恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 3-1


 ラルフを連れてイタリアから帰ってきてからというもの、アガサはドラコがあまりゆっくり眠らない人なのだということを知った。
 二人は夫婦の寝室で同じベッドで眠っているが、ドラコはいつも遅くまで何かしているか、たまに一緒のタイミングでベッドに入っても、そのまま朝まで寝続けるということはなく、夜中に起き出して行ってジムで体を鍛えたり、シャワーを浴びたりする。そうかと思えば早朝に起き出して、マウント・グロリアの道なき道を走りに出かけたりするのだ。

 そんなドラコの行動が、アガサには全く理解できなかった。
 アガサの目には、ドラコはいつも体力をもてあましているように見えた。

 一方でアガサは手術を終えたばかりなので、体がとても疲れやすかった。
 夜8時過ぎにベッドに入ると、たちどころにグッスリ眠りに落ち、夜間は何度かラルフの世話をして、朝6時くらいにはキッチンに立った。
 医師からは、術後3か月間は性交渉は控えるように言われていたので、ドラコとの新婚初夜は先送りになっていた。
 左の下腹部にできた10センチもの捩れた傷が早く目立たなくなりますように、と、アガサは願っていたが、その醜い傷は多分一生残り続けるだろう。

 その夜も、ドラコは12時過ぎに夫婦の寝室のベッドに入って来た。ラルフの面倒を見てくれていたのだ。
 眠っていても、アガサはドラコがくるといつも気づいたので、寝返りをうってドラコを抱きしめ、そのまま、また眠りについた。
 だが、しばらくするとドラコは居づらそうに上半身を起こした。
「アガサ……」
 掠れる声で、ドラコが呼んだ。
「どうしたの?」
「眠れないよ」
 アガサはドラコをはなして、顔を上げた。
「もしかして、私と一緒だから眠れない? 寝室を分けましょうか」
 ドラコがゆっくり眠れるなら、それでいい、とアガサは思った。

「それはイヤなんだ。君と一緒に眠りたい。でも、体が……」
 ドラコは言い淀んだ。
「私たちは夫婦なのよ、ドラコ。話してちょうだい」
「君が傍にいると、ムラムラして眠れない」
 予想外の返答に、アガサは呆気にとられた。
 ドラコを性的に刺激した自覚は全くなかったからだ。お互い、服はちゃんと着ているし、イヤらしいスキンシップなどしていない。
 冬だから、その時のアガサは長袖長ズボンのパジャマを着ていた。

「何か、話をすれば気を紛らわせられるんじゃないかしら」
 アガサはドラコを横にならせて、子どもたちをあやす時にやるように、ドラコの胸の上をぽんぽんと優しくたたきながら、羊の絵本のお話をした。
「全然ダメだよ」
「少しも?」
「うん」
 ドラコは寝返りを打ちながらアガサに腕を回し、腰をアガサの太ももに押し付けてきた。パジャマの衣ごしにもわかる、硬くて大きな物が当たるのを感じて、アガサはビックリして身を引いた。
「嘘でしょ、あなた、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないさ、痛いよ。こうなったらもう、冷たいシャワーを浴びるか、酸欠になるまで激しい運動をするしかないんだ」

 アガサも大人だから、男性が勃起するということは知っていた。
 しかし、まさかそんなに硬く大きくなるとは思っていなかったので、心から心配になった。

「病気ということはないの?」
「君と結婚する前に性病検査は受けたよ。陰性だった。もちろん、他の女性とは関係を持っていない」
「そうじゃなくて……、癌でしこりになっているとか」
「これはただの、生理現象だよ。アガサ、ずっと求めていたものがすぐ手の届くところにあるから、体が盛りの付いたティーンエイジャーのように反応しているんだ。俺たちはもう結婚したんだから、夫婦の営みさえできればすぐに解決するよ。でも、君はまだ医者から許されてないだろ、そういうことをするのは」
 
