恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 2-14


 ドラコとエマの子どもを引き取りたいというアガサの申し出を、エマは戸惑いながらも承諾した。

「でも、アガサはもう二人も子どもを育ててるでしょう、彼女一人で三人もみれるの?」
「アガサのことなら心配ないよ、エマ。いつも愛を注ぐ相手を探して、もてあましているんだから。それに、アガサには俺もついているから」
 エマは不満そうに鼻で笑った。
「私とは子どもを育てられないのに、アガサとなら育てられるのね、ドラコ。【私たち】の子を」
 エマから投げつけられる嫌味など意にも介さず、「そうだよ」、と、ドラコは応じた。

「マリオのときもそうだった。俺にはできないと思えることも、アガサと一緒ならできるんだ」

 エマは養子縁組の書類にサインした。
 ドラコとアガサが親となり、今後、エマは叔母という立場で子どもと関わっていくことに同意した。

 フェデリコは何も言わなかったが、エマとドラコがアガサの申し出を受け入れたことを秘かに喜んでいた。
 見ず知らずの他人に養子に出すよりは、少なくとも、目の届くところに孫を置いておくことができるからだ。

「年に一度は、必ずこの子に会わせてね」
「もちろんだよ、エマ。アガサもそうすることを望んでいる」
「あなたって本当に、いつもアガサの言いなりなのね」
 ドラコは少しも動じずにまた、「そうだよ」、と応じた。

 それはともかく、アガサが優しく、分別のある女性で良かった、とエマは思った。
 もっとも、結婚相手が別の女に産ませた子を養子に迎えることが果たして常識的なことかといえば、絶対にそうは思えなかったが……。
 もし逆の立場なら、エマはきっとその子どもを憎んだはずだ。
 だから、愛する人――ドラコの子どもだから私が育てたい、と言ってくれたアガサには、到底かなわないとエマは思い知らされた。
 恋敵への嫉妬は完全には消えないが、モーレックとマリオへの接し方を見れば、アガサが偉大な母親であるということは分かる。
 エマは、アガサになら安心して子どもを任せられると思った。

「赤ちゃんの名前はなんてつけるの?」
 エマに聞かれて、ドラコは腕の中であやしていた赤ん坊をエマに抱かせてやりながら、嬉しそうに言った。
「――ラルフだ」

 意味は、『狼の助言者』。
 強く、賢い子になるようにと、それはアガサがドラコに、いつか自分たちに男の子が生まれたらつけたいと言っていた名前だった。

「ラルフ、いい名前ね」
 エマは小さな赤ん坊をドラコから抱かせてもらうと、最後にその子の温もりを忘れないように、強く確かめる様に抱きしめた。
「痛い思いをして産んであげたんだから、ちゃんと元気に育つのよ、ラルフ。イタリアに遊びにきたときには、エマおばちゃんがいっぱい、甘やかしてあげるんだからね」

 その日の夜、ドラコは赤ん坊を連れてロサンゼルスに帰って行った。
 アガサとモーレックとマリオの待つ古城へ。





 10月下旬のマウント・グロリアは例年になくやけに蒸し暑く、紅葉が遅れて、まだ青々とした緑が生い茂っていた。
 ベントレーの黒いリムジンがアガサの古城の庭の門をくぐったとき、ドッグが急ブレーキを踏んだ。
 後部座席に座っていたドラコは、衝撃で赤ん坊を腕から落としそうになってヒヤッとした。

「すみません、ボス。鶏を轢きそうになって……」
 見ると、車の影からトサカを生やした茶色の大きな鶏が現れて、まるで歩行者優先だとでも言わんばかりに、頭を前後に揺らしながら優雅に庭の方へ歩き去って行った。

「なんなんだ、あの生意気な鶏は……」
「ちょっと前から、ボスの奥さんが鶏を飼い始めたのを忘れていました。すみません、気を付けます」

 鶏だって? 聞いていないんだが、とドラコは思った。
 ドッグは慎重に古城の表玄関の前までベントレーを進め、停車した。

 赤ん坊を抱いてドラコが車から降りたとき、秋の草花が生い茂る田舎風の美しい庭の中に、何か白いものが動くのが見えて、ドラコの視線は引き付けられた。
 愛想のない顔だけをこちらに向けて顎を左右に動かし、草を食べている……ヤギだ。
 首に赤いリボンと鈴をつけている。
「……どうなってるんだ?」
 秋薔薇の咲き誇る庭の真ん中でその場違いなヤギは、まるでよそ者を見るかのような冷たい目をドラコに向けていた。

「うわ!」

 ヤギに目を奪われていると、ドラコの足元をまた別の鶏が通り過ぎようとして、突いた。
 邪魔だからドケと言わんばかりの、ふてぶてしい態度で。
 足で蹴ってやろうとしたときに、玄関からアガサが飛び出してきた。

「ドラコ! 蹴らないでよ? 毎朝、卵を産んでくれる優秀な鶏たちなんだから」
 玄関前の階段を下りてきて、アガサはドッグから子ども用の旅行鞄を受け取った。
「ご苦労様、ドッグ」
 ドッグはアガサとドラコに早々に挨拶をすませると、庭に解き放たれている動物たちから逃げる様に帰って行った。

