恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 3-14


 ジラードのペントハウスの煌びやかな白い廊下を進んで行くと、ひときわ重厚なエボニー材の両扉があった。
 モダンな邸の中で、その扉は異質な存在感を放っていた。

「ドラコ!」

 中からアガサの叫ぶ声がして、ドラコは扉を押し開けて部屋に入った。
 そこにはバロック様式で統一された室内装飾と家具が並ぶ、豪勢で重苦しい空間が広がっていた。
 背もたれに唐草模様を施した椅子、異なる金属を嵌め合わせた象眼のチェスト、金箔張りの脚をつけた分厚いテーブルなど、その部屋に置かれているあらゆる家具が中世ヨーロッパのアンティークだった。

「ドラコ!」

 アガサがどこにいるのか見えないので、ドラコは慎重に部屋の奥に足を進めて行った。敵がどこかに潜んでいるかもしれない。

 見渡していると、ふと、豪華な家具に混じって、奇妙な形をした拘束椅子や磔の器具があるのが目につく。
 壁には、手錠や皮ベルトなどの様々な拘束具と、鞭の類、さるぐつわ、それに、あらゆる形の挿入具が整然と陳列されている。
 
――なるほど、ここが奴のプレイルームというわけか。
 ドラコはニコライが言っていたことを思い出して合点を得た。ジーラードは自宅にSMプレイを愉しむ専用の部屋を持っているのだ。

 中には、ドラコにさえどうやって使うのか分からないような複雑な構造の保定器具もあった。
 興味がないと言えば嘘になるが、今はアガサの身の安全を確保することが最優先だ。
 マニアックな品々から目をそらして、ドラコは注意深く室内を見回した。

「どこにいるんだ?」
 室内に敵がいないことを確認して、ドラコは初めて声を出した。
「ドラコ!」
 アガサが悲痛な叫び声を上げた。声の様子からして追い詰められ、怖がっているようだ。
 
「ここにいるよ、君を見つけた」
「ああ、あなた、良かった……」
 アガサは泣き出しそうな声を漏らして、苦しそうに身じろぎした。
 その動きに連動して、金属が擦れる音がする。なんとアガサは、目隠しをされ、さらに両手をくくられて天井から吊り下げられていた。

「一体全体、どうしてこんなことになってるんだ?」
「カプシーヌがやったのよ!」

 アガサの両手を縛っている深紅の布が、天井から下りているチェーンに引っ搔けられていた。
 チェーンは巻き取り式の滑車に繋がっており、体を吊り上げられた状態のアガサは、かろうじてつま先を床についてなんとかバランスを取っている状態だった。

「すぐに私をここから下ろしてちょうだい、手首がちぎれそう……」
 アガサが弱々しくドラコに助けを求めた。

 ドラコは回しレバーに手をかけた。しかし、正しいと思った方向に回そうとしても動かなかったので、試しに反対側に回してみると、アガサの体がさらに高く吊り上げられてしまった。

「きゃあ、ドラコ!」
 今やアガサの足は完全に床から離れて、バタバタともがいて体が大きく揺れた。
「しまった、ごめん」
 ストッパーを外せばチェーンを緩めることができるはずだったが、ロックされていてどうしても動かなかった。
「手の感覚がなくなってきたわ。ドラコ、早く助けて」
 アガサが空中で暴れて、頭上の鎖がガシャガシャ鳴ると、ドラコの胸までざわつき始めた。
「銃を持ってくるべきだったな」
 ドラコは苛立たし気に呟いた。滑車を撃ち抜けば話は早かっただろう。

 ドラコはアガサに近づいて行って、先に目隠しを外してやることにした。
 だが手を触れると、アガサはビクっと体を震わせて小さな悲鳴を上げた。
「俺だよアガサ、大丈夫だ。今、その顔の布をとってやるから」
 目隠しが外されると、ドラコの姿を見て安心したのかアガサは早口にまくしたてた。
「とても恐ろしいことを言われたのよ、ドラコ。【開かれたスキンシップ】を提案されたの。変な話だけど、彼女は確かにそう言ったの。バカげてるわよね、私はジラードと、あなたはカプシーヌと、って。まさかあなた……」
 アガサが不安そうな顔をしたので、ドラコは不機嫌に応えた。
「もちろん断ったよ、応じるわけがないだろう」
「……そうよね、そんな恐ろしいこと。私もハッキリ拒否したわ。そうしたら彼女、あっという間に私を縛って、ここまで引っ張って来ると、吊り上げたの。とても恐ろしかったわ、もう帰りたい、ドラコ……」
「待ってろ、すぐにそこから降ろしてやるから」
 ドラコは内ポケットから折り畳みナイフを取り出して刃先を出した。
 そして片腕でアガサの体を支えながら、もう片方の手でアガサの手を縛っている布を切り裂き始めた。布は厚地のリネンだったのでナイフが通りにくいうえに、アガサの手を傷つけないように慎重に刃先を進める必要があったので、ドラコは手こずった。
 
