恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 2−1


 ダヴァール教会での温かな結婚式を無事に終えて、ドラコたちは古城に帰って来た。

 日本から来たアガサの家族は、ゴールデンウィークの休暇中なので、せっかくだから家族でフロリダのディズニーランドに遊びに行くことにしたらしく、式のパーティーの後にすぐに空港に向かっていった。ドラコとアガサは、またいつでもロスに遊びに来て欲しいと伝えたが、タケイチは、「しばらくはゆっくり新婚生活を楽しみなさい」、と言ってくれた。

 ハーヴィーと検事が上手くやってくれたので、ドラコたちアルテミッズファミリーの仲間たちは、麻薬カルテルの取引現場には【偶然】居合わせただけということで処理され、お咎めを受けることは無かった。
 今回の取引に内通していたロス市警の警官を突き止めるため、数名の生存者は搬送後に厳しい聴取を受けることになったが、麻薬ディーラーのカルロス・リゲルと、フロレンシアのボス、シックスは死亡した。現場にあった多額の現金と膨大な量のコカインは全て押収され、前代未聞のロス市警の大手柄となった。

 結婚式当日は、非日常の慌ただしい一日だった。
 アガサは古城に帰ると子どもたちのタキシードを脱がせ、それを一生の記念にすると言って丁寧に洗濯した。
 モーレックとマリオは結婚式の間中、いろいろな人に愛でられ、たくさん抱っこされて上機嫌だったが、流石に疲れたのだろう。城に帰り着く頃にはグッタリと眠りこんでしまい、そのまま夕食の時間まで目を覚まさなかった。
 夕食を軽くすませて、いつも通り子どもたちを風呂に入れてベッドで絵本を読んで寝かしつけると、ようやく新婚の夫婦は一息つくことができた。

 アガサはウエディングケーキを一切れ持ち帰ってきていて、子どもたちを寝かしつけると早速それを取り出した。

 結婚式のために、アガサが最も拘ったのはウエディングケーキと言っても過言ではない。
 極細に粉砕したマカデミアナッツとクラッシュクッキーを練り込んで、わざと少し荒めに作った歯ごたえのあるチョコ味のスポンジに、さらに幾層にもとろけるチョコレートを挟みこんで湿り気を与え、外側は新鮮なストロベリーでピンクに色付けした爽やかな植物性のホイップクリームで包んだ、とろとろのストロベリーチョコケーキだ。
 パティシエははじめ、ウエディングケーキにはアイシングをたっぷり用いて高さを出し、豪華な装飾を施すのが主流だと強くすすめてきた。
 しかし、それだと見た目は豪華でも、硬くて味がイマイチになるので、アガサはどうしても独自のレシピでケーキを作ってもらいたかった。
 結果、見た目は普通でも、一口食べれば誰をも虜にする魅惑のケーキが誕生した。
 
 一切れだけでも古城に持ち帰ることができたのは奇跡だ。

 背の高いキッチンテーブルの前に立ったまま、フォークで黙々とケーキを口に運びながら、アガサは幸せそうに鼻を鳴らした。
「最高のケーキだわ……。モーレックが3歳になったら、これと同じケーキを作ってあげるつもりよ」
 モーレックは今年2歳で、マリオはまだ1歳なので、子どもたちはまだチョコを食べられない。
「俺の分はないの?」
 ドラコがキッチンにやってきて、アガサの隣でテーブルに肘をついた。
 結婚式の準備のときにドラコもケーキの試食をしたが、実際の結婚式では招待客の相手をするのが忙しくてほとんど料理を食べられなかったのだ。

「これしかないの。この一切れをキープするのがやっとだったのよ。多めに作ってもらったんだけど、ケーキは一瞬で無くなったから」
 アガサはフォークで一欠けらすくって、それをドラコの口の前まで持って行った。
 ドラコは何の抵抗もなく、それを食べる。
 爽やかなストロベリークリームの中から、濃厚なチョコレートでとろとろになったスポンジが溶けだす。時折、わずかに塩気のあるマカデミアナッツとクラッシュしたクッキーのサクサクとした食感が、甘さの中で良いアクセントになっている。

「……罪深いケーキだ」
 唇についたチョコをぺろりと舐めて、ドラコもうなった。
「もっと食べたい?」
「うん」
 アガサはまた一欠けら、今度はさっきよりも大きくすくって、ドラコの口に運んだ。
「ん、……大きすぎるよ」
 ドラコの口の端にチョコがついたので、アガサが親指でぬぐって、それを舐めた。モーレックやマリオにもよくする仕草だが、いざ自分がやられてみると、ドラコは少しドキッとした。当のアガサにとっては普通のことらしく、ドラコの微かな動揺になど気づく様子もなく、目の前のケーキを新たに頬張ることに夢中になっている。

「それを食べ終わったら、部屋に行こうよ」
 ドラコの声が、少し掠れた。
 アガサがニコリとして、ドラコにもう一口食べさせてくれる。
「うん。部屋に入るときに、お姫様抱っこしてくれる?」
「いいよ」
 そう応えてから、ドラコはイタズラっぽく微笑んだ。
「でも、そんなに勢いよくチョコレートケーキを貪っているんだから、果たして俺の手に負えるものかどうか、ちょっと自信がなくなってきたよ」
 アガサはこれ見よがしに、最後の一口を大きく頬張って見せた。
「そんなわけないでしょ」
「ついてる……」
 アガサの口の端についたチョコレートを、ドラコが舐めた。そのまま、アガサの頬に、そして、耳にゆっくりとキスをする。

