恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 1−10


 ダヴァール教会の礼拝堂に、ステンドグラスを通して色とりどりの光の線が降り注いだ。
 一本のバイオリンが静かに奏でられ始めると、会場に集まっていた人々は会話をやめて、耳を澄ませた。
 退役軍人のマルチン・ホーキンズは、少ない年金で孫のジャクソンとともに生活するために、路上で歌い小銭を集める日々を送っていた。ダヴァール教会のリック牧師が彼を教会に導き、マルチンは貧しさの中で豊かに生きることを知った。教会で彼の歌声に惚れ込んだアガサは、結婚式の入場曲をマルチンに頼んだ。
 ヴァイオリンの演奏をしてくれているのは、彼の孫ジャクソンだ。

 温かみのある柔らかなテノールでマルチンがアガサとドラコの結婚式のために歌ってくれたのは、『You raise me up』だ。

――私が弱りはて、魂も朽ち果てようとするとき、
 困難が重く心にのしかかるとき、私は静かに静寂の中で待ち続ける。
 あなたが来て、私の隣に座ってくれるまで。

 前方のスタッフ専用口から、タキシードに着替えたドラコが祭壇の下に歩み出た。ココナツの木々が茂るイーストヴィラストリートを全速力で駆け抜けてきたばかりなので、まだ少し息が乱れ、汗で前髪が湿っている。ドラコに微笑みかけながら、壇上のリック牧師がわずかに眉をひそめるが、それもご愛敬だ。
 ドラコはタキシードの内ポケットからペアの結婚指輪を取り出して、それをリック牧師に預けた。

――あなたが私を引き上げ、私を山の頂にも立たせてくださる。
 あなたが私を助け導き、嵐の海をも歩かせてくださる。
 あなたの腕に抱かれて私は強くなり、これまでよりもっと良い人間になれる。

 心を鎮めながらマルチンの歌に耳を傾けていると、ドラコはそれがまるで、自分とアガサの関係であって、自分と神との関係にも近いような感覚を覚えた。
 二番の歌詞が歌い始められると、後方で礼拝堂の両扉が開いて、参列者たちが息を呑むのがわかった。花嫁が入場してきたのだ。
 ドラコは振り返りたくなるのをジッとこらえて、彼女が隣に来るのを待つ。心臓の鼓動が少し早くなるのがわかった。

――餓えることのない命はない。
 私たちの心臓はいつも休みなく、不完全な鼓動を刻み続ける。
 でもあなたが私の隣に来ると、私は驚きに満たされる。
 それはまるで、永遠を垣間見ているのかと思うほどに。

 十字架の上のステンドグラスからより一層強い陽射しが差し込み、ドラコを照らし出したとき、タケイチの手からドラコの腕にアガサの手が引き継がれた。
 ドラコは顔を上げて、幸せと驚きに胸を膨らませた。白いベールに覆われたアガサは微笑んでいて、――とても美しかった。
 二人はそのままリック牧師に向いて、マルチンが歌の最後を歌い終わるのを待った。
 ジャクソンのヴァイオリンは少しぎこちなかったが、孫と祖父がコラボして二人のために贈ってくれた『You raise me up』は、とても優しく、温かかった。

「新郎、ドラコ」
 リック牧師が厳かに、ドラコに問いかけた。
「あなたは新婦アガサを妻とし、健やかなるときも病めるときも、喜びのときも悲しみの時も、富める時も貧しいときも、彼女を愛し敬い、慰め合い、共に助け合い、命のある限り真心を尽くして守ることを誓いますか?」
「誓います」
 続いて、リック牧師はアガサに問いかけた。
「新婦、アガサ。あなたは新郎ドラコを夫とし、健やかなるときも病めるときも、喜びのときも悲しみの時も、富める時も貧しいときも、彼を愛し敬い、慰め合い、共に助け合い、命のある限り真心を尽くして従うことを誓いますか?」
「はい、誓います」

