恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 1−8


「私も赤ちゃんを抱っこしたい」
 と、アガサの妹のミレイが言ったので、ダイニングに向かう間にドラコがマリオをミレイに抱っこさせた。
 マリオは知らない人に渡されて一瞬体を強張らせたが、相手が若いお姉さんだと気づいたせいか、すぐに慣れて嬉しそうにしはじめた。
「次は私に抱っこさせて」
 とメグミも言った。二人とも身長はアガサと同じくらいだが、アガサより、ずっとふっくらした体つきをしている。そして、どちらかというと父親似だ。
 次女のメグミは上下セパレートの黒のセットアップドレスを、三女のミレイの方はシフォンのゆったりとしたピンク色のワンピースを着ていた。

 アガサと両親は、仲睦まじく会話しながら先を歩いて行く。
「フライトはどうだった?」
「快適だったよ。ホテルも素晴らしい。わざわざ招待してもらって悪いね」
「お父さんはアガサの手料理を楽しみに、ほとんど何も食べていないのよ」
「いかにも。腹ペコだよ」
「腕によりをかけた甲斐があったわ」

 アガサは家族全員をキッチンの奥の小さな洞窟のようなダイニングに案内した。
 家族全員が入ると狭かったが、アガサのお気に入りの松の木のダイニングテーブルに大人6人と、ベビーチェア2個は隙間なくピッタリとおさまった。

「狭いなあ」
 と、文句を言いながらもタケイチは娘たちに囲まれて嬉しそうだ。

「たまには家族がギュッと詰まって一緒に食事をするのもいいでしょう」
「うん」
「誰が祈る?」
「それはもちろん、花婿だよ」
 と、タケイチがドラコに向かって微笑んだ。アガサは一瞬、困る。
 ドラコが神様にお祈りをするなんて、アガサには想像もできなかったのだ。
 だが意外にもドラコはタケイチに微笑み返すと、隣に座るアガサの手をとった。
「え、本当にあなたが祈る?」
「うん、いいよ」
 ドラコは何でもないことのように頷いた。

 家族全員が手を繋いだ。
 アガサはマリオと、マリオはメグミと、メグミはミレイと、ミレイはタケイチと、タケイチはマヤと、マヤはモーレックと、そしてモーレックはドラコと手を繋いで、同じテーブルを囲んだ家族が一つの輪をつくった。

 ドラコは頭を下げて、声に出して祈りを唱え始めた。
――家族を繋ぎ、俺を最愛の女性のもとに導いてくれた憐れみ深い神様、
 今夜、温かい食事の前に家族とともに座らせてくれて、有難うございます。
 冷めないうちに食事をいただきたいので、短い祈りをお許しください。
 どうか牡蠣に当たらないように、俺たちをお守りください。明日は大切な結婚式ですから。
 イエスキリストの御名によって祈ります、――『アーメン』

 皆が口を揃えて『アーメン』と唱えた後、アガサは涙をこらえてドラコの頬にキスをした。
 無骨な短い祈りだったかもしれないが、ドラコが祈るのを初めて聞いたから、つい感動してしまったのだ。

 この時アガサは気づかなかったが、両親と妹たちは、二人を見て嬉しそうに微笑んでいた。

 アガサは最初に、殻付きの生牡蠣を前菜として振舞った。
 鮮度を保つために氷の上に並べてキンキンに冷やした生牡蠣を、レモンを絞って食べる。
 ワインに詳しいドラコがシャンパンを選んで全員に注いだ。フランスのピノ・ノワールから造られたブラン・ド・ノワールは、オレンジやアプリコットの甘酸っぱさが豊かに広がる果実感が魅力で、牡蠣にとても合う。

「なるほど、神の加護があらんことを」
 ドラコに目配せしてから、最初にタケイチが牡蠣を吸い込んだ。食した後にすぐにシャンパンを口にして、恍惚の表情を浮かべる。
「美味い。このシャンパンは、牡蠣との相性が絶妙だな……」
 タケイチが喜んだので、ドラコもニコリとした。