 アガサの姿を見るや、もはやドラコは動物たちのことなどどうでもよくなり、彼女を抱き寄せると、しばらく離れなかった。
「おかえりなさい、ドラコ。フライトはどうだった? 赤ちゃんは?」
「飛行機の中で泣き通しで、まいったよ。おしゃぶりもイヤがって」
「まあ、可哀そうに。私に抱っこさせて」
 ドラコは片手でアガサを抱き寄せたまま、赤ん坊をアガサの手の中に入れた。
「……なんて可愛いのかしら」
 赤ん坊はドラコと同じ、海のような青い目をしていた。
 まだあまり物が見えていないのか、焦点の定まらない目で音に反応してあちこちを見回している。
 アガサが赤ん坊に顔を近づけると、その焦点があって、アガサを見上げた。

「はじめまして、ラルフ。私はアガサ。あなたのママよ」
 ラルフの口から小さな声が漏れて、かすかに笑ったように見えた。

 ドラコはやっぱりまだ複雑な気分だった。
 だが、彼女がその子を腕に抱いた瞬間から、ドラコの愛するアガサとその小さな赤ん坊は、本当の母と子のように見えた。

「アガサ、君は本当にこれで幸せなのか」
 アガサは赤く潤んだ瞳でドラコを見上げた。
「夢に見ていた以上に、とても幸せよ。ドラコ、ありがとう」
 そう言って、深い愛情と感謝を込めて、アガサはドラコの胸に顔をうずめた。
 ドラコは返す言葉を見つけられずに、ただ彼女への愛しさで胸をいっぱいにして、アガサの額にキスをした。

 二人にはすでにモーレックとマリオという愛する子どもたちがいるが、この日さらにもう一人、ラルフという愛する子ができたのだ。

 そうこうしているうちに、二人の足元に鶏たちが集まって来た。物欲し気な、威圧的な雰囲気を感じる。

「ところで、君の新しいペットたちが小屋から逃げ出しているようだけど」
「日中は庭に放してやっているのよ、運動が必要だからね」
「車で轢きそうになったよ」
「困るわ、気を付けてもわらないと」
「……、柵をたてよう」
「そうね」
 と軽く返事をして、アガサは鶏たちを跨ぎ、表玄関の階段を上った。

「モーレックとマリオが待っているわ、ドラコ。はやく顔を見せてあげて。今夜はトマトのピクルスを使った料理をたくさん作るつもりなの!」
「待ってくれ、取り囲まれて、動けない」
「ああ、夕方のご飯の時間だから集まって来てるだけよ。噛んだりしないから、ゆっくりこっちに歩いて来て」
 だが、ドラコが一歩足を動かすと、鶏たちは苛立ちを露わに高く跳びあがってドラコを羽根でバタバタ叩いた。
「うわあ!」
 なすすべもなくドラコが立ち尽くしているのを見て、アガサは笑った。

「モーレック! ちょっと手をかして。パパが鶏に捕まったの。助けてあげて!」
 城の中から、すぐにモーレックがてこてこと走り出してきた。相棒に猫のモーニングを従えて。
 モーレックとモーニングは、巨人ゴリアテと最強の肉食獣アムール虎のように勇敢に鶏の群れに突進し、庭の奥へと追いやった。

「優しくよ、モーレック。鶏たちはとっても怖がりだからね」
「あれのどこが怖がりなんだ? あの鶏たちはギャングより質が悪い」
「ぱぱ、おかえり」
 モーレックがパパの足にしがみついた。
 久しぶりに会ったモーレックを軽々と抱き上げて、ドラコは愛おしそうにギューッと抱きしめた。
「ただいま、モーレック。とってもいい子にしていたって、ママから聞いているよ。偉いな」

 玄関から中に入って行くと、リビングで昼寝をしていたマリオが大泣きしていた。
 目を覚ましたときに誰もいないことに気づき、家族から一人取り残されたと思ったようだ。
 よちよちと泣きながら広間に歩き出てきたマリオは、ドラコを見るとぱたりと泣き止んだ。
「ぱぱあ……」
「ただいま、マリオ」
 両手を広げて抱っこをせがむマリオを、ドラコは片腕で難なく抱き上げた。モーレックとマリオを両腕に抱えて、また二人を強くギューッと抱きしめる。

「お前たちに会えなくて寂しかったよ。モーレック、マリオ、大好きだよ」

 少し重たくなった子どもたちを力いっぱい両腕に抱きしめながら、ドラコは幸せを嚙み締めた。
――家族のいる家に私は帰る。なんという恵み、なんという喜び。
 去年の誕生日にアガサからもらったキーホルダーを、ドラコはいつも持ち歩いている。

 家に帰って来られたことに心から安堵し、そして、新しい家族が増えたことを喜んで。
 ドラコとアガサと愛する子どもたちの新しい日々が、またここから始まっていこうとしている。





第2話END (第3話につづく)