恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 2-13


 病院内にある保育室でラットはアガサを見つけた。
 彼女は子どもたちと一緒にカーペットの上に座って、積み木で遊んでいる。

「やっと見つけた! 入院のことをボスに言っていなかったんだね、アガサ。困るよ、僕が怒られるんだから」
 血相を変えたラットが保育室に飛び込んできて、アガサに詰め寄った。

 子どもたちと積み木のお城を作っていたアガサは、少し迷惑そうにラットを見上げた。
「言っちゃったの? あと一日で退院なんだから、上手く誤魔化しておいてくれればよかったのに……」

 積み木のお城は騎士のモーレックとマリオが守る、堅固な要塞で、城壁の内側にはトマトの畑もある。
 3人で一時間以上かけて作り上げた大作だ。

「そんなことできるわけないよ、あのボスだよ? 君のことで隠し立てしたら、一度や二度、殺されるだけじゃすまないよ、もう……」
 ラットはポケットから携帯を取り出してあわあわとダイヤルしはじめた。
 電話の相手はすぐに出たらしい。
「アガサに代わります」
 前置きもなくそう言うと、ラットは有無を言わせずアガサに携帯電話を押し付けてきた。
「ここは僕が見ておくから」

 アガサは携帯を耳に当てながら廊下に出た。
 
「ハロー」
『どういうつもりだ』
 電話の向こうのドラコは、明らかに怒っていた。声の感じからすると、いまだかつてない、怒りようだ。

「入院のことを黙っていたのは謝ります。言いそびれたの」
 ドラコはまずアガサの無事を確かめると、術後の体調を訊ね、それから手術の内容と、どんな怪我をしたのかを、事細かに聞いてきた。
 アガサはイタリアで車から飛び降りて怪我をしたことを話し、手術を受けた経緯について順を追ってドラコに話して聞かせた。

『どうして俺に言わなかったんだ』
「ごめんなさい。あなたを心配させたくなかったし、エマと赤ちゃんのことを優先してもらいたかったから、言いたくなかったの」
『誰を優先するかは俺が決めることだ! アガサ、物凄く心配したんだぞ!』
 ドラコが怒鳴った。
 そんなふうにドラコから怒鳴りつけられるのは、初めてだったので、アガサは黙り込んだ。

『……今、空港にいるんだ。すぐにそっちに帰るから』
「え、待って待ってドラコ。こっちは大丈夫だから、急いで帰って来なくていいのよ、エマの出産があるでしょう」
『エマは今日、出産したよ』
「ええ!?」
 聞いていた予定日よりかなり早いので、アガサは驚いた。統計的に初産の6割が予定日よりも早く出産するというが、それにしても早すぎるのではないか。
「エマは元気? 赤ちゃんは、大丈夫なの?」
『二人とも問題ないよ。それと子どもは、養子にだすことにしたから。ドンもそれで納得している』
「ダメよ!」
 思わずアガサは叫んだ。
『これが俺の決断なんだ』
「それで本当にドラコは後悔しないの? エマは?」
『エマは、一人では子どもを育てられないと言った。俺は父親になるつもりはないから、エマも養子に出すことは納得している』
「そんなのダメ……きっといつか後悔するわ」
 電話の向こうで、ドラコが再び語気を荒らげた。

『今すぐ君のところに帰りたいんだ、アガサ。生まれてきた子を抱いて俺が思ったことは、俺は、絶対に自分を許せないということだった。君のことばかりが頭に浮かんで、腕の中にある小さな命を、憎いとさえ思った。俺がこの数カ月間、どんなに惨めだったか、君には想像もできないと思うけど、四六時中いつも、本当に君が恋しい。こんな気持ちじゃ、俺とエマのところにいても、あの子は不幸になるだけだ。だからもう決めたんだ、子どもは養子に出す。わかってるよ、それで君が俺を軽蔑するってことは! もしアガサが俺に見切りをつけるというなら俺は永遠に君の前から姿を消すよ、だから……』

 電話の声が急に力なく震えて、途切れた。
 微かに、嗚咽を呑み込む音がする。

――『どうか俺を許してくれ、アガサ』

 とても心細そうな、掠れた声でドラコはそう言った。
 それからドラコは涙に息を詰まらせながら、アガサと婚約中であるのに、愚かな取引に騙されて、エマと軽薄な行動をとったことを心から詫びた。
 その事実そのものがアガサを深く傷つけたにも関わらず、子どもを宿してしまったことで、さらにアガサの妻としての立場を侮辱してしまったことも、ドラコは重ねて詫びた。
 どんなに謝っても、許されないことだと、ドラコにはわかっていた。
 ドラコでさえ、自分自身を許せずにいるのだから。それでも、縋りつかずにはいられなかった。
 別れを切り出されたら、それまでだ――。

 そんなに取り乱しているドラコは初めてだったので、アガサはひどくショックを受けた。
 ドラコがそこまで罪の意識に苛まれ、一人で思いつめていたとは、知らなかったのだ。
 傍にいて、抱きしめてあげられたら良かった。けれど、今は言葉しか届かない。

