恋に落ちたマフィアと、アガサの古城 2ndシーズン 1−4


 モーレックとマリオをオフィスに連れて行くことになったので、ドラコは電話を一本かけて車を手配したらしかった。
 古城の前庭に入って来た黒いベントレーのリムジンを見て、アガサはイタリアの空港に用心棒たちが迎えに来た時のことを思い出し、ちょっと警戒した。
 いかにも、な、車だ。
 
 ドッグと名のる体格のいいスーツ姿の男が運転席から下りてきて、後部座席のドアを開き、アガサの指示で、モーレックとマリオのチャイルドシートを設置するのを手伝ってくれた。そうしてドラコはいつもより早い時間に、子どもたちを連れて古城を出発していった。
 マリオはミルクをたっぷり飲んだ後で眠たそうにしていたが、モーレックの方は、初めてパパの仕事場に行けるというので、わくわくしている様子で、12時に食べるお弁当とお茶、おやつの時間になったら食べていいことになっているアガサの手作りクッキーとジュースをリュックに詰めてもらって、嬉しそうに出かけて行った。

 子どもたちを乗せたベントレーが石造りのアーチと金属格子の門を通り抜けて、曲がりくねった山道を下って見えなくなるまでアガサは心配そうに見送った。
 それでなくても、朝、子どもたちから引き離されると寂しい気持ちになる。保育園に送り届けるときも、いつもそうなのだ。
 アガサはしばらく古城の前庭にたたずんで、ベントレーが引き返して来ないかな、と待ってみたが、どうやら無事に行ったようだ。

 保育園には、今日は【家族の都合】でお休みすると連絡しよう。
 少なくともシッターさんか、代わりの保育園が見つかるまでは、今の保育園を辞めるとは言い出せなかった。

 アガサはキッチンに戻ると、朝の散歩を終えて姿を現したモーニングに餌をやり、猫用トイレの砂を交換してから、自分も出かける準備にとりかかった。
 ドラコが街で拾ってきた子猫のモーニングは、モーレックと同じ歳で、今年で2歳になる。
 古城での暮らしにすっかり馴染んで、今ではモーレックによく懐き、マリオに対してはお姉さん気質の可愛らしい見守り役を務めてくれている。

 自室の壁にある古い鉄製の燭台を引いて、アガサは隠し扉を開いた。
 アガサが書斎兼、結婚前の寝室として利用している部屋には秘密の部屋が隣接していた。

 城の中で見つけた秘密の仕掛けは、発見すればその都度ドラコと情報を共有することにしていたが、アガサの部屋にあるこの秘密の部屋の存在だけは、誰にも知らせていない。ここには、アガサが神から委ねられている巨額の富が仕舞われている。

 隠し扉の内側に置いておいた電池式のランタンをつけて、アガサは秘密の部屋の石階段を下って行った。
 一階から三階までの高さがある巨大な倉庫のような空間に、毎年1月1日になると天使たちが運び込んでくる7万個もの段ボール箱が、使い切れずに溜まり続けて、今では16万個ほどが積み重ねられている。さらにその周りには、この城の以前の持ち主が残していったであろう大量の金貨や宝石、高価な中世時代の衣装や装飾具が山積みになって置かれていて、すでに足の踏み場もない。

 それらの古いお宝は、文化的価値のある物かもしれないから、そのうちしかるべきところに届け出を行なうつもりだ。
 時間がなくてこれまで後回しにしてきたが、しかし、今年こそは何とかしなければならないだろう。さもなければスペースがパンクしてしまう。

 もしかしたら、この城を過去に所有していた家主の子孫があらわれて、相続人が見つかるかもしれない。
 その場合は勿論、アガサは古いお宝をすべて持ち主に還すつもりだった。
 そんなことを考えながらも、アガサは天使たちが運んできた段ボール箱の一つを開封した。
 どの箱にも ヘブライ語で『シャローム』と焼き印が押され、箱の中には同じくシャロームと印字された帯が巻かれた100ドル紙幣の束が入っている。
 仮に100ドル1万円と換算すると、1箱あたり、日本円にして1億円だ。

