恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 1−9
翌朝は晴天で、4月下旬の気持ちの良い清涼な風が、古城に咲く薔薇の蕾を優しく撫でていた。
アガサはザ・ビートルに結婚式の衣装を積みこむと、モーレックとマリオを連れて先に古城を出た。
早朝にかかってきた電話で、ドラコは急な【仕事】に呼び出されたらしく、教会に行く途中で【ちょっと】寄ってくる場所ができたという。
「遅れないでね」
「絶対に遅れないよ。愛してる」
アガサの車の影が見えなくなるまで、ドラコは辛抱して見送った。
◇
違法にアメリカ国内に流通する麻薬は、その9割が南からやってくる。
1982年にレーガン大統領が行なった麻薬掃討作戦以降、フロリダへの密輸は困難を極め、現在は、中南米で生産されたコカインはメキシコを経由してロサンゼルスに集められ、ここからアメリカ全土に売り渡されていくのだ。
コカインはいわゆる興奮剤だ。
ディスコドラッグやセックスドラッグとして用いられ、愚かな白人富裕層や若者がひっきりなしに手を出している。
依存性が強く、使用後の抑うつ症状と無力感により、乱用すれば魂の抜けた廃人と化すコカインは、毎年、多量摂取による死亡事故が後を絶たない。
麻薬は人を壊し、治安を悪化させ、それがもたらす汚い金によって公的機関をも堕落させる。
その裏で、メキシコ、コロンビア、ボリビア、ペルーなどの中南米のギャングたちが富を築き、警察や軍隊を凌ぐほどの軍事力を持って、理不尽な支配と無秩序の中で善良な人々を虐げている。
ドラコはスーツのポケットから忙し気に携帯電話を取り出した。
ここで食い止める。
アメリカに麻薬は持ち込ませない。
ドラコの内に静かな怒りが燃えていた。
『やあ、今日は結婚式だろう』
電話に出た相手は、こちらの要件も聞かずにいきなり言った。
『やはり結婚を取りやめるということなら、わかった! 立ち会うよ』
呑気にぺらぺらと軽口をたたく相手にイラっとしながらも、ドラコは単刀直入に要件を述べた。
「手を貸してもらいたい。11時にコカインの取引がある。680万回分の使用量だ、何としても食い止めたい」
『11時って、今日? 急だな……それをしがない企業弁護士の僕に連絡してきたのはどういうわけだい』
「【信頼】できる検事に話を通してくれ、取引の現場に警察を寄越してくれるように。ロス市警の中に、麻薬取引を手引きしている者がいる」
『もう少し根拠がいるな。取引の現場にくるカルテルの名前はわかっているのか?』
「メキシコ系ギャングのフロレンシアと、麻薬ディーラーのカルロス・リゲル。取引場所はパサデナだ……」
電話の向こうで、わお、と驚きの声が漏れて、それから声の主は言った。
『680万回分のコカインの取引ともなると、彼らは厳重に武装しているだろう。本来ならSWATを派遣するべきだろうが、警察内にカルテルに通じている者がいるとするなら、今回はそれは難しい……。お世辞にも警察は射撃が上手いとは言えないから、高級住宅地で派手な銃撃戦が起こるのは避けるべきじゃないか?』
「そこは俺たちの方で【穏便】に片付けるつもりだ。検事と警察には、事が終わった後に【回収】にだけ来てもらえばいい。頼めるか」
『もしかして君も現場に行くのかい、ドラコ。今日は結婚式だろ?』
と、電話の向こうの声がまた同じことを言った。
それは、ドラコ自身が誰よりもわかっていることだから、ドラコは今、超絶に機嫌が悪い。
「ああ、まったく、クソ忌々しいことに、取引場所が結婚式会場のすぐ近くなんだよ。万が一にも教会に火の粉がかからないように、使えない部下たちのおもりが必要になったのさ……」
電話の向こうで小さな笑い声がする。
『わかった、検事のことは任せてくれ。俺の知り合いで、過剰摂取で息子を失った検事がいるんだ。彼は国内の麻薬を一掃することに命をかけているから、きっと協力してくれるはずだ。大丈夫、やり手の検事だ』