「フルーツの皮を剥くためのナイフだって言ってなかった?……その果物ナイフで本当に切れるの?」
 アガサがねちねち文句を言い始める。
「だまってろ」

 やがてブチっと布が切れて、アガサの体がドラコの腕の中に落ちてきた。
 抱きとめると、アガサが子どもみたいにギュッとドラコの首にしがみついてきた。

「もう大丈夫だ。家に帰ろう」

 背中をさすって落ち着かせてから、ひとまず近くにあった寝椅子に座らせて、縛られていた箇所を見てみると、痣になっていた。
 不意に抑えがたい怒りが込み上げてきた。――あいつら、ぶち殺してやる。
 ドラコの中に、ジラードとカプシーヌに対する明確な殺意が湧いた。

 その時、アガサの震える指が優しくドラコの頬に触れた。
「落ち着いて、ドラコ。彼らとはもう関わらないようにして、今日はこのまま帰りましょう」
 それでもドラコはまだ気が鎮まらずに顔をしかめた。
「このままじゃ帰れないよ。ジラードはずっと君の脚を見ていた、気づいたか?」
「ジラードよりも、あなたの方が多く見てたことには気づいてた?」
 見たかもしれない。
「俺は君の夫だから、いくらでも見られるし、触ることもできる」
「カプシーヌがテーブルの下であなたにしたことを見たわよ」
 アガサはそう言うと、カプシーヌがやったのと同じようにドラコの足をつま先でなぞり上げた。
 ドラコは気まずそうに笑みを浮かべた。

「あなたは少しもカプシーヌの誘惑に駆られなかったの?」
「全く。でも今は、君に誘惑されているよ」
 ドラコは跪いてアガサの足を持ち上げると、足の甲から、足首、すね、膝へとゆっくりとキスを進め、スカートの裾を持ち上げようとした。
 そこでアガサはスッと椅子から立ち上がった。
「こんな不気味な拷問部屋であなたを誘惑するわけないでしょ。帰りましょう、ドラコ」
 扉に向かって歩き始めるアガサの手を、ドラコが掴んで引き留める。
「さっき言われたことが引っかかる。――どうして俺がカプシーヌの誘惑に駆られると思ったんだ?」
「彼女はあなたに気がありそうだったし、とても美人でセクシーだわ」
「美人でセクシーな女なら世界中にたくさんいる。……もしかして、俺のことを信じてないのか?」
「いいえ。あなたは私と結婚しているのに浮気をするような人じゃないわ。でも、誘惑に駆られるかどうかは別問題かと思ったから」
 ドラコはやり返すことにした。
「そういう君はジラードの誘惑に駆られたのか? 食事の間、ずっと楽しく話しているようだったけど」
「まさか! 気まずかったわ。ジラードは私にばかり話しかけるから、私はあなたとカプシーヌをなんとか会話に巻き込もうとしたのに、あなたは不機嫌に押し黙っているし、カプシーヌはあなたのことばかり見ているんだもの。楽しくないディナーだった」
 それを聞いて、ドラコは満足した。
 やはり、アガサは賢く聡明な女性だ。

「今すぐ君と愛し合いたい、アガサ」
「いいえ、嫌です。ここでいたすくらいなら、暗い街角で立ちバックする方がずっとマシ」
「いいよ、じゃあ今すぐ街に出よう。ただし、立ちバックはなしだ。俺は前からの方が好きだから」
「そうだったの。なんで?」
「君の顔をよく見て抱きしめている方が安心するから」
「ああ、ドラコ。あなたってロマンチックなのね……。でも、街角の件は冗談よ。ドッグに迎えに来てもらって帰りましょう」

