恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 1−7


 アガサの家族は19時に古城に来ることになっていた。
 着替えをすませたドラコがキッチンに下りてきた。今夜は、襟と袖口に白いラインの入ったシンプルな紺色のシャツに、ベルトを締めてコットンの白いパンツを合わせている。スーツ姿じゃないドラコは、いつもより無害で真面目そうな好青年に見えた。

 ドラコはキッチンの入口からエプロン姿のアガサを見つめた。アガサは普段はエプロンをしないから、今夜の彼女の姿はドラコの目には新鮮に映った。

「迎えに行かなくていいのか?」
「うん、ホテルからハイヤーを手配してあるから」
「家族を招待するって言ってたよな。ホテルもハイヤーも、ちゃんと俺のカードを使った?」
「いいえ、私のカードで」
 大鍋の中から熱々のかぼちゃを取り出し、湯気の中でそれを半分に割りながらアガサが答えると、ドラコは腕を組んだ。
「アガサ、それをやめてくれって、前にも話したよな」
「でも……両親に親孝行したかったの」
「もしかして飛行機のチケットも君が取ったの?」
「ええ、ビジネスクラスをね。奮発したの」
 ドラコは明らかにムッとした。
 アガサはそれに気づいて付け足した。
「結婚したら、次からはあなたのカードを使わせてもらうわ。もちろん、そのときは限度額いっぱいまで使って、あなたを泣かせるつもり。有難う」

 ドラコは押し黙った。
 ちなみに、アガサに渡しているカードに限度額はない
 忙しそうにディナーの仕上げにかかっているアガサに近づいて行って、ドラコは無言で抱き着いた。それにより、アガサの動きは封じられる。

「ドラコ、はなしてくれないと、オーブンのチキンが焦げちゃうわ」
 ミトンをはめた手でアガサがドラコの腕をほどこうとした。

「はなさないよ、一生」

 アガサを抱きしめるドラコの腕に、さらに力がこもる。
 フォードを買ったときと同じで、またしてもアガサがドラコのお金を使わなかったことを怒っているのだ。
 こうなると、ドラコはとことん子どものようにへそを曲げて直らないので、アガサはドラコの腕の中で体の向きを変えてドラコと向き合った。

「怒らないでよ。私だってちゃんと仕事をしているんだから、家族のことくらい自分でできるのよ」
「それをされると、夫として必要とされていないと感じるんだよ。アガサは俺のカードを一度も使ったことがないだろ。子どもたちの服も、食事も、全部君が持ってるのはイヤだ」
「ああ、ドラコ、そんなことないじゃない。とても高価な結婚式の費用は全部、あなたが出してくれたわ。あんな高価な費用は私には出せなかったから、とても感謝しているのよ。私が出したのはあのささやかなシルバーのネクタイリングだけだし」
「お互い様だって言いたいのか? あのネクタイリングは、すごく嬉しかったよ。大切にする」
 それから二人は、少しの間、無言で見つめ合った。

 アガサが言った。
「誓いのキスの練習をもう一度する?」

「うん」

 アガサは目を閉じて顔を上げた。その顔が可愛いので、ドラコは微笑みながら少し眺めて、それから唇を落とす。
 司式を行なってくれるリック牧師から、誓いのキスはフレンチな軽いものにすることと、キスをしたら3秒以内に離れることを言い含められていた。
 ドラコは唇を離した。
「すごい、今のはすごく良かったわ」
「そう?」
 アガサに褒められて、機嫌を良くしたドラコがやっと腕をほどいた。

 その後、急いでオーブンから取り出したチキンには、こんがりと焦げ目がついていた。





 アガサの家族を乗せたハイヤー、トヨタのグランエースは、19時ちょっと前に古城の前庭の広場に到着した。
 ドラコがモーレックを、アガサがマリオを抱っこして、古城の鉄の鋲つきの分厚い木扉を開けて出迎えた。
 家族みんながディナーのためにちょっとだけオシャレをしていて、モーレックとマリオは襟付きのシャツに蝶ネクタイをつけ、アガサも襟付きのワンピースを着ていた。

 はじめにアガサが日本語で家族に挨拶をして、ドラコと子どもたちを紹介したあと、今度は英語でドラコたちに家族を紹介した。
 アガサの父タケイチ、母親はマヤ、二人の妹たちは、メグミとミレイという名前だ。

