恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 2-10


 会合の後、ドラコは久しぶりに再会したニコライとともに娯楽室のバーで酒を酌み交わしていた。
 二人はアーベイも捕まえようとしたが、アーベイは近頃、ちょっとした健康の【差し障り】が生じたため、しばらく禁酒をするのだという。
 大したことはない。中年に差し掛かり少し太ってしまったことを、アーベイは必要以上に気にしているのだ。

 他の幹部たちは、イデリコでさえ、去年のコンコルゾでドラコに大敗したことをトラウマにしていて、誰もドラコと一緒に酒を飲みたがらなかった。

「アガサとの新婚生活はどうだい?」
 ステムグラスの中の赤ワインを優雅にくねらせながら、ニコライがドラコに訊ねた。
 二人はカウンターに並んで座って、燻した栗を手で割って剝きながら、フェデリコのワイナリーで昨年醸造されたワインを味わっている。
「どうもこうもないよ。結婚したその日にエマから電話がかかってきて、次の日にはイタリアに向かう飛行機に乗らされていたんだからな」
「よくアガサは許してくれたね」
「アガサが俺を家から追い出して、イタリアに来させたんだ。本人は認めないが、俺を罰するつもりなのさ」

 手元で剥いた栗を口に入れて、ニコライはグラスのワインをゆっくりと舌の上に流し込んだ。
 ピエモンテで100年以上続く老舗ワイナリーのフェデリコのワインは、エレガンスで柔らかなタンニンの渋みが魅力だ。昨年のワインは格別な出来上がりだった。今年刈り取られたブドウは、11月に新酒として解禁されるが、それと飲み比べてみるのも一興だな、と、考えながら、ニコライは言った。

「じゃあ、君たちはまだ初夜をヤってないわけだね」
 
 ドラコは返事をする代わりに、バキッと大きな音をたてて栗の皮を剥いた。

「こっちに来てから、誰か女性を抱いた?」
「まさか。俺は結婚しているんだぞ」
 律儀に結婚指輪をかざして見せてくるドラコを、ニコライは少し驚いて見返した。
「もしかして、去年、僕と別れてロスに帰ってから一度も……、ドラコ、もう何か月も女性を抱いていないのかい?」
 ドラコがまたバキッと栗を割った。
「……よくそんなに長い間、欲求を抑えつけていられるね」
「何が言いたいんだ?」
 ドラコがぎろりとニコライを睨みつけた。
「いや、深い意味はないけどね、ただ、君は僕よりも性欲お化けだと思っていたから、すごいなと思って」

 確かに、昔よりも性欲はなくなったかもしれない、と、ドラコは思った。
 今なら、目の前にグラマーな女の裸体をさらされてもムラムラしない自信があった。
 ドラコが欲しいのは、アガサだけなのだ。

「俺、老けて見えるか?」
「いいや、むしろ昔よりもセクシーに見えるよ」
 と、ニコライは笑みをかみ殺して言った。

「エマとはどうするか、もう決めたのかい」
「はっきり言わないんだ、どうしたいのか。でも俺は、エマと子どもを育てるつもりはない」
「アガサは、なんて?」
「俺に責任を取れと言ってる。生まれてくる子どもを慈しみ、どうやって育てるかを、エマとちゃんと話し合うべきだと。俺がすごく嫌なのは、もし俺がエマと一緒に子どもを育てると言ったら、アガサは俺とのことは諦めて、すぐに結婚を解消するだろう、って気がすることなんだ。アガサは多分、俺がイタリアから戻らないと思ってる。自分の子を見たら、きっとその子に愛着が湧くだろうから、って。アガサが何を考えているかなんて、お見通しだよ」

「でも実際、実の我が子に対面したら、きっと愛着がわくんじゃないかな」

「そうは思えないし、仮に俺がどう感じたとしても、アガサを失ったら俺は生きていけないと思う。本当に……、俺がバカだった。最低だ、こんなふうにアガサを傷つけるなんて」
 ドラコは両手で顔を覆って、カウンターにうずくまり、頭を垂れた。
 深い後悔と痛みがドラコの内にあることを、ニコライも悟って、静かにワイングラスを傾けた。
 ピエモンテの葡萄から作られた赤ワインと栗とのマリアージュは、秀逸だ。

「そういえば新聞を読んだよ。アガサは、ロスでも大がかりなチャリティーをしているらしいね」
「ああ、ファミリーサポートチャリティーだ。呆れるほど熱心にやってるよ」
「一緒に写っていた男に見覚えがあったんだ。――ウィリアム・ジラード」
「知ってるのか」
 ドラコが顔を上げた。