 二人は部屋から出て廊下を進み、ここに来た時に使ったエレベーターを目指した。だが、途中で足を止めた。
 リビングのソファの上でジラードとカプシーヌが素っ裸で絡み合っている姿が目に飛び込んできたのだ。床の上には二人が脱ぎ捨てた服が散らばっている。
「どうしましょう、あそこを通らないとエレベーターに乗れないのに。……終わるまで待つ?」
 絡み合う肉体は激しく揺り動き、今まさにクライマックスを迎えようとしているかのような大きな喘ぎを上げた。
 咄嗟にアガサは両手で耳を塞いだ。

 するとドラコはつかつかとリビングに入って行き、ソファーの近くのローテーブルからワインクーラーを持ち上げると、ボトルを抜いてクーラーの中の氷水をジラードとカプシーヌの体にかけた。二人は悲鳴を上げて飛び上がり、体を離して起き上がった。
 今度は、アガサは両手で目を塞いだ。ジラードの下半身を見てしまったのだ。

「ゲストを放ったらかして自分たちだけお愉しみとは、随分なおもてなしじゃないか。奥の部屋が空いたからそっちに移ったらどうだ?」
 陽気な笑みを浮かべてはいるが、その声は不気味なほど冷たかった。
 ドラコは空になったワインクーラーを床の上に落とすと、片手に持っていたワインボトルを思い切りジラードの頭に打ち付けた。破片が飛び、中に残っていた赤ワインが床の上に零れ落ちる。ジラードは両手で頭を押さえてソファーの上で丸くなった。カプシーヌが悲鳴を上げて逃げ出そうとすると、ドラコは彼女の髪を鷲掴みにして床の上に組み伏せた。

「ドラコ、何をしてるの? 乱暴はやめてよ?」
 両目を塞いだままアガサが忠告する。
「大丈夫だ。こっちを見ないで、そこで待ってろ」

 そしてアガサには聞こえないように、カプシーヌの耳元で囁く。
「人の妻を縛り上げる前によく考えるべきだったな、それが【誰の】ものなのか。可哀相な俺の妻は手首に痣ができた。その報いは受けてもらう」
 床の上に脱ぎ捨てられたジラードのスラックスから皮ベルトを取り、ドラコはあっという間にカプシーヌの両手両足をひとくくりにして後ろ手に縛り上げた。
 ドラコはさらに床の上からジラードのブルーのネクタイを取り上げると、手のひらにくるりと巻いてから両手で引き絞った。
 絞め殺されると思ったジラードが悲鳴を上げる。
「やめてくれ!」
「ドラコ?」
「大丈夫だ、絞め殺したりしないよ」
 ジラードの首を掴んで立たせると、床の上にうつ伏せになるように命じて、カプシーヌと同じように両手両足を後ろ手にきつく縛り上げた。
「きつくされるのが好きだろ?」
 ドラコは埃を払うように両手を叩くと、床の上で転がるあられもない姿のジラードとカプシーヌを冷ややかに見下ろした。
「誰かに見つけられるまで、そこでずっとそうしていることだ。今度また俺たちに近づいたら、この程度じゃ済まさない」
――次は殺すぞ。
 沈黙の中に明確な殺意を感じ取って、全裸の二人は無言で頷いた。

 ドラコはアガサの元に戻り、視界を塞ぐためにかばう様にアガサの頭を胸に抱いてエレベーターに向かった。

「何を話してたの?」
「もう俺たちには関わらないで欲しいと【お願い】してたんだよ」
「ワインボトルが割れた様な音がしたけど?」
「手が滑ったんだ」
「二人は無事なのね?」
「もちろん」
 ドラコは愛しい妻の額にそっとキスをした。


「一瞬だけど、ジラードの裸を見てしまったわ。目に焼き付いてる」
「帰って俺のを見たらすぐに忘れるさ」
「気持ち悪くて、しばらくセックスをする気分にはなれそうにないわ……」
 それを聞いて、ドラコは心底ガッカリした。SM部屋で吊り下げられていたアガサにはそそられた。こんな状況じゃなければ、愉しめただろうに。

「あなたもカプシーヌの裸が目に焼き付いているんじゃない?」
 ドラコは溜息をついた。
「俺はそんなにウブじゃないよ、アガサ」

 ペントハウスのエレベーターから降りてロビーを横切って行く夫婦の姿を、フロント係はうっとりと見送った。
 品が良くて、感じのいい夫婦だ。並んで立っているだけで、互いを大切に思い合っているのが伝わってくるのも微笑ましい。
 なんて素敵な夫婦だろうか、とフロント係は思った。





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