わって行った。
 その後ろ姿を誇らしく見つめながらも、アガサは少し寂しい気持ちになった。モーレックばかりか、ママっこのマリオまでもが泣きもせずに行ってしまうとは。

 腕に抱いていたラルフを再びフォードのチャイルドシートに寝かせて、「あなたはいつまでもママの赤ちゃんでいてね、ラルフ」、と、アガサは呟いた。
 子どもたちが急速に育って、親離れをしていく気がしてやるせなかった。


 アガサは、子どもたちがキャンプに行っている間はいつでも迎えに飛んでいけるように、大学の仕事も、シャロームプロジェクトの仕事も休みを取っていた。ただし、今日は午前中に術後3か月検診に行かなければならない。

 途中、教会で親しくしている日本人夫妻の自宅に寄って、ラルフを預けた。
 夫妻には子どもが3人いるが、すでに全員が大学生以上の年齢で、実家を出て暮らしている。ご主人はGoogleに勤めていて、奥さんは専業主婦をしているので、これまでにも何度か都合をつけてもらって、子どもたちの面倒を見てもらったことがある。
 その朝、ラルフを引き渡すときに、中川夫人はアガサに言った。
「今日はモーレックとマリオがキャンプに出かけているんでしょ? あなたは病院があることだし、今日くらいゆっくり休みなさいよ」、と。
 思いもかけないことだったが、生後3ケ月のラルフを一晩預かってくれるというのだ。

 アガサは術後検診に行くたびに気持ちが酷く落ち込むことが分かっていたので、その申し出を有難く受けさせてもらうことにした。
 子どもたちを預けるときは、アガサはいつも多めに着替えやオムツやミルクを子ども用旅行鞄につめて持参しているので、一晩預かってもらうのにそれで事足りた。

「いつも助けていただいて、本当に有難うございます」
 アガサは日本語でお礼を述べた。


 そしてアガサは、術後3カ月目の検診を受けた。
 血液検査もCT検査も異常がなく、無理のない範囲で通常通りの生活に戻っても大丈夫だとの医師のお墨付きを得た。
 ただし、子宮の裂傷痕は変わらずに残っているので、やはり妊娠することは難しいとの診断だった。
 毎度のことだが、これには本当に気持ちが沈んでしまった。奇跡的な回復ではなく、またしても変わらぬ現実を突きつけられたからだ。

 アガサは誰もいない静かな古城に帰ってきて、しばらく1階のエメラルド色の広間に立ち尽くしていた。
 フル充電してある携帯の着信を確認してみても、子どもたちからの連絡はない。
 気落ちしているし、子どもたちはいないしで、何もやる気がおきなかった。
 でも、こんなのはアガサらしくない。

 アガサはなんとか気を持ち直して、今日一日をどのように過ごすかを考えた。ドラコの顔が思い浮かんだ。
 そうだ、今日は子どもたちもいないし、久しぶりにロマンティックなディナーを作ろう。二人きりでゆっくり食事をするのは、結婚前に行ったフレンチ以来だ。
 やるべきことができたことに少なからず安堵して、アガサは早速、ドラコにテキストメッセージを送った。

――ラルフを中川夫妻に一晩預かってもらうことにしたわ。ロマンティックなディナーを作るから、今夜は早く帰ってきて。a
――病院はどうだった? d.

 ドラコは会議中のはずだが、すぐに返信があったのでアガサは意表を突かれた。
 少し迷いながらも、アガサは言葉を選んで返信を打った。――お医者様の許しが出たわ a.
 既読にはなったが、その後、返信はなかった。

 やはり、仕事で忙しいのだろう。

 アガサは先に洗濯ものを片付けてしまうことにして、ランドリールームに向かった。
 まだ午前中だから、ディナーの仕込みはその後でも十分に間に合うはずだ。





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