恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 3-2


 ドラコは日頃から、子育てにかかる負担を少し軽減するのが理想的だと考えていた。
 
 2歳のモーレックと、1歳のマリオは動きたい盛りで目が離せないし、0歳のラルフはまだ3時間おきに授乳が必要だった。もちろんドラコも手伝っていたが、育児と家事にかかる負担はどうしてもアガサに集中していた。大学やシャロームプロジェクトの仕事もあるのに、よくもまあ弱音も吐かずにこなせるものだと、ドラコはアガサのことを尊敬している。
 これからはアガサに、ドラコとの夫婦の時間にも、もっと時間を費やしてもらいたかった。そのためには、良いベビーシッターを見つけることが喫緊の課題だ。

 ドラコはこれまでに3人のベビーシッターを仮採用したが、その全員をわずか数日でクビにしていた。

 アガサは、ドラコがどうしてそんなに次々とシッターをクビにするのか不思議がったが、ドラコはそのたびに「安心して子どもたちを任せられないからだ」、と言って詳しくは説明しなかった。

 ドラコが【彼女たち】をクビにしたのには、ちゃんと理由がある。

 一人目は50代のベテランシッターで、これまで何人ものハリウッドスターの子どもたちを担当した経歴を持っていた。
 金持ちにおもねることなく、子どもたちをパパラッチの目から守りながら、家庭では厳しく育てることをモットーとしているようだった。
 新しいシッターを雇うときは、シッターと子どもたちの相性がいいかを見るためにアガサが一日付き添っていた。それで問題なければ、二日目からは子どもたちとシッターだけに一日を任せてみる。ただし二日目は、ドラコはいつも仕事を早く切り上げて古城に帰り、実際に子どもたちがどう過ごしているかを抜き打ちで観察するようにしていた。
 その日ドラコが帰宅すると、モーレックが不満そうにパパのところに来た。

「ぱぱ、あのひとはキライだよ、ぼく。だって、とてもいじわるなんだ」

 聞けば、子どもたちのためにアガサが冷蔵庫に準備していた苺のババロアを、モーレックとマリオはおやつの時間に食べるのを楽しみにしていたのに、何故かその50代のベテランシッターは子どもたちに与えなかったという。モーレックが、冷蔵庫に苺のババロアがあるはずだ、と言っても、「ない」、と言われたそうだ。

 ドラコはモーレックとマリオをリビングに待たせておいて、キッチンにいたシッターと二人きりで話をした。

 冷蔵庫を見ても苺のババロアが無いので、それをどうしたのかを聞くと、シッターは子どもたちに「与えた」、と言った。
 もちろんドラコは、そのシッターが嘘をついていることをすぐに見抜いた。
 子どもたちが食べていないと言っていることを伝えると、そのシッターは、「ああ、子どもは嘘をつくものですからね、よくしつけないと」、と言って鼻で笑った。

 嘘をついたばかりか、息子たちを侮辱されたことに腹をたてて、ドラコはその場でベテランシッターに解雇を言い渡した。
 帰り際に、そのシッターは不当解雇だと騒ぎ立てたので、その手に持っている保冷バッグの中味を見せろ、とドラコは迫った。有無を言わせず中を検めると、まだ手を付けられていない苺のババロアがタッパーに入ったまま見つかった。そればかりでなく、アガサが子どもたちとシッターが一緒に食べられるようにと余分に買っておいた食材まで詰め込まれていた。
 ドラコは静かに女を見据えて、正式に苦情を申し立てることと、必要ならば警察に窃盗の被害届を出すことを【伝えた】。
 女はヒャッと小さな悲鳴を上げて、保冷バッグを抱えたまま逃げるように去って行った。何を言われたかではなく、ただ、ドラコに鋭い眼で睨みつけられたことに恐怖したのだ。――なんて怖い人。あれは殺人者の目だわ!

「ママのいちごのババロアをもっていっちゃったの、あのひと」
 いつの間にかモーレックが足元に来ていて、走り去るセダンをドラコと一緒に見送っていた。
 マリオも浮かない顔で指をしゃぶりながら、兄の横に並ぶ。
 ドラコは息子たちを不憫に思って、しゃがみこんで視線を合わせた。

「ハーゲンダッツを食べに行こう。ママには内緒だぞ」

 途端にモーレックとマリオの顔がキラキラ輝いた。
 アイスは特別なときにしか食べさせてもらえない、二人の大好物だった。
 その後、何も知らないアガサが古城に帰ってきて、冷蔵庫の中の食材がたくさん無くなっていることに気づいたが、子どもたちが育ち盛りだから、きっとシッターさんが一杯食べさせてくれたのね、と思った。しかし、一人目のシッターがそれ以来パタリと姿を見せなくなり、シッター紹介所に問い合わせると、すでに解雇されて籍がないことを知って驚いた。


 二人目と三人目のシッターは、最初のシッターよりもずっと若くて経験には乏しかったが、明るくて親しみやすい雰囲気をアガサは気に入ったようだった。
 その二人は冷蔵庫から食料を盗んだり嘘をつくことはなかったが、ドラコはまた、すぐに解雇した。
 理由は単純だ。
 二人のうち一人はアガサのいないときにディナーに連れて行って欲しいと図々しくドラコの腕にしがみついてきた。
 もう一人の方は驚くべきことに、ドラコの見ている前で服を脱ぎすて、下着姿になって踊り出した。彼女たちは無邪気にかつ陽気に誘いかけ、ドラコが呆れて拒絶すると、いきなり怒りだし、先に誘いをかけてきたのはそっちだと言いがかりをつけてきた。
 
