恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 3-13


 アガサはジラードのディナーに着ていくのに、上品でクラシカルな膝丈のフレアワンピースを新調した。春の陽気を先取してノースリーブにしたが、肩口は立体感のあるラッフルフリルになっているので露出は控えめだ。立て襟のラインがフリルのボウタイになっていて、胸の前で結ぶと、ワントーンのライトグレー色のワンピースがたちまち華やかな印象になる。
 高めのウエスト切り替えが、胸の膨らみと腰のラインを控えめではあるが美しく際立たせて、全身がすっきり見えた。
 足元にはエレガントなゴールドのコーンヒールを合わせ、ワンポイントに真っ赤な小型のハンドバッグを持った。
 髪は緩やかなアップにして、メイクは控えめだが、地味になりすぎないようにリップの色をハンドバッグと同じ明るい赤にした。いつもならそんな派手な口紅はしないが、ディナーに華やかなアクセントを添えるにはちょうどいいはずだ。

 ディナーの時間は夜8時と遅いスタートだったので、アガサもドラコも出かける前にシャワーを浴びた。
 シャワーから上がるとドラコはタオル姿のままベッドでゴロゴロしていて、アガサがドレッサーの前で髪を整え、メイクするのをジッと見守っていた。
 全ての支度を完了して振り返ったとき、ドラコがまだベッドの上で肘をついてこちらをボーっと見ていることに気づいて、アガサは驚いた。

「いつまでそうしているつもり? もうそろそろ出発しないと、遅れちゃうわよ」
「気が変わった。今夜は二人きりでゆっくり過ごしたい」
 ドラコはそう言うと、ポンポンとマットレスを叩いた。「ここにおいで」、という意味だ。

「ふざけないちょうだい。ジラードのディナーに出席すると言ったのはあなたでしょう、ドラコ。今さらキャンセルするなんて、どう考えても失礼よ」
「少しくらい遅れても平気だろ、こっちに来いよ」
 アガサはムッとしてドラコのウォークインクローゼットを指さした。
「早く、服を着て」

 アガサに怖い顔で睨まれて、ドラコはぶつくさ言いながら、のろのろとクローゼットの中に入って行った。
 そしてものの数分で見違えた姿になって出てきた。女性のアガサからすると、男性の身支度の早さには恐れ入るばかりだ。

 ドラコは、ベストとセットになったスリーピースのブラックスーツに、ホワイトシャツとブラックタイを合わせたスリムでフォーマルな装いをしていた。ホワイトカラーのポケットチーフを、今夜は遊び心のあるクラッシュスタイルに折っている。普段はビジネスシーンでオールマイティーなTVホールドにしていることが多い。
 カフスボタンをとめて、スーツジャケットの前ボタンを一つとめると準備が完了したらしく、ドラコはアガサの両腕にそっと手をかけて体を引き寄せると、キスをせがむように首を垂れた。
 アガサはドラコの唇にチュッとキスをすると、ドラコの脇下と腰元に素早く両手をあてがった。
 それからしゃがみこんで、ドラコの両足首をチェックする。

「銃は持ってないよ……」
「そう? じゃあ、これは」
 アガサは立ち上がって、ドラコのスーツの内ポケットから折り畳みナイフを掴みだした。
「デザートに皮つきの果物が出たら剝くためだよ」
 ドラコはすました顔でアガサの手からナイフを取返し、また内ポケットにしまった。
 そして何事もなかったようにアガサに腕を差し出してきたので、アガサは言いたい言葉を呑み込んでドラコのエスコートに従った。

 今夜はシュレッダーが泊まり込みで子どもたちを見てくれることになっている。
 少し前からアガサはシュレッダーのために専用の部屋を準備してあった。日当たりがよく、新しいベッドとよく磨かれた暖炉と、新しいシャワールームのある部屋だ。

 夫婦が階下に下りて行くと、シュレッダーと子どもたちが見送りをするために広間で待っていた。
「ママはとてもきれいだね」
 モーレックは子どもながらに感嘆の溜息をもらし、アガサの光沢のある薄地のワンピースを汚さないようにと気遣ってか、控えめにそっとハグをしてくれた。
 マリオは王子様のように、アガサの手の甲にキスをしてくれた。――どこで覚えたのだろうか。
 ラルフはシュレッダーの腕の中で眠りかけている。

 アガサは子どもたち一人一人におやすみのキスをして言った。
「帰ったら、あなたたちがちゃんとベッドで眠っていることを見に行くからね。シュレッダーのいうことをよくきいて、みんな良い子にしているのよ」