 テーブルの上でサラダのボウルが回された。
 レタスと、カットしたトマトとキウイフルーツとモッツァレラチーズが、溢れるほどたっぷり入っている。
 ドラコがモーレックとマリオにもサラダを取り分けている間に、アガサはメインのチキンの丸焼きを切り分けた。
 チキンの中にはベークドポテトと人参、玉ねぎを加えたチャーハンライスが、ローズマリーと塩コショウで味付けされてぎっしりと詰め込まれている。そこにチキンの肉汁と、オリーブオイルが沁み込んで、これは絶品と家族全員が舌鼓をうった。

「このチキンの料理は初めて食べるわ。どこで覚えたの?」
 マヤが娘に尋ねた。
「こっちの教会の婦人会で教えてもらったの。みんな料理がとても上手でね。でも、今日はこんがりと焼きすぎちゃったんだけど」
「芳ばしくてとても美味しいよ」
 と、タケイチも言った。

 全員がチキンのメイン料理を楽しんでいるときに、今度はドラコがデカンターに入れたドリンクを新しいグラスに注いで回した。
「これはアガサが醸造しようとしている赤ワインで、まだ熟成途中のジュースですが、美味いですよ」
「珍しい風味……紫蘇が入っている?」
 ミレイは味に敏感だ。
「あたり、よくわかったね。俺は最初、それが何の風味か分からなかったんだ」
 ドラコに人懐っこく話しかけられて、ミレイは少し頬を赤らめた。
「日本では、紫蘇はアメリカよりもっと身近に食べるから、そのせいかも」

「ぼくものめる?」
 と、モーレックが言ったので、隣の席で仕切りにモーレックの世話を焼きたがっているマヤが、アガサに聞いた。
「この子にあげてもいい?」
「モーレックには少し味が濃いかもしれないわ。でもちょっとだけなら、これに入れてあげてくれる、ママ」
 アガサは母親にプラスチックの小さな持ち手つきコップを渡した。マヤはそれに少しジュースを注いで、モーレックに差し出した。
 モーレックはママの視線に気づいて、ちゃんと、「ありがとう」、とマヤに言った。

「どういたしまして、可愛い子ちゃん」
「どう、美味しい?」
 口をとがらせて一口飲んでみて、
「うん、きにいったよ」
 と、モーレックは言った。
 2歳の子どもにしては大人びた話し方なので、アガサの両親と妹たちは一瞬驚いた顔をして、それからクスリと笑った。
「可愛い……」
「後でオネエサンに抱っこさせて、モーレック」
 とメグミが言うと、モーレックは「うん」、と頷いた。
 同じように今度はミレイが言うと、モーレックは、
「いいよ、メグのあとでね」
 と言ったものだから、またアガサの家族たちを驚かせた。

「私たちの名前を覚えているのかい?」
 タケイチが興味を示してモーレックに話しかけると、モーレックはモッツァレラチーズを齧りながら不思議そうに首をかしげた。
「どうして忘れるの?」
「はーい! 私は誰でしょう」
 と、マヤが手を上げてモーレックを見つめた。
「ママのママのマヤ。おばあちゃん」
「この人は?」
 マヤが隣のタケイチを指さした。
「タケ」
「私はメグで、こっちは?」
 今度はメグミが妹のミレイを指さした。
「ミレイだよ」
 みんなの名前を突然聞かれて、困惑したモーレックがアガサを見た。