 卵巣を摘出する手術をしたので、術後3か月間は性交渉を控えるように言われていることを、もちろんドラコもアガサから知らされていた。

「それでここ数カ月、あなたはあまり眠れずにいたのね。運動ばっかりして」
「そう……」
 ドラコが苦しそうにうつ伏せになって、ちょっとエッチな声を漏らした。
「今のはわざとでしょう」
「そう」
 そんなふうにニヤニヤできるなら、まだ大丈夫だろう、とアガサは思う。

「来週、病院で術後検診があるから、先生に聞いてみるわ」
「そろそろ俺の苦行が終わることを願っているよ」
「ああ、ドラコ、私も早くあなたと愛し合いたいわ。苦しい思いをしているのはあなただけじゃないわよ」
「アガサ、俺が欲しい?」
 ドラコに問われて、アガサは変な顔をした。
「何を言っているの、あなたはもう私のものでしょ」
「わかってないな……」
「私、何か間違ってる?」
「間違ってはいない、【知らない】だけで」
「教えてくれる?」
「お医者様の許可が出たらね」
 ドラコは起き上がり、ジムで運動してシャワーを浴びてくるよ、と言って寝室を出て行った。

 アガサはまたベッドに横になり、掛布団を首まで引き上げた。
 二人はもうとっくに結婚しているのに、欲しい? とは。ドラコの言った真意が、アガサには計り知れなかった。





 ドラコは裸足でジムに下りて行き、ベンチプレスの上に横になった。
 ラルフを連れてイタリアから戻って数カ月、アガサとは毎日同じベッドで休んでいるが、ゆっくりと眠れたことは一度もない。
 一度などは、寝ている間に夢をみて、思春期以来の夢精をしてしまった。アガサに気づかれる前にシャワーを浴びて、自分で洗濯をした。ドラコはそれがとても恥ずかしかった。
 アガサは手術の傷がまだ癒えていないから、今はセックスができないと理性は分かっているのに、どうしても体がいうことをきかないのだ。

 なんて忌々しい性欲だろう。
 これまで全方位的に発散させていた性欲の行先をたった一人の愛する女性に絞った途端に、その流れは御しがたくなってしまったようだ。
 でも、今さら部屋を別々にするという解決策をとることだけは受け入れられない。
 二度と、彼女と離れて眠るのはイヤだ。

 無事に新婚初夜を迎えられたら、この抑えがたい渇望は治まるのだろうか。そう考えると少し寂しい気もするが、いやいや、治まってもらわないと体がもたないぞ、とも思った。ドラコはもう何日も、まとまった睡眠をとっていないのだ。仕事でもイライラして、部下たちを怯えさせている。まあ、あいつらはちょっと怯えさせてやるくらいのほうが強く逞しく育つだろうから、それはいいとしても。

 来週か、と、プレスを持ち上げながらドラコは考えた。
 そろそろアガサが手術を終えてから3ケ月になるので、きっと医者はもう問題ないと言うだろう。もしそうじゃなかったら……、と想像して、途端に腹の底からマグマが煮え立つような怒りが湧き上がるのを感じ、ドラコはそれを考えるのはやめにした。これ以上の【御預け】を喰らわされるのは、どう考えても耐えられそうにない。

 プレスの重さを一段階上げて、ドラコはひたすら上下運動を繰り返した。
 そうする間にも頭に浮かぶのはアガサのことばかりだ。彼女はどうして、あんなにいい匂いがするのだろう。香水やコロンの匂いとは違う、もっと自然な、女性の匂いがする。肌は透き通るように美しく、マシュマロのように柔らかくて滑らかだ。触って確かめるだけでなく、唇で触れたらどんなふうにとろけるのかを、早く見たい。ドラコはアガサの頬と首と手と腕には触れたことがあるが、その他の部分にはまだ直接触れたことがない。
 互いの体を絡め合わせて一つになったらどんな感じがするんだろうな、と、ドラコは顔を真っ赤にして重たいプレスを持ち上げた。

 今夜も到底、眠れそうにはなかった。





次のページ3-2