「頼んだぞ、ハーヴィー」
ドラコは電話を切り、ストラダーレに乗り込んだ。
結婚式は11時半。
部下たちを総動員して5分でフロレンシアを制圧し、その後すぐに教会に移動して、タキシードに着替える。
ドラコはスーツジャケットの上から左胸を押さえて、そこに結婚指輪がちゃんと入っていることを確かめた。忘れ物はない。
ギリギリだな、と、ドラコは思った。
ストラダーレに乗り込んでエンジンを勢いよく吹かし、ドラコはパサデナの街に向かった。
◇
結婚式会場のダヴァール教会から、イーストヴィラストリートを西に5ブロック行ったところに、メキシコ料理の店がある。
まさか、毎週アガサと一緒に通っている教会のこんな近くに、フロレンシアの息がかかった店があるとは。ドラコは苦虫を噛んだ。
叩いても、叩いても、性懲りもなくメキシコから麻薬を運び込んでくるギャングたちには呆れを通り越して虫唾が走る。
その有り余るエネルギーをもっと別のことに使えばこの国はもっと良くなるはずだが、これまでドラコが何度ギャングたちにそう言い聞かせても、またこれだ。
アルテミッズファミリーの忠告を無視するということなら、いいだろう、今日という今日は【絶対に許さない】。
徹底的に懲らしめてやる。
ギャングたちは、11時ちょうどに定休日の札がかかったメキシコ料理店に入って行った。
ドラコは部下たちに合図して車を降りた。
ラットとドッグを裏口へ回らせ、マーモットとフォックスには自分と一緒に来るように命じた。
ラットにはあらかじめ、店内の防犯カメラをハッキングさせている。取引の証拠として、カメラの映像を後で警察に提出するためだ。もちろん、ドラコたちがこれから【やること】は、防犯カメラに撮影されることはない。
店内に持ち込まれたコカインは取引の際の品質チェックを行なうためのサンプルで、大物は店の外に停車しているコカ・コーラの輸送トラックの中に入っていることはわかっていた。
店内にはフロレンシアのギャングたちが6人と、ボスのシックス、麻薬ディーラーのカルロス・リゲルと用心棒の2人を合わせた計10人。
外のトラックの見張りに3人、運転手が1人いた。全員が銃を所持している。
カルロスは狡猾な男だ。ロス市警に手を回したのはこいつだろうな、と、ドラコは思った。以前にもカルロスは、政府機関に協力して保身のために他の麻薬ディーラーを貶めたことがある。都合のいいように立ち位置を変える奴は信用ならない。フロレンシアは狂暴だが頭はあまり良くない。
マーモットとフォックスを伴って、ドラコは先頭に立って歩き、コカ・コーラのトラックの横を通り過ぎるときにサングラスを外して男に笑顔を向けた。それが、その男がこの世で見た最後の景色だった。男は、一瞬でドラコに首を折られてコンクリートの歩道の上に力なく倒れた。
異変に気付いた他の二人の見張りが銃を抜いた。だが、それよりも先にマーモットとフォックスが素早く2人を制圧した。
サイドミラー越しに、ドラコとトラック運転手の目が合った。
ドラコは運転席から男を引きずり降ろすと、暴れる男の頭をドアに打ち付けておとなしくさせた。それからトラックのキーを抜き、道の反対側に放り投げた。
後で警察が見つけるだろう。
店内の連中に気づかれないようにするため、外の見張り役と運転手を制圧するのに銃は使わなかった。
――『ボス、こっちは準備OKです』
インカムからラットの声が届いた。
――『今から入る。中に入ったら、躊躇するなよ』
――『了解です』
ラットの声が緊張に強張っていた。
ドラコは腰のホルスターから銃を抜いて、メキシコ料理店の狭い正面口から、少しも躊躇わずに堂々と中へ入って行った。
「よお、シックス」
中に入るとすぐに、ドラコはフロレンシアのボスに声をかけた。
テーブルの上には白いブロック状の包みと、大量の現金が入ったバッグが広げられている。
「どうしてここに……」