「それでは、指輪の交換を」
 直前にドラコから預かった結婚指輪をリングピロウに乗せて、リック牧師は最初にアガサの指輪をドラコに手渡した。
 その指輪の内側には、ドラコがアガサに贈る聖書の御言葉、『雅歌8章6節−7節』と、『君の夫ドラコ』の文字が刻まれている。
――雅歌8章6節−7節
 私を封印のようにあなたの心臓の上に、
 封印のようにあなたの腕につけてください。
 愛は死のように強く、
 ねたみはよみのように激しいからです。
 その炎は火の炎、すさまじい炎です。
 大水もその愛を消すことができません。
 洪水も押し流すことができません。
 もし、人が愛を得ようとして、
 自分の財産をことごとく与えても、
 ただのさげすみしか得られません。

 ドラコはアガサの左手の薬指から婚約指輪を外して、純金の結婚指輪をはめると、その上から婚約指輪を嵌め直した。結婚指輪とともに婚約指輪をすることはエンゲージカバーといわれ、二人が誓った愛に封をするという意味がある。

 続いてリック牧師は、ドラコの指輪をアガサに手渡した。
 その指輪の内側にも同じく、アガサがドラコに贈る聖書の御言葉、『哀歌3章55節−58節』と、『あなたの妻アガサ』の文字が刻まれている。
――哀歌3章55節−58節
 「主よ。私は深い穴から御名を呼びました。
 あなたは私の声を聞かれました。
 救いを求める私の叫びに
 耳を閉じないでください。
 私があなたに呼ばわるとき、
 あなたは近づいて、
 『恐れるな。』と仰せられました。
 主よ。あなたは、
 私のたましいの訴えを弁護して、
 私のいのちを贖ってくださいました。

 二人が結婚指輪の内側に刻んで互いに贈り合った御言葉には、愛と救いのメッセージが込められていた。ドラコがアガサに贈ったのは愛のメッセージで、アガサがドラコに贈ったのは神の救いのメッセージだ。

 リック牧師はリングピロウの上にドラコの左手と、アガサの左手を重ね置いてから、一番上に牧師の右手を置いて、天に向かって祈りをささげた。
「全能なる父なる神の御前において、神から賜った牧師の権限により、この二人を夫婦と認めます。神の祝福と愛が今からのち命のある限りこの夫婦にあって、二人が神の全き道を歩むことをイエスキリストの御名によって宣言し、祈ります。――アーメン」

――『アーメン』
 参列者も皆、口々に唱えた。

「新婦ドラコ、花嫁に誓いのキスを」
 リック牧師の合図で、ドラコとアガサは祭壇の前で向かい合った。
 アガサが膝を屈めて身を低くし、ドラコがアガサのフェイスベールを持ち上げる。ベールはとても薄くてふわふわしているので扱いが難しく、練習では少してこずったが、本番では上手く、アガサの背中にそれを綺麗に流すことができた。花嫁控室でウエディングドレスを着たアガサの最後の身支度として、母親のマヤが顔におろしてくれたウエディングベールを、新郎のドラコが開くことには、娘が親元を離れて、新郎新婦の隔たりがもはや完全になくなり、男女が一つになるという、特別な意味がある。
 最前列の椅子に座ってそれを見守っていたマヤが、涙を流した。

 アガサが立ち上がり、顔を上に向けて目を閉じた。何度も練習した誓いのキスだ。リック牧師と、参列者たちの注目が一心に集まる。
 ドラコにはもう、アガサしか見えていなかった。
 愛しい花嫁の肩の下にそっと手を添えて、吸い込まれるようにキスをした。
 3秒以内に離れる約束なのに、――ドラコは離れなかった。
 リック牧師が咳ばらいをし、参列席から次第にクスクスと笑い声があがった。たまりかねたアガサが、そっとドラコの胸を押し返し、顔を引いて唇を離す。
「ドラコ……」
「あ、ごめん、つい……」
 我に返ったドラコが照れくさそうに笑った。
 結婚式会場に盛大な拍手が沸き起こり、新郎新婦退場のパイプオルガンの演奏が始まった。