「本当に綺麗よ、アガサ。行ってらっしゃい、楽しんでね」
「ありがとう、シュレッダー。今夜は本当に助かるわ。何かあったら、遠慮せずに電話してね」

 アガサとドラコは並んで古城を出発して行った。

 なんてお似合いの夫婦なのかしら、と、シュレッダーは思った。ハリウッドで長い間スタイリストとして働いていたシュレッダーの目には、アガサの飾り立てすぎない上品でクラシカルな雰囲気は素敵に映ったし、今夜のドラコはそんなアガサを惹き立てるような控えめな装いをしているように見えた。ただし控えめな中にもポケットチーフやカフスボタンで遊び心と小慣れ感を出し、足元にはサントーニの内羽根式の黒の革靴を持ってくることで、シャープな格式の高さを醸し出しているのは流石と言わざるを得ない。シュレッダーの目から見ても、ドラコはお洒落に抜かりのないセクシーな男だった。





 ウィリアム・ジラードのホームディナーに招待されたアガサとドラコは、ドッグの運転するベントレーでビバリーヒルズ郊外の丘に建つコンドミニアムに送り届けてもらった。
 去年新しく建ったばかりのそのコンドミニアムは、フォーシーズンズホテル&リゾートが管理している、ロサンゼルスでもトップクラスの高級住宅だ。内部には24時間開放された贅沢なジムがあり、居住者は各種フロントサービスと、コンシェルジュや有名なシェフのサービスを受けることができるという。
 その最上階のペントハウスに、ウィリアム・ジラードはどうやら一人で住んでいるらしい。

 背の高い緑の生垣に囲まれたエントランスの前で車を降りた夫婦は、腕を組んで巨大なガラスの門をくぐって行った。
 コンドミニアムの周辺は駐車禁止になっているので、ドッグは近くの映画館で時間を潰して待っていてくれることになった。ターミネーターの再上映をやっているらしい。
 アガサは気の毒に思い、近いうちにドッグを自宅に招待してもてなしたいと考えた。


 時刻は8時ちょうどだった。
 天井の高い、ラグジュアリーなエントランスを抜けて、フロントでウィリアム・ジラードの招待を受けていることを伝えると、感じの良いスタッフがペントハウスに続くガラス張りのエレベーターに通してくれた。
 建物に入ってから二人は特に会話をしなかったが、エレベーターの中でどちらからともなく手を繋いだ。
 ガラスの箱は最上階の開けた空間で止まった。
 ロサンゼルスの街並みを360度見渡せるガラス張りのリビングの中に、濃紺のスーツにブルーのタイを合わせたジラードが笑顔で立っていた。傍らには、ホルターネックの白いタイトドレスに身を包んだ美しい女性を伴っている。

「驚いたよアガサ、君のご主人は本当に実在していたんだね」
「どういう意味?」
「一度もお目にかかる機会がなかったからね、てっきり僕の誘いを断るための言い訳じゃないかと疑っていたんだ。申し訳ない」

 彼は大袈裟な冗談を言っているのよ、と、言って、アガサは聞き流すようにドラコに耳打ちした。
 4人は和やかに社交的な挨拶を交わしたが、ジラードが素早くアガサの全身を撫でるように眺めまわして、一瞬、膝丈のフレアワンピースの下から出ているアガサの脚を食い入るように見つめたことにドラコは気づいた。そつなく視界を封じて一歩前に出ると、ドラコは手土産に持ってきたピノ・ノワールをジラードに差し出した。
 新物ではなく、一昨年のワインを持ってきたのは、冷涼で乾燥した気候のせいでその年のワインが特に味がよく仕上がっていたからだ。

「一昨年のノワール地方のアティチュードをお持ちいただけるとは、これは気が利いているな。有難く頂戴します」
 ジラードはドラコに人の好さそうな笑みを浮かべた。
 ドラコも愛想よく作り笑顔を返した。

 座り心地の良さそうなチンツ張りのソファーや寝椅子がゆったりと配置されている開放的なリビングを横切って進み、窓際のテーブルに案内された。
 ドラコはアガサと並んで席についた。テーブルがクリスタルガラスだったので、席に着いた全員の足元が丸見えだった。部屋の中はオレンジ色の間接照明で薄暗かったが、テーブルの床下照明が椅子に座ったアガサの綺麗な脚を明るく照らし上げていた。ドラコは落ち着かない気分になった。

 それぞれの仕事の話などをして、ディナーは穏やかに、上品に進んでいった。
 フォアグラパテのバケットと、クーラーで適温に維持された赤ワイン、新ジャガイモとサラダを添えた牛ひれ肉のロッシーニ風、デザートにはピーカンパイ。
 料理はどれも美味しかったが、食事の間中、ジラードは何度もテーブルの下のアガサの脚に視線を向けた。他人の妻をそんなに頻繁に盗み見ておいて、伴の女性は嫌な気分にならないのだろうか、と、ふと気になってジラードの隣に座っている女に目をやると、ドラコと彼女の目が合った。健康的に日焼けした肌を大胆に露出させたその金髪の女はカプシーヌという名前で、ハリウッドのPR業界でモデルの仕事をしているらしかった。
 カプシーヌの真っ赤な唇がドラコを見つめて妖艶に口角を上げたかと思うと、つま先の出るストラップサンダルを履いた足が、テーブルの下でドラコの足に触れてきた。
――マジかよ。