「向こうは僕のことを知らないと思うけど、昔、ちょっとだけハマっていた【趣味】があってね。その界隈で何度か彼を見かけたことがある。自宅に、専用の【プレイルーム】を持っているらしいよ」
「SMプレイをするような怪しげな部屋じゃないだろうな」
「大当たり、鋭いねえ」
 ドラコは嫌な顔をした。
 ニコライがSMプレイにハマっていたという事実も知りたくなかったし、アガサにしつこく付きまとっているジラードが今こそ危険な男だとわかって寒気がした。

「けど、アガサなら心配いらないと思うよ。彼はね、ドラコ、【プレイ】の前に必ず主従契約を書面で交わすんだ。同意のない相手を無理やり縛ったりはしないから安心していい。ジラードは性的サディズム愛好者というだけで、反社会的なパーソナリティを持っているわけじゃないからね。善良な紳士だよ。ただし、プレイルームでの彼はかなり激しくて、官能的らしいけどね」
「もう十分だよ、ニコライ。お前の性的嗜好が垣間見えて吐き気がする……」
「誤解しないでくれ、僕はノーマルだよ、ドラコ。ただ一時期、刺激が欲しくてちょっとそっちにハマってたってだけさね」
「まさかお前が、マゾだったとはね」
「同じくらい攻めるのも好きだよ」
 ニコライはドラコをからかって、わざと湿った声で囁いた。
「自分だって経験があるくせにさ、結婚した途端、ウブなふりをするんだから」
「ああもう煩い」
 酔っぱらったロシア人は、悪乗りが過ぎる。普段は理性と慎み深さで抑えられているニコライの陽気で自由奔放な性格は、酔うと惜しみなく大解放されて誰彼構わず絡みつく。独身時代ならドラコもそんなニコライにどこまでも付き合えたが、アガサと結婚した今は慎重になった。もしこの会話をアガサに聞かれたらと思うと、ゾッとするからだ。

 その後、子どもたちの話題になると一転、今度はドラコが嬉々として喋り始めた。

 なぜかドラコは、携帯にトマトの写真をいっぱい入れていた。
 家族の写真は、万が一にも携帯を紛失したときに情報が漏れては困るので保存していなかったが、モーレックが庭で育てたトマトの写真は、全部取ってあったのだ。畑に生えている、まだ緑色の房になったものから、真っ赤に熟れて収穫したものまで様々あって、甘さや食感が異なる3種類がある。
 ニコライはひたすらトマトの写真ばかりを、次々にドラコから見せられた。
 ビーフステーキ、ローマ、フラワーガール……。トマトの品種を次々に教えられても、ニコライにはさっぱりだった。
 とどめに見せられた一枚は、トマトの瓶詰だ。
 ドラコが戻ったら家族で一緒に食べるために、モーレックはアガサと一緒にそれをピクルスにしたのだという。

 マリオの方は少し前から歩けるようになり、いつもママを追いかけているらしい。
 将来が危ぶまれるほどの甘えん坊でママにベッタリだが、やんちゃな、強い子に育っていて、かつてモーレックがやったようにベビーサークルを抜け出すことを覚えた。
 アガサが目を放した隙に一度など、階段からクルクルと転げ落ちたこともあるらしい。まるで中国映画のアクションスターのように、本当にクルクルと横向きに回転して広間の階段を転がり落ちると、マリオはエメラルド色の大理石の広場に仰向けになって止まったらしい。しかも、マリオは笑っていたという。
 頭を打ったに違いないとすっかり取り乱したアガサから電話がかかってきたときには、流石のドラコも肝を冷やして、すぐにロサンゼルスに帰れるように帰りのチケットを押さえたほどだ。
 だが、救急病院に連れて行ってもマリオはどこにも異常はなかったそうだ。
 神の奇跡だとアガサは言ったらしいが、ドラコから話を聞いたニコライは、アルテミッズファミリーの元幹部のマリオの子だということを考えると強いのは当たり前で、子どもは体が柔らかいから意外に怪我をしにくいんじゃないかな、と冷静に分析した。

 ドラコはいつまでも、子どもたちとアガサのことを嬉しそうにニコライに話して聞かせるのだった。

「ドラコ、君がモーレックとマリオにそこまで愛情を注ぐようになるとは、僕はとても驚きだよ」
 
 血のつながりのない、言ってしまえば、赤の他人の子だ。
 そんな子どもたちを守り、慈しんでいるドラコには明らかに父親の愛があった。
 だとしたら、エマとの子どもに対面したときに、ドラコはどう感じるのだろうか……。ニコライは切ない気持ちになった。
 アガサは聡く賢い女性だから、ニコライと同じように、きっともうそのことに気づいているのだろう。だからこそ、ドラコをイタリアに寄越したのだ。

 モスクワでゴリヤノヴォの孤児院に変革をもたらしてくれたときから、ニコライはアガサに恩を感じていた。
 それに、モーレックにも愛着を抱いている。
 だから、もしドラコがイタリアに留まると決めたときには、自分がアガサたちの助けになろうと、ニコライは秘かに決意したのだった。





次のページ2-11