「あなたのことは、とっくに許しているわ、ドラコ。あなたが気にしている、そんな豆粒みたいな問題、私にとっては、あなたを愛するのに何の支障にもならないのよ」
 電話の向こうで泣きじゃくっているドラコに、アガサは言った。
「でも、赤ちゃんを養子に出すのはダメよ。もしどうしてもそうすると言うのなら、私が、その子を育てるわ」

 ドラコがハッと息を呑むのが感じられた。
 すぐに、動揺した声が返ってくる。
『それはできないよ、アガサ。あまりにも君を侮辱することになる。そんなことをすれば赤ん坊を見るたび、君は毎日俺の過ちを思い出すだろう』
「言ったでしょう、そんなのは豆粒だって。――あなたの子どもが欲しいの、ドラコ」

 アガサはそこでついに、子どもを産めなくなった事実をドラコに打ち明けた。

 入院や手術の話をしたときには避けていた話題だ。
「私にはあなたの子どもが産めないから、だからお願い」
『ああ、アガサ……』
 子どもを望んでいたアガサの悲しみを知って、ドラコはまた泣き出した。
 去年、アガサをイタリアに連れて行ったことを後悔し、彼女を守れなかったことをドラコは何度も、何度も謝った。

「謝らないで、ドラコ。誰も悪くないんだから。本当はね、ドラコ、あなたが私との子どもを望んでくれているとわかっていたから、私もとても悲しかったの。せっかく結婚してもらったけど、あなたに私は相応しくないんじゃないか、って。でも、もしあなたが私のところに戻ってきてくれるというなら、養子に出そうとしているあなたの赤ちゃんも一緒に連れてきて」

 ドラコは少し悩んでいるようだったが、エマと話をしてみると言った。

『でもアガサ、君こそ本当にそれでいいのか? 俺がよそで孕ませた子を、君に育てさせるなんて、やっぱり変だよ……』
 いつまでも涙声をしているドラコに、アガサは言った。
「ドラコ、私の愛を侮らないで。近くにいても、離れていても、あなたは私の愛の中を泳いでいて、決して逃れられないのよ。私は【あなたの】子が欲しいの。たとえ別の女性が産んだ赤ちゃんだとしても」
『そんなふうに愛されるのはいやだ。だって、こんなのすごく苦しいよ……まるで、溺れているみたいだ』
「それはあなたが、まだ泳ぎが下手なせいね。――愛しているわ、ドラコ」

 ドラコは答えなかった。
「愛していると言ってくれるまで、ここから一歩も動かないわよ」
 電話の向こうで鼻をすすり、戸惑った声が返される。
『今、どこにいるんだ、アガサ』
「デザートパーム病院の受付の前だけど?」
『ばかだな。ずっとそこに立っているつもりなのか?』
「ええ、そう」
 ドラコはまだ泣いているようだった。涙の嗚咽をこらえながら、ドラコは言った。
『もちろん俺も愛してるよ、アガサ。あとで、またいつもの時間に連絡するから』
「わかったわ」

 二人はそこで電話を切った。

 

 アガサが保育ルームに戻ると、ラットがモーレックとマリオに責められていた。
 三人で協力して城に新しい塔を建てようとしていたらしいのだが、ラットが誤って積み木を崩してしまったらしい。
 モーレックがラットに向かって、「へたくそ」、と冷たく言い放ち、それを真似してマリオも、「えたくそお!」、と言った。
 母親アガサは、そんな意地悪を言ってはいけない、みんなで仲良くやり直すのよ、と子どもたちを叱り、四人でまた積み木の塔の建設にとりかかった。
 だが、性懲りもなくラットがまたしても塔を崩した。

「へたくそねえ! わざとやってるの?」
 子どもたちの見ている前で、アガサは目を丸くしてどやしつけた。

「ひどいよアガサ、さっき子どもたちに言ったことを忘れたの?」
 言いながら、ラットがまた別の積み木を崩しそうになったのでアガサは悲鳴をあげた。

「もういい、クビよ。さがって、あなたは手を出さないでちょうだい」

 モーレックは、マリオには崩れてもやり直しがきくところをやらせ、最も繊細な作業を要するパートはママに任せて、ラットには決して触らせないようにした。

「ボスとはうまく話せたの?」
「あなたのせいで、ひどく怒られたわ」
「内緒にするから……」
「でも、ドラコとちゃんと話せてよかった。今日はありがとう、ラット」
 ラットはニンマリして、近くにあった城壁の一部を指で突いて崩した。
「ぶっちゃ、ダーメ!」
 モーレックが怖い顔をしてラットを叱りに来た。
「この子は、怒るとアガサそっくりだなあ。でも、僕にはこういう作業は向いていないんだ。規則正しく積み上げられている物をみると、ついつい崩したくなるんだよね」
「もう帰ったらどう?」
「いや、楽しいからもう少しお邪魔してるよ」

 その日ラットには、『積み木崩しのブッチャー』という呼び名がつけられた。





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