恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 3-15
古城に帰って来て子どもたちの寝顔を見たら大分落ち着いたが、その晩、アガサはまたルイの夢を見てしまった。
朝目覚めると、枕に肘をついたドラコがじっとアガサのことを見おろしていた。
「ルイって、誰?」
ドラコの深い海色の目は、まるでアガサの内面を直接覗き込もうとするかのように、隙がなかった。
できればドラコには知られたくなかったが、寝言でルイの名前を呼んでしまったようなので仕方ない。アガサは正直に言った。
「中学生のときに初めて付き合ったイタリア人の彼氏よ。彼から追いかけられる夢を見たの」
彼とはほっぺにキスをする程度の間柄で、図書館デートをしていたという話を、ドラコは以前にアガサから聞いていた。
その名前がルイであるというのは初めて知った。
「彼のことが忘れられないのか?」
「恋愛感情はとっくにないわよ。子どもの頃の良い思い出というだけ。中学を卒業した後すぐに、私は日本へ、ルイはイタリアへ引っ越して、それ以来、一度も連絡をとったことはないし、考えたこともなかったわ。奇妙よね。あなたと結婚式の準備をしていた頃から、突然ルイの夢を見始めるようになったの。しばらく見てなかったんだけど、昨晩、ジラードの家でショックな経験をしたせいでぶり返したんだわ」
ドラコがアガサの顔を撫でた。
「うなされていた」
「何故か分からないけど、夢の中のルイは怖いの。実際のルイは優しい男の子で、怖いと思ったことは一度もなかったのに」
多分、潜在意識下の恐怖の表れだろう、とアガサは解釈していた。
ジラードの家で拘束されたことが恐ろしかったから、その恐怖がルイの形になって夢に表れたのだと思うが、でも、どうしてそれがルイなのかは謎だった。
「また同じ夢を見たら、俺の名前を呼べよ。助けに行ってやるから」
「夢の中でも?」
「夢の中でも」
アガサは力なく微笑んで、ドラコの唇にキスをした。
その感触は、夢の中のルイとはまるで異なる。
何度も重ねて良く知るドラコの唇の温かさに、アガサは心から安心することができた。
◇
朝食の準備をしているときに昨晩の出来事を話すと、シュレッダーは大笑いした。
「私は動揺して、すっかり震えあがってしまったんだけどね、シュレッダー」
アガサはテーブルの上に皿を並べながら、秘密を打ち明けるように言った。
「ドラコはむしろ、ちょっと楽しんでいるみたいだったの」
「でしょうねえ」
アガサは眉を顰めた。
「あなたは知ってたの? ドラコがSMに興味があるって。でも、性的サディズムは危険な嗜好よね? カウンセリングにかかるべき?」
「ああ、ドラコはそんなんじゃないでしょうよ」
「どうして?」
「あるラブコスメ会社の調査によるとね、アガサ、SMプレイに興味ありと回答した人は全体の78パーセントにものぼるの。つまり、そういうことに興味のある人の方が多数なのよ。スペインの研究ではね、縛ったり、目隠しをしたり、玩具を使ったりといったことを互いの【合意の元】でやるのは、むしろ心理的に健全だとする説もあるわ」
互いの合意の元で……。
ベッドの中で信頼しあって無防備に愛を表現しあうのが素敵なのに、相手を縛ることは真逆の行為で、裏切りとさえ思えてしまう。
アガサには、その嗜好が全く理解できなかった。
そんなアガサの心中を察してか、シュレッダーが言った。
「ある種の信頼の証明でもあるのよ。縛られて抵抗できない状態でも、恐れずに相手に身を任せるというね。互いの信頼をより強く感じられるから、性的に興奮するんだと思うわ。さっきのスペインの研究では、SMプレイを経験したことのあるカップルは、実践したことがない人々に比べて心理的に安定し、幸福度が高い傾向があることも示唆されてたわ」
「朝から何の話をしているんだ? 子どもたちが入るぞ」
背中にモーレックを背負い、両腕にマリオとラルフを抱いたドラコがキッチンに入って来た。子どもたちはまだ寝ぼけていてゾンビのようだ。
「昨晩のディナーであったことをシュレッダーに聞いてもらっていたのよ」
アガサは話題を変えることにした。
「ドラコ、インコントロに向けてドレスを新調させてもらいたいんだけど、いいかしら。あなたのクレジットカードで」
「俺に許可を取る必要は無いよアガサ、いつでも遠慮なく使うといい。良ければ買い物に付き合おうか?」
「シュレッダーが一緒に行ってくれることになったの」
ハリウッドの映画業界でスタイリストをしていたシュレッダーなら、適任だろう。
「任せてちょうだい、このお嬢さんを誰より素敵にしてみせるわ」
「もう、お嬢さんていう歳じゃないわよ。今年で30歳になるわ」
「うっそ! 全然そんなふうに見えないわ。東洋人てどうなってるわけ、このシルクみたいな肌! 黒々とした髪!」
「こら、触るのはなしだ」
アガサに触ろうとしたシュレッダーをドラコがいさめた。
シュレッダーは寸でのところで手を止めたが、ドラコのことは無視して話を続けた。
「外側はアガサの雰囲気に合わせて、清楚で品格のあるものがいいわね。でも中味は、思い切りセクシーに」
「下着は買わないわよ」
「ダメよ! お洒落は下着からなんだから。でも一番セクシーなのは、――何も身に着けないこと」
ハスキーな声で囁いてから、シュレッダーは自分自身が言った言葉に興奮してキャッ、と声を上げた。
「やっぱり俺も一緒に行くよ」
「あたしに任せてって言ってるでしょ、ドラコ。心配ないわ、【あなた好み】にしてあげるから」
「ダメだ、【俺好み】じゃなくて、アガサの好みに合わせてくれ」
「ドラコの好みってどんなの?」
アガサに聞かれ、シュレッダーは耳打ちした。
――裸同然に見えるくらい露出度が高くて、どうやって脱がせばいいかを想像できるようなエロい服よ。ホルターネックで紐だけで留めるドレスとかね。
昨晩のディナーでカプシーヌがまさにそんなドレスを着ていたことをアガサは思い浮かべた。やっぱりそうか。
「おい、変なことを吹き込むなよ」
アガサは言った。
「大丈夫、そのくらいは想定内よドラコ」
「何が?」
「私だって男性の煩悩への理解はあるの」
「何を言われたか知らないが、違うからな」
「もちろんよ、あなた」
アガサはとても真面目くさった顔で、貞淑な妻らしく優しくドラコの肩に触れた。
◇
第3話END (第4話につづく)