「心配ないわ、モーレック。みんなはあなたがちゃんと名前を覚えられたか確かめたくて、聞いてみただけなのよ。急に家族の名前を忘れたんじゃないわ」
「なんだ、そう」
 モーレックは納得したように、またモッツァレラチーズを齧った。
「賢い子だな」
「私だって賢い子だったでしょ、パパ?」
「賢い子は、蓋を締める前にミキサーのボタンを押したりしないんだよ、アガサ」
「あのときは、……こどもだったし、回転の力が一方向に放出されたらどうなるか見たかったのよ」
 言い訳するアガサの隣で、ちょっと前に同じようなことがあったな、と、ドラコは思い返した。
「それに、ママがミルクを注いでいる最中にわざとコップをずらしたりもしないわね」
 と、今度はマヤが言った。
「あれは、……落下する液体の拡がり方を急に見てみたくなって……」
「その時、お前がなんて言ったか覚えているかい、アガサ」
 アガサは呟いた。
「綺麗だと思ったのよ」
 当時の少女は、まさしくそう言ったのだった。零れていくミルクの流線が綺麗だと思ったからだ、と。
 父親は頷き、愛しそうにアガサを見つめた。

「大きくなったな、アガサ。こんな立派な男性を花婿にするなんて」
「お姉ちゃんは昔から物凄く変な子だったわ。いいんですか、ドラコさん、こんな姉で」
「そうです、この姉はいつも変なことをして怒られていたんですよ。結婚を考え直すなら今ですよ、ドラコさん」

 アガサは呆れて口をぽかんと開けた。
 ふと気づくと、隣に座るドラコがジッとアガサのことを見ていた。
「違うのよドラコ、家族がちょっと、大袈裟に言っているだけで……」
「君と結婚するよ、アガサ。誰が何と言っても」
「神の奇跡ね」
 マヤが本気で涙ぐみ、天を仰いだ。

「それで、アガサはどんな子どもでしたか? もっと聞かせてください」
 そう言って、ドラコはアガサの両親と妹たちに、これ以上ないくらいの人好きのする可愛い笑みを向けた。
 それはズルイ、と、アガサは思う。
「もう、最悪……」
 アガサが止めるのも聞かずに、家族はまんまとアガサの子どもの頃の面白エピソードを次々にドラコに話して聞かせた。
 そして、ドラコはビックリするほどとても聞き上手だった。

 その間、アガサは得意のローストビーフを切り分けたり、パンプキンパイを切り分けたりしてディナーの給仕を続けた。
 夜は楽しく更けて、デザートのフルーツジュレを出されて、もうこれ以上お腹に入らないと皆が言い出し、食後のコーヒーを飲む頃には、ドラコはすっかりアガサの家族に打ち解けていた。
 ドラコはもっぱら聞き役に徹したが、タケイチから聞かれると、去年ロサンゼルスでやった電気の修理屋の仕事のことをそつなく話して聞かせた。古い送電線や電柱を交換した話だ。自分のことを話すとき、ドラコはとても謙虚だった。

 夜の10時前には迎えのハイヤーが来て、アガサの両親と妹たちはホテルに帰って行った。
 その頃にはモーレックはアガサの腕の中で、マリオはドラコの腕の中でグッスリ眠り込んでしまっていた。

「今夜は子どもたちを、このままベッドに運んで眠らせるわ」
 二人は子どもたちを起こさないように寝室に運んだ。

「今夜は気疲れしたんじゃない?」
「とても楽しかったよ」
「あなたが食事の祈りをしたとき、すごく嬉しかったわ。てっきりあなたは、神に祈らない人だと思っていたから」
「いや、よく祈るよ」
「どんなことを?」
「もっぱら君の悪口」
 ドラコがニヤリとした。
「そう、神に私のことを告げ口しているわけね。それで、神はなんだって?」
「第一ペテロ3章7節だ。いのちの恵みをともに受け継ぐ者として、妻を尊敬しなさい、と」
「私もあなたのことをよく神に祈るの。神からの応答は、第一ペテロ3章1節から2節に書いてあるように、夫に服従しなさいということ」

 二人は手を繋いで、子ども部屋から廊下に出た。
「おやすみ、アガサ」
「おやすみなさい、ドラコ」
 そうして廊下で別れて、アガサとドラコはそれぞれの寝室に帰って行った。

 



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