恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 3-10


 ヤギと鶏を飼い始めてから、古城のバイオマスエネルギーシステムは以前よりも効率を上げた。
 電気とガスが安定供給されるようになったおかげで、それまで定期的に購入していた非常用ガスボンベはほとんど必要なくなり、ガス代が浮いて大助かりだ。

 アガサはケチではなかったが、散財することは好きではなかったので、いつもよく工夫して、なるべく節約を心がけていた。
 そんなアガサの生活を身近で見ているドラコは、尊敬の念を通り越してもはや畏怖を抱かざるをえない。
 金に困っているわけでもないのに、今の時代に古着屋で服を購入することをスタンダードとし、シャンプーや石鹸や洗濯洗剤を手作りしている女性が、果たしてどのくらいいるだろうか。ドラコのような金持ちと結婚したのに、アガサには欲というものがまるでないらしかった。
 
 それでいてアガサは、子どもたちには惜しみなく新品の服を買い与えたし、家族が餓えることの無いよう、冷蔵庫とパントリーにはいつも美味しくて十分な量の食事を用意していた。
 ただし、食材は抜かりなくファーマーズマーケットの直売でスーパーで買うより安く仕入れることが多かったし、野菜や果物は庭でもたくさん育てていた。
 鶏を飼い始めてからは卵を買わなくなり、最近ではヤギのミルクとチーズが食卓に並ぶ。アガサにとっては、自給自足に近い生活をすることこそが、贅沢な暮らしなのだろう。

 精神的にも、肉体的にも、経済的にもアガサは自立していて、ドラコと結婚してからもそれは変わらなかった。
 ドラコのクレジットカードが使われるのは、せいぜい、子どもたちの日用品と服や靴、それと、月に一度、スーパーで食料品の大量買いこみをするときだけだった。
 ドラコはアガサにとって、無くてはならない存在になりたかったので、とりわけ経済的にはもっと自分の存在感をアピールしたいと感じていた。
 古城のリフォームや、新しい家具を買うときには喜んで主導し、金を出したが、まだ足りない気がしていた。
 モーレックとマリオがキャンプで小石と小枝を見つけてママを喜ばせたように、ドラコもアガサを喜ばせたかったし、もっと必要とされたかった。

「あなたは私にとって、なくてはならない存在よ、ドラコ、愛しているわ」
 ある朝、愛し合った後にそう言ってアガサがキスをしてくれたので、ドラコは涙が出るほど嬉しかったが、そのあとアガサはドラコの胸の上でうつ伏せになると、たしなめるように見下ろしてきた。
「あなたが子どもたちと犬を飼う計画をしていることはお見通しよ。この、裏切者!」
 仕置きとばかりにアガサはドラコの脇腹をくすぐってきた。
 ドラコは抵抗し、二人はベッドの上を転げまわった。
「仕方なかったんだ、あいつらときたら……可愛いんだよ。パパなら犬を飼えるって褒めそやされて、断れないよ。犬を飼ったら、俺がちゃんと面倒をみるから……」
「なんて意気地なしなの。でも今年はダメ。シッターさんがちゃんと決まって、落ち着いてからにして」
「わかったよ、何とか引き延ばしてみる。でも、君って本当に焦らすのが上手いよな……」
 ドラコはアガサを組み伏せて、またキスを始めた。
「焦らしているんじゃないのよ。物事には順序というものが……あッ――」
 二人はまた激しく求めあった。





 その日はドラコの知り合いのベビーシッターが初めてやって来ることになっていたので、朝8時に家族は一階の広間に集合した。モーレックもマリオもラルフも、襟付きのシャツを着て、いつもよりちょっとおめかしをさせられている。

 モーレックは憂鬱だった。これまで何人ものベビーシッターが優しそうな顔をしてやって来たが、ママとパパがいなくなると途端に本性を出して嫌な奴になったからだ。今回もそうに決まっている。すぐに追い出してやる、とモーレックは思っていた。

 シュレッダーというその男は、冬なのに真っ赤なコルベットをオープンにして古城の玄関前に乗りつけてきた。
 頭は坊主に刈り上げていて、耳には金のピアス、ガッシリとした巨体に黒いレザージャケットをスリムに着こなしていた。
 陽気に車から降りたって、踊るように左右に腕を揺らしながら歩いてくると、その男はモーレックたちを見ていきなりこう言った。

