恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 2-8


 ファミリーサポートチャリティーにはハリウッドの著名人が数多く集まり、寄付金集めは大成功をおさめた。
 ウィリアム・ジラードの手腕とコネクションの広さは見事だと言わざるを得ない。

 寄付は全額ファミリーサポートのために用いられる仕組みで、現金、小切手、口座振り込みで受け付けられた。
 多額の現金が持ち込まれる可能性もあったので、会場にはジラードが現金輸送車を手配してくれた。
 多くの資産家たちが数万ドルから10万ドルもの寄付をしてくれ、ウィリアム・ジラード自身も個人の資産から30万ドルを寄付してくれた。
 アガサも神から預かっている富の中から、匿名で5億2千500万ドルを現金で寄付した。500個以上もの段ボールに入った現金を輸送ケースに移し替えてチャリティー会場に運び込むのはとても苦労したが、アガサは肉体労働には慣れていたので、なんとかやり遂げた。

 驚いたのは、アガサと同額の寄付を匿名でよこした人物がもう一人いたことだ。5億2千500万ドル。
 匿名で寄付をすれば、税金の控除は受けられないというのに。しかも、その金額はアガサが事前に試算していた必要額とピッタリ一致していた。
 瞬時にドラコの顔が浮かんだが、相手が匿名でよこしていることなので、ドラコにそれを問うことはルールに反した。


 それから一か月以内に、アガサは早速、シャロームプロジェクトの中にファミリー支援部門を立ち上げ、新たな従業員を雇用した。
 傷ついた孤児や遺族のケアをし、必要な支援を届けるための専門のスタッフは、ミッションスクールを卒業した聖職者や、ケアワーカーやカウンセラーの資格をもつ応募者の中から選ばれたが、必ずしも現役の人材だけでなく、アガサは時に、引退しても尚、社会に貢献したいと願う心の優しい人材を積極的に雇用した。
 アガサの結婚式で『You raise me up』を歌ってくれたマルチンもその一人だ。
 数年前にロサンゼルスで起きた爆発テロ事件で、マルチンは息子と嫁を失った。以来、退役軍人のマルチンは少ない年金と、路上で歌うことで稼いだわずかな収入で、孫のジャクソンと二人で暮らしている。マルチンは、ジャクソンと同じような境遇にある子どもたちを助けたいと強く願っていた。
 アガサは喜んでマルチンをシャロームプロジェクトの一員に迎え入れた。

 シャロームプロジェクトで扱う寄付金の使途は、外部に委託した税理士が厳しい監査体制のもとダブルチェックをして管理する手はずだ。
 また、寄付金を用いて行った詳細な活動報告は顧問弁護士のハーヴィーの監督のもと、年単位でアガサが作成することになっている。
 せっかく集めた寄付金が、関係者の私腹を肥やすために用いられたり、使途不明なまま消えてしまう事例が後を絶たないのが、このようなチャリティーイベントの闇だ。
 アガサは常に注意して、人々の善意が地に落ちることがないように忠実に預けられたものを管理した。
――たとえ人をごまかすことができても、神は全てを見ておられる。

 前代未聞の巨額の寄付を集めたチャリティーパーティーは新聞でも大きく取り上げられた。
 ドレスアップしたアガサと、タキシード姿のウィリアム・ジラードが並んで立つ写真も、記事に大きく掲載された。
 動向に目を光らせていたドラコはイタリアでそれを見て、物凄く機嫌をこじらせた。すぐにもロサンゼルスに帰ると豪語したほどだ。
 写真に写っているウィリアム・ジラードが、アガサの背中に手を回していたのが気に入らなかったらしい。

「フォーマルな場面で男性が女性の背中に手を添えてエスコートするのは、よくあることでしょう」
「なるほど、君はあれを【受諾】したわけだな、アガサ」
「腰に手を回されない限りは、ええ、そうよ、あれくらいは受諾します」
 実際、その写真は肩も触れあっていなければ、顔も近づいていない、ただドレスアップした二人が並んで立っているだけの写真だった。

「俺のことを神経過敏みたいに思ってるとしたら、それは違うからな。こう見えても人を見抜く目はあるんだ。あの男は絶対にアガサに気があるよ、用心してくれ」
「気があると言えば、チャリティーに匿名で5億2千500万ドルも寄付してくれた人がいるの。その【誰か】は、私に気があるのかもしれないわ」
「そうかもな」
 ジラードのことになるとすごく怒るのに、匿名で寄せられた多額の寄付には興味も示さない様子に、やっぱりそうか、と、アガサは思った。
「そうよね。愛してるわ、ダーリン。だから、もうそんなに怖い顔をしないで」
 アガサは当然、その正体はドラコだと確信しているが、水を向けてもドラコは口を割らなかった。
 その代わり、ドラコは画面越しにようやく気を直して微笑んだ。
「俺が君の一番ということでいいんだな?」
「もちろんよ、ドラコ」