 モーレックとマリオは最前列で、メグミとミレイに抱っこされている。二人とも結婚式のために子ども用のタキシードを着せられていて、とても可愛らしい。
 退場のときに、ドラコがモーレックを、アガサがマリオを受け取って抱っこした。アガサは真っ白いアナベルのブーケを次女のメグミに手渡した。
 参列者たちにライスシャワーを浴びせてもらいながら、バージンロードを教会の出口に向かって歩いて行く途中、モーレックが言った。
「ママ、ぼく、天使を見たよ。じゅうじかのひかりのところで、パパとママをずってみていた」
「ええ、そうね、モーレック。天使は本当にいるのよ。怖くなかった?」
 アガサは驚くこともなく、息子に応えた。
「うん、まぶしかったよ」
 
「ところで、あなたはどうして時間ギリギリに到着して、そんなに汗まみれなの、ドラコ」
 アガサがついに、結婚式の間中ずっと気になっていたことを口にした。
「車が故障して、走って来たんだ……」
 お祝いの歓声とともに出口の両扉が開かれて、アガサたちは晴天の眩い広場に出た。
 教会の前の広場には、ケータリング会社が朝からテーブルを並べて軽食とウエディングケーキを準備してくれていたのだが、見ると、周囲一帯に赤とブルーのランプを点灯させたパトカーが何台も停車していた。

「おっと、これはやばいな……」
「パパ、なにか悪いことしたの?」
 ダヴァール教会の教会員で警察官のノーランが、訳知り顔でパトカーの横からアガサに手を振っていた。
「結婚おめでとう!」
 ノーランの隣には、ラットと、ドッグ、彼は前に一度古城に子どもたちを迎えに来てくれたドラコの仕事仲間だ、それに、アガサが見たことのないスーツ姿の男が他に二人並んで立っていた。
「おめでとうございます、ボス! アガサ、綺麗だよ!」
 ラットが指笛を吹いて、二人を祝福してくれた。

「これは一体、どういうことなの?」
 アガサが説明を求めてドラコを見やると、顧問弁護士のハーヴィーが二人に駆け寄ってきた。
「検事は上手くやってくれたよ。心配ない、君たちはお咎めなしだ。証拠品も無事に抑えたし、物もすべて回収した」
「じゃあ、どうして教会の周りをパトカーが取り囲んでいるんだ?」
「ノーランと君の部下たちが、どうしても結婚式を覗きたいというから、検事が、それはめでたいから寄って行こうと言い出してね。あれだけ大量の麻薬を押収して、凶悪な麻薬カルテルを一網打尽にした後だから、みんな有頂天になっているんだよ」

 チャリティーとして企画していたアガサとドラコの結婚パーティーは、半数近くが制服警官で埋め尽くされた。
 式に参列した教会員は最初のうちは戸惑っていたが、ランチタイムで皆がお腹を空かせていたということもあり、ケータリング会社の軽食と、アガサが拘り抜いたウエディングケーキが絶品の美味しさだったので、そのうちすぐにパトカーに囲まれているという奇妙な環境にも慣れて食事と音楽に夢中になった。音楽は教会員たちが交代でギターやヴァイオリン、電子ピアノをかき鳴らし、即興の讃美歌を披露してくれた。お酒やダンスはなかったが、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。

 ドラコとアガサはこの日、神の前で結婚し、本当の夫婦になったのだ。
 結婚は神が定めた制度だ。神が結び合わせたものを、なんぴとも引き離すことはできない。
 大きな平安が、二人の上にあったがその後、ドラコはまたしても人を殺めたことをアガサに知られ、聖書の上に手を置いて悔い改めの祈りをさせられた。





第1話END (第2話につづく)