「まあまあ、なんて可愛い子どもたちなの」
 開口一番に、アガサの母親マヤが両手を広げ、アガサからモーレックを奪い取ろうとした。モーレックはサッとアガサの顔を見て、不安そうな眼差しを向けた。
「この人はママのママよ。あなたの【お祖母ちゃん】になる人。キッチンのベビーチェアまで、お祖母ちゃんに抱っこしてもらったら?」
 モーレックはそれでもまだ人見知りをしているようだったが、半ば強引にアガサの母親の腕の中にもぎ取られた。
「なんて可愛いのかしら、たべちゃいたーい!」
 と、マヤが言ったので、モーレックはハッとして、安全なのかを確認するようにアガサとドラコに目配せしてきた。二人は黙って頷く。
 ほっぺにキスしていい? と迫られて、モーレックは首を横に振っている。

 それはそうと、ドラコはアガサの母親に見とれた。
 マヤは、外見も声もアガサにそっくりだった。
 シルクのシャンパンゴールド色のブラウスをゆったり纏い、ミモレ丈の黒のスリムスカートを上品に合わせている。スカートの裾に少しだけスリットが入っていて、綺麗な足が見え隠れしているのが女性らしくてとても素敵だ。

 タケイチは上下オフホワイトの麻のスーツを涼し気に着こなしていて、首にはネクタイの代わりにオニキスのついたループタイをつけていた。
 身長はドラコよりずっと低いが、全体的に筋肉質でダンディな雰囲気がある。

「すごく広いんだな。思ったよりも綺麗な所だ。ここでシャロームプロジェクトを?」
 アガサの父タケイチがホールを見渡しながら聞いた。
「ええ、そうよパパ。ロスとモスクワとイタリアの教会が繋がって、貧困、孤児、医療支援などの活動がやっと軌道に乗り始めたところなの」
「日本の教会もきっと協力してくれるはずだよ」
 タケイチがアガサに微笑みかけた。
「ところで、君たちはもうここで一緒に住んでいるのかい?」
 アガサの肩越しにタケイチがドラコに尋ねた。
「はい、そうです」
 ドラコは物おじせずに、柔らかに応答した。
「いつから?」
「去年の春からです。当初は下宿という形だったので、彼女がオーナーで、聖書の十戒に基づく隣人契約を結んで、家賃も払っていました」
「ほお、家賃はいくら?」
 ドラコがちらっとアガサを見てから、答えた。
「1日100ドルです」
「高いな。ロスではそれが普通なのかい? 街中ならともかく、こんなに山奥でそんなにとるとは、うちの娘は守銭奴だな」
「はじめはね、彼をここに長く居つかせたくなくて、高めの金額を設定したのよ。見ての通り彼は魅力的な人だから、一つ屋根の下に置いておくのは分別のある行いではないと思ったの」
 アガサは正直に言った。
 するとタケイチは瞼を細めてキラリと鋭く瞳を輝かせた。
「でも、住まわせたわけだね」
 住まわせた上に二人も養子を引き取り、彼と婚約したんだね。お前たちは一体どうなっているんだ? と、言いたげだった。
 すかさず、アガサの母親マヤが口を挟む。
「よしてよ。一つ屋根の下っていうけれど、ここはホテルみたいに広いじゃないの」

 妹の一人が加勢する。
「素敵な彼だって聞いていたから、お姉ちゃんが騙されているんじゃないかってパパは心配してたのよ。私たちは、お姉ちゃんに限ってそんなことあるわけないでしょ、ってずっと言ってたんだけど、……確かにドラコさんはとてもハンサムね。お姉ちゃんにはもったいないくらいの方だわ」
「そんなこと言うなんて失礼でしょ、メグミ」
 アガサが妹の一人をたしなめると、また別の妹が言った。
「でも中学のときにお姉ちゃんが付き合ってた、何て言ったっけ、イタリア人の彼氏。あの子もハンサムだったよね」
「ミレイ! その話は今することじゃないの」

 アガサに睨まれて、ミレイが肩をすくめた。

 家族をキッチンの奥のダイニングに案内しながら、アガサは心の中で神に祈った。
――どうか、今夜のディナーが無事に終わりますように。家族が余計なことを言いませんように!





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