 それから月日は平穏に過ぎたが、チャリティーの後も、なぜかジラードはしつこくアガサを食事に誘ってきた。
 ジラードは誠実で魅力的な男性に見えたが、どこか謎めいたところがあった。
 まさか本当に、アガサに気があるのだろうか。いやいや、アラサーにもなる既婚者で子持ちのアジア系の平凡な女が、彼のようなナイスガイで地位も富もある男性を惹きつけるとは、アガサにはとても信じられなかった。
 もしかしたら彼なりの社交辞令なのかもしれない。アガサはジラードからの誘いを丁寧に断り続けた。





 エマの出産が近づくにつれ、ドラコはアガサとの子づくりについて具体的な意見や、可能性について考えることが多くなっていった。
 ある夜の会話で、突然ドラコがこんなことを言った。
「エマはまだ生まれてくる子どもの名前を考えていないらしいんだ。アガサは、俺との間に子どもが生まれたら、なんてつけたい?」
 実はアガサには、かねてから考えていた名前があった。
 男の子ならラルフ、女の子ならハーピーと名付けたかった。
 そのことを何気なく伝えると、何故かドラコはうっとりと画面越しにアガサを見つめてきて、しばらく何も言わなくなった。

 そして小さく息を吐いて、
「エマの出産がすんだら、すぐにそっちに帰るよ」
 と、ドラコは言った。
 出産予定日は10月だ。エマはすでに妊娠9ケ月を迎えていた。
「そっちに帰ったらすぐに、君との新婚初夜をやり直したい。俺たちにもすぐに子どもができるといいな」
 と、ドラコは夢見心地で呟くのだった。

 唐突にそんなことを言われて、その時アガサは初めて、もう何か月も生理がきていないことに気づいた。
 いつからだろうか、と、思い返してみて、去年の秋にイタリアでお腹を強く打ったことを思い出した。
 命を狙われていることに気づいて、子どもたちを抱きかかえてレオナルドが運転する車から飛び降りたときのことだ。
 後でかなりの出血があり、下腹部がキリキリ痛んだのを覚えている。
 あれ以来、生理が来ていない。

 思い出したら、またお腹が痛いような気がしてきた。
 アガサは急に不安になって、すぐに病院に行かなければ、と思い立ったのだった。





 翌朝電話をして、一番早い産婦人科の予約を、翌週にとることができた。
 アガサは仕事を調整して、子どもたちが保育園に行っている時間帯に病院に行ってくることにした。
 当日、検査を終えて診察室で待っていると、高齢の男性医師が無表情に入って来て、アガサに診断結果を説明した。
「子宮に裂傷が認められ、片側の卵巣が破裂しています。嚢胞や腫瘍はないので、何らかの外的要因によるものと考えられますが、心当たりはありますか?」
 医師はレントゲン写真を光板につけて、それをアガサに見せた。
「去年の秋に、車の事故にあって、その時に強くお腹を打ち付けたんです」
「病院には行かなかったんですか?」
「国外旅行の最中だったので、病院にかかりにくくて、出血があったけど1週間ほどでおさまったので、大したことないと思って」
「下手をすれば腹膜炎を起こして死んでいましたよ。とにかく、手術が必要です」
 医師はアガサに、破裂している左側の卵巣はすでにお腹の中で壊死しているので、取り出す必要があることを説明してくれた。
 摘出するのは左側の卵巣だけで、右側の卵巣と、子宮は残せるそうだ。

「入院期間はどれくらいになりますか?」
「早ければ3日で退院できますが、通常は5日間です」
「2歳と1歳の子どもがいるんです、子どもを見てくれる人が見つかりそうにないわ」
「ご主人は?」
「重要な要件でイタリアに行っていて、今回だけは夫には頼れないわ」
「家族よりも重要な要件なんですか?」
 と、医師から皮肉をこめて言われて、アガサは言葉を詰まらせた。
「事情があるんです」

「そういうことなら、病院の保育施設を利用することができますよ。親が入院中に、泊まり込みで面倒をみる24時間営業の保育園のようなものです。ちょうど今、空きがありますけど、保険適用外なので料金は高額ですよ」
「お願いします」
「では、看護師に必要書類を持って行かせますので、待合室でお待ちください」
 入院と手術の日程が決まると、アガサは医師に礼を述べて診察室を出ようとした。
 だが、ドアノブに手をかけたところでアガサはふと足をとめ、医師を振り返った。
「私は子どもを産めるんでしょうか?」
 医師はカルテに書き込んでいたペンを置き、アガサに顔を上げた。
「残念ながら、それは難しいでしょう。右側の卵巣は無事なので排卵はあるはずですが、すでに何か月も生理がきていないことが、裂傷を負った子宮が機能していないことを示唆しています。残念ですが、あなたの体は妊娠を維持することはできないと考えられます」
 アガサは頷き、もう一度、医師に礼を言って診察室から外に出た。
 待合室の椅子に腰かけ、惨めな気持ちにジッと耐えて一人で待った。
 やがて看護師がアガサの名前を呼んだので、アガサは涙をグイとぬぐって、立ち上がった。





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