 ドラコは足を引いてカプシーヌを無視した。
 ジラードはアガサにばかり話しかけている。
 今のところはチャリティーや教会のイベントに関する当たり障りのない話をしているようだが、ドラコは騙されなかった。
 ジラードとカプシーヌがドラコとアガサをディナーに招待した本当の目的をおおよそ察して、ドラコは膝の上のナプキンを取り上げてテーブルの上に置いた。

「もうこんな時間だ。そろそろ帰らないと」
 と、話を遮ってドラコはアガサに言った。ジラードとの会話が盛り上がっていたところなので、もしアガサがもう少し留まりたがるようだったら、子どもたちが心配だと言ってアガサを説得するつもりだった。だが、意外にもアガサは素直に同意してドラコに手を重ねてきた。
「ええそうね、もう帰らないと子どもたちが心配だわ」

 ジラードが名残惜しそうにアガサを見つめた。
「でも今夜は、ベビーシッターが一晩中みてくれているんだよね?」
「そうだけど、一人で小さな子どもたちを3人も見てもらっているので」

 アガサはジラードとカプシーヌに丁寧に礼を述べて、食事がとても美味しかったと褒めた。
 帰る前に化粧室を借りたいと言ったので、カプシーヌが案内して行った。

 ドラコは初めてジラードと二人きりになった。
 30代前半の、ハンサムな男だ。ブロンドの巻き毛は几帳面に切り揃えられて清潔感があり、話す言葉は紳士的で礼儀正しかった。この男には、他人に対する妬みや嫌味は一切ないようだ。なるほど、人当たりがよくジラードがビジネスで成功を治めていることに間違いないだろう。だが、その時ドラコは、もしジラードが一線を越えてアガサに手を出そうとしたら、彼をどうやって始末するかを【現実的に】考えていた。


「オープンマリッジに関心はありませんか?」

 アガサを待つ間に人懐っこくジラードに問いかけられて、ドラコは無表情に見返した。――オープンマリッジとはね、変な言葉だ。と、ドラコは独り言ちる。

 オープンマリッジとは、結婚している夫婦が、互いの同意の元に他の異性と性的関係をもつことだ。どこかのバカな社会学者が提唱した新しい夫婦のあり方らしい。オープンマリッジによって夫婦間のマンネリ解消や、より楽しい人生の創造、あるいは性的欲求が満たされることで離婚率が減少するなどのメリットがあると、まことしやかに囁かれているが、実際には結婚の破綻に繋がるケースも少なくないことを、ドラコは知っていた。なんて罪深い、聖書の貞操感に反する考え方だろうか、とドラコは思う。
 アガサと結婚をして、神が許された【夫婦の特別な関係】を享受しているドラコにとって、それは断じて受け入れることのできない害悪に思われた。

 大方、カプシーヌをドラコにあてがい、ジラードはアガサと楽しみたいということなんだろう。
 なんて浅はかな男だろうか。

「敬虔なキリスト教徒のアガサが、受け入れるわけがないだろう」
「だからあなたに聞いているんですよ。彼女が拒んでも、夫のあなたが許せば問題はないはずだ」
「お断りだ」
 ドラコは我慢できなくなって椅子から立ち上がった。
「もう二度と、俺の妻に近づくな。指一本でもアガサに触れたら、その洒落たネクタイでお前を絞め殺してやるよ。言っておくが、その時は【セーフワード】は使わせない」
 鋭い刃のような眼差しを向けられて、ジラードは蛇に睨まれたカエルのように静止した。
 そのうえジラードは、自身の性的嗜好をドラコに見抜かれていることを知って驚いた。この男は一体、何者だろうか。


 アガサの戻りが遅いのでドラコが訝しんでいると、カプシーヌが一人でリビングに戻って来た。
「彼女は受け入れなかったわ」
 と、カプシーヌは残念そうに言った。
「こっちも落とせなかったよ。今夜は、このままお引き取りいただこう」
「俺の妻はどこだ?」
 ドラコが鋭く尋ねると、カプシーヌは親指で背後をさし示した。
「一番奥の部屋よ」

 その時カプシーヌが意味深に微笑んだので、ドラコはイヤな予感がしてアガサの元へ急いだ。





次のページ3-14