 そう、神はアガサの元に、毎年7兆円もの現金を几帳面に段ボール箱に梱包して天使たちに運ばせて来るのだ。

 神は現金主義だった。

 アガサは階段を二往復して、秘密の部屋から段ボール箱を2箱運び出した。
 毎年1月中に、神に命じられた通りに、アガサは現金輸送会社に依頼して1兆4000億円分をシャロームプロジェクトの口座に入金した。
 そんな大金を持ち込む客はなかなかいないので銀行の担当者は驚いたが、アガサが文字通りに「天からの贈り物」だと説明すると、銀行の担当者は、敬虔なキリスト教徒からの『匿名の寄付』だと受け止めたようだった。
 それ程の金額にもなると入金前に国税局に申告する必要があり、一定の贈与税が差し引かれるので、実際に口座に入るのは1兆4000億円よりも少ないが、アガサはそれをシャロームプロジェクトのための、【すぐに動かせるお金】として活用した。
 
 毎年、秘密の部屋にある残りの5兆6000億円分の現金は、口座に入れずに、その他の方法で用いることを神はアガサに求められた。
 これが難しく、今や16兆円ほどの現金が秘密の部屋にストックされている状況だ。
 口座に入っていない現金は移動がしにくく、用いるのに手間がいった。けれど、神はあえてそれをアガサに求めておられるのだ。

 今日は、孤児院支援のためのチャリティーイベントの収益金として1億円をモスクワに送金する予定だ。
 送金したお金は、聖ペテロ・パウロ大聖堂のアリョーシャ副牧師と、彼の妹のソーニャが、ゴリヤノヴォの孤児院をはじめとるすモスクワの孤児救済のために役立ててくれることになっている。アリョーシャ副牧師とソーニャは、その他にも、神の国の福音活動のために様々な地域貢献をしているので、アガサは毎年、聖ペテロ・パウロ大聖堂のミッションをシャロームプロジェクトの一環として金銭的にサポートしている。

 アメリカではチャリティーで集めた寄付金には税金がかからない。
 だからアガサはしばしばチャリティーイベントを主催し、シャロームプロジェクトからも寄付金を出した。
 
 アガサは段ボール箱を一つ空にして、モスクワに送る分の現金を手早くジュラルミンケースに移した。
 お金に執着はないから、アガサの作業は淡々としている。どんなに大量の現金を前にしても、私欲のために利用したいという気持ちは全くわかなかった。
 たとえばザ・ビートルを中古購入するときや、子どもたちの送迎用に新車のフォードを購入するときには、シャロームプロジェクトのお金を利用したが、それらは家族のために用いるだけでなく、【神の国の働き】のために惜しみなく用いると決めているものだった。だから、アガサはそれを個人の所有物として主張するつもりはなかった。
 この古城も、車も、庭も、家財道具も、神の富で得たものはすべて神の所有する物だ。――私自身でさえも。

 続いてアガサは、秘密の部屋から運び出してきたもう一箱から現金を取り出し、必要な支払いのために小分けにしていった。
 用途は主に、ロスの教会への献金や、新しくオープンした雑貨店『God Bless You』の賃料や改装費用、それに在庫を保管しておくための倉庫の費用などだ。現金での支払いを喜んでくれる業者が、アメリカにはまだ半数近くある。電子決済やクレカ払いによる詐欺事件が後を絶たないせいだろう。

 現金の準備ができると、アガサはぱりっとしたスーツに着替えた。
 今日はモスクワへの送金を行なった後に、銀行の一室で、業者に現金での支払いを行うことになっている。高額の現金の授受は、セキュリティの高い銀行内で行なった方が安全だからだ。
 
 当初アガサは、シャロームプロジェクトをNPO法人として立ち上げられないかと考えたが、宗教的な活動はNPOを名のれないことが分かり断念した。社団法人や宗教法人は、活動の範囲に制限があったので選択肢から除外された。だから、シャロームプロジェクトはあくまでも非営利の任意団体という形をとっている。
 任意団体は迅速にかつ自由な活動を行なうことができるからだ。
 ただし法人格をもたない任意団体は、知名度を得るまでは信用が薄く、当初は銀行口座を開設することすら苦労した。

 今年で3年目となるシャロームプロジェクトの活動は、教会のネットワークを活用してようやく国内外に徐々に認知されつつあり、どんどん活動の幅が広がってきた。

 アガサは時間に遅れないように、重たいジュラルミンケースをザ・ビートルに積み込むと、安全運転で銀行へ向けて出発した。





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