 これまで多くの淫らな女を相手にしてきたドラコは、そうなることを事前に察知していたので、抜け目なく証拠のビデオを撮り、どちらもシッター紹介所に苦情を申し立てて除籍させた。既婚者に迫る輩は信用できないし、子どもにも悪影響だ。

 そんなことが続いたので、ドラコはもう赤の他人を家に上げるのが嫌になった。

 こうなったら、仕方ない。【あの男】に頼むしかないか、と、ドラコは思った。
 アガサは警戒するかもしれないが、なんとか説得するよりほかないだろう。
 ドラコがそう意気込んだのは、その男がゲイの黒人だったからだ。アルテミッズファミリーの情報屋で、名前をシュレッダーという。外見は強面だが、愛情豊かで、鋭い倫理観を持ち合わせている、信用のできる人物だ。

 シュレッダーはドラコの連絡を受けて、二つ返事で快くベビーシッターを引き受けてくれると言った。

 土曜の午後に、庭で薔薇の剪定をしているアガサの元に、ドラコは神妙に近づいて行った。
 そのときには動物用の柵がたてられていたので、庭に出てもドラコが鶏たちから虐げられることはなかった。

「新しいベビーシッターが見つかったんだ。彼は保育士免許を持っていないが、俺の知り合いで、信頼できる。男性だけど、いいかな」
「いいじゃない、是非、来てもらいましょう」
「彼はゲイで、黒人なんだ」
「そう」
 アガサは気にも留めない様子で、古城の壁に這う蔓薔薇の暴れている枝を一本切り落とした。
「それだけ?」
 ドラコは拍子抜けした。

「それだけ、って、何が?」
 皮のグローブをはめて、頭には毛糸の帽子をかぶり、首にタオルを巻いた姿のアガサは、不意に手をとめてドラコを振り返った。

「君はクリスチャンだからゲイには否定的かと。それに、黒人の男を怖がるかと思った」
「あなたが信頼できる人なんでしょ?」
「そうだ」
「決まりね」
「でも、質問の答えになってないよ、アガサ。君がどう考えているか聞かせて欲しいんだけど」
「ドラコ、ゲイだからといって彼らを一方的に罪に定めるべきではないと、私は思うの。いずれにしても、結婚前に性的に淫らな関係をもつことは罪に定められることだけど、同性を愛することが彼らにとって自然なことなら、誰も彼らを裁くことはできないんじゃないかしら。それに、彼が黒人だと言うなら、私はアジア人よ、ドラコ、あなたは何人なの」
 ドラコは、一瞬でもアガサが他人の性的嗜好や人種で偏見のある判断をするかもしれない、と不安に思ったことを恥じた。
「俺は君の夫だよ」
 白人だとは言いたくなかった。人種も性別もアガサには関係ないということがわかったから。

「彼の名前は? いつから来てくれそう?」
「シュレッダー。今やっている仕事の引継ぎがあるから、再来週から来てくれる」
「わかったわ。今度は、クビにしないでよ、ドラコ」
 これまで3度も、ドラコが最初の数日でシッターたちをクビにしてきているので、アガサは心配そうにドラコを見た。
「手加減はしないよ。でも多分、今回は大丈夫だと思うよ」
「そう」

 アガサはまた、蔓薔薇の剪定作業に戻った。

「手伝おうか」
「もう終わるから大丈夫。それより、子どもたちがお昼寝から起きる時間だから、あの子たちに冷蔵庫のプリンを食べさせてくれる? うちの鶏たちの卵から作った自信作なの」
「俺の分もある?」
「もちろんあるわよ」

 ドラコは古城に戻って、モーレックとマリオが昼寝から目覚めるとすぐに、二人をキッチンに誘った。
 冷蔵庫には小さなガラスのカップに入ったプリンが10個もあった。子どもたちをダイニングテーブルに座らせ、一人一つずつプリンカップを配る。

 モーレックとマリオは生まれて初めて食べるプリンにたちまち夢中になった。
「ぼくこれ、とてもきにいったよ」
「うまあ!」
 子どもたちが喜ぶ姿を見るのも嬉しかったが、ドラコもそれを一口食べてみて、感動の舌鼓を打った。

 それは今まで食べた他のどのプリンよりも濃厚で、滑らかで、芳ばしい。
 卵の風味がしっかり出ているのに、生臭さは少しもなく、かえって爽やかでクリーミーだ。うちの奥さんは本当に優秀だな、と、ドラコは思った。
 もう一度結婚を申し込みたいくらいだ。
 そのプリンが、ドラコのことを嫌っている、あの生意気な鶏たちが産んだ卵から作られたということは、すっかりドラコの頭の隅に追いやられていた。


 ヘンリーおじさんから譲ってもらった鶏たちは、大事に育てられている分、本当に優秀だ。
 古城でもアガサは、ヘンリーおじさんと同じように大切に愛情をかけて鶏たちを育てていた。





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