 ドラコはアガサを軽々と両手に抱き上げた。
「待って待って、お皿をシンクに片付けるから」
 アガサはドラコに抱き上げられたまま、キッチンテーブルの上からシンクの中に皿を移した。
 ドラコがキッチンを出て、エメラルドの広間を抜け、マホガニーの階段を上る。見慣れた景色がいつもより下に見えることに怖気づいて、アガサはドラコの首にしがみついた。

「大丈夫、落とさないよ」
 そう言ったドラコの腕は、力強かった。





 夫婦の寝室は、階段を上がった正面の、隠し扉の奥にある。
 そこはドラコがイタリアから帰って来た後に、古城の雨漏りを修理しようとしていて偶然にアガサと二人で見つけた部屋で、多分、昔この城に住んでいた家主が主寝室として使用していた場所だろう。

 壁も天井もウエスタンゴシック様式であつらえられたその部屋には、他のどの寝室よりも大きなキングサイズのベッドが備えられ、城の正面に面する大きな南向きの窓が、室内を明るく照らし出していた。部屋の中には、それだけで一部屋と数えられそうなほど広いウォークインクローゼットが二つもあり、浴槽つきの大きなバスルームと、さらに書斎が隣接していた。
 窓が割れて、長年の風雨にさらされていたその部屋には枯れ葉や砂埃が入り込み、家具は朽ち果てていたが、ここ数カ月の間、ドラコとアガサは協力して、その部屋に大規模な修繕工事を施して、家具を新調した。そして今では、温かくてクラシカルで上品な夫婦の寝室に仕上がっている。

 ドラコが足で壁の仕掛けを触って秘密の扉を開き、数段の階段を上って、今度はアガサが木製のドアを開くと、二人は夫婦の寝室に入って行った。
 部屋の明かりをつけてベッドまで歩いて行きながら、ドラコは腕に抱いているアガサに問いかけた。

「緊張する?」
「限界までネジを巻き上げられたゼンマイ仕掛けのネズミみたいにね。床に置かれたら走って逃げ出しそうよ」
 と、アガサはドラコにしがみついたまま答えた。
「ちょっと床に置いて見て」
「逃がさないよ。このままベッドまで連れて行く」
 そうして部屋の奥のベッドの前までやってきて、ドラコは立ち止まった。
「怖い?」
「怖くはないけど、上手くできるかどうかはちょっと心配」
 アガサは正直だった。
 ドラコは自然と口元をほころばせて、アガサにキスをした。そして、ゆっくりと彼女をベッドに降ろす。
「きっと、俺とこういうことをするのを、アガサは気に入ると思うよ」
 そう言いながら、ドラコもベッドに膝をついて、アガサの上に覆いかぶさる。
「どうしてわかるの?」
「わかるから」
 指を絡めて、アガサの両手を広げ、また優しくキスを落とし、丁寧に、そっと舌をからめとって、彼女の唇を柔らかく溶かしていく。
 やがて高鳴る鼓動に少しだけ息を乱しながら唇を離し、アガサの首筋に、そして胸元へとドラコはゆっくりと唇を這わせて行って……、
――ベッドサイドの電話が鳴った。
 
 ドラコはかまわずアガサのシャツのボタンに手をかけたが、電話はしつこく鳴り続けた。

「ドラコ、緊急の電話かも」
「出なくていいよ……」
 ドラコはもうほとんど、アガサのシャツを脱がせかけていた。
「でも、……気になって集中できない」
「すぐに気にならなくなるさ」
 その時、今度はベビースピーカーからマリオの泣く声がし始めた。
「ああ、くそ……」
「ドラコ……」
 思わず口をついて出た汚い言葉をアガサにたしなめられて、ドラコは上体を起こした。
「子どもたちは俺が見に行ってくる。ベッドから出ないで待ってて、アガサ」
「わかりました、ご主人様」
 アガサがふざけて言って、ドラコの頬にキスをした。アガサは全く知らなかったのだが、ベッドで相手を「ご主人様」と呼ぶことには、性的に過激なプレイを好む、とても卑猥な意味がある。だからドラコは少し驚いて、そして、困ったように笑った。

「後で後悔しても知らないぞ……」

 ドラコは気怠くベッドから出て、ベビースピーカーに届くマリオの声がどんどん大きくなるのを聞きながら、急いで子ども部屋に向かっていった。
 アガサは鳴り続けている電話を取った。
「はい、もしもし」
『……アガサ、私よ』
 電話越しの声を聞いて、アガサはすぐにそれが誰だかわかり、嬉しそうに声を上げた。
「エマ! はーい、元気? 電話をくれて嬉しいわ!」
 てっきり、エマが結婚の祝いの電話をくれたのかと思ったのだ。
 だが、電話の向こうでエマは泣いているようだった。

「どうしたの、エマ。何かあったの?」

 アガサは深刻な表情で、ベッドから起き上がった。





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