シックスと呼ばれたフロレンシアのボスは、一瞬で凍り付いた。その場にいた全員の視線が、ドラコに向いた。
「三度目はないと言ったはずだ。悪いが、ここで退場だ」
男たちが一斉に銃に手をかける中、それよりも早くドラコがシックスを撃抜いた。間髪入れずに、マーモットとフォックスが他の男たちに銃を向け、同時に裏口から入って来たラットとドッグが背後から、一斉に撃ち始めた。相手がドラコに圧倒されて一瞬の怯みを見せた隙に、勝負は決した。
日頃からドラコに厳しくしごかれているので、部下たちの射撃の腕前は決して悪くない。
もしドラコの見ている前で弾を外せば後でまた恐ろしいしごきが待っているので、撃ち合いになるときの部下たちの緊張感と集中力は、ただならぬものだった。
「金にもコカインにも手を触れるな。すぐに警察が来る。撤退だ」
全員を仕留めたことを確認すると、ドラコが言った。早くも遠くの方からパトカーのサイレンが近づいてくる。
部下たちを一瞥して、大きな怪我がないことを確認すると、マーモットのスーツの腕の部分が破れていることに気づいて、ドラコが怖い顔をした。
「撃たれたのか」
「かすり傷です」
「見せてみろ」
ドラコは有無を言わせずマーモットの腕を持ち上げた。それが本当にかすり傷であることを見て取って、ほっとする。
「まったく、どんくさいな……」
ポケットチーフを取り出して、それをマーモットの腕に手早く、強く巻きつけた。
「これでいい」
急いで店から出て、足早にそれぞれの車に向かって歩いて行く。
その時、コカ・コーラのトラックの荷台が開いた。
「ボス!」
道の反対側でたまたま振り返ったラットが気づき、叫んだ。トラックの荷台からマシンガンを持った男が上半身を乗り出し、ドラコに向けて構えた。
「伏せろ!」
すぐに状況を察したドラコも叫んだ。
その時、動きが遅れたのか、あるいは、ドラコを守ろうとしたのか、マーモットとフォックスがドラコの前に立ちはだかった。
銃声が耳に届くより先に弾が飛び、ドラコはゾッとして、マーモットとフォックスの襟首を掴んで咄嗟にストラダーレの影に引き倒した。
銃弾が雨のようにストラダーレに降り注ぎ、窓ガラスが割れて破片が飛び散った。
2人をかばう様にストラダーレの影で地面に伏せながら、ドラコが怒鳴った。
「死にたいのか、バカどもが!」
ロス市警のパトカーが間近に迫って来た。何台ものパトカーが周囲を固め、車から降りた警官たちが一斉に銃を構える。
マシンガンを乱射していた男と激しい撃ち合いになり、やがて男は撃たれてバッタリと道路の上に倒れた。
辺りに静寂が戻る。
ドラコは腕時計を見た。
「ああ、やばい……」
時刻は11時15分。アガサは、11時30分にバージンロードを歩くことになっている。それまでにドラコは教会に行き、タキシードに着替えて祭壇の前に立たなければならない。
「ボス、行ってください。警察は俺たちが引き受けます」
マーモットが言った。
「あとは大丈夫です、ボス。ここは任せて下さい」
インカムからもラットの声が届く。
まったくコイツらときたら……。ドラコはハチの巣のように破砕されたストラダーレの影から立ち上がり、警察と怯えた通行人たちでごった返す路上で、仲間たちの一人一人に視線を送った。そして、何やらインカムに囁きかけた。
それを聞いた仲間たちが人知れず口元を緩める。
それから、徒歩8分の道のりを、ドラコは全速力で走り出した。
アガサの待つ教会まで。
警官たちはドラコを追って来なかった。
背後でわざとらしく仲間たちが騒ぎ立て、警官たちが怒っている声が聞こえてくる。ドラコは振り返らずに走った。
――これで貸しができたと思うなよ。俺の方が、日頃のお前たちへの貸しを返してもらうんだからな。……ありがとう、頼んだぞ。
ドラコがインカム越しに言った言葉を、仲間たちは誇らしい気持ちで受け止めた。
◇
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