恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 2−5
God Bless Youに着くと、今日もシフトに入ってくれているローガンが、店の前の掃除をしていた。
ローガンに挨拶をすると、アガサもすぐに店の中からバケツとデッキブラシを持ってきて、ローガンがゴミを拾い集めている横で、アガサは歩道に消毒液をまき、ブラシでこすり始めた。
誰かが店の前で吐いたようだ。
ゴミを捨てて行かれたり、吐いたり、尿をされたりして店の周りを汚されるのはしょっちゅうなので、店の外の掃除はGBYの日課になっている。
従業員たちは誰も文句を言わずにせっせと働いたし、アガサも率先して掃除をした。
「あなたの差し入れてくれたクッキーは好評でしたよ、アガサ。あの後、例の黒のキャデラックの男も店にやって来て、クッキーを一枚食べて、あなたのことを絶賛していました」
「それは良かった」
外回りの掃除を終えて店に戻ると、アガサはハーベスト牧場から買って来たコーヒーをローガンに差し入れた。
そして、今週の分の名前入りの小切手を手渡す。GBYの従業員に支払う給料は週に一度、小切手で支払うことにしていた。
もし帰り道で小切手を盗まれても、名前に合致する身分証がなければ銀行で換金することはできない。
ローガンはコーヒーが大好きらしく、ハーベスト牧場のコーヒーをとても喜んでくれた。
そういえば、と、一息ついてローガンは一枚のビジネスカードをアガサに差し出した。
「そのキャデラックの金持ち風の男がこれを置いて行きました。あなたに渡してほしいと言って。どこかの会社のCEOみたいですね」
アガサがローガンの手からビジネスカードを受け取ろうとしたとき、一人の青年が店に入って来て、アガサの肩越しにそれを横から取った。
「やあ、アガサ。今日も精が出るね」
「はーい、ラット。また来てくれたのね」
ブラウンヘアの短髪が無造作に跳ねている。
昨日は警察に掴まりかけながらも結婚式に駆け付けてくれたラットだが、そのことには一切触れずに、人懐っこい笑みを浮かべている。
ラットはアガサから横取りしたビジネスカードに素早く視線を走らせると、それをアガサに返した。
アガサは予備で買ってきていたハーベスト牧場のコーヒーをラットにも差し出す。
「ここのコーヒー、美味いよね」
どうやらラットはすでにヘンリーおじさんのコーヒーを知っているようだ。ドラコに聞いたのかもしれない。
彼は嬉しそうにすぐにコーヒーに口を付けた。
ビジネスカードには、『オムニコムグループCEO、ウィリアム・ジラード』と書かれている。
「まったく知らない人だわ。警戒すべきかしら?」
「世界中に支社をもつエンタメ系広告代理店だね。念のため、調べてみるよ」
と、ラットは言った。
「へえ、君、リサーチの仕事をしているの?」
ラットはすでにローガンとも顔見知りだ。
「まあ、そんなところ」
「あなたにタダ働きをさせるわけにいかないわよ、ラット。別に調べなくても、何か取引をもちかけられそうになったら、顧問弁護士に相談することもできるからいいわ」
「いいんだよ、アガサ、僕に任せて。ボスから今朝連絡があって、君から目を離さないように言われているんだ」
なるほど、またしてもドラコのさしがねというわけね、とアガサは思った。
ドラコがマメな人なのか、無責任な人なのか、アガサにはよくわからなくなる。
「それじゃ、僕はもう行くけど、困ったことがあったらいつでも連絡して」
ラットはそう言うと、カウンターの横の吊り篭からキャンディーを一袋とって、支払いボックスに20ドル紙幣を投入して出て行った。
その様子を眺めていたローガンが、アガサにこっそり言った。
「驚いたことに、最近、店に売り上げが出てきているんです。彼のように、多すぎる支払いをして行く人がいるので」
「店にコーヒーマシンを置きましょうか」
アガサは突然閃いて口にした。
「いいですね。ノーランみたいな警官もよく立ち寄ってくれるし、みんなコーヒーは好きだから」
アガサはカウンターの電話をとりあげると、すぐにコーヒーマシンを手配した。一番、いいやつを。
それからシャロームプロジェクトの秘書を勤めてくれているミシェルにも連絡して、GBYのロゴ入りの持ち帰り用コーヒーカップを、至急手配してくれるように頼んだ。
「ローガン、あなたコーヒーには詳しい?」
「まあ、人並みには」
「なら、後でコーヒーマシンのメーカーからカタログが届くから、その中から一通りのメニューを選んで、私のオフィスにファックスしてもらえない?」
「え、僕がメニューを選んでいいんですか」
「私はコーヒーにはあまり詳しくないのよ。よければあなたにお願いしたいんだけど。メーカーによると、人気のないメニューは後で入れ替えることもできるらしいから、気負わなくていいわ」
「もちろんです、僕にやらせてください」
ローガンは、責任ある仕事を任されて嬉しそうだった。
「忙しくなるわよ。あなたたちの給料も上げなくちゃね」
「売り上げがでるようになったと言っても、アガサ、それほどじゃないんですよ……、この店が潰れてほしくないですから、僕たちの給料は後回しにして下さい」
「GBYは魂を刈り取るためのお店なのよ、ローガン。もちろん売り上げがあれば活動に広がりは出るけど、もしそうじゃなくても、神の御心ならこの店は続いて行くわ。そして神は、その働き人を重んじられる」
「ああ、アガサ……」