「ハーイ、あたしの坊やたち、お仕置きされる準備はできてる?」

 マリオはママの後ろに隠れたが、モーレックはニコリとした。

「わるいことはしていないよ、――まだね」
「あんたが口の減らないモーレックね、よろしく。そっちが、キザな甘えん坊のマリオで、ママに抱っこされているのが、まだ未知数のラルフ。みんなお顔は天使みたいに可愛いけれど、ドラコの子だから……ああ、これ以上は言わない方がいいわね。んまっ、あたしにかかれば悪ガキたちを正しい道に繋ぎとめておくことくらい屁でもないわよ!」

 男はシュレッダーと名のり、一人一人に挨拶をした。
 口がとても悪いのに、嫌味な感じはなく、アーモンド色をした目には優しさが溢れていた。しかし、その瞳の奥にはどことなく寂しげな光をたたえていた。
 モーレックは不思議に思った。そのシュレッダーという肌の黒い男はとてもゴツい外見をしているのに、女みたいな喋り方をしているからだ。

「どうしてそんなしゃべり方をするの?」
「あら、パパから聞いていない? あたしはオカマだからよ」
「なにそれ、うちゅうじん?」
「失礼ね。オカマは男だけど女の心をもってる人ってことよ! 繊細なんだから、言葉遣いには気を付けちょうだい」
 どの口が言うのか、と、ドラコは冷や汗ものだったが、アガサが寛容にシュレッダーを受け入れてくれたのでひとまず胸を撫でおろした。
「ふうん」
 モーレックは素直に、事実を事実として受け止めた。

 それからものの数時間で、シュレッダーは子どもたちに馴染んで、ベビーベッドで寝かせたラルフを見守りながら、さらにモーレックとマリオの話し相手にもなって、同時にランチを作るという神業をやってのけた。アガサは春に向けて庭で土づくりをしながら、窓から漏れ聞こえる子どもたちの話し声に楽しく耳を傾けていた。





 シュレッダーはドラコの抜き打ちテストにも無事にパスして、翌々日から正式にベビーシッターとして来てくれることになった。
 勤務時間は週5日の朝8時から夕方16時まで。土日は休みだ。ただし、必要に応じて休日や夜間の時間外対応も可能だと言う。

「本当にあたしでいいの?」

 シュレッダーは怪訝そうにアガサに聞いてきた。
「もちろんよ、シュレッダー。あなたのような有能で心優しい人にうちの子どもたちを見てもらえたら、とても助かるわ」
 モーレックが気に入り、マリオが安心して甘えることができ、ラルフの扱い方もとても上手だ。頼まなくても、食事の片付けを手伝ってくれるし、料理も上手だった。もちろん、アガサもシュレッダーのことを心から気に入っていた。

「一つだけ約束してもらいたいの、シュレッダー。私たちはあなたの貴重な時間をいただくわけだから、対価を支払うけれど、子どもたちと真剣に向き合ってもらうからには私たちのことを家族だと思ってくれたら嬉しいわ。だから、困っていることや不安なことがあったら、なんでも話して欲しいの」
「じゃあ、一つ打ちあけてもいい? つい最近、彼氏からフラれてどん底まで落ち込んでいたの。でも、ここにくると心が安らぐわ。きっと、あの子たちのおかげ」
「まあ、いきなりガールズトーク? いいわよ、それじゃあ私も一つ打ちあけるわね。あなたのお尻ってとても素敵! どうやって鍛えてるの?」
「あらやだあ、あなたのお尻だって引き締まってて素敵じゃないの、アガサ。でも私のお尻は特別なの。ダンスで鍛えてるのよ」
「ダンスなら私も得意よ」 
 アガサはその場でビヨンセのように腰をフリ、足を上げて回すダンスを披露して見せた。
 ラルフをソファーに座ってあやしていたシュレッダーは、死にそうなほど大笑いしてソファーから転げ落ちた。
「笑うなんて、ひどい……」
「力みすぎよアガサ、笑わせないで、やめて……、息ができないわ、ストップして! あなたのダンスって、子どもが足をもつれさせて今にも転びそうな感じよ、コメディアンでもそんなに面白くは踊れないでしょうね」
「そんなに言うなら、あなたのダンスを見せてよ」
「いいわよ、ほら、んっあー、んっあー、んっあー、どお?」
 軽くクラブステップを踏んだだけなのに、シュレッダーの動きはリズミカルでセクシーだった。
 
 その日から秘かに、アガサは時間を見つけてはシュレッダーからダンスを習うようになった。
 ダンスばかりではない。シュレッダーはアガサの服装についてもハッキリとダメ出しをした。ジーンズはいいとしても、せめてトップスはもう少し女性らしいカットシャツやブラウスを着るべきだ、と。アガサはシュレッダーから指摘されて、少しずつ自分自身を顧みるようになっていった。





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