ローガンは困った顔で何か言いたそうにしたが、考えたあげく、「神は偉大ですね」、と囁いた。
◇
午後3時に保育園にモーレックとマリオを迎えて行って、古城に帰って来たのが夕方の16時近くになっていた。
仕事に没頭していたので、アガサはランチを食べそこなっていたことに気づいた。軽い貧血を覚えながら、急いで夕飯の支度をしながらつまみ食いをする。
その間、マリオはキッチンのベビーベッドで横になり、両手で自分の足を掴みながら、体を揺らして何か口ずさんでいた。今朝とはうってかわって、上機嫌で自分の世界に入り込んでいるマリオは、天使のように可愛らしかった。
モーレックはリビングで、夕方の子供番組を観ている。
最近のお気に入りは、ABCの発音を練習する歌番組と、科学実験ビンゴという番組だ。歌番組を観ているときはモーレックは画面に映し出されるマスコット人形と一緒に両手を動かして体全体でリズムをとって可愛らしく歌い踊っているが、科学実験ビンゴに入ると、一変、身じろぎ一つしなくなる。
「ママあ、きょうのビンゴは、ちょっとよくわからなかったよ」
「今日は何だったの?」
キツネうどんを湯がいているところにモーレックがやって来て、自らの力で器用にベビーチェアに上って座った。
「じゃがいもでんち」
「ああ、ボースト先生の発見ね。どのへんが分かりにくかったの?」
「じゃがいもに、あえんと、どうの棒をさすと、でんきがつくんだけど、どうしてそうなるのかせつめいしてくれないんだ。いやになっちゃうよ、ぼく」
子供番組では電気がつくという【事実】のみを教えて、「どうしてそうなるのか」については詳しく解説しない。
普通の子どもなら、ジャガイモに金属の棒をさしたら電気がついたということを知るだけで大満足だろうが、2歳のモーレックはその理由を知りたがる。
「この地球上にあるすべての物は、電子という電気の赤ちゃんを持っているのよ、モーレック。言い換えれば、全ての物質は見えない電気を帯びていると言ってもいいわ」
アガサはキツネうどんにいれるネギを刻みながら、物質の構造を簡単にモーレックに話して聞かせた。
「ある条件のもとで、物質がもっている電気の赤ちゃんは移動することがあって、その移動する力が電気という力なの」
「じゃがいもはそんなにすごいの?」
「じゃがいももすごいし、レモンもすごいわ。トマトも。それらに含まれるリン酸が関係しているのよ」
アガサはうどんの湯切りをしながら、話し続けた。
「亜鉛の棒は、電気の赤ちゃんが動きやすいの。オタマジャクシみたいに、いろんな所に行きたがるのよ。反対に銅は、電気の赤ちゃんをたくさん欲しがっていて、自分の子どもたちをどこにも行かせたがらないの。二つの棒をジャガイモに指すと、ジャガイモに含まれているリン酸が亜鉛の赤ちゃんを追い出して、銅の棒の方に押しやり、銅の方でもその赤ちゃんを引き寄せるの。亜鉛から銅に向かう赤ちゃんの大移動が電気という力になって、熱となり、電球を光らせるのよ」
「あえんの赤ちゃんはどこに行っちゃうの。どうの子になるの?」
「いいえ、銅は赤ちゃんをほしがるけど、自分では育てられないから、ジャガイモの中に捨ててしまうの。すると、ジャガイモの中にある水素イオンがそれらの赤ちゃんと結びついて、水素となって空気の中に浮かび上がるの。まるで、天国に上っていくみたいに。最初にいったとおり、この地上にあるすべての物質は電気の赤ちゃんを持っているから、同じような赤ちゃんの移動があちこちで起こって、めぐりめぐって、赤ちゃんはいろいろな物の間を行ったり来たりするのよ」
「赤ちゃんはまた、亜鉛に戻ってくることもあるの?」
「そうね、巡り巡って、いつか銅と結びつくこともあるでしょう」
「赤ちゃんは、さびしくないのかな」
アガサはニヤリとしてモーレックにウィンクした。
「ママが思うに、電気の赤ちゃんたちはそれを楽しんでいるわ。あちこち飛び回りたいのよ」
「ふーん、でんきの赤ちゃんは、ぼくたちとはちがうんだね。ぼくは、ママの所からおいだされるのは、さびしいから」
「その通りよ、モーレック。電気の赤ちゃんは、人とは違う」
「ママは、パパのことを、おいだしたの?」
「まさか! パパは電気の赤ちゃんじゃないわ、モーレック。エマに赤ちゃんが生まれるから、助けに行ったの」
「パパはもどってくる?」
アガサはモーレックの洞察力の高さに、ドキリとさせられた。
「わからないわ……」
「ママはパパに、もどってきてほしい?」
「もちろん、戻ってきてほしい」
「パパのことがだいすき?」
「大好きよ」
モーレックは安心したようにうなずいた。
アガサは完成したキツネうどんに、卵と、揚げ玉と、かまぼこと、ネギをトッピングして、子ども用のボウルによそい分け、モーレックのベビーチェアのテーブルに置く。
「熱いから気を付けて食べてね」
プラチナブロンドと、金色の入った水色の瞳をもつモーレックは、その外見に反してアガサの作るうどんが大好きだ。
ふうふうをしながら、フォークですくって慎重に口に運ぶ。
マリオの方は離乳食のイヤイヤ期なので、アガサは隣に座らせて一口ずつ、なだめすかしながら、なんとか一口でも多く食べさせようとするが、結局、最後はミルクになる。
ドラコのいない夕食は、いつもより静かだったが、子どもたちと過ごす時間